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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
102/104

100.頼もしさは弾むようにやってくる

 途端に空気が張り詰め、ヴェルとシルヴィアは同時に音の方向へ身構える。思わず舌打ちを零しそうになるが、それよりもシルヴィアが驚愕の声を上げる方が早かった。


「なんで……!」


 幽鬼の様にふらりと揺れながら白い影が立ち上がる。


 強かに打ったのか、額から雫を引く赤が流れる顔は一層に白く血の気が無いように見えた。さりとて口元は未だに変わらぬ笑みを張り付けている。むしろ開いた瞳孔が恍惚と光り、一層の不気味さを醸し出していた。


「ふふふ、あ、はははは!なるほど、どちら”か”ではなくどちら”も”目くらましなのですね。考えましたね」

「なんで動けるっすか……そんなヌルい力じゃなかったはずなのに……!」


 本当にちょっとだけの手加減のつもりだったのだろう。シルヴィアの言葉には、彼女の攻撃が確実にヘイを捉えたのだという自信があった。だからこそきっと、これほどまでに動揺しているのだ。

 さっきヴェルがヘイに受けた攻撃よりも威力が桁違いなのはなぎ倒された棚が語っている。直撃して無事でいるとはヴェルにも到底信じられることではなかった。


 目の前の若者2人が自身の無事を信じられないことが愉しいのだろう、ヘイは心底可笑しそうに口角を上げると自らの顔を指さした。


「ふふっ、奥の手……というわけではないですが、僕たち蛇鱗人(ナーガ)には毒以外にも特徴がありまして」


 ほら、と示された肌は相も変わらず白く、血の気があるように見えない。そこにぽつり、と何かが現れた。

 ぽつ、ぽつ、まるで発疹の様に広がり始める異常は、果たして病変などではなく、


「鱗?」

「ご名答」


 頷く顔は半分以上が白い鱗に覆われていた。湿り気を帯びたように見える凹凸は微かに灯りを照り返し、彼が喋るのに連動して波打った。


「獣人が獣になれる然り、僕たちも人間に近い姿になれるというだけで元来はもっと蛇らしい姿が正しいのですよ、先ほどの姿でいる方が多いですが……なにぶん、警戒されて円滑なコミュニケーションを取りづらいもので」


