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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
守護地・ガイア
114/134

112.無意味な疑惑

「ごめん」



 急激に訪れた暗闇に、乱れた脳がぴたりと止まる。


「──────っ、は、ぁ……」


 代わりに、いつの間にか空気を吸い込むことを忘れていた肺が動き出してシリスはゆっくりと震える吐息を吐き出した。目の周りに触れる闇は微かな熱を伴い、それがまた気持ちを落ち着かせていく。


「もう一回吸って。ほら、吐いて」


 言われるがままに深く息を繰り返せば、ひと呼吸ごとに絡まった思考はほどけていった。

 何度か繰り返していると視界を覆う温もりが離れていき、刹那眩しさが網膜を刺す。時間をおいて像を結び始める光に、視界を覆っていたそれが掌なのだと知った。


「……落ち着いた?」


 わずかに身を乗り出してシリスの目を塞いでいたカインが、申し訳なさそうな顔をしていた。まだ上手く動き切らない脳で何か言葉を吐きだそうとするシリスをカインの指が制する。


「無理に何か言おうとしなくていい。別に君を責めたいわけじゃない」

「あ───……。う、……ん」

「ごめん、ちょっと意地悪しすぎたかもしれない」


 座り直したカインが、彼の方に転がってしまったナイフを拾ってナプキンで拭う。


「あの黒いモノを見つけたのは君たちが最初だったから、単純に探りを入れろって指示だったんだ」

「指示……?」

「そう、執行部からね」


 綺麗に拭われたナイフを差し出され、困惑しながらシリスはそれを受け取る。銀の輝きを放つ刃に顔色の悪い自分が映っていた。


 執行部とは、聞き返さずとも本部上層のことで違いない。ルフトヘイヴンから帰還し、最奥に座すマリアを訪ねたのはごく最近のことだ。その時はあの黒いモノについての話なんて少ししか出て来なかった。


「リンデンベルグで君たちがあの黒いモノを見つけた、それだけならそこまでの話だ。けど、ルフトヘイヴンでは君が。そしてビオタリアでは君の弟がまた似たモノに関わっていた」

「なんで、そこまで知って……」

「俺はそのために召集を受けたからさ」


 カインが、笑う。


 やっと理解が出来た。再会してから、その整った笑みが作り物のように見えていた理由を。


 ずっとカインは探っていたのだ。シリスの反応や仕草、挙動の一つ一つを。それをシリス自身に疑われないように────より的確に、シリスがボロを出すであろう気を抜いた瞬間に、本題を切り出せるように。


「俺だけじゃない、他の都市からもそれなりに優秀と評されてる奴が招集されてる。君たちがリンデンベルグで見つけたものの調査の為にね。ただ俺は偶然、異動の途中で応援要請に従ってルフトヘイヴンに立ち寄った。そこで君たちと合流して……」

「あたしがまた、同じようなモノに関わってたって知った……ってこと?」


 返ってきたのはしっかりとした頷き。


「君たちのことは、リンデンベルグで巻き込まれた可哀そうな子ってことは聞いてたよ。グレゴリー・オルティスのことも同じように周知されてる。第一発見者だからね。でも彼は君たちと違って、あのあと何も気になるような報告はなかった」


 確かにグレゴリーもシリスたちと同じタイミングであの黒い石板のようなモノに触れている。だがそれだけという事だ。

 シリスの背に嫌な汗が流れる。


「……疑われてるの?あたしたち」

「一応ね。だからヴェル・シュヴァルツの件も執行部から共有されて……帰還後すぐ君に連絡をとったわけだ」


 やはり呼び出しには裏があったと云うわけではないか。

 はぐらかされていた苛立ちよりも、強い不安が胸を覆う。




 後ろめたい事なんてない。

 けれど確かに、客観的に見てシリスとヴェルだけが立て続けに同じモノに遭遇しているという現状は第三者から見ると何かしらの関与を疑われてもおかしくない。

 反論することは容易だ。だが、それですぐに納得させられるならそもそも疑われてすらいないだろう。



「そっか……」


 つい、目線は下に下にと下がっていく。せめてヴェルにはあまり聞かせたくない話だ。彼は他人の視線に敏感だから。

 カインの顔も見る事が出来ない。試すようなものだったとしても笑顔だっただけまだマシだ。もしあの笑みすら消えてしまっていて、刺すような視線を向けられていたらと思うと───それだけでぞっとする。


