109.アステル
隅に纏めた廃材で汚れた手を無造作にズボンで拭う。
今日は何をしたい気分なのだろうかと自分でもわからないまま機械を弄り始めてみたはいいものの、その気分ではなかったようだ。
現状、ガイアでは魔力を込めた素材を核とした機械技術が普及しているが、最近はどこぞの世界で魔力を使わずに機械を動かす技術が発見されたらしい。聞いた当初こそ目を輝かせ、伝手を使って知ったその内容を模倣してみようとしたものだが、立ちはだかる課題の数々をクリアする術が思いつかずに今に至る。
新しいものに挑戦する興奮は、対象が未知であればあるほど燃え上がるものでもある。しかし何度も躓けば休みたくなるのはヒトの性というもの。結果、最初に持ち得ていた情熱はやや下火になり、こうやって少し手を付けては放り投げるという日を過ごしていた。要は今、波が来ていないのだ。
「なんかやりがいでもあれば別なんだけどなー」
最悪、機械でなくてもいい。魔力がなくても魔導具同等の物が使えるようになれば世の中の役に立つだろう……なんて、そんな大それたことを考えているわけではない。無論、誰かの役に立つのであればそれ以上のことはないが。
ただ、アステルという男は天才であっても単純に興味だけで突き進める性格ではなかった。
「やる気スイッチ、オレのは何処にあるんだろぉ……」
足の踏みどころも限られた作業場で年季の入った椅子の背にもたれながら、調子っぱずれにどこかで聞いた歌を口ずさむ。
「見つけてくーれーよ、オレのやる気スイッ……」
「なぁ、アス!」
作業場の扉がノックも無しに開けられる。勢いよくスイングした扉は、積み上げられた製作途中の作品にぶつかってバウンド、見事来訪者に舞い戻りその顔を叩きつけた。
痛そうな音がしたが、守護者は頑丈なので心配することもないだろうとアステルは来訪者を出迎えた。
「ようヴェル!元気か?」
「いてぇ……。ドアのとこに物置いてんじゃねぇよ……」
「仕方ないだろ?他に置くとこないんだし」
「掃除しろ」
鼻を押さえながら恨めし気に睨んでくるヴェルにもなんのその、アステルは上機嫌だった。なんせ、幼馴染たちは成人してから直ぐに任務だなんだと忙しく、クロスタの家でバカ騒ぎをしてから中々ゆっくりと会う機会に恵まれなかったのだ。ここ半月は会話をしたのも片手で数えられる程度、しかも短時間である。
ヴェルに至っては、ディクシアたちと任地が違うとわかった途端に拗ねて引き籠ってしまったと聞いたのでな おさらだった。それでもガイアから中々出られない自分の為に、任地がどこそこであると愚痴ついでに報告しに来たのは律儀としか言い様がない。
「どうだったよビオタリア。まさにエルフ!って感じの場所だっただろ?母ちゃん、森しかないって言ってたし」
「はいはい、お前の言うとおりだったよ」
赤い鼻をしたヴェルにもう1つの椅子を勧めると、アステルは壁付けした2人掛けのソファにどっかり腰を下ろした。こちらも年季が入っているので、尻の下でスプリングがどこか切れたような感覚がした。作業が深夜にも及ぶとき、ベッド代わりにもしていたがそろそろ新調したほうがいいだろう。最近はやる気もあまりなかったから使っておらず、アステルが座ると同時に埃が舞い上がった。
ヴェルが渋い顔をして再度言う。
「掃除しろ」
「そのうちな」
こんな掛け合いも慣れたもので、アステルには何も響かないと理解しているヴェルはそれ以上を続けることなく椅子に座った。
「なに?今日はシリス一緒じゃねーの?」
「ああ……まあ、俺ひとり」
おや、とアステルは引っ掛かりを覚える。
ヴェルがアステルの元を訪ねるのはよくあることだ。純血守護者しか入ることのできない彼らの居住エリアにアステルが訪れることは実質不可能だからだ。
勿論、クロスタやディクシアと示し合って来る方が多かったし、特に彼の双子の姉であるシリスは殆ど訪ねてくるタイミングが同じだ。2人まとめて友人なのだから別段おかしなことでもない。
それでもシリスとて1人のヒトである。いつもヴェルにくっついているわけではないし、それはヴェルも然り。ヴェルのみが、あるいはシリスのみが遊びに来ることなんて別に珍しくもない。
