131.溢れることなき嗚咽
周囲では、原形をとどめていない灰を大勢の手が集めていた。
灰がある程度集められる度に、魔力認証装置が翳される。手のひらサイズのそれは機序こそゲートの物と同じだが、こういった事件と呼べる出来事の際には手掛かりを探すために用いられていた。
元がネズミだったことは分かっていても、なぜこのような事態に陥ったのかは未だに不明だからだ。魔術によるものという可能性も否定できない。
彼らの様子を見るに、反応は芳しくはないようだ。つまり、せいぜい確認できたのがここに居る面々の魔力くらいのものなのだろう。
燃やして濡らして爆破して、しまいには消し炭にしたのだ。ヴェルやシリスの魔力は検知されない方がおかしい。
地上に戻れば研究機関への引き渡しが行われ、より詳しい調査が行われるはずだ。ヴェルが持ち帰った黒い物質も、同じように研究機関へと渡っているのだから。
ディクシアと共に到着した守護者たち───彼の父親率いる治安維持機関には、既に事の経緯は伝えてある。
ディクシアが相手を跡形もなく燃やし尽くしてしまったことは当初、彼の父にかなりの非難を受けていた。けれど意識をはっきりとさせたアステルやヴェルたちが異常な回復力のことを説明してようやく、納得を得ることが出来た。
今も昔も、ディクシアよりアステルに対して弱い彼らの父親を見ていると辟易する。
釈然とはしないが他者が踏み入っていい問題ではない。ヴェルは口を噤んだまま堪えるが、幸いにしてディクシア当人はそこまで気にした様子を見せなかった。
そうして今、大勢が細々と灰を集めている脇で成り行きを見守っている。
「早くアイツ帰んねーかな。さっきからこっちチラチラ見てきてうぜーっての」
「心配してたんだ。当然の反応だよ」
「はーーーーーー無理無理。要らんお世話。あいつにこそ、心配される筋合いねーよ」
口をひん曲げて不快の意を表すアステルが手を振り払う仕草をする。彼らの父は慌てて現場の指示へと意識を向けた。
周りの人員も慣れたものなのか、はたまた興味がないのか。黙々と灰を集めるという地道な作業に従事している。
下手に大勢の目に咎め問いただされるより、そうやって別の作業に意識を向けていてくれた方がヴェルには気が楽だ。
「しょうがねぇって。さっきまで目ぇ回してた奴の言うことだしな」
「最後のはディクの所為だぞ!オレは被害者!」
「言ってなよ。昨日、君がここに来てるって聞いてたから、僕がどれだけ走ってきたと思ってるんだい」
はぁ、とディクシアは溜息を吐いてアステルの頬に手を翳した。転げ回ったときにできたものか、細かい擦り傷が少々目立っている。
指先から生まれた淡い光が傷を包みこむ。多大な魔力を使うような大掛かりな術を使ったに関わらず、まだ余裕のある様子はさすがとしか言いようがない。
「今日は特別だよ。小さい怪我でも、こんな場所じゃ不衛生だからね」
「んじゃ、洗っとけば?アスなんて上から水ひっ被せたら良いだけじゃん?」
いつもなら自然治癒力に任せるような小さい傷だ。自分も心配したと言えば良いだけのものを、わざわざ文句を言ってまで治療を施すディクシアを揶揄う。
ヴェルの言葉に素直でない彼は口を尖らせ、話の矛先をクロスタへと変えた。
「クロの銃声はよく響くから、有り難かったよ。おかげでここを見つけるのも早かった」
「……そうか」
「……どうしたんだい?君も怪我をしたのかい?」
「いや、俺は無傷だ」
そう言って首を横に振るクロスタの目が横に流れる。視線の先を追えばそこにいるのはヘロヘロで横たえられているシリスと、傍らで彼女の腕の布を手際よく変えている男。
ディクシアの片眉がわずかに跳ねた。
「カインさん……?」
「なんだ、ディクも知ってんの?」
「前回の任地で少し。……ねえ、クロ?」
