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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
120/135

118.湿った談義とカラスの名

 通路になった横を、濁った水が流れていく。



 少年を追いかけて入り込んだ場所は古い地下水路のようで、足元は湿った石の感触がした。ところどころぬかるみ、油断をすれば滑ってしまいそうだ。

 季節の変わり目だからと、おろしたばかりの靴が汚れてしまって気が滅入る。タイミングが悪い。


 饐えた臭いが漂ってくるが、下水というよりは苔や泥で汚れ切ったにおいといった感じだ。耐えられない程ではないが、嗅いでいてあまり気分の良いものでもない。

 叶うことならさっさと地上に戻りたいところではあるが、目的はまだ果たされていないのだ。





 少年が中に逃げ込んだこともあるのだが、幸いこの水路はまだ使われているらしい。本来の用途として使われているかは別だが、一定の間隔で灯された松明により最低限の視界に困ることはない。

 それでも暗いものは暗く、景色も代り映えなく、入り組んだ道を歩いていると方向感覚が失われそうな気さえしてくる。


「道、ちゃんと覚えとかないと迷いそう」

「そう思って、ある程度で印を付けて回ってるから安心していいよ」

「有能ぉ……」


 横を歩くカインが指先を壁に向ける。

 僅かな光が湿って苔の生えた壁に着弾し、蛍のような淡い光を灯す。どうやらシリスの知らないうちに、彼はきちんと目印を残してきていたらしい。


 ぐうの音も出ずに舌を巻けば、カインは得意げに片方の口角を上げた。


「俺が付いてきて良かったでしょ?」

「うん、って言う以外に選択肢ある?」


 事実、シリスだけで進んだならば途中まで目印をつけることなど失念していただろう。

 碌な案内が出来ないままにこんな場所を歩かせてはいるが、当の本人はどこか楽しそうな様子なのが救いでもある。

 こんな綺麗とはいえない場所までついてこさせて申し訳ない気持ちも半分、助かったという気持ち半分だ。


 そのカインといえば道に目印を残していただけでなく、ここでも先導するかのようにシリスの半歩前を歩いている。


「あの子、どこに向かったかわかんないんだけど……もしかして、それも分かって進んでたりする?」

「多少はね。ほら、足元をしっかり見て」


 言われるがままに足元に目を凝らす。

 しっかりと観察するにはおぼつかない程度の光量に照らされた道は石畳で、やはり湿っている。石と石の隙間に茂る苔には水滴が付着し、それが光を僅かに照り返してつやつやと光っていた。


「苔が薄いだろ。あの子どもが通ったかは分からないけど、少なくともよく使う道だって証拠だ」

「……有能ぉ……」


 そこまで考えて景色を見てはいなかった。やはり、経験の差というものなのだろうか。自身と5つも離れていなさそうなのに、振舞だけでいえば大人と幼子くらいの差があるように思えてならない。


 普段から回りを見る前に突き進むシリスだったが、少々自分の身の振りを見直そうと密かに思ったのだった。






 数分進んでも道は変わり映えがない。


 松明は尽きることなく続いており、間違いなくヒトの手が入っている事だけは窺えた。けれど、かなり歩いたに関わらず行き止まりにも当たらない。どれだけこの水路が広がっているのだろうという疑問も湧き上がってくる。

