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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
122/135

120.枯れてなおも根は残る

「おはよう。どうだ、調子は」

「おはようございます。変わりありません、ありがとうございます」


 食堂に入った途端に向こうから声を掛けられる。

 自分と同じ、夏空色の瞳がぎこちなく細められる。整った顔立ちは笑みを浮かべれば見惚れる者もいるだろう程に美しいが……相変わらずこの父は、ディクシアに笑顔を向けるのが苦手だった。


挿絵(By みてみん)


 外務の仕事を与えられ、他の世界へと足を向けるようになってからというもの、父はディクシアと以前よりも会話を交わそうとしていた。それは、純粋に息子であるディクシアを心配しているというだけでなく、できる限り目の届くところに置いておきたいという意味が含まれているのだろう、


 それがこの父の在り方だった。

 自ら得たものを軽々しく手放すことを良しとせず、縋るように関係を繋ぎ止めようとする。以前よりも会話を交わそうとするのも、きっと、怯えからのものだ。


 無垢な雛のように父に従い、母に従い、後を追おうとしたディクシアはもういない。

 ルフトヘイヴンでトラブルに巻き込まれ、一歩間違えれば息子を失うかもしれないとようやく気付いたからこそ、そんなふうに向き合い方を変えようとしているのだ。


 


 けれど、ディクシアはそれにどう応えればいいのか分からなかった。


 かつてアステルと彼の母の存在を知ったとき。

 愛しているのは彼らの方であると言われたとき。

 母が父の愛情を求めるために自分ディクシアを優秀に育てようとしていたとき。

 たしかに父からの愛情を欲しいと求めて願ったことはあった。


 けれど父の言葉に喜びを感じた幼き日の自分はもう、いない。

 とはいえ、今さら反発する理由もない。


 ただこうして愛情の残りカスだけがどうしても捨てきれずに、父がいまさら言葉を交わして関係を構築し直そうとする行為を切り捨てられないでいる。




 結局はまだ、自分も未練があるのだ。


 彼のことを心底嫌いなアステルにはきっと理解されないだろうが───確かに父として慕った過去があるからこそ、こうやってディクシアは今日もまた父の取り留めのない”家族ごっこ”に付き合っていた。


「今日のご予定は、昨日とお変わりないのでしょうか?」


 努めて穏やかに尋ねると、父は少し目を細めた。彼の表情はいつも控えめで、それでもどこか安心したような気配が滲んでいるのを感じる。


「そうだな。そろそろ全体に向けて、お前たちが持ち帰ってきたモノについて公表するつもりだ」

「ああ、あの黒い物質ですね」


 なるほど。今日はその話をするために声をかけてきたのかと、ディクシアは小さく頷いた。


「概ね、解析は順調ということでしょうか」

「難しいところだ。お前たちの話どおりだとすればアレを鏡に翳せば鏡像が沸くはずだ。だが、試してみても微塵もそんな気配はなかった」


 難しい顔で父親はカップに注がれた紅茶をひと口含む。

 ディクシアと同じく、甘いものが好きな父のそれには既に何杯もの砂糖が溶けているはずだ。その符号の一致を嬉しく思ったときもあったものだが、今はそうでもないのがなんとも言葉にしがたい。


みちになっていない鏡でないと意味がないのかと、他世界でも確認をしてみた。だが結果は同じだ。小さい欠片だからか、それこそお前たちの言ったように水晶程の大きさがあればまた別なのか、そこまでは何とも言えないな。材質も、未だ未知のものだ」

「そうですか……」

「しかしシュヴァルツ夫妻の息子からの報告だと、既に白の世界に顕現した鏡像であれば引き寄せる作用があるらしくてな。そちらについては、間違いなかったよ」


 ディクシアは初めて知った情報に目を見開く。


 帰宅してからというもの、報告や父との会話、ルフトヘイヴンで得た知識の整理などでヴェルとゆっくり話す暇もなかった。

 執行部に属する父の要請を受けて、自らも文献などを漁って黒い物質について調べていたのでなおさらだ。無論、ディクシアの方も何も進展はなかったが。


 無事に帰ってきたからと顔だけ見て、2、3言だけ交わしたのみである。ヴェルが任務中にどの様な出来事に遭遇したのか、ゆっくりと話せる機会に聞けばいいと思っていた。


「鏡像を引き寄せる、ですか……?ヴェルが、そんなことを」

「ああ。向かった先でレべリオンに襲われたらしくてな。奴らがそういう用途で使っていたと明かしたらしい」

「レべリオン……」


 その名はつい先日、執行部が守護者全体に向けて出した報で知った。


 革命者を名乗る彼らは公平な権利を求めて……と、コヴェナントの模造品を作っているという。様々な種族の子どもから”生きた素材”を剥ぎ取って。

 当然、その過程においては守護者の血も《《素材》》のひとつであるといってもいい。


 既に襲われた者も何名かおり、注意喚起としてその名が知らしめられたのだ。




 知らなかったとはいえ、友人の変事を人伝(ひとづて)に聞いたことはどこか悔しかった。


「……」

「そういえば、解析も今できるところを終えて一区切りが付いたからな。少々、準居住区での問題に着手しようと思う」


 ディクシアが黙りこくってしまったのをどう捉えたのか知らないが、父は紛らわすように話題を変える。


「準居住区の問題……何かあったのですか?」

「お前も旧水路の存在は知っているだろう?貧民窟スラムの者が時折入り込んでは素材の採取などを行っているらしいが……近頃、ネズミが猛威を振るっているらしい」

「ネズミ、ですか」

「たかだかネズミだが、どうも急成長を遂げてヒトを襲い喰らうようになってしまったそうだ。水路以外ではまだ被害もないし、後回しにしてもいいと思うのだが……総裁がこの話を知って、早めの対処を命じられたものでな」


 父は明らかに気乗りしない表情だ。

 彼にとって───否、半数ほどの守護者にとっては他種族や混血に関わる問題の優先順位は低い。言葉にしたように、水路以外に被害が出そうになってようやく着手しても遅くないと思っているのだろう。なにぶん、旧水路は一般居住区と直接つながった箇所はない。 アステルの住んでいる場所も一般居住区に近く、被害の出る可能性は低いゆえに父の中でもさして取り留めのない問題と認識されているのだろう。


 しかし総裁であるマリア・アッシェンクレストはそう考えていないようだ。


 父から話を聞いていると彼女は精錬された人柄で、混血他種族も等しく白の世界に生きる同胞と見做しているという。

 当然、守護者を第一に考えていないわけではないようだが、その公明正大さをディクシアは尊敬していた。

 彼女であれば、差し当たった問題に区切りが付けばガイア内での問題に手をつけようといっても可笑しくない。


 そこではた、とディクシアは気付く。

 先日、アステルが口にした話を。


「お父様っっ!!」


 思わず立ち上がる。

 勢いで後ろに押された椅子が倒れ、鈍い音を立てて床を揺らす。毛足の長い絨毯でさして床にも被害はないだろう、そんなことよりも気にしなければいけないことが出来てしまったのだ。


「き、急になんだ!」


 向かい合ったディクシアの突然の行動に父も声を荒げたが、続く彼の言葉に顔色を失う。


「アステルが……、アステルが今、旧水路に行ってるはずなんです!」

「なんだと……」


 アステルの名に即座に反応した父は目にもとまらぬ速さで自室へ駆け出す。ディクシアも父を追って食堂を後にした。


 残された紅茶だけが、誰もいない食堂で緩やかに熱を失っていった。

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