121.一寸先の闇
通路になった横を、濁った水が流れていく。
「思ったより、道もちゃんとしてるっすね」
「ここ、奥の方に売れる素材があったり、がらくたが流れ着いたりしてんだ。案外、貧民窟からちょっと足伸ばしに来る奴も多いぜ」
等間隔でしっかり灯された松明は微弱ながらも足元を照らし、歩くだけなら困ることはない。
アステルが先導する後ろをついて行きながら、ヴェルは横目で流れる水を眺めた。
ドロリとしていて汚泥と腐った水の混ざったような臭いがする。あまり長居したい場所ではない。
「……なあ、水精って綺麗な水とかに住んでんじゃなかったっけ?」
「もしかして婆ちゃんのこと?あのヒト、タフだからなー」
答えという答えになっていないが、とりあえずこんな水の中でも平気な相手らしい。
水精と言うからには水の中に潜っているのだろうが───無事に会えたとしてもあまり近付きたくないとヴェルは密かに思い、そう思ってしまった自分が嫌になった。
「な、アス」
そんな自分を誤魔化すように、ヴェルは気になっていた別の話題をアステルに向ける。
「こういう環境ってさ。どうにかならねぇもん?貧民窟もそうだけど、ここに住んでる奴がいるのも執行部は知ってんだろ?」
「どうにもなんねーかな。むしろ、環境整えるよりココ自体をぶっ壊したい奴の方が多いと思うぞ」
「ぶっ壊したい奴?」
「執行部、というより純血の連中だよ。お前らはそんなことねーかもだけどさ、純血って半分くらいオレらのこと好きじゃねーじゃん」
何ともないかのようなアステルの言動に、話を振ったヴェルの方が言葉に詰まる。
「旧水路には、わりーコトして逃げてきた純血の奴もいるわけ。んで、貧民窟には純血のルールに合わなくて逃げ出した奴らが住んでるわけじゃん?ジェネシティの景観的にも悪いし、治安にも関わってくるからさ、ホントなら一斉にどっかにやるかしたいわけよ」
「どっかって……」
「そう、その”どっか”がねーんだよな。おっちゃんも言ってたろ、企業秘密とか握ったうえで純血に良い思い持ってない奴らだぜ?元の世界にはいドーゾってわけにはいかねーじゃん」
言いたいことは分かる。
ガイアは守護者が治める世界だ。ジェネシティはその中での中心であり主要都市、謂わば白の世界における秩序の根幹を担っているといっても過言ではない。
そんな世界における構造のあれこれや、技術の粋を集めた諸々が他の世界に流れては困るのだ。
コヴェナントがなければ自由に行き来できないといえ、これから誘致するかもしれない者がそれを聞いて悪意を抱かないとは限らない。それに今は、レべリオンの作っていたコヴェナントもどきという問題もある。
何も否定できないもどかしさだけが、胸の中を渦巻いた。
「だけどアステルの話し方だと、半分はそう思ってないってことっすよね?」
「そ。ヴェルとかクロみたいな奴もいるから、そうそう簡単にぶっ壊すなんて話は出ないわけ。それに、今の総裁の婆ちゃんは良い奴だからな」
アステルが振り返り、歯を見せて笑う。
「あのヒトが総裁になってから、純血の教育にも他種族へのトードク?が含まれたんだろ?」
「道徳っすか?」
「そ、そ。だからオレらくらいの年代の純血はあんまりヘンケン持って見てくる奴も少ねーんだってさ。貧民窟も、これでもちょっとマシになった方らしいぞ。昔はもっと荒れてたらしいし」
「確かに……たまに見る貧民窟がある場所に比べたら、絡まれもしなかったっすからね」
今でも十分荒れているのではないかと思うが、シルヴィアの話を聞くにそうでもないらしい。
ヴェルは幸いにもそのような場所を見たのは今回が初めてだが、それでも衝撃を受けたのだ。概念としては知っていたし、どこぞ世界の話として聞くことはあっても直接目にするとまた違ったのだから。
アステルは貧民窟のことを語っているときのような淡々としたものではなく、鼻歌でも歌いだしそうな弾む声で総裁とやらのことを語っていた。
「時間があるときはちゃーんと自分の足でジェネシティ隅々回ってるらしいのな。遠目でしか見たことねーんだけどさ、背筋めちゃくちゃ伸びてる婆ちゃんで、かっけーの。たしかディクとかはファンだって言ってたな」
「……尊敬って言ってたぞ」
「変わんねーって」
クロスタの指摘もなんのその、からからと笑って流して続けるアステルは嬉しそうに見えた。
「の、割には、ネズミの話は放置されてんだろ?」
「言ったろ、上の連中はめんどうくせー奴が多いんだよ。いくら婆ちゃんが偉くても回りがどうしようもなかったらしょうがねーもんな。だけど婆ちゃんのことは信頼してる奴が多いのは事実だぞ。だから貧民窟なんて掃き溜めにいても、あんま悪いことする奴が少ねーんだよ」
「へぇ」
ヴェルも総裁・マリアについてはもちろん知っている。ディクシアがたまに話の種として出してくることもあれば、総裁という立場故に表立った場所に出て来ることも多いからだ。
けれど、トップに座す守護者という程度で、彼女のヒトとなりなどあまり気にしたことがなかった。友人以外は純血をあまり好いていないアステルがこうも良いように言うのも意外である。
最近は両親の元指導員という話も姉から聞いたところだった。機会があれば、父や母に話を聞いてみてもいいのかもしれない。
マリアの話に花を咲かせながらもアステルは時折、通路の脇に転がるただの石のような物を拾っては、取り出した工具を使って削ったりをしているようだった。
「ほい、クロ」
やがて作業を終えたのか、ヴェルも馴染みのあるクロスタの銃を彼に差し出す。
「ここに流れ着いてる鉱石がさ、いまんとこ1番魔力伝導率がたけーの。これでちょっとは魔弾もぶちかましやすいんじゃね?」
「悪いな」
「いいって、また弄らせてくれたら。それ、カスタムしてあるから触り甲斐あるんだよな」
「……兄貴か」
「そうそう、毎回思うけどオマエの兄ちゃんおもしれー弄り方してるよ」
クロスタの銃は兄の遺品だ。それを褒められて嬉しいのだろう、彼の口元はわずかばかり綻んでいた。
グリップを数度握り直し、角度を変えて愛銃を確認してからクロスタは満足そうに頷く。
「つかえが減った。気がする」
「だろ?ま、具合悪かったらまた教えてくれよな」
腰に手を当て満足そうに鼻を鳴らすアステルは、それじゃ、と前へ向き直る。
向かう先は、今までよりも少々暗い。
松明が、消えてしまっているのだ。
「こっから先はネズミの縄張りだったから、多分しばらく誰も行ってねーんだと思う」
ねろり、と背後から仄かに吹く風が空気を混ぜ返す。
全員が警戒を始めた途端、周囲の温度が数度下がったかのような感覚。
たかがネズミ、されど人喰いネズミ。
噛まれて痛いで済めばいいがどんな病を伝染されるか分かったものではない。
「噛まれねーよう気を付けようぜ。暫く薬飲まなきゃだめなのも勘弁だしさ」
アステルが持ち上げた手に、シンプルなフォルムの拳銃。
「んじゃ、ちょっと5秒くらい目を閉じてろよなー!」
唐突な忠告。
慌ててヴェルたちが目を瞑ったのと時を同じくして、軽快な発砲音と瞼を焼かんばかりの強烈な光が周囲一帯を包み込んだ。