だがその場合は理由をしっかり伝えてくれていた。繰り返すが彼は律儀なのだ。やれシリスに用事がある、まだ寝ている、下の子どもの面倒を見る云々。聞いてもいないのにわざわざ教えてくれる。
だから、ヴェルの返答にすぐ違和感を覚えることが出来た。曲がりなりにも長い付き合いである。
「わかった、起きなかったんだろ。あいつ寝起き悪いもんな?ちょっと待てよ……あいつにエーテルリンク渡してあるんだよ。目覚ましにビビッと電流流れる仕組みも───」
「待て待て待て!!起きてる、起きてる!」
「なんだよ、じゃあ喧嘩か?それならむしろここに呼ぼうぜ。オレが仲裁して───」
「だからやめろって!しかもなんだよ電流って!!?」
アステルは頭が良かった。ただ同時に、異母兄のディクシアと違いどうしようもなく馬鹿でもあった。ついでに空気も読めなかった。
「違うっつってんだろ!!」
取り出したエーテルリンクをヴェルに奪い取られ、アステルは口を尖らせる。ヴェルよりも大柄な体の男がやるような仕草ではない。
「じゃあなんなんだよー。わざわざ誤魔化すってことは、なんかあるんだろ?あんなに勢い込んで入ってきたクセにさぁ」
「それは……」
がなっていた声が急に勢いを無くしてしおらしくなる。
「それは……その、お前に頼みたいことがあって……」
「ん、別にいいぜ。オマエの頼みだし」
「軽っ」
軽いも何も、アステルにとってヴェルの頼みを断る道理なんてない。ものにもよるが、わざわざ友人が自分を頼ってきているのに断るのは薄情だろうという気持ちもある。
ただ、どんな頼みか聞くその前に確認しておきたい事はあった。
「ってことはアレか?シリスに聞かれたくねーの?」
「シリスに、つーかクロとディクにもあんまり聞かれたくないっつーか」
また歯切れの悪くなったヴェルにアステルは呆れてため息を吐いた。察する能がない事は彼自身が重々承知なのだ。
「勿体ぶらずに言えって。モノによってはオレが聞ける範疇じゃないかもしんねーだろ?」
「そうなんだけどさ」
それでも暫くはもごもごと俯いて言い淀んでいたヴェルだったが、やがて意を決したように勢いよく顔を上げた。
「魔力がなくても使えるエーテルリンク……って作れねぇかな?」
これには流石のアステルも目を点にした。頼み事の方向性が想像の明後日を向いていたからだ。
「何で?」
「アス、前に言ってたろ?魔力使わずに使える技術がどうのって話。機械だとなんか難しいって言ってたじゃん、エーテルリンクみたいな、素材から触るモンでもやっぱ難しい?」
「そりゃ簡単にはいかないだろーけど……オレが聞きたいのはそういうこっちゃなくて、何でそんなモンが欲しいんだってことだって」
エーテルリンクは一方向連絡端末だ。一方向だがリング型で持ち運びしやすく、相手のエーテルリンクに魔力の波長さえ合わせることが出来ればたとえ世界が分かたれていても連絡を取ることができる。
その利便性から、やや高価であるものの受信端末と送信端末双方を手にしている者も少なくはない。軌道に必要な魔力も微々たるもので、本当に魔力が枯渇でもしない限りは使用に困る事はない───そう設計したのだ、アステル自身が。
様々な大人の事情とやらで彼の名前が表沙汰になってはいないが、ヴェルをはじめ近しい者はそのことを知っている。だからこその頼みでもあった。
アステルは作業台の端に置いてあった錫器のマグを呷る。底に残っている昨日淹れたコーヒーはもうすっかり冷め切っていた。
「ディクと違ってそんな魔力切れ起こすまで魔術使うことないだろ?それともなんだ、今回そんなヤバい感じだったのか?」
「違ぇよ。使うのは俺じゃなくて……」
「オマエじゃないの?じゃあ誰よ?」
ディクシアであれば本人に聞かれたくないというのもおかしな話である。サプライズにしては彼の誕生日は遠すぎる。
いくら考えてもアステルの中に候補となる人物は出てこない。だが、再びアステルが問う前に答えはちゃんと返ってきた。
「……か、……彼女」
「……へ?」
今度は目が点になるだけでなく、手からマグが滑り落ちた。錫でできた器は床に跳ね返ってがらんがらんと軽い音を響かせながら転がっていく。飲み物がすでにアステルの胃の中に収まっていたことは幸いだった。
「なんて?」
