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07、平伏の造花(1)



 エマという飛空隊員がいた。アロイライ領ではじめての飛空隊員になった女性だ。

 十六歳で男爵を受け賜り、いつも首に興奮剤の針の跡を隠すため包帯を巻いていた。


 彼女はあまりに少食で、痩せっぽちの身体と白銀の髪が相まって、遠目で見ると若者とはわからない風貌だった。でも厳しい冬を乗り越えた狼のような横顔は見る者を惹きつけた。


 元より文字が読めたので、読書を娯楽にしていた。とくに図鑑を集め、いろんな国の花が載っている分厚いものがお気に入りだった。薄く積もった雪のようなまつ毛を伏せて、熱心に読んでいた。


 ヨダカのはじめての経験には、だいたい隣にエマがいた。

 装甲を付けたとき、飛空機から降下したとき、火砲を撃ったとき、衝撃で海に落ちたとき、怖くて逃げ出したくて泣いたとき、夜中にこっそり酒を飲んだとき、どうしようもないくらい誰かを抱きたくなったとき。


 逢瀬の場所は彼女の私室で、ヨダカが訪れるとパタンと図鑑を閉じる音が部屋に響くのだ。


「きみはどうしてテントウムシを識別意匠にしたんだ?」


 同じベッドに潜って、エマにそう聞かれたことがある。なんと答えたのかは忘れた。彼女の言葉は覚えているのに。


「テントウムシって太陽に向かって飛ぶよね。わたしも好きだな。畑のアブラムシも食べてくれるし。他の虫の卵を植え付けられても、孵化するまで守ったりするんだ。わたし最後まで見たんだよ」


 それを聞いて、とても嫌な気分になったのも覚えている。

 しかし出撃のときには思い出してしまう。自分の中に、元はいなかった他の生物の息吹を感じるからだ。





 飛空機から空へ飛び出したのなら、足から落ちて行くようにしなければ、飛ぶことはできない。足の錘がわずかにそれを手伝うが、訓練により得るコツがものをいう。

 同時に確認することは、キルクルスの背丈だ。

 青黒い円盤を押し上げている白い軸がどれだけ伸びているかで固定高度を決める。その為にはある程度の落下が必要だ。鎧兜で固めた体はあっという間に落ちてゆく。


 ヨダカは生まれながらの英雄などではない。落下の恐怖は冷たく重い塊となって鳩尾に陣取る。魔導術の意識操作が禁忌でなければ、よろしく頼んでいることだろう。


 体内では、酸素の供給により活発となったキルクロピュルスが一時的に増加している。

 普段は寄生先を壊さぬ程度に過ごしているが、突如過剰に与えられた酸素(エサ)に群がり数を増やすのだ。それによる体温上昇も奴らは好む。相乗して数は平時の倍増える。皮膚の下でそぞろく奴らは今祭り騒ぎだ。鎧の中は浮腫み、人口骨は軋み、皮膚が裂けそうだ。

 それを利用して飛空隊は飛ぶ。


 ヨダカは腰に付いているレバーを押した。足首の裏に蟹のハサミのように二股の針が刺さる。レバーを離すと針が抜け、薄い赤い血が足に埋められた管を通り外へ流れる。

 流れ出たキルクロピュルスは絶望するだろう。寄生先からの脱落は死を意味する。

 奴らはそれを認めると、パチンと弾ける。

 それが何故かはわからない。もし理由がわかったとしたら、こんな風に血を流すことを前提とした兵士などいらないだろう。

 一矢報いるためなのか、たんぽぽが綿毛を飛ばすのを風に委ねるのと同じなのか。いずれにせよ管を通り世界に落ちるまでの間に爆発する。あらかじめ計画された自殺のように。

 爆破は適合した生きた人間にしか起こらない。

 火薬と炎の関係に異議を唱えても、整えられた環境で出会ったならば爆発するように、好ましい人間からの別離によって起こる。

 この解を求めるのなら、キルクロピュルスは寄生主との別離を理解しているのだ。

 心音の有無。

 これについての見解は多岐に分かれたが、キルクスの生態と併せ見て、奴らは寄生先の心音もしくは振動がわかると結論づけられた。

 極小の生物に音や振動がわかるとは到底思えない。

 しかし過剰な適合反応でファミが臓物を吐いて死んだ後、一気に腹が裂けたことを鑑みても、失血による体温の低下で死滅したのではなく、寄生先の心音を理解していると考えられる。