 もしかするとジェネシティの地下全体に広がっているのでは、という懸念が頭をもたげた。それならば範囲はかなりというか途轍もなく広い。


 自分だけならまだしも今は同行者がいる。レティシアから貰った財布を諦めたくないのはやまやまだが、こうも途方に暮れると申し訳なさの方が先に立ってくる。


「カイン、あの、もう───」


 引き返しても良い、そう口にしようとした矢先にシリスの口は大きな手に塞がれた。


「静かに」


 そのまま壁の窪みに体ごと押し込まれる。

 遠慮などない行動だった。否、僅かばかりの配慮か背中に回された腕で多少はマシだが、壁に直接触れた部分は服に水が滲みて徐々に冷たい感覚が押し寄せる。

 けれど続く言葉と目と鼻の先で笑みを消した顔に、文句を言おうとする気も湧かずシリスは素直にカインの指示に従った。


 しん、と静まり返った薄闇の中。僅かに流れる水音と、互いの息遣いのみが聞こえる。





「─────で、──────」



 微かに、誰かの声が耳に届いた。



「──────の奴から、─────」


 間違いなく、自分たち以外の誰かが話している声だった。それも複数。


 カインの手がゆっくり離れる。言葉はなかったが、彼の意図は大体わかった。

 音を極力殺して声の聞こえるほうへと足を進める。声はまさに、先ほど向かおうとしていた方向から聞こえていた。




「だから、ちゃんと撒いてきたって!」

「そういう話じゃないんだよ、あんまりヒトの目があるところでやるなってんだ!しかもこんな白昼堂々……」

「昼じゃないと紛れ込みにくいし」


 少年と女が言い争う声。


「いくら手先が器用ったって、見つかってるんなら向いてないんだよ!あんた、スリなんかするべきじゃないんだ」

「じゃあどうやって日銭稼げってのさ!?ネズミが幅利かせてから、状況は悪くなるばっかじゃん」

「お前のいうことにも一理ある。だがな……手軽だからって、それはやっちゃならない。悪いことには相応の責任が付いて回るんだ」


 男の声が割って入る。


 向かう先は角になっていて、ちょうど松明の灯る間隔なのか曲がった先から漏れる光は他に比べて明るい。

 対してシリスたちのいる通路は暗く、相手からの視認性は悪いだろう。


 そっと角に寄って、先を覗き込む。


挿絵(By みてみん)


「いいか、貧民窟(スラム)がお目溢しされてるのは、なにもデカくなりすぎて手に負えないからだけじゃない。一般の奴らに大した被害を与えてないってのもあるんだ」

「たかが財布盗っただけじゃんか」

「聞け。なんで口酸っぱく言ってるのかをな」


 松明の揺らめく灯りに照らされて浮かび上がるシルエットは3つ、声の数と相違ない。

 まだ距離にしては少々遠いが、声と背格好からして大柄の男と中背の女、そしてシリスたちが追いかけていた小柄な少年がいることは分かった。男と女はこちらに背を向けるように立っており、少年を見下ろす形になっている。対する少年は2人に比べて小さい背をなるべく大きく見せようとしてか、ぐんと背筋を伸ばしながら食って掛かっているようだった。

 そんな彼を宥めるように男の静かな声が通路に響く。決して大きな声ではないが、よく通る落ち着いた声だった。


「もう十何年も前の話になるが、お前と同じ純血から生まれた女がいた。親が罪を犯してここに逃げてきた末に生まれた女だ」

「……おいらと同じ……」

「あんたンとこと同じように、純血でもはぐれ者になったらここに逃げてくる奴はいるのさ。自分が純血からあぶれたってのを隠したいから、わざわざ素性明かしたりしないけどね。見た目だけなら人間とかと変わんないし、まあ、上手く紛れ込むのさ」

「血眼になって探すような犯罪者じゃなければ大抵は目溢しされる。このだだっ広い水路や物陰も多い貧民窟(スラム)をひっくり返して探すほど上の奴らも暇じゃない。どうせまともな社会に戻れないし、労力を使うだけ無駄な相手と認識されているからだ」


 男と女の話を、少年は静かに聞いている。

 彼らの口から出る”貧民窟(スラム)”や”はぐれ者”という単語はシリスにも馴染みのないもので、つい耳をそばだてては出ていくタイミングも逃してしまっていた。


 準居住区の中にこんな朽ち果てた水路が残っていることも意外だったが、そこを使うような者が居ることも意外だった。

 せいぜいアステルの家の周り程度しか普段訪れることのないシリスにとっては、自らの住む都市の暗部全てが意外だった。


 急に自らの無知があまりに恥ずかしくなって、シリスは誰にも気付かれないように胸のあたりの服を握りしめる。


 男の話は、まだ続いていた。


「カラスみたいに小賢しい女だったからな。レイヴンと呼ばれていたが───その女は碌でもない親から生まれて、自らも碌でなしに育った。最初はお前みたいにチンケなスリ程度を繰り返していたが……そのうち、やることはだんだんデカくなっていった」