「だから、かの……じょだって!2回も言わせんな!!」
「オマエ任務行ったんじゃなかったっけ!?どういう事!?」
「色々あったんだよこっちは!!」
「女漁りしてたのか!?」
「してねぇ!!言い方!!」
大声で喚きあった2人が肩で息をする。突発的な興奮を除いてもヴェルの顔はあまりに赤かった。
一旦大声を出し切り、一周回って落ち着いたアステルは転がったマグを拾って無造作にソファの横に置いた。ただ、口角は耐えきれずに勝手に上がっていく。
「へー。なんだかんだ初カノだろ?良かったな!」
「その生ぬるい目を向けんのやめろ……。だから敢えて言いたくねぇんだって」
「まあ、エルフって顔面良い奴多いって言うし……───あ?エルフなら今のままのエーテルリンクで十分じゃん」
「……エルフじゃない」
仕切り直すようにヴェルが頭を掻いた。顔の火照りはだいぶと落ち着いているようだがまだ耳が赤い。
「サポーター。ビオタリアで色々助けられたんだよ」
「案外マトモな理由だな」
「悪いか」
軽く睨みつけてくる翡翠色。
別に、とアステルが笑いながら返すと不貞腐れたかのようにその顔はそっぽを向いた。
揶揄われているとヴェルは思っているようだったが、実際のところアステルとしては納得のいく理由が返ってきた事は大きい。
「でも他種族か……オマエ純血なんだし、絶対あとあと上司とかでうるさい奴ら出てくるぜ?」
「あー……居るだろうな、そういう奴」
「だろ?だから遊び程度にしとけよ」
アステルの言葉は冗談半分、けれど本気半分だ。
軽い口調で本気の部分を誤魔化したつもりなのだが、キッ、と向けられたヴェルの視線には明らかな棘が込められていた。
「遊びで他人のアレコレ振り回すような馬鹿な真似するわけねぇだろ!」
吼えるように吐き出された言葉に隠しきれない嫌悪の色。それがぶつかった先は確かにアステルだったのだが、矛先は別に向けられている。
「俺がお前らの家のこと、どういう気持ちで見てたと思ってんだよ」
「そうだな。悪い悪い」
悪びれなく言えば、ヴェルは隠すことなく舌打ちを零した。
───純血の守護者は年々減少傾向にある。それは単純に鏡像との戦いで命を落とすという理由だけではない。
他種族を生涯の相手として選び、ガイアを離れる者が一定数いるのだ。無論、それが多数派ではない。慣れ親しんだ自らの種族を相手として選ぶ者の方が圧倒的に多いし、守護者の一部は鏡像を生み出す他種族を下に見る者も多い。
けれども徐々に数を減らす守護者という種に何も手を打たないわけにいかず、そうして打ち出された案が他種族限定での重婚だ。
他種との交わりは認める。しかし種の保存のために純血同士での婚姻も結ぶべし。
自由意志を跳ね除けるほどの強制力もないルール。けれど、周囲から向けられる言外の圧は相当のものらしい。
それはそうだろうとアステルとて理解はできる。
ポータルを使えるのは基本的に純血守護者の特権だ。コヴェナントも純血の血を吸わせなければパスとして意味を成さない。それが失われてしまえば、白の世界の秩序に大きな影響があるのだから当然だ。
だがそれは大きな"種"という纏まりで見たときの話。その結果産まれた"個"にとって、その理屈は理解こそできても納得とは程遠い。
たとえばそう、アステルのような”混血児”には。
「ま、ほんと恥ずかしいったらねーもんな、あのクソ男」
「……他人んちの親にそこまで言うつもりはねぇけどさぁ」
へらへら笑いながらあくまでもアステルの口調は軽い。だからなのか、苛立ちを見せていたはずのヴェルも彼の雰囲気に呑まれてすぐに態度を軟化させていた。
クソ男と評されるアステルの父親は純血の守護者だ。そして彼はディクシアにとっても他ならぬ父親である。要はその重婚ルールに則ってアステルの母を娶ったわけである。
本人にそのつもりはなかったようだが、母親を謀ってガイアに連れ込んだことをアステルは許してはいない。
既に家族であったディクシアやその母を蔑ろにし、知らずのうちにアステルたちを加害者に仕立て上げた事は一生許すつもりはない。
だからこそヴェルには半分本気で「遊びにしろ」と言ったし、ヴェルがアステルの境遇に怒りを見せたことはアステルにとって信頼に足り得る反応だった。