 飛空隊は生き身を喰わせキルクロピュルスを飼い、別離によって飛べるのだ。

 空が飛びたくて足を切り落とした魔導術師のナリーが、あの物静かな女が、人生で一度だけ奇声を上げたのは、飛空隊を見たときだという。

 だかそんな羨望は腹一杯だ、とヨダカは思う。代わってくれるなら、笑顔をもって譲ろう。


 二体目のキルクルスの背丈は七十メートルといったところだ。傘は九十メートルか。

 ヨダカの目測は先に飛んだユナックの姿を確認して強固なものとなる。彼は闇に沈む海面からの距離を確保するのが上手い。

 足首の血の流路をレバーで調節して、高度を保つ。


「ユナック、行け!」


 海面からキルクロピュルスが触手を出し始めた。

 ユナックの火砲の準備まで、これと遊ばないといけない。

 頭の傘だけを破壊すれば倒せるのなら、話は沖で済む。

 しかし軸が上がらなけば根本の急所は見えない。海中を通して撃ち、威力が半減して倒せる相手ではない。

 陸に近付くとキルクルスは傘を押し上げる。それを待たなければならない。

 この港にすむ船乗りたちは喜ぶだろう。キルクルスの骨や表皮を回収すれば、アロイライ辺境伯が直々に買い取る。

 しかし臓腑をちょろまかしたら、死罪だ。とくに心液は家族全員が処刑となる。家族のいないものは全てを晒されて死ぬ。

 研究所所長兼ねて魔導術隊隊長のマリア・フィオリ大佐は魔導術をもって拷問死を堂々と民衆の前で行う。眼球をくり抜き、そこから腸を引き摺り出した彼女が結婚できないのは、領民の周知なのだ。

 しかしそれがこの島を救う正義だ。血を流して飛ぶ自分たちは英雄なのだと、残忍な彼女は言った。

 ならお前がなれよ、と若い頃のヨダカは言ったが、お門違いと一笑された。

 誰も彼も傍観席からの見物だ。

 ああ、シナギ。興奮剤が今日はキツイみたいだ、とヨダカは笑う。

 ユナックの火砲の閃光が目に刺さる。

 次は自分か。


「ヨダカ、行け!」


 次発のコクトが叫んだ。

 耳鳴りがする。キルクルスの悲鳴。生きているだけで罪になる悲鳴。

 ヨダカはキルクルスの正面に回り込む。陸との間にいる自分に海面から触手が伸びるが、コクトが上手く遊んでいる。

 左の二の腕の引き金を二つ倒した。刺さる針は二つ。血液を溜める時間を数えつつ、標準を合わせる。

 血を左籠手に集める。その空間には仮死がある。ヨダカの心音が響いているだろう。息を吹き込むと鳴る貝の如く、海風がヨダカの鼓動をその中で響かせている。しかしキルクロピュルスが騙されるのは数秒だ。引き金を更に倒して、簡易的に止血する。

 乳首を離して泣き叫ぶ赤子のようだ。沸々と、籠手の中で怒りが膨れ上がる。

 わかるよ、とヨダカは笑う。本当に怒れるよな。

 籠手の出口に続く道は螺旋が刻まれ、扇風の魔導術が込められている。要塞にいる魔導師の一人が今宵もどこかに切り傷を負うだろう。絵札を隠し持って札遊びができるほど、現実は甘くない。何かを犠牲にしなければ、この化け物は倒せない。大円団は包帯で巻かれた身体で見送るしかない。シナギ、明日の約束破ってごめん、とヨダカは息を吸い込み、ふっと吐く。

 さあ、キルクロピュルス。

 体液をふさぼるのは、もうやめだ。お別れといこう。

 溜まった血液を、怒りのような爆発を、キルクルスに向ける。

 火砲がキルクルスの傘へ放たれる。

 痛みはない。そんなものとっくに取り上げられた。あるのは貧血に似た寒気と、鳩尾に広がる絶望だ。

 火砲で湯気が立つ。それが薄くなると、キルクルスの傘が無くなるのが確認できた。

 火砲を放った後はカラクリ人形のように、ユナックの降りた沖の艀に上陸する。足の血の流路を絞り止める。左腕の引き金はそのままにして、脇の下の紐を引っ張る。止血はうまくできたようだ。腕が吹っ飛ばされることはない。


「……大尉の中攻撃は、いつ見てもお見事です。アデルがまた騒ぎ立てますよ」


「僕の素顔を知らないからだよ」


「それを仰られると、私からは何とも言えません」


「だからだよ」


「……申し訳ありません」


 ユナックは興奮剤でまた忘れていたのだ。ヨダカは静かにキルクルスが死に絶えるところが見たい。ユナックが海に落ちて、興奮剤を用いる頃から毎度このやりとりだ。

 元凶のキルクルスは金となり、人間に帰する。人間は栄え、キルクルスは島を目指してまた覚醒する。

 時のない飛空隊は、うまくそこには加われない。ただ死神のようにキルクルスを倒すだけだ。

 おかしなことだ。

 キルクルスすらその輪に入っているというのに。



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