 けれど何か、何かせめて口にしなくてはいけないのではないか。

 意を決して顔を上げる。






「あたし、






 んぐっ」







 開きかけたシリスの口に、何かが入ってきた。




「そんな死にそうな顔しないで食べなよ」


 フォークが引き抜かれる。突然のことに一瞬味を感じることもできなかったが、カインの言葉で口に入ったものが食べ物だと認識する。

 徐々に広がる塩味とほのかな甘みに、食べ損ねていたガレットだと思考が追いついた。


 何か口にしなくては、とは思ったが、それは食べ物ではなく言葉だ。味わう余裕もなく咀嚼して飲み込み、シリスはもう一度口を開いた。


「あの……もごっ」

「ほら、もっとちゃんと噛んで」


 再度容赦なく詰め込まれた塊は一口めより大きくて、言われなくても噛まないと飲み込めそうにもない。


「あははっ、リスみたいだ」


 失礼な、と返したいところだがシリスが口を開けるのを図るかのようにカインが次を準備している。その表情は作ったような先ほどまでの笑顔と違い、ちゃんと心から笑っているように見えた。

 三口目をちらつかされて、シリスは口を開けぬまま自分のカトラリーをもう一度手にする。カインは満足そうに頷いて、差し出していたガレットを自ら口にした。倣って、シリスも黄身の広がった自身のガレットにナイフを入れ直す。


 先ほど感じたような気持ち悪さはもうなくなっていた。


「別に、君たちを怪しいとは思っていない」


 合間に挟まれた会話に、またナイフを取り落としそうになった。


「疑ってるんじゃなかったの?」

「だから()()、ね。俺個人としては”ない”と思ってるし、執行部だって本気で疑ってるわけじゃないさ」

「……なんで?」

「だって君たち、リンデンベルグに行くまでガイアから出たことないんだろう?前提として破綻してる」


 カインの手が一旦カトラリーを置き、指が軽く机を叩く。


挿絵(By みてみん)


「任地もまだ定まっていない新人の君たちが、自分たちの行き先を見越して仕込みをするのか?何のために?レべリオンって奴らが()()をばら撒いてるらしいけど、ガイアから出た事のない君たちがどうやって彼らと接触するんだ?」


 そんなところまでもう伝わっているのか、と舌を巻く。シリスもヴェルに直接聞いたからこそレベリオンという存在を知っているが、執行部にわざわざ召集されたというのは伊達ではないらしい。


「もしかしたら、俺たちも把握できないような方法で連絡を取り合っているのかもしれない。だけど、それならわざわざ自分たちが向かう先で騒ぎを起こす理由なんてないはずだ」

「疑えって言ってるようなものだから?」

「そういうこと」


 ひとつひとつ、理由を説明されるたびに身体の強張りがほぐれていく。最終的に一言で締めくくられたカインの話に、ようやく完全に緊張を解いたシリスは本日一番の盛大な溜息を吐いて机に突っ伏した。


「何それ……じゃあ最初からあんな怖い言い方しなくていいっしょ……。そういう当たり前のこと全部ひっくるめた上でめちゃくちゃ疑われてるのかと思ったじゃん」

「一応、って体があるからさ。もし君が怯えた拍子になにか零せば、それはそれで儲けものだし」

「そんな軽さでビビらせないで欲しい……」

「だから意地悪しすぎたって謝っただろ?」


 シリスがどれだけ恨みがましく睨みつけても、カインは飄々とした姿勢のまま。どうも最初から掌の上で踊らされていたような気がしてならない。


「君の反応を見て確証を得たよ。濡れ衣着せられた子どもみたいな顔してた」

「なんでちょっと面白そうにしてるの……」

 

 今となってはどうしてあれだけ取り乱したのかもわからないが、問われた瞬間の圧は相当のものだった。整った笑みで誤魔化しているものの、彼がかなりの曲者なのは理解ができた。