 男のシルエットが動く。


 バレたのかとシリスは肩を跳ねさせるが、後ろで同じように覗き込んでいるカインの手に軽く押さえつけられる。


 男はごそごそと何かを探すような動きを数度繰り返し、やがて松明に近付いて炎に手をかざした。火はいっそう燃え上がり、周囲を照らす明るさは強くなる。どうやら燃料か何かを投下したらしい。


「俺らだって、どういったモンが罪になるのか程度の最低限の倫理観は持ってる。生きるために仕方なく小さい罪に手を染めることもある。だが、それに慣れちゃいけないと胸に刻んでおかないといけねえ」

「そう、感覚がマヒすんのさ。慣れた悪事はもはや生活の一部になって、なにが悪いのかすら判断が付かなくなる。そうやって、徐々に自分の中での悪事の最低限ってのは曖昧になっていくのさ」

「……何が悪いことかくらい、おいらだってわかってるし」

「だけどお前みたいに若くて素直だと、流されやすくもあるんだ。そのレイヴンって女だって最初から碌でなしだったわけじゃない」

「そのうち、黙って見過ごせるような範囲じゃなくなってきたんだよ。スリみたいなちっぽけな事だけだったのが、一般居住区にまで入り込んで悪さをし始めたのさ」


 純血であれど正規の生まれ方をしていなかった女はすぐに魔力認証装置に引っ掛かり、その存在は執行部の知るところになったと大人2人は言う。


「レイヴンが何を思って過激になっていったかはわからない。もしかすると、なまじ純血だったのにはぐれ者として扱われるのが不満だったのかもしれない。奴は何度も上手いこと追手の目をかいくぐって、純血を傷付け始め、やがて……」

「同じように上を舐め腐り始めた奴らを募って、本部を襲おうとしたのさ」


 語りを引き継いだ女が嘲るような笑い声を上げた。


「馬鹿だよねえ。何でもかんでも限度はあるんだ。でも、あいつの周りにはこうやってうるさく言ってくれる奴がいなかった。みんな持ち上げるだけ持ち上げて、とうとう上がここへ手を伸ばした時には我先にと逃げたのさ」

「じゃあ、そのヒトは……」

「死んでるよ、多分。捕まった後、一切戻ってこなかったからね」



 沈黙。


 会話をしている3人に落ちる重苦しい空気が、シリスたちの元にまで届くようだ。




 何も知らない、何も。


 過去にそんな出来事があったかなんて、考えて生きてきたことはなかったから。いつの話かは知らないがちょっとでも興味を向けていれば、誰に教えてもらわなくともきっと貧民窟(スラム)のことも知っていただろうに。


 純血と混血、それに他種族。

 いくらでも問題は出るなんてすぐに想像はつくだろうに。

 知っていることのみで理解したつもりになって、優劣などなければいいのにだなんてそんな、一歩隔絶された場所から無邪気に残酷に考えて。


 思わず唇を噛んだとき、肩に乗っていた手に僅かばかりの力が入った。


「知ろうとするのは良いことだ」


 潜めた声に振り向く。


「無知は罪じゃない。悪いのは、無知のまま何も知ろうとしないことだ」

「でも……」

「1を聞いて10を知るならともかく、0を聞いたって何も知れることなんてないだろ?君が今思い悩んでいるのはそのレベルのことさ」


 言い含めるかのように肩を叩かれる。


 確かにカインのいうことはもっともだった。ただ、シリス自身が自分の無知を許せないだけで。




「うん……」




 まだ、釈然としない思いは残るけれど。

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