 皆さん、そんなに蛇が嫌いなのでしょうか?と、肩を竦める顔は更に変化を見せる。

 鱗は顔全てを覆い、骨が歪む重たい音を立てながら鼻先が突き出して口端が横に裂けていく。今や瞼は開かれ、金の双眸は隠すものなくその鋭い瞳孔を晒していた。


「このようにね」


 伸びた鎌首をもたげた姿は、まさに白い蛇。

 鱗に覆われた手足が辛うじて彼をヒトたらしめていた。


蛇鱗人(ナーガ)の鱗は柔らかく丈夫なので、打撃にも斬撃にもそれなりに強いのです。衝撃を吸収するのに優れていると言えばわかりやすいですか?」

「……狡いっすね、私の攻撃は痛くなかったってわけっすか」

「いいえ、限度はありますのでご安心を。十分痛かったですよ。ただ、シルヴィアさん……やはり貴女の攻撃も精彩を欠いているのでしょうね。疲れが見えます」


 顔貌が変わっても、浮かべている表情はきっと変わっていないのだろう。ただ、分かりにくくなっただけで。

 喋る度に先の割れた舌が覗き、彼の心情を表すかのように跳ねていた。


「んなこと言うわりには楽しそうにしやがって」

「いえいえ、これほどまで深傷を負ったのが久しぶりで少々興奮しているだけです」


 ヘイの右腕は形が少々違えど血を流したまま動かない。消耗しているのは向こうとて同じ。されどヴェルの武器はなく、シルヴィアの攻撃もまた決め手に至らなかった。

 ジリ貧なのはどちらかと問われれば、答えは目に見えている。


 こちらの出方を窺っているのかヘイは動かない


 ヴェルは思考を巡らせる。考えても状況を覆す手段を思いつくものではなかったが、思考を止めるわけにはいかなかった。









 ───不意に、ヘイの片眉がぴくりと跳ねた。


「……残念、時間切れのようです」

「時間……?」


 言葉の意図が掴めず、ヴェルはつい聞き返してしまう。

 だがヘイが答えるよりも先に、シルヴィアが次いで反応を見せた。


「……来たっす!」


 安堵と、それに期待に満ちた声。


 誰が……と、問う前にようやくヴェルの耳にも複数の足音が届いた。





「びゅぇゆくんっっっ!!しゆびあしゃんっっっ!!」


 新手かと疑う必要もないほど、気の抜けそうな呼び声。

 どうやったらそんなに噛むことが出来るのか不思議だが、今はその間抜けさが確かな救いでもあった。


 彼のことをこんなに頼もしく思うなんて、数時間前には考えられなかったことだ。


 ばたばたと忙しない音が一気にホールへ傾れ込み、先頭を走っていた丸い図体は弾むようにヴェルとシルヴィアの前へ躍り出た。


「ぼ、ぼぼっ、ぼっ、ぼ、ぼろぼろだ!ボロボロになっちゃってるじゃないか!」

「アルヴィンさんじゃん……」

「ごめっ、ごめごめごごごめんね!!もっと早く見つけてあげられれば良かったのにっっ!」


 アルヴィンは側に来るや否や、折れた剣の破片や引き倒されてできた擦り傷だらけのヴェルの顔を覗き込み悲鳴をあげた。


 彼に引き続くエルフたちも現状を理解しては騒然とし始める。当然だ、床には追っていた黒衣の者が数人転がっているのだから。

 直後には悲鳴が上がり、泣き喚くような声も聞こえ始める。鉄扉の奥に身を寄せ合う子どもたちを見つけたのだろう。


 目的を見つけたからとて、決して愉快ではないはずの空気。けれど、場にそぐわない笑い声はどれだけ微かなものでも妙によく聞こえた。




「───ヘイくん」


 その笑い声の主に、アルヴィンの震える声はしっかり届いたようだ。

 声でわかるのか、雰囲気か。全く違う姿形をしていても彼には目の前の蛇人が誰なのだかわかっているらしい。


「ど、どどどうしてこんなときにも笑うんだい」

「面白いからですね」


ばっさりと端的に切り捨てられた己が問いに、アルヴィンは一瞬ぐ、と詰まるもまなじりを吊り上げて怒鳴る。


「何が面白いんだ!ひ、ヒトをこんなに傷付けて、皆さんをあれだけ心配させて、心が傷んだりしないのかい!?」

「そう言われましても。前にも言ったように、僕は僕が楽しいと思うことをやっているもので、全く」



 何も響いていない。

 何も心を動かされた様子もない。


 ただただ、純然たる否定にアルヴィンは唖然とした顔を浮かべたのち、すぐにキッ、と彼を睨んだ。


「もし、少しでも良心の呵責があるなら話し合えると思ったんだ……けど、きっと君が考えを覆すことなんてないんだろうね」

「……やはり年を嵩ねた方は切り替えも早いですね。揺らぎが少なすぎて、少々物足りないです」


 アルヴィンの反応は彼のお気に召さなかったらしい。


 肩を竦めるヘイにアルヴィンが鉄球を取り出して構える。対するヘイは彼に敵意を向けることなく一歩、後ろへ足を引いた。


「ただでさえ荷が重いのに、手負いで貴方のお相手はしたくないですね」

「じっ、じゃあ大人しく僕たちについて来て。君たちがやったことは、きちんとエルフの皆さんに裁かれるべきだ」

「裁き……裁きですか」


 自身でも言うように、今のヘイでアルヴィンの相手をするのは単純に難しいだろう。万全の状態でどちらが優勢なのかはわからないが、右腕は未だ使えず動きは鈍っていた状態だ。ヴェルやシルヴィアよりも余力があり、熟練したアルヴィンを彼が圧倒できる道理はなかった。


 拒否する選択肢などあってないようなもの。




「お断りします」




 しかしヘイはアルヴィンの指示に拒否を突きつけた。


「な……」

「僕は貴方がたの普遍的な秩序を否定するつもりはありませんが、お付き合いするつもりもありませんので」


 では、と言うが早いか、彼はまるで滑るような動きで退く。拒否されたとして、まさか立ち向かうでもなくあっさりと逃げる選択をしたヘイに、思わず誰もが出遅れた。



束縛の(グレイシャ)───」


 今ならまだ彼の身体には自分の与えた魔力の雫が付着しているはずだ。完全に止めることはできずとも機動力を削ぐことはできるかもしれない。

 判断するが早いか、アルヴィンを押してヴェルは前に出た。


幕を開けたる葬送(グレイヴバラージュ)

「ッ待ってヴェル!」


 その足元、爪先のわずか数センチの場所。

 押し上げるようにして地面から生えた一本の石杭が床を貫いた。


 ちり、と顔がむず痒い感覚を覚える。そのまま前のめりで術を放っていれば"それ"に顎下から貫かれただろうということは容易に想像がついた。

 咄嗟に襟首を掴んだシルヴィアにより後方に引かれ、ヴェルは難を逃れていた。


「わり……」

「いいっすよ、それより」


 シルヴィアの険しい視線が、ヴェルに術を放った人物へ向けられる。

 子どものように小柄な彼女はいま、合流を果たした大柄なヘイの肩に鎮座していた。


「助かりましたよ、サーヒラさん」

「よく言うわ。どうせ1人でも対処できたくせに」

「買い被りすぎですよ。見て下さい、こんなに手傷を負わされてしまいました」


挿絵(By みてみん)


 血を流す右腕を示すヘイに、サーヒラは深々と溜息を吐いて額に手を当てた。やれやれとでもいう仕草は、どう見ても心配しているというより呆れに満ちている。


「若いからって無茶をしすぎなのよ。そろそろ良い歳なんだから、もう少し遊ぶのを辞めなさいな」

「僕のことを若いというのはサーヒラさんだけですよ本当に……ま、善処はしましょう」

「まったく、おかげで持ち出せる物も僅かよ。貴方がもっと真面目に動いてくれれば、その子くらいは連れて行けたでしょうに」

「貴女は貴女で僕に無茶振りをしすぎです」


 他人そっちのけで言葉を交わしだす2人。

 ヘイの行動につぎ突然の乱入者に呆然としていたアルヴィンは、慌てて我に帰ると彼らに向かって駆け出した。


「ま、まま、待っ……きっき君たちは……!」

「仕方ないわ。どうこう言っても今この現状が結果なのだから受け入れるだけよ



 ───それでは、ご機嫌よう」



 サーヒラがひらり、と手を振った。

 途端に幾本もの石杭が轟音を立てて床を破り、乱立し、伸ばしたアルヴィンの手を掠めて行く手を阻む。

 驚異的な勢いで貫かれた床の残骸とお互いに擦れた石杭が削れ、たちまち土煙が立ち込めた。



 一気に悪くなる視界。

 突然の出来事にエルフたちの戸惑う声も聞こえる。


 やがて轟くような音が止み、それに伴って徐々に土煙はその密度を薄くしていく。





 視界が開けて状況が認識できる頃にはヘイとサーヒラの姿は石杭の向こうに消えて既に見えなくなっていた。

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