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境界線のモノクローム  作者: 常葉㮈枯
森樹の里・ビオタリア
101/133

99.フラグ回収はグーパンの後で

「僕としたことが迂闊でした。二度も同じ手に引っかかるとは」

「それだけ私たちを馬鹿にしてたってことっすよね。気分良かった?」


 シルヴィアの攻撃を受けたのだろう右の肩口を擦りながら、ヘイがゆっくりと体勢を整えた。ヴェルが傷を与えたときから力を失っていた右腕は、もはや使い物にならないのではないのかと思うほどにボロボロだ。


 押さえつけられ強張っていた身体を押してヴェルが立ち上がれば、運悪く下敷きにしたのだろう、顎や腕からぱらぱらと折れた剣の破片が零れ落ちた。細かい傷は仕方がないが、肌がちりちりと痛い。

 彼が横を見れば、未だに瞳に強い光を宿したシルヴィアが腰に手を当ててヘイを睨んでいる。無気力どころかその顔にはありありと怒りの表情が浮かんでいた。


「好き勝手言ってくれたっすね!腹立ちすぎて、冷静になるまで時間かかっちゃったじゃないすか!!」

「……もしかして、シルヴィアが震えてたのって」

「怒りのあまりっす」


 まさかの原因だった。

 まだ落ち着かないのか瞳を閉じて2、3度深く息を吐き、シルヴィアは再び目を開けた。

 夜明けの色が、そこにはあった。


「怒りに任せてあいつの相手をするのは馬鹿だってわかってたから。……だからヴェルには悪いことしたっすよ、待たせてごめんね」

「いんや、俺はその馬鹿ばっかしてたから」

「じゃあこれでおあいこってことで良いっすか?」

「上等」


 ちらり、とシルヴィアが投げかけた視線を交わしてほんの少しだけ笑い合う。それが合図だった。

 シルヴィアが拳を構え、ヴェルもまたすぐ動けるようにと腰を落とす。そんな2人の様子を眺めていたヘイは、痛みなど感じていないかのように変わらない笑みを浮かべた。


「まだまだ遊んでいただけるようで嬉しいですねぇ。やはり、貴女はとても良い」

「はいはい。褒めてもあんたにはグーしかあげないから」


 握りしめた拳が小さくぎり、と音を立てる。どうやら完全に怒りが収まったわけではないらしい。

 彼女の怒気を向けられてなお、ヘイは楽しそうにつま先で床を叩いた。


「それで、どうするのでしょう?もう一戦のつもりでしょうが、ヴェルさんは剣も折れてしまってますし」

「俺の引き出しがあれだけだど思うなよ」

「そういえば魔術もお使いになってましたね。あまり期待はしてなかったので失念していました」


 明らかに嘲った口調に苛立ちが顔を見せる。が、シルヴィアを見習ってヴェルも深く息を吐く。

 1人ならまた変わっていたかもしれないが、肩を並べる存在があるというのはそれだけで気持ちに余裕ができた。



「てめぇの期待なんて元より要らねぇっての!」



 ヴェルが床を強く蹴ったと同時、シルヴィアも大きく飛び出した。

 左右に散開するように、それぞれヘイの間合いの外側から回り込む。


 ヘイは躊躇いもなくシルヴィアの方へ意識を向けた。ヴェルの対処など二の次でいいと言うように。


 間合いの外を駆けていた足が床をにじる音。


「はぁっ!」


 気合いの混じった短い掛け声と共に、シルヴィアの身体が急転換してヘイに迫る。

 女性らしい小さな拳。けれど、鋭さは性差などお構いなしに空気を切った。


「シルヴィアさん、さっきから少々お疲れですね?いつもの貴女より数段動きが悪いですよ」

「あんたもね。そんな腕して、相当痛いんじゃないっすか?」

「ご心配なく、痛みには強いタチでして」


 そう言うヘイは右腕を庇うこともせずにシルヴィアの猛攻を避けていた。動くたびに若干の煩わしさは見えるが、痛みを堪えた様子はない。

 しかし付け入る隙があるとすればそこだった。


弾丸(バレット)!」


 迫る拳から身を躱わす瞬間、右腕につられ微かにぶれる重心を狙ってヴェルは水杭を放つ。

 普通なら直撃するか、せめて掠るのではと思われる軌道はヘイの脇腹の横をすり抜ける。動きが悪いと言っても、未だその身体能力は健在だった。


 だが、元よりこれで終わらせるつもりはない。

 当たれば御の字、当たらなければ本命の一手だ。


「弾けろ!」


 シルヴィアに向き直ろうとしていたヘイが外れた魔術から目を逸らした瞬間。ヴェルの掛け声に従って水の杭が弾ける。

 逡巡、のち、ヘイはそのまま甘んじて細かな粒を受けた。直近で勢いよく弾けた雫は魔力を含んだ物だ、ただの雫と違い当たれば肌を傷つける。