「シリスにはバレてねーの?」
「……昨日バレた。散々面白がられたから、もう話題にされたくねぇんだよ」
「そういうね」
大体納得した。
シリスであれば他種族であるかなんて気にせず、単に弟に初めて出来た彼女というところを散々に弄り倒したのだろう。
「親は?」
「言ってねぇ……けど、文句言われたらそのうち家出るつもり。俺もなんだかんだ、もう大人だし。勿論チビたちのことがあるからすぐには無理だろうけどさ」
あっさりと言ってのけるヴェルに、アステルは内心で歓声を上げた。
家族が好きで、ブラコンで、シスコンのヴェルがこうも簡単に家族から離れる選択肢をチラつかせると思っていなかったのだ。
恋は盲目……というよりもあまりの潔さに、敢えて言わずにいた言葉が思わずアステルの口から零れてしまった。
「まあ、もっと気軽に楽しめばいーじゃん。付き合いと結婚は違うんだしさ」
「……は?将来見据えずに付き合ってなんの意味があるわけ?」
「ファーーーーー!」
これだ。捻くれた態度を見せるくせに、根底に隠しきれない愚直なまでの純真さ。
それが分かっているから、純血の彼が他種族を相手に選んだと言われても抵抗感が全く起こらなかったのだ。
「オマエ……ほんっとそういうとこよな。付き合ってから見えてくる価値観の違いとかもあるだろ」
「それはお互い様だろ。擦り合わせていかないでどうすんだよ」
「オレ、オマエのそーいうとこ超好き。マジで好き。なあ、オレとも付き合おうぜ?」
「やめろよ暑苦しい!!」
アステルの方が若干上背がある分、抱き付くというよりはのしかかる形になる。さらに座った状態なのだから、ヴェルは心底鬱陶しそうにアステルを引き剥がしにかかるものの中々逃れることができない。
ようやくアステルがこの茶番に飽きた頃には、ヴェルは息も絶え絶えになっていた。
「お前な、いい加減にしろよ」
「許せって〜。詫びにちゃんと、お客様がお求めの魔力要らずエーテルリンク作ってやるからさ」
ヴェルから離れたアステルは、部屋の壁一面に設えられた高い戸棚へ向かう。いくつも取り付けられた引き出しには、普通の鉄部品から果ては少々珍しい鉱物まで様々に収納されている。
他人が一目見るだけならばガラクタやスクラップにも見えるそれも、アステルには大事な素材だ。
「その彼女、まだビオタリアにいるんだろ?ぼちぼち連れてこいよ」
「……連れてくんの?」
「付けてもらった上で調整効かせねーと、上手く動くか分からないし」
「アスが行くのでもいいだろ。俺もついてくし」
「だってオマエ、オレが外の世界出ようと思ったら申請にどれだけ時間かかると思ってんだよ。そのへん、純血が連れてくるなら2、3日で申請通るじゃん。相手が問題ある奴じゃない限り」
ヴェルの返答はかなり渋いが、アステルとて野次馬根性で言っているわけではない。それが守護者の世界でのルールなのだ。
やがて渋々といった様子で「わかった」とヴェルが頷けば、アステルは歯を見せて笑った。
そうと決まれば、早速着手しなければ。やりたいことも決まってなかったのだから、降って沸いたかのような依頼は大歓迎だ。
魔力を必要としない、魔導具同等のアイテム。
自分の興味だけでは下火だったやる気が今、再び燃え上がったのを胸の内に感じる。
「やる気スイッチ、オンってな」
ポケットに突っ込んでいたヘアバンドを装着し、首に引っ掛けていたゴーグルでさらに押さえる。
さっきまでは頭には浮かばなかったアイディアが幾つも湧いて、早く試してみたいと手がウズウズとしだした。
あともう一押し……あともう一押し楽しいことがあれば、さらにブーストがかかりそうだ。
「ってことでヴェル、馴れ初めとかそこら話せよ」
「なんでだよ!?」
「作業会話ってやつ。オレのやる気をもっとぶち上げるためと思ってさ」
な?と、親指を立てれば、自ら依頼をした手前ヴェルは渋々と話し始めたのだった。
***
間話以降は名前しか中々出てこなかった男。
彼らが出会った時の話は短編にて
クインテットの始まりは、
(https://kakuyomu.jp/works/16818093076490280226/episodes/16818093078191630565 )