08、平伏の造花(2)
平民のほとんどは、家畜を捌くのを目にしたことがある。
祝い事があれば大量の羊が下ろされ、子供はそこに参加することが大人への第一歩と感じる。女児は下処理や料理に使う部位を覚え、男児は肉を断ち切る箇所や刃の角度を目に焼き付ける。
ヨダカの上官のディグナー隊長は男爵ゆえ、海原に広がったキルクルスの残骸を見て盛大に吐いたことがあるらしい。
しかしヨダカも他の飛空隊もイルビリア以外は平民だ。海面に浮かぶ臓物には見覚えがある。
撃墜後、艀にみんな揃っても、特に騒ぎ立てはしない。夜だからよく見えないが、昼でも同じだ。バイザーをあげてまざまざと見ても、これが食用ならば干し肉で街の壁が埋まるだろうと考えるくらいだ。
身体の中身に種類はあるが、キルクルスはほとんど家畜と似ている。ただ水球体という呼ばれる臓器は、ガラス玉のように美しく不気味だ。
「二匹分ともなると、明日は大漁じゃん」
とコクトが言った。
魚がキルクルスを食べに集まるのだ。その魚を島民が口にすれば腹痛を起こすが、飛空隊は食べられる。
「また生簀がぱんぱんになりますね」
アデルが笑った。たしか彼女は魚が好きだったか、とヨダカは思う。
みんな腹が減ったのだろう。料理の話を始めた。確かに血が足りないし、寒気がする。暖かなスープでも飲みたい。
要塞を見る。状況終了の染色弾がまだ上がらない。イルビリアを誉めるのが忙しいのか。
「信号が上がったら、港に戻る。東から回って行こう。ミオン、まだ飛べる?」
ヨダカの問いにミオンは頷く。首を振って、その返事は違うことを伝える。
「はい、大丈夫です。すいません」
十五歳の彼女は時々、返事を口にしない。フィオリ大佐からはもっと厳しくしろと言われるが、厳しくしたい人がすればいい。
それにしても染色弾が遅い。
「大尉……発言をしても宜しいでしょうか?」
ユナックが控えめに言う。婉曲した沈黙の命令を守っていたとは、ヨダカは少し申し訳なくなる。
「ユナック、悪かった。普通に喋ってくれてかまわないよ」
「丘の鐘が鳴っています」
波と風の隙間を縫うように確かに聞こえる。この小さな音だとたしかに丘かもしれない。
コクトも要塞の上部を見る。
「丘の鐘って言ったら警報だぞ。今終わったばっかじゃねえか。壊れたのか?」
ザブンと、後ろから波がかかった。少し大きい。振り返ると、海中に潜む大きな黒い影があった。
終了の信号が上がらない。
警報が止まらない。
ならば、暖かなスープは当分飲めないのだ。
ヨダカの視線の先を他の者も追うと、アデルとミオンが短い悲鳴をあげた。
「波が大きい、いったん座ろう」
みんなを屈ませ、艀の端を持つ。
ザブザブと波が大きくなっていく。たしか西にあと三つ艀がある。
「西の端の艀へ退避する。接地離陸で、海面ギリギリを飛行。血は温存する」
接地面がある場合、離陸は難しい。片足で爆発を起こした跳躍の最中、バランスを崩す前にもう片方のレバーを引き浮くのだ。
「ミオンはまだ無理です」
ああ、ミオンは初年か、とヨダカは思い出す。自分もコツを得たのは2年目あたりだった。
海に足をつけて飛翔する方法は流路の詰まりの原因になる。帰還するだけなら問題は少ないが、とヨダカは迷う。しかし今は飛ばなくては。
「海中発進はできるんだね?」
「できます。ミオン、できるわね?」
「はい……」
「じゃあ僕がミオンと行く。ユナックは先導して先に行ってくれ」
「了解」
とユナックはレバーを引いて、片足で飛ぶと即座にもう一方のレバーを引いた。海に掠ることなく、流路を絞ると低空の飛行を始める。彼はこれを三回で会得した。本当に素晴らしい奴だ、とヨダカは思う。
ミオンは暗い海に入るのを躊躇っている。時間が無いことを示すために、ヨダカが先に飛行し、手を差し伸べる。
彼女はガチガチと装甲を鳴らしながら片手でヨダカの手首を掴むと、意を決して腰のレバーを引き、艀から後ろへ飛んだ。ぐんと沈む彼女の体重を支える。左足が海中で爆発を始めた。しかしミオンは海の闇に囚われたのか、潜むキルクルスの圧力に負けたのか、海に浸かる右足のレバーを上手く引けない。
「ミオン、まず左足の流路を絞るんだ。それからでいい」
そう言うがミオンの手はまだ右足のレバーを掴もうとしている。
このまま左足が跳ねてバランスを崩したら、海に沈む。彼女も興奮剤常習者になってしまう。
ヨダカは彼女の手首を引っ張り、腰を抱いて右足のレバーを引いた。爆発が始まり、ヨダカの装甲にミオンの下半身が打ち付けられ跳ねる。それを彼女が流路を絞るまで押さえ込む。
「すいません。もう、大丈夫です」
「良かった。活き魚になったかと思ったよ」
「……お恥ずかしいです」
ミオンから手を離すと、西側の一番端に浮かぶ艀まで飛ぶ。
降りて流路を絞ると、五人で巨大なキルクルスを見る。要塞からはまだ信号はない。
月夜に照らされた海にぽっかりと穴が開いたようだ。海中のキルクルスは先の二匹より遥かに大きく感じる
これは本当に嫌だな、とヨダカは思った。
キルクルスは神出鬼没ではない。ちゃんと決まったおおよその浮上場所がある。海水温の高い場所だ。海底に噴出孔と呼ばれる箇所があり、その近くに母体がいる。そこから浮上する。
その噴出孔が一番活発になっているのが、ここランプーリだ。一週間で一匹は仕事を課せられたように浮上する。
不幸を重ねるのが潮流だ。
ストラ島の周りには廟海と呼ばれる潮流があり、それによってキルクルスはこの島を目指す。餌の保存庫だと思っているのか、必ず上陸を目指す。
噴出孔の活性化は周期があるが、いつ終わるかはわからない。
母体が浮上するまで続くのだ。
母体は矮雄という雄よりも雌が大きい特徴を持ち、女王蜂のように栄養を与えられ産卵を義務付けられる存在だ。その役目が果たせなくなれば、もちろん用済みとなる。
「おいおい、家出した子供でも探しに来たのかぁ。もう金に代えちまったのにさ」
とコクトはわざと間延びした声を出す。
「そう聞くと、ぼくらはとても悪者に思えるね」
自分でもわかるほど、笑みは引き攣っている。
ヨダカは母体を一度目にしたことがある。コクトの言うとおり、今夜は久方ぶりとなる。