 本題を終えたからか、カインから振られる話題はまた取り留めのないものに変わる。

 急な切り替えに四苦八苦しながら、それでもなんとか先程までの空気の名残を振り払いたくて応じている間に、気が付けば互いの皿の上からガレットは消えていた。


「次の任地はもう教えてもらった?」

「んー……まだだけど、どうして?」

「暫く休みかなって」


 次の任地が決まったとしても急ぎで派遣されるのではない限り、確かに暫くは休みだ。

 シリスが頷くとカインは嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、明日も同じところで待ち合わせできないかな?時間はもう少し早くにして」

「……まだ何か重たい話があるの……?」


 正直、込み入った話は1回で済ませて欲しい。

 何度も同じようにかき乱されては気持ちのゆとりも無くなってしまう。なにより、あんな不安を抱えたまま帰るのは嫌なのだが。


 訴えるような目線をシリスが向ければ、カインは楽しそうに首を振った。


「違う違う。デートしよう?」

「………………デ………?」

ジェネシティ(ここ)はエリアも分けられていて広いだろ?案内がてら、色んなところ教えて欲しいんだ」

「あ……あぁ、そういう」


 普段聞きなれないワードで一気に顔に熱が集まったが、次いで出てきた案内という言葉に合点がいく。

 ややこしい言葉遣いにまた掌で転がされているようで、熱を冷ますために仰ぐ姿を見せるのも癪に障る。シリスの返答にも思わず文句が混じった。


「別にあたしじゃなくても良いじゃん。それこそ本部にいるヒトたちなら、あたしより色んな場所に詳しいと思うけど」

「なんで俺がわざわざ君を呼び出したと思ってるの?」

「さっきの話するためじゃないの?」


 もしや本題は更に別だったのか、再び顔を強張らせたシリスを見て今度こそカインは声を出して笑った。


「ははっ、あ、はは!君ってほんと面白い顔してるね」

「ねぇ、もしかして今あたし喧嘩売られた……?」

「コロコロ表情が動いて、楽しいってことさ。はは」


 暫く肩を震わせていた彼は満足いったようで、大きく息を吐き出す。ただ、口元は手で押さえたままだったのでまだ口角は上がっているのだろう。


「言ったろ、君に会いたかったんだ」


 本日何度目かわからない理由に、頬が引き攣るのも仕方ないことだと思いたい。


「それって、誤魔化すための方便じゃ」

「まさか。どちらかというとさっきの話の方が"ついで"だよ」


 あくまで疑ってかかる姿勢を崩さないシリス。けれど、対するカインもあくまで主張を崩さない。

 探るような色ではなく楽しげに細められた黄昏色を見ていると、最初とはまた違った意味で居心地が悪い。



 先に折れたのは、シリスの方だった。



「……なんで?」

「1番の理由は、印象が強烈だったからかな。空からヒトが降ってくるなんて、普通に生きてて遭遇するような出来事じゃない」


 なんとも説得力がある。シリスだって空からヒトが降ってきた日には、その相手の顔なんて忘れられないだろう。


「あんなに傷だらけだったのに元気に飛び起きたかと思ったら自分の勢いで悶えてるし、何より俺が今まで見た中でも群を抜いてお人好しだ。もうちょっと見ていたいと思っても悪くないだろ?」


 つまりは興味観察対象といったところか。理由を聞いていると、なんとなくカインという男の事も少しずつわかってきたような気がする。


「つまり、一種のコンテンツとしてあたしの反応楽しんでる?」

「……まぁ、構わないよ。一旦はそういうことで」


 当たらずとも遠からずだからとカインは肩を竦めた。


 面白半分に観察されているのは正直どうかと思うが、好意を向けられていると下手に勘違いしてしまうよりずっといい。

 シリスは自分がそういう話とは無縁と理解しているからこそ、納得のいく答えがようやく返ってきたことで気持ちが少し軽くなった。気がした。


「で、ご返答は?」

「ん、いいよ。それこそ助けてもらった恩もあるし」


 ルフトヘイヴンで受け止めてもらった恩はまだ返せていない。

 喜んで得た縁ではないけれど、悪い相手でもないだろう。無論、フリだとしても先ほどまで自分を疑ってかかっていた相手ではあるのだが。


 それでも彼を突っぱねる気にはどうしてもなれなくて。

 二つ返事で了承すれば、カインは緩やかに瞳を細める。夕陽を滲ませる色が宿すのは、当初出会ったときのような穏やかさだった。

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