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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
128/133

126.誰が言ったのだったか

 広がる空間は地下にありながらも、所々にかつての魔術照明が仄かに灯っている。

 恐らくかつては水門の管理施設だったか、貯水槽の名残なのかもしれない。おかげで暗闇の中でネズミと対峙など、正気の沙汰とは思えないことをする必要もないのだから。




 迫る、赤い口を目にしながら、シリスはむずむずとする鼻に耐え切れず小さなくしゃみを零した。


「っ……くしゅん!」


 鼻頭を掻く余裕もない。今いた場所に巨大な前歯が突き立ち、石畳を噛み砕いていた。飛び散る破片を避けながら、カインの声が飛ぶ。


「わぁ、このタイミングで?」

「誰かがあたしのこと話してたんじゃない?」


 そもそも生理現象なのだからタイミングもなにもあったものではない。


 一瞬ひやりとした体温が、軽口で少しだけ和らぐ。

 だが、目の前の異形は容赦なく赫い瞳をギラつかせていた。口角から垂れ流しのままの涎は空腹の表れか。


「あたしって美味しそうに見えるのかな。さっき共喰いしたばっかなのに、お腹空いてそうな顔してない?」

「ネズミの気持ちはさすがに分からないね。……まあ、でも血の匂いさせてるのが大きいんじゃないかな」


 そう言われて納得する。右腕の傷は当初ほど酷くはないものの未だに血を流し続けており、ときに点々と地面に滴を落とす。隙を見て破いた袖で縛ったはいいものの、それだけで抑えきれるものでもない。


 相変わらず痛みは鈍い。けれどやはり、長期戦に持ち込むのは避けたいところではあった。

 食欲なのか単純な敵意なのかは判然とはしないが、異形のネズミは飽きもせず大口を開けてシリスに襲い掛かる。


 カインが一歩、前に出た。


「まあでも───あれだけ涎垂らしてアピールされると、気に入らないな」


 刹那、鈍色が翻る。

 微かな灯りを受けて銀の閃光にも見紛うそれが、異形の首部分へ吸い込まれた。


 ぱっ、と風を受けた花のように赤が舞う。


 早い。


 あまりの速度に、傷口から血が吹き上がるのは花弁が地に落ちてからだった。



「─────────!!」


 鳴き声を発する喉が切り裂かれたからか、巨体は悶えるのみで悲鳴を上げることはない。ただのた打ち回る手足と尾だけが、地面を狂ったように叩いては音を立てた。

 質量の高い打撃に、礫が飛ぶ。

 本来であればこれで絶命してもおかしくないと言える。だが、炭化しても復活を遂げた相手であった。


「ッ、カイン!」

「わかってるよ」


 二撃目を突き立てる前にカインはその場を飛び退く。直後に暴れ狂う異形の腕が彼の爪先を掠めた。

 シリスの横に降り立つ彼は頬に跳ねた血の一筋を親指で拭い、視線だけをシリスに向けて微笑んだ。


「心配してくれた?」

「必要ないってことはわかった」

「そうかな。気持ちだけでもありがたく貰っとくけど」


 余裕そうな顔を見ていると心配したこと自体おこがましく感じてしまうものだが、そうでもないと彼は笑う。こんな時にも調子を崩してこなくてもいいと思うのだけれど、ある意味、見たこともないような敵を目前にしても変わらないその姿勢は頼もしくもあった。


 目の前で傷口がボコボコ音を立てて泡立つ。

 さらに大きくなろうとしている異形を眺め、カインが呟いた。


「ケモノ型かと思ったけど、少し違うみたいだ」

「あんなに鏡像っぽいけど」

「回復力が異常すぎる。君の攻撃は効いた?」

「あんまりそうは見えなかった、かも」


 赫い瞳、共喰いをしての成長、ヒトを喰らうこと。

 どこをどう見ても鏡像の特徴に似ている。

 だが、決定的に違う。ガイアに鏡像が出ることがおかしいとの点を除いたとしても、守護者からの傷を自己再生するなど、鏡像であるはずがない。


 けれど目の前の”それ”はシリスの魔術も、カインの斬撃も、なかったかのように立ち塞がる。


 異常、その一言に尽きるのだ。


 こんなつもりではなかった。

 


「ごめんね、付き合わせちゃって」


 情けなくなってきたシリスが嘆きをこぼす


「どうして?謝る必要なんてないと思うけど」

「だってあたしがここまであの子を追いかけて来なかったら、巻き込まれなかったじゃん。そもそも、スられなかったら良かったわけで」

「……はぁ」


 カインから、深い溜め息。


 と、同時に左右に飛び退いた。歪な尾の先端が、棘のように地面を穿ち穴を開ける。


「そうすると君の弟は、気付かれない内にここで齧られてしまってたかもしれないけど?」

「そ、れは……」


 それぞれの靴が地を擦る音。そこに、穏やかな声が落ちる。


「俺は好きでついてきたし、好きで自分から首を突っ込んでるんだ。だから君も俺に配慮しないで好きにやればいい、それも織り込み済みで君に案内を頼んだんだからさ。単純な話だろ?」


