129.黎明と黄昏
ネズミの肉体というワンクッションがありながらも、その圧は凄まじかった。
内側から弾けた体は、抉られ斬られたときよりも激しく様々なモノを四方八方に散らしていた。シリスほどではないにしろ、少し離れたヴェルが赤に塗れるくらいには。
せめて目は庇ったが手に付着し、どろりと流れる血は生臭さを感じる。やはり鏡像ではなかったのだ、彼らの”血”は鏡が血を模したモノで元来は無機物なのだから。
においを感じるということは、相手が命ある生き物だったということ。
腕を下ろした先に広がる視界は、自らが招いたとはいえ筆舌に尽くしがたい惨状だ。
「うぇ、ぐろ……」
斬り落とされた腕や尾がごろごろと転がっていた最初とはまた違う。細々と千切れ吹き飛んだ断面を晒す肉片がそこかしこに散らばる様は、アステルでなくとも顔を顰めてしまうだろう。
そのアステルはといえば、ヴェルのはるか後方に無様な格好で転がっていた。視界の端には捉えていたが、砲撃の反動で崩れた体幹は爆風に耐えられなかったらしい。
「おーい、無事か?」
「生きてるゥ……」
いつもの元気あり余る姿はどこへやら。緩慢に上体を起こしたアステルはぐらぐら首を揺らしながら小さな返事をするばかりだった。どうやら目を回しているようだ。
だがそれ以外に目立った外傷はない。転がった時の汚れや飛び散った破片でヴェルと同じように汚れてはいるが、喋れるくらいなのでそのうち戻るだろう。自分の作った道具が爆発して吹き飛ぶ姿をよく見るので、特に心配する気にはならない。
「シル!」
アステルにさっさと見切りをつけて、肉片の中に倒れ伏す彼女へと駆け寄った。
肩がもぞりと動き、ヴェルが辿り着く前に汚れまみれのシルヴィアが顔を上げる。服や髪に比べて顔は綺麗なままだったが、なんとも嫌そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。風避けの為に伏せただけっすから……」
「わ、悪い」
そういえば、シリスが足止めをして欲しいとお願いしただけで、何をどうするのかとは詳しく説明してはいないのだ。
ヴェルの呼びかけととっさの判断で伏せたのは流石としか言いようはないが、爆発四散させるとは思っていなかったのだろう。肩口に張り付いた肉片を摘まみ上げげんなりとしているシルヴィア。思わず謝罪が口をついて出るが、指先で摘まんだものを弾きながらシルヴィアはゆっくりと首を振った。
「いいっすよ。確かに、粉々って言ってたっすもんね」
でも、上に戻ったらシャワー浴びたいっす。と、眉尻を下げた笑みが返って来た。ヴェルもそれには同感だ。
彼女の無事を確認し、次にヴェルが姉の姿を探そうとしたとき───その声は存外近くから聞こえてきた。
「なんとか……やった感じ、だよねぇ?」
「おい、それってフラグ……」
明らかに気力を失っている声に呆れ半分、安心半分で振り返る。が、最初に目に入ったのは見たことのあるような淡いブラウンで。
ヴェルは咄嗟に言葉を詰まらせた。
「やあ。派手に散らかしたね」
思わず身構えるヴェルを気にもかけず、よれよれでドロドロのシリスを横抱きにして抱える男。髪から滴る血脂で汚れてはいるものの、精悍な顔つきをしていることは十分にわかる。やや暗めの橙色は黄昏色とでもいえばいいのか、既視感のある瞳はヴェルを静かに映していた。
その背後に憮然とするクロスタもいる。彼も肉片やら諸々を引っ被ってはいたけれど、釈然としない表情はおそらく汚れたからではないだろう。
抱えられたシリスはといえば腕に力を入れる様子を見せるが持ち上げるだけの力はないようで、やがて相変わらずの様子でへらり、と笑う。
「やっぱ効果覿面だったっしょ……」
「……なんでそんなにヨレてんだよ」
「全部出し切ったら、踏ん張るだけの力なくってさぁ……。あの爆風でゴロゴロと」
「ノーマークだったのか彼も直ぐ受け止められなかったみたいでさ。俺がキャッチしたんだ」
「そゆことー……」
「これで二度目だね?」
清々しいまでに笑顔を浮かべる男と対照的に、もはや諦めたように脱力しきったシリスは笑みを消して瞳を閉じる。深い深い溜息が、その口から吐き出された。
素直に他人の世話になることを良しとしない姉のことだ、現状、大人しく抱えられているのが本意ではないということはありありと窺える。
後ろのクロスタからも舌打ちが聞こえてくるかのようだった。いつもにも増した彼の仏頂面の原因がようやく理解できる。シリスの直ぐ真横にいたのに、咄嗟に動けなかったことを悔しいとでも思っているのだ。おそらくそう、長い付き合いのヴェルにはよくわかる。
「悪かったよ、うちの姉が迷惑かけて────」
男の言う”二回目”の意味が引っ掛からないでもないが、とにもかくにも礼は述べるべきだとヴェルは口を開いた。
開こうと、したのだ。
「にい、さん?」
呆然とした言葉が、シルヴィアから漏れるまでは。