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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
126/133

124.ガイチュウ退治

 振り下ろされた腕は膨れ上がり、今もぼこぼこと音を立てては少しずつ成長を繰り返している。



 両腕が満足に使えるならまだしも、肉の抉れた右腕が長時間堪えられるわけもなく。正面から受け止めるには心許なさの方が勝り、シリスはその剛腕を横に転がることで避けた。


 気が昂っているのもあってか、少々肉が削がれた程度では大した痛みは感じない。ただ、力が入れづらいという一点が最大の懸念材料だった。


「変な病気もらわないといいけど……」


 こんな水路に住むネズミから受けた傷だ。決して綺麗なものではないだろう。叶うことならばさっさと地上に戻って両親に治療を頼みたいところではあるが、目の前の脅威をほっぽり出すわけにはいかない。






 ネズミは、そのすべてが一匹に集約したかの様な姿へと変貌を遂げていた。


 子どもの背丈の半分程度だった体躯はいまやシリスどころかグレゴリーすら優に超える大きさへと成長し、肥大していた。

 脈動する筋肉は動くたびに変な盛り上がりを見せ、それは内部の構造が本来のネズミのそれとは大きく違っているのだということを肉眼で知らしめていた。

 時折皮膚が急激な成長に耐えかねてか破綻するが、内側から漏れ出す血液が盛り上がり新たな肉を形成している。

 辛うじてまだネズミだと判断できる頭部には、共食いしたネズミたちがそのまま生えたのかと思えるほどに無数の赫い瞳が浮かび上がっていた。そのどれもが独立して動き、シリスの姿をとらえては瞼を細めて嗤っている。



 これでは、まるで。




「鏡像じゃないんだからさ……」


 ヒトを喰らうという話も、赫い瞳も、共食いが成長のファクターになっていることも。

 その符号の一致と目の前の姿に苦々しさが込み上げる。


 少なくともこのまま置いておくわけにはいかなかった。

 この真上には顔を知らなくとも同じ都市に住むヒトの営みがある。少し足を伸ばせば自分たちの住む居住区だって存在している。家族や友人がいる目と鼻の先に、こんな異形を放置してなるものか。




 歪に節ができた尻尾が大きくしなるのが見えた。同時にシリスは地を蹴り真正面へと駆け出す。


 元がネズミなのであれば尻尾を使っての攻撃なんてしたこともないだろう、狙いはそこまで正確ではない。

 地面を叩く尾。

 ヒト1人分の距離を開けて、石が砕けて礫が飛び散る。


 季節が秋口で良かった。私服で突入しているものの、それなりに厚い生地でダメージは軽減されている。痛みなどさほどなく、叩きつけられた尾が引っ込められる前にシリスは節に足を掛けて遡った。


 当然、ネズミは尾を引っ込める。そこが狙い目だった。


 持ち上がった尾の先はネズミの体躯を悠々と超える。体に対して小さな頭が目下になった瞬間、シリスは尾の上から躊躇うことなく身を投げた。


「はあっ!」


 猛り声とともに左手に閃く赤。

 頭上から振り下ろされる一閃はネズミの鼻先を切り落とした。さすがに頭は楽に潰させてはくれないらしい。けれどそれで終わりではない。


爆ぜろ(フレイムクラック)!」


 ネズミの鼻頭、赤が噴き出す傷口が魔力と共に爆発する。

 今、自分の周りには誰もいない。最初から負傷してしまった失態を返上しようとすれば、狙うのは短期決戦だ。


 であれば、出し惜しみをしている場合ではない。


「灰より生まれ灰に還る」


 ちり、と周囲の空気が熱を帯びる。


「満つる紅蓮は(たけ)き焔」


 先ほどよりももっと濃く、もっと正確に、魔力とエーテルを練り上げて、研ぎ澄ます。


 元より魔力量は人並みだ。

 ディクシアのように高火力のものを何度も発動できるようなポテンシャルは持っていない。ならばシリスに出来ることはひとつである。


「大地を侵す者は皆等しく影すら残すな!」



 持てる限りの力を、いま放てる最大に詰め込むこと。

 猪と呼ばれる浅慮の猛進は、それ即ち判断の速さと同義でもある。


 怒りを宿した瞳が一斉に向けられるが、その頃には舞台は整っていた。


【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】


灼熱の咆哮(イグニス・ロア)!!」

 

 


 魔術とは言うなればエーテルの操作プログラム、そして詠唱はマニュアルだ。

 マニュアルを見ずともプログラムを構築できる魔術師(プロ)ならいざ知らず、シリスのような門外漢は正しく唱えれば唱えるだけ緻密な計算の元にプログラムを構築することができる。