「あぁ」
どうやらクロスタも知っている顔だったらしい。
男が先ほど言った"二回目"の意味を何となく理解した。一回目はおそらく、前回の任地とやらでのことなのだ。成程、わざわざ移住者の案内を姉がする意味がわからなかったが、顔見知りであったのならば多少は納得できる。
起き上がる気力もないらしく、地面に溶けたままのシリスの二の腕には真新しい布が巻かれていた。簡単な謝罪と感謝がこちらにも聞こえてくる。
「なに?彼女、また怪我でもしたの?懲りないね」
「ついでに魔力空っぽで、ぐでんぐでんなんだよあいつ。悪ぃんだけど、ちょっとだけ治してやってくれる?」
「まったくもう……」
呆れた様子のディクシアがアステルの頬から手を離す。擦り傷は、綺麗さっぱり無くなっていた。
請われるまま足を向けようとした矢先、彼を遮るようにそちらへ向かう影があった───シルヴィアだ。
「ヒッ……」
気心知れた友人の横に彼女がいたことは認識できていたようだが、突然目の前を横切った馴染みない女性に端正な顔が引き攣る。どうしようもない彼の性分だ。
気にしないようにしていたのか、もしくは気になってもその性分ゆえに指摘できなかったのか。ここに至ってようやく、足を止めたディクシアはシルヴィアに対する疑問を口にした。
「か、彼女はいったい……?」
「あれ、そういやディクはまだ知らないんだっけ?ヴェルの彼女」
「かっ……!?」
次の文字が出てこないまま固まる友人に気まずさがないわけではないが、説明は後でも良い。ヴェルにとって今はそれよりも気掛かりなのは硬い表情で足を進めるシルヴィアだった。
だが声をかけるよりも、彼女がシリスたちの元へ着く方が早い。
数步。
その先に踏み込むのを躊躇うかのように、先程と同じくらいの距離を残して止まる足。
「兄さん……」
シリスと話していた男はその声に会話を止めた。
何を言おうか良いあぐねるようにシルヴィアの口は薄く開いては閉じを繰り返す。
原因なんて明白だ。
男───カインは未だに、シルヴィアの「兄さん」という呼びかけに返事をしないのだ。
「もしかして大きくなってて分からないっすか?私だよ、シルヴィアだよ」
16年と言っていた離別の月日。
確かに彼女の年齢から考えれば、一目見て成長が分かるものではないかもしれない。けれど、その名を告げても返答はない。
カインはただ、静かに立ち上がりシルヴィアを振り返った。
似通った陽の色に、親愛の情はこれっぽっちも浮かんでいない。
あるのはただ、静かな無表情。
気圧され、ぐ、と唇を噛み締めるも、シルヴィアは負けじと訴え続ける。
「私のこと、まだ怒ってるっすか?別れる前、すごく怒鳴ったことは覚えてて」
「……」
「本当に後悔してるっす。兄さん凄く怒ってたのに、それもちゃんと理由すら覚えてなくて……」
帰ってくる言葉は、ない。
「でもずっと謝りたくて!会いたくて……ッ!」
「……」
「兄さん、私───」
「悪いけど」
ようやく、彼から声が出た。
「ヒト違いだ。俺は君の兄さんじゃない」
やんわりと、しかし完全に彼女を否定する言葉。
シルヴィアの顔が瞬時に強張り、さらに一歩を踏み出そうとしていた足が凍り付いたかのように動きを止める。
「確かに俺には妹がいる」
「……!」
「でも、君じゃない」
一瞬明るく輝きそうだった顔が、カインの次なる言葉で再び沈む。
「俺の妹は故郷にいるアベラ一人だけ。君じゃない」
「アベラ?ホリィ、ジード……?」
「納得できない顔してるね。……君が探してる兄さんの名前は?」
逆に問われ、シルヴィアが言葉を詰まらせる。
それでも微かな希望に縋るように、胸の前で握りしめた手に白くなるほど力が込められた。
「エゼ。……エーゼルワイト・ノクスタリア」