 少々離れていても、それは頭の芯に届くようなよく通る声だった。


 シリスは一瞬、言葉を失う。

 何事も突っ込んでしまう性分のせいで、咎められ諌められることは多々あった。けれど、こんなふうに真っ直ぐ肯定される事には慣れていなくて。


 きゅ、と唇を引き結ぶ。

 そうでもしないと、こんな状況下なのに思わず口元が緩んでしまうかもしれなかったから。


「……じゃあ、お言葉に甘えるから───そっちも好きに楽しんでよ。コンテンツなんでしょ、あたし?」

「物は言い方だね。好きにする様を見たいだけだよ」

「さっきはそう言ったくせに」

「どっちが先に言い出したんだっけ?」

「知らない」【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】


 言葉を交わすたびに沈みかけた気分が再び戻ってきた気がする。握った刃が軽いのはきっとその所為だ。

 数日付き合ううちにカインの調子に慣れてきたのかもしれない。


 シリスは息を吸い込み、改めて異形の巨体を見据えた。




 話を待っていた。なんて律儀さは持ち合わせていないだろうが、シリスに焼かれカインに深々と斬り付けられたとあってか、先ほどよりは警戒する様子を見せている。

 自ら突っ込まず、再び尾で牽制しているのがその証拠。


「じゃ、仕切り直しますか」

「どうぞ、ご自由に」


 血振いした刃から飛沫が散る。

 シリスの最終確認に、にこり、と文字を付けても良いのではないかというくらいの良い笑顔が返ってきた。ディクシア程ではないが、本当に憎らしいくらいに良い顔をしている。


 視線を引き剥がして地を蹴った。やることは変わらない。どう足掻いても変わらないのだ。

 近付くシリスにようやく異形が腕を振るった。

 上に避けた勢いそのままに、無防備な腕へ刃を大きく振り下ろした。肉を断つ感覚。粘り気のある手応えとともに、顔に生ぬるい温度が点々と降りかかる。


 やはり鏡像が流す無臭の血とは違う。

 無機物ではない、確かな命が持つ生臭さ。


 痛みに叫ぶ異形がそれでもシリスを叩き潰さんと、残ったもう一方の腕を振り上げるのが見えた。

 ───シリスが行動を起こす前に、その腕は振り下ろされることなく宙を舞う。


「ご自由に、って言ったろ?」


 カインの声が、いつの間にかすぐ背中越しに聞こえた。


「存分に動けるお膳立てはするつもりだからさ」


 その言葉通りシリスが踏み出す前にはカインの気配はまたも離れ、振り払われようとした尾が視界の端で細切れにされるのが見えた。

 もう彼ひとりで良かったりしないかと思いながらも、次々に再生を繰り返す異形が衰える気配はない。手を緩める判断をするにはまだ、早い。


 けれど驚くほどに動きやすかった。

 カインの立ち回りはシリスの軌道を邪魔しない。かといって避ける必要など不要とばかりに、相手の攻撃がシリスにまで届くことがない。息が合う、とでもいうのだろうか。ヴェルと同じように、示し合わせずとも狙いを把握されている気さえする。

 不思議な気分、だった。嫌なわけではなく、むしろ心地良いほどに。


 辺りには斬り飛ばされた腕や尾がゴロゴロと転がる。もう何回斬り飛ばしたか数えるのすら億劫なほどだ。カインと合わせると、相当な数の()()が転がっていてもいおかしくない。

 だが、やはり肉体は肉体のまま。鏡のように割れ、砕けることはない。


 シリスは少々上がった息を整えた。


 ───単純に、倒れない相手と戦い続けるのは疲れる。


 カインの方へちらりと目を向ければ、彼は息を乱さないながらも辟易した表情を浮かべていた。


「終わらないね、これ。もう放っておいて上層部に任せたら?」

「本気で言ってる?」

「まさか。これだけ攻撃的なのに、俺たちが背中見せたらそれこそ上まで追ってくるよ、多分」

「だよね、あたしもそう思う」


 だがしかし。あと何回傷を負えば倒れるのか、そもそも倒れるのかすらわからない。シリスの体力にもカインの体力にも限界は存在する。

 再生不可能なほど木っ端微塵にすれば、さすがに終わるのかもしれないが……現状、それを試してみる手立てもない。

 元気に涎を振り乱しながら飛び掛かる異形を迎え撃とうとしたときだった。





「ラグナロクうぅぅぅぅ!!」


 シリスの目の前で閃光が走った。


 光は幾重もの小さな爆撃となって、たったいま飛び掛かった異形の顔面を抉りながら弾ける。衝撃で後ろに吹き飛ばされた体躯が地面を擦った。

 なにがどうして相手が吹き飛んだのか、響き渡った声を聞けば嫌でも理解してしまう。


「さっきはアルマ……なんちゃらって言ってなかったか?」

「アルマゲドン」

「そうだっけ?まあ、なんでもいいや、気分で叫んでるし」

「雑っすねぇー」


 何故ならその声は、聞きなれたものだったのだから。


 場にそぐわない賑やかな一行。その最たるアステルは、目の前の光景を視界に映すとあからさまに顔を顰めた。


「おいおいフラグ回収じゃん。誰だよ小さいのよりデカいほうが楽って言った奴」

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