01
ここが出州登呂街か。
ようやく狭いバスの座席から開放され、固まった筋肉をほぐしながら辺りを見回した。前世の記憶がなければこの光景に腰を抜かしていたかもしれん。今までいた山奥とはまったく違う、大都市がそこにあった。
天を突くような高層ビルがすぐ近くにそびえ立っている。四車線の太い道路には車が絶え間なく行きかい、歩道は四人が横になって歩けるほど広く、春の陽気を思いっきり浴びる広葉樹が道に沿って等間隔に植えられている。足元にはゴミ一つ落ちていないし、歩く人々はスーツを着たサラリーマンばかり。
どうやらオフィス街かなんからしい。前世でもこういう場所には縁遠かった。なんとなく居心地の悪さを感じた俺は、とりあえず与えられた地図を頼りに師匠の道場を目指すことにした。
「ちょっと、そこの方」
声をかけてきたのは濃いグレーのスーツに青いネクタイ、黒い縁の四角いメガネに七三に分けられた髪を甲虫のようにテカらせた男だった。
「俺っすか?」
「なかなかいい体をしてらっしゃいますね。ひょっとして高歩者のかたでは?」
「こうほしゃ? なんすかそれ」
「おや、ご存知ない?」
「すんません、田舎から出てきたばっかなもんで」
「なるほど。高みを歩むもの、と書いて高歩者と読みます。いずれは至頂になるため日々鍛錬を行う、我々のような者たちのことですよ」
我々? 改めて男を見ると、そのスーツは特注らしく、腕や足はかなりの太さだ。生地はちょっと針でついたら風船のように弾け飛びそうなほど張り詰めている。
なるほど、このおっさん“やってる”な?
「まだ十五歳ですが、二年後には出るつもりっすよ」
「やはり。では一戦ねがえますか?」
「え?」
こちらの返答も待たぬうちにおっさんはジャケットを脱ぎ始めた。シャツ姿になりメガネも外すと雰囲気は一変した。
対戦前の特有の空気。まるで電気風呂に入ったときのように肌がピリピリとしはじめる。
「こんなオフィス街でいきなり対戦申請なんて、さすが出州登呂街っすね」
「ふふ。我々のような高歩者にとってはいいところでしょう?」
「では両者、構えて」
「うお! あんた誰だ!?」
いきなり出てきた第三者の存在に驚き、俺はのけぞった。
パンチパーマに口ひげを蓄え白黒縦縞シャツを着た四十代くらいのおっさんがそこにいた。
「こちら、野良の審判の方です。審判がいないと始まりませんからな」リーマンはそのおっさんを手で指して言った。
「野良の審判!?」
「はい。いつ対戦が始まってもいいよう、野良の審判がそこかしこに控えているのですよ。野良とはいっても公式ライセンス保持者なのでご心配なく。ほら、この縦縞の白黒シャツが目印ですよ」
さっと周りを見てみると、確かにいつの間にか集まってきた人垣の中にチラホラと白黒シャツが見える。あれが野良の審判なのか。どうかしてるな、この街は。てか、この世界は。
「両者開始線に立って、構えて!」
審判は無駄口を叩くなと言わんばかりに圧をかけてきた。
リーマンも無言で重心を落とし、軽く開いた左手を前に、右手の拳を上向きにして脇を締めた。
俺は両腕を顔の前に出し頭を守るように構える。これが魔島流基本の構えだ。
俺らの準備が整うと、そこは対戦フィールドと呼ばれる特殊空間になる。対戦が終わるまで対戦者は外に出られないし、外の人が中に干渉することもできない。外界からの音すらシャットダウンされる。聞こえるのは審判の声だけだ。
『ファイッ!』
合図とともにリーマンは重力を無視するように飛び上がった。
開幕即“飛び”か。舐めてるのか?
「オラァ!」
何が来ても対応できるよう、待ち構えていた俺には絶好の的である。俺は対空技である魔空昇を繰り出した。出が早く隙が少ない小魔空の方だ。
見事空中でヒットさせるとリーマンはくるりと後ろに回転して着地した。
「やはり、見込んだ通りです」
リーマンは効いてないぞとでも言わんばかりに、シャツの汚れを軽くはたいて構え直した。
そんじゃ、今度はこっちから行かせてもらうぜ。
俺は構えを解き、軽く散歩でもするようにリーマンに向かって歩く。
リーマンは警戒したのだろう、俺と同じ速度で後退していく。いいのか? そのまま行くと“画面端”だぜ?
案の定、それ以上下がれない、というところまで来てしまったリーマンは、苦し紛れのように下段小キックを出してきた。
おいおい、そりゃ悪手だろ。
それを読んでいた俺は、またしても小魔空を出して反撃した。
「おお!?」
「見てから?」
「流石に?」
集まった客たちからざわめきが起きた。
立ち上がったリーマンの頭の上には黄色い星が四つほど浮かび上がり、くるくると回っている。星と言っても宇宙の星ではなく、図形としての五芒星マークである。スタンディングダウンの状態だ。
それを見て俺はあのときの神の言葉を思い出していた。
『生まれ変わってもらう世界とは私の考えた“格闘ゲーム世界”だあ!』
なるほどねぇ。この世界じゃ普通に待ちを歩いていても対戦を吹っかけられるらしい。システムは俺の知っている複数のゲームをミックスさせたような感じ。
リーマンを圧倒しつつ、俺は確信していた。
この世界なら、俺は至頂になれる! と。