「残念、俺はエーゼルワイトなんて長い名前じゃない。やっぱりヒト違いだね」
間髪入れず、返ってくるのはやはり違うという答えだった。
否定は肯定よりも容易い。知っているフリよりも、素知らぬ顔で嘘を吐けばいいだけの話なのだから。
カインの表情は微動だにせず、彼の言動の真偽は判然としない。
「信じきれないんだったら、魔力認証装置で身元の確認してもいい。ちょうど今この場にあるんだしね」
「魔力……」
けれど、その言葉はある意味での決定打であった。
───天威族は、魔力を持たない。
魔力認証装置が反応するということはつまり、魔力を持っているということに他ならない。そして、装置で身元が分かるということはこのガイアにおいて生まれた守護者であることを意味している。
「だけど……でも……」
それでも諦めきれないのかシルヴィアが食い下がる。
それほどまでに似ているのか、彼女の顔は一縷の望みに縋るかのようにくしゃりと歪む。涙は滲んでいないが、徐々に潤み始める瞳は瞬くことなくカインを見据えていた。
見つめられて居心地が悪かったのかカインの眉根が寄る。やがて渋々といったていで踵を返すと、この雰囲気の中も構わず灰を集めていた守護者の肩を叩く。
「悪いね、貸してくれない?」
声をかけられた男は訝しむように首を傾げるが、一言二言カインと言葉を交わすと何かを彼に手渡した。
戻ってくるなりカインはシルヴィアの前に立って右手を差し出す。そこに、淡い光を放つ丸い水晶が乗っていた。魔力認証装置だ。
見えやすいように角度を調整するカインの手を追ってシルヴィアの瞳が揺れる。
「カイン、ニック……」
ひとつひとつ、文字を確認するようにゆっくりとシルヴィアの唇が動く。
ヴェルたちからは見えないが装置には感知した魔力の持ち主の名が浮かんでいるはずだ。彼女が口にしたのはつまりそういうことで、もはやカインという男がシルヴィアの兄ではないということを明確に示していた。
「本当に……兄さんじゃ、ない?」
「そういうこと」
肩を竦めるカインに、とうとうシルヴィアの中の糸が切れたようだった。
「シル!」
ふらつく足元を確認した瞬間、ヴェルは彼女の元に走り寄る。
肩を抱き寄せた途端に折れる膝。なんとか受け止めたはいいが共に地面に崩れて、打ち付けた足に多少の痛みが走る。
抱えた肩はほんの僅かに震えていた。ヘイに遊ばれていたときと同じだ。その時と違うのは、いまシルヴィアの肩を揺らしているのは怒りではないということだけ。この震えがカインに対する憤りではないことくらい、わかる。
「そっか……。そっかあ……」
何度かそう呟き、シルヴィアは顔を上げた。
目の周りはほのかに赤かった。笑みを無理やりに浮かべる中で、きゅっと寄った眉が痛々しさすら覚える。
「勘違いしてごめんなさい。本当に、兄さんに似てたから、つい」
「……まあ、世の中には似た顔が3人はいるっていうから、そういうこともあるんじゃないかな」
納得しきっていないようだったが、これだけ否定を突き付けられてはシルヴィアも理解せざるを得なかったのだろう。探し求めていた人物と、目の前の人物は違うのだと。
カインはその様子を傍目に装置を返しに行く。シルヴィアを気に掛ける様子は微塵もなく、それがまた赤の他人なのだと態度で告げていた。
下手なことを言えないヴェルが何かを口にすることはない。内心では「ややこしい顔しやがって」とカインに悪態でもつきたいが、別に彼が悪いわけではない。
泣きもせず、喚くこともせず。突きつけられた事実をただ飲み込もうと俯くシルヴィアの手を、ヴェルはそっと握るしかできない。
縋るように握り返してくる手は、いつもの力など微塵も感じさせないほどに弱々しく、彼女の心をそのまま体現するかのようにひんやりと冷たかった。