111.侵食する困惑
「……で、本題は?」
「本当、だいぶストレートに聞くね、君。駆け引きとか苦手なタイプだろ?」
目の前で頬杖をつく顔は憎らしいくらい整っていて、その所為で形のいい笑顔は作り物のようにも見える。
黄昏色の瞳を不躾に睨み返していると、まだ昼日中であるに関わらず時間感覚が少々曖昧に感じてしまった。繰り返すがまだ昼日中もいいところ、ちょうど昼食どきだ。
「取り敢えず飲めば?冷め切る前にさ」
テーブルの上にはミルクティー。運ばれてきた当初に立ち上っていた白さはすっかり落ち着きを見せていて、向かい合う彼の顔を霞ませてはくれない。
ずっと笑みをたたえながら見つめられていると中々飲む気になれなくて手をつけられずにいた。
この前もそうだ。その笑みを見ていると無性に落ち着かない気分になる。控えめに言っても、少々居心地が悪い。
時は少し遡る。
弟に昼食を一緒にできなくなった旨を謝罪し、残念がる彼に今晩の夕食はリクエストを聞くことを約束した。
元気よく返ってきた「ハンバーグ!」との答えを二つ返事で了承して、シリスは家を出てメインゲートまで歩き始める。
「東から2番目、東から2番目……───あ」
歩いて十数分。辿り着いたメインゲート区は本日も任務に向かう者と帰還した者でそれなりに賑わっていたが、丁度昼時となれば往来も少々減る。
ポケットから取り出したメモの内容を反芻しながら、広場になった本部前にそびえる❘列柱をぐるりと見まわすと迷うことなく目的の人物は見つかった。それこそ帰還したばかりなのだろうか、守護者の制服に身を包んだ彼は以前会ったときと寸分違わぬ姿でそこに立っていた。
「カイン」
そこまで大きな声を出したつもりはなかった。けれども列柱前でヒトの往来を眺めていたらしいカインは、シリスの呼び声に直ぐに気が付くと振り返ってその顔に笑みを浮かべた。
「やあ、ちゃんと来てくれたんだ」
「だってこの連絡で放っておくのも気が引けるし……」
シリスは手にした紙をカインの前に差し出す。
ルフトヘイヴンから帰還する際、彼に手渡された紙だ。下の方に、付け足したような筆跡で”本部前、東から2番目の列柱”と書かれている。端的でわかりやすい。
渡された当初は2人きりでまた会いたいなどと書かれた内容に理解が及ばず固まってしまったけれど、机の上に放置している間にその衝撃も薄れてしまっていた。要は、話したいことがあるのだろうと考える余裕もできていた。
だからこそ、急激に追加された場所の指示に臆することなく向かう事ができたのだ。
「いま帰ってきたばかりなんじゃないの?そんなに急いで話したいことでもあった?」
「君に会いたくて」
「いや、なごませようとしなくてもいいから」
「そういうつもりじゃないんだけど」
片手を顔の前で振れば、カインは眉尻を下げて微笑んだ。そんな困ったような顔をされると、まるでシリスが悪いことを言ったような気になってしまう。
気軽に話して欲しいと言われ早いうちから敬語は取り除いたが、結局のところ彼はルフトヘイヴンから帰還する前に少々会話を交わしただけの相手だ。初対面から妙な親しみはあったけれど、それでもほとんど赤の他人であることには違いない。どこまで強く出られるかも曖昧で、話題を振り直すにも抵抗感がある。
わずかな沈黙。それを破ったのは、他ならぬカインだった。
「とりあえず昼食でも一緒にどう?君の言ったように帰ってきたばかりなんだ」
ここは初めてだから店の場所も知りたい、と言われ思い出す。そういえば彼はホリィジードという別の都市から異動になったと言っていた。その途中でルフトヘイヴンに直接の応援に来たとあっては、確かにジェネシティの地理や店などはまだ分からないだろう。シリスは考えた末、特に拒否する理由も見つからなかったので頷いた。
店といっても、軽食が摂れる程度であれば商業区に行かずとも本部から直ぐ離れた場所にいくつか点在している。任務帰りに寄れる手軽さを求める者もいるので当然のことだ。
ぽつり、ぽつりと他愛もない会話から再開し、客も多くない店のテラス席に着くころには幾分か会話もスムーズになっていた。
そうして話は冒頭に至る。
テラス席の端に客の姿は少ない。秋口といえ日差しを受けるとまだ暑いと感じるのだから、テラスが賑わうのはもう少々気候が落ち着いてからだろう。
温かいものを選んだのは、単純に紅茶は熱いほうが好きだからに他ならないが……そうやって選んだはずのミルクティーが湯気を立たせなくなるまでシリスはカップとにらめっこをしていた。