 それでもシルヴィアの拳を真っ向から受けるより遥かにマシだろう。ヴェルだってその判断をする。


 先ほどのようにヴェルだけで攻め入るのであればもっと警戒されるのかもしれない。けれどたった今その注意はほとんどがシルヴィアに向いている。

 侮られているからこその(すべ)だった。


 ヘイの放った掌底が、先ほどダメージを負ったシルヴィアの脇腹を穿つ。痛みに顔を顰めながら床を強く踏みにじり、崩れる体勢を無理矢理に留めたシルヴィアが叫んだ。


「今っす!」

束縛の氷殻(グレイシャルバインド)!」

「っ」


 バキバキと硬質な音を立てて氷の波が広がっていく。無論、ヘイが甘んじて受けた水滴のひとつひとつから。

 濡れた皮膚はいともたやすく凍り付き、急激な硬化は身体の自由を奪う。

 表面だけ、無理の出も動かせばすぐに解けてしまうような拘束。そのわずかな時間だけで十分だった。


「ナイス、ヴェル!」


 シルヴィアの手が光を纏った。

 錯覚ではない明らかな眩さは彼女の拳から肘を覆い、まるで彗星の様に(はし)った。


「歯ぁ食いしばれぇえ!!」


 勇ましい掛け声とともに彼女の放った一撃がヘイの胴に吸い込まれた。


【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】

 

 インパクトは本日垣間見た中で最大の出力だった。

 呻き声もなく、存外に大柄な体が吹き飛ぶ。しっかりと固定されていたはずの棚が巻き込まれてなぎ倒され、転がっていたレべリオンの雑兵が数人巻き込まれて小さな悲鳴が上がった。

 ヒトの身で放てるのか不思議なほどに速度を持っていた拳を緩め、シルヴィアがゆっくりと肩を下ろす。白くなるほど握りしめていた手はかすかに震えていた。今度は怒りではないだろう。


「シルヴィア、大丈夫か?」

「……間違えたっす。顔にぶち当てるつもりだったのに」


 眉を下げた困り顔の苦笑が返ってくる。冗談か本気か、けれど残念そうな声音だけは嘘ではないだろう。

 彼女のことは絶対に怒らせないようにとヴェルは誓った。そんなつもりも予定も全くないが。


 ふらり、足をもつれさせて傾ぐシルヴィアの身体。ヴェルは慌てて彼女を受け止めた。


「いてて」

「本当に大丈夫かよ……」

「えへへ……。結構痛かったっす」


 2回も衝撃を受けた脇腹を支えながら彼女は笑う。身軽な服装ゆえ、剥き出しの腹部は痛々しいほどに青紫に染まっていた。


「でもさっきはヴェルのおかげで絶対に当てられる!って思ったから、つい力んじゃった」

「つい、で出せる威力じゃないだろあれ……」

「名付けて”彗星(コメット)”、なんてどうっすか」

「当たったらタダじゃ済まないだろうなってのはわかる」


 気を抜くにはまだ早い状況だとは理解しているが2人して吹き出す。

 ひとしきり笑いを溢したあと、お互い真剣な瞳で見つめ合った。


「ちょっとだけ手加減はしたっす。少なくとも、数日は痛みに呻いてもらうくらいのつもりで殴ったけど」

「あれで手加減って言えるのか……?」

「殺すつもりは毛頭ないっすから。いろいろ聞かなきゃダメなことがたくさんあるし、エルフたちにも償ってもらわなきゃいけないし───だから、ヴェルが躊躇ったのも間違いじゃないっすよ」


 びくり、と心臓が跳ねる。思わず目を見開けば、シルヴィアがにこりと微笑んだ。


「倒さなきゃいけない相手は確かにいるけど、命を奪うことが絶対の手段じゃないっすから」


 ヘイとのやり取りが聞こえていたのだ。同じ空間にいたから当然の話かもしれない。

 あの時、自身の甘さを認識したヴェルにとっては後悔しかないのだが、彼女はそれを間違いではないと言う。


 慰めかもしれない。けれど、あまりにも優しい顔で微笑むものだからついそれを信じてみたくなってしまう。


「……ん」

「よしよし、じゃああのどうしようもない男をふん縛りに行くっすよ!嫌な話だけど、ここには道具も揃ってそうだし」


 これでこの話は終わりだと言わんばかりに、シルヴィアは支えるヴェルの手から離れた。



 温かな体温に触れていた手がすぐに空気に触れて冷たくなるのが少し、寂しい。



 頭を振ってその感傷を払い退け、ヴェルも彼女に倣って周囲に散乱する棚の残骸へと目を向けようとした。

 その時だ。


 がらり、と瓦礫が動く音がした。


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