 つまり、正しい詠唱で放たれた炎は先程よりも強烈な猛火となって異形のネズミを包み込んだ。


「ぢッ─────────」


 烈火で喉は焼け、悲鳴は最初の一音のみを残して赤に飲み込まれる。

 炎が空気を食らって燃えさかり、巨体はすぐに揺らめきの中へと消えた。




「……はぁ……、しんど……。やっぱ慣れない方法使うべきじゃないや……」



 ぐらりと膝が揺れ、思わず剣を杖のように突いた。どうも魔術は得意ではないが、今回ばかりは腕のハンデと天秤にかけた結果なのだ。致し方なかった。

 シリスは息を整えながら、じりじりと焦げた肉塊に視線を向ける。



 炎は弱まり、黒く炭化した巨躯はぴくりとも動かない。

 近付けば、体毛と肉の燃える独特の焦げ臭さと残留する油脂の独特な生臭さが鼻を突いた。


「なんだったんだろ、コレ」


 後々、調査などが入るのであればもう少し綺麗な形で死体を残しておくのがベストだったのかもしれない。余裕があれば、の話なのでしっかりと説明すればお咎めもないだろうが。


「や、此処に入り込んでる時点でなんか言われそぉ……」


 元々入ろうとした入り口には壊れた柵があった。追いかけた成り行きといえ、元来入り込むことは推奨されていないということだ。


 その辺りをカインが上手く説明してはくれないだろうかと、打算を巡らせ始めたときだった。





 ───ち。




 小さな鳴き声が聞こえた。


 新たにネズミが現れたのかと急いで辺りを見回すが、それらしき姿はない。それなのに真近くで聞こえるようではないか。


「まさか……ね」


 そんな気持ちで恐る恐る黒焦げになった塊から一歩、足を引く。








 黒が大きく膨れ上がった。




 膨張する身体に引っ張られ、炭化した皮膚がめりめりとひび割れる。



「ち───ぢぃぃイイぃィいイいいいい!!!!」


 緩慢に頭をもたげた巨躯はシリスの前に立ち塞がって高らかに再誕の産声を上げた。


 空気と鼓膜を揺るがすその声で、ぼろりぼろりと黒が地面に零れ落ちる。現れた毛並みは泥に濁った灰色で、焼け落ちた先までの姿と寸分違わぬ色だ。


 一斉に瞼を持ち上げた赫い瞳が、シリスを捉えた。


「嘘でしょ!?」


 驚愕に目を見開けど、シリスは咄嗟に地を蹴った。

 一回り大きくなった右腕がたった今までシリスの立っていた地面を叩く。大きいからといって鈍重になるわけでもなく、速度はそのままに質量だけ増した剛腕は易々と石畳を砕き、抉った。


「あれだけこんがりして、なんでまだ生きてんの……!?」


 次は左。

 シリスにとって避けるのは容易い。ただ、純粋な疑問は動きを鈍らせるに十分だった。


 間違いなく、ありったけの魔力で燃やし尽くしたはずだった。少なくとも、あれだけ炭化していたならば死んでいてもおかしくない。

 いくら様子のおかしな獣に成り下がったといえ、生き物であれば肉まで焼けて無事なんてことはあり得ない。


「どう見てもマトモじゃないのはわかるけど……わけわかんない」


 シリスがどれだけボヤこうが、眼前の光景は変わらない。

 だが、やることも変わらない。


 こんなわけのわからない生き物を、この場に野放しにすることなんて出来やしないのだ。




 既にネズミと呼べはしない異形が一際高く鳴いた。


 魔力はさっき殆ど使い切ってしまった。あとは残り(カス)のような、底溜まりだけ。それさえ使い切ってしまえば、次こそ膝から崩れ落ちるだけでは済まない。

 シリスがやれることはひとつ。斬って斬って斬りまくることのみだ。



 愛用の大剣を正眼に構える。

 通す魔力が少ないからか刀身はいつもより鈍色(にびいろ)に近い。それだけだ。叩き斬ることにおいて、刃の鋭さと重力、あとは勢いさえあればいつもとなんら変わることなどない。


 

「たまに家に出るゴキを誰が処理してると思ってんのさ。害"チュー"退治くらい、やってやろうじゃん」







「───もしかして今のはシャレだったりする?」



 背後から聞こえた声に、金髪がびくりと跳ねた。



「……」

「で、どうなの?」

「聞かなかったことにしてもらえない……?」


 眼前の異形から目を逸らさないままシリスが言うが、隣に並んだ相手は彼女の気まずさすら笑いのタネにしているのだろうか。


 肩を揺らす気配が伝わってきてシリスの笑みは辟易した顔に早変わりした。


「弟に、一緒に外出てって伝えといたんだけど」

「さっきの彼らに任せたよ。君のほうが助けを必要としてるんじゃないかと思って」


 当たってたろ?とカインが問う。


 悔しいが、当たっている。

 退治すると心に決めていても、焼き尽くして死なない相手をどれだけ叩き斬れば皆目見当も付かないのだ。今のところ遅れをとる様子はないが、腕のこともあって全力とは言い難い。戦力が増えるに越したことはない。


「まぁ……必要なかったかもしれないけど。得意なんでしょ、害"チュー"退治?」

「やだもう忘れてぇぇ……」


 この穴に入りたいほどの恥ずかしさは、目の前の元凶に全部ぶつけてやる。



 そう、シリスは心に誓った。

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