時折顔を上げてはカインを見るが、彼は頬杖をついてシリスを見ているだけで口を開こうとしない。
ここに来るまでは気にせず続けられていた会話も、いざ向かい合ってみると視線が気になって上手く続けられない。結果的に口数は減り、いまや沈黙がこの場に降りていた。
だから少々強引ではあっても、本題を彼に問おうとしたのだ。
「もう一回温め直してもらう?まだ口付けてないし」
「いい、大丈夫」
あまり気を遣わせるのも悪いので、ようやくシリスはカップを手に取って口を付けた。もう人肌程度にぬるくなってしまっているものの、茶葉の香りとミルクのまろやかさがちょうどよく混ざっている。
「あ、美味し」
「それなら良かった」
思わず口にしてしまった言葉に反応が帰ってきて、なんだか気恥ずかしくなってしまう。誤魔化すようにもう一口ミルクティーを飲んでから、シリスは再びカインに問いかけた。
「で、戻ってきて疲れてるだろうに、わざわざすぐにあたしを呼んだ理由は?」
「だから君に会いたかったんだって」
「いいから、もう……」
埒が明かない。
運ばれてきたガレットが2人の前に並べられ、仕方なくシリスはカインが本題を切り出すのを待つことにして先にカトラリーを手に取った。ミルクティーは確かに冷めてもおいしかったが、料理は温かいうちに食べるべきである。食材に罪はない。
店員が席を離れると同時に、隣の席に掛けていた3人組も立ち上がる。どうやらあちらは食事が終わったらしい。
閑散としたテラスには今、シリスとカインの2人のみが座っている。
「君は───」
シリスはカインの言葉に耳を傾けながらも中央に乗せられた半熟の卵にナイフを向ける。
「君は、リンデンベルグの”あれ”をどう思う?」
急な話題の方向性に、思わず手が止まった。
中途半端に突き刺さったナイフが卵の薄膜を突き破るぷつり、とした感触が指先に伝わった。じわり、溢れ出る黄身はゆっくりとしかし確実にクレープ生地を侵食し、皿の上を黄色く染め上げていく。
粘度の高い色が這うように広がっていく様が急に気持ち悪く感じて、シリスは視線をガレットから引き剥がす。いま口に運ぶ気には、なれなかった。
「リンデンベルグの、あれ?」
「君たちが見つけたんだろ?」
引き剥がした視線は導かれるかのように目の前のカインへ。
精悍な顔は変わらず微笑みをたたえながらシリスを見つめていたが、ここに来てようやく空気が変わる。
「定義上、黒い石だの石板だの言ってるようだけど───本当はそんな物じゃないって、君なら分かったんじゃないか?」
「そんなこと……」
「本当に?」
僅かに試すような色を宿す視線。
「違和感はなかった?単純に、おかしなモノだって納得したわけじゃないだろ?」
「そりゃ、鏡じゃないのに鏡像を生み出すなんて、違和感しか────」
「そうじゃない」
ぴり、と流れる緊張感に息が浅くなり、背筋が固まる。向けられた黄昏色に捉えられて、逸らせない。
「感じたんじゃないか、別の何かを。例えば……呼ばれた、とか」
「呼ば、れた……?」
確かに目にした瞬間気味の悪さは感じた。けれど、それだけだ。
シリスの反応を確かめるようにカインが一度瞬き、笑みを深くする。
「じゃあ質問を変えよう。君の弟は、どうだった?」
弟。
浅くなった呼吸で思考が鈍ったのか、瞬時にその言葉の意味が理解できなかった。
おとうと、と無意識のうちに口だけが動き、ようやくシリスの脳にヴェルの顔が浮かぶ。彼がどうだったかなんて、少し思い出せばわかることだ。
自分と同じように感じていたと思う。何もなかったはずだ。そう、何も。
たった一言を返せばいいだけなのにあまりに真っすぐに見つめられ、声が喉に引っかかる。
本当にそうなのだろうか?いくら双子だといえ、相手の全てが分かるわけでもなければ全てが同じように感じるわけではない。
改めて問われると自信がなくて。
責められているのではないのに責められている気がして。
思考がまとまらず徐々に短く上がっていく呼吸に、目の前が霞んでいく感覚。言葉が頭の中に散らばってぐちゃぐちゃと蠢いては現実感さえ奪っていく。
どうしてすぐに否定ができないのか。
どうして、どうしてと自問自答しているうちに、特定因子欠損症で気を失ったときに見た悪夢が蘇る。
───きゃらきゃらと笑う子供の声。
───見慣れた金糸に、見慣れた顔。
───三日月のようにニコリと微笑む、赫い、赫い、赫い、赫い、赫。
ナイフがシリスの手から滑り落ち、机の上で小さな悲鳴を上げた。