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41、リイロ・ディグナー少佐、本国フラングレイ港にて(2)



 ストラ島にキルクルスを呼んだのは先代レンヴォルフ・アロイライだ。


 それは探求心から起こった紛れもない偶然だが、原因は確実に彼にある。心液キルクロピュルスに着目したのは別の者だが、マリウスは皮肉に思っているだろう。帝室より受け渡されたアンバルヴ栄冠勲章の箱は三つ。一つは肖像画の前に飾られる。自責の念で自ら棺に入った先代のものだ。


 そしてマリウスの領地、ストラ島ヨナマルク領は、四十五年前キルクルスが最初に発現し、二十年に渡り九つの噴出孔が活性した死地である。


 ヨナマルク領は本土でしかまもとな生計を立てられない。たとえネアルコレド海運商会の設立で辺境伯軍の解体を条件に出されても頷くしかなかった。


 領では末家の平民が細々と共闘軍人をやっているだけで、領地同士の争いとなっても、事実上出せる兵士は一人もいない。志願を募るか、忠誠を誓う共闘軍に援軍を頼むかだ。


 それで構わないとしたヨナマルク家の覚悟は、ネアルコレド海運商会として隣国にまで名を轟かす地位を手に入れた。それでも嫌味を言う者がいるのなら、箱に忍ばせた金塊が悪趣味だと思われているからだろう。


 汽笛が鳴った。黒煙が倉庫の向こうに上がっている。近くの従者が書類を出して、マリウスは懐中時計をチラッと見、署名をする。


 少し歩こう、とマリウスは席を立つ。


「まだ間近で見たことは無いだろう」


 しばらく倉庫がひしめく道を歩くと、彼には似合わずそわそわとして言う。


「そういえば、カフランの街は行ったかい? 建物は綺麗だったか?」


 意味のわからないことだった。職務が忙しくまだであると言うと、マリウスは残念そうに口髭を撫でた。


 まさかカフラン共闘軍基地のことではないはず、とリイロは思った。ハモネイ領との境、更地になった海辺の基地近く、ぽつぽつと数軒の民家が不自然に建っていたが、あれを街だと? 内陸の村はだいぶ賑やかになった。それと勘違いしているのかもしれない。


 しかし余計なことは言えない。マリウスがカフラン復興にいくら金を回したのかは知らないが、島にいる親族は現実を見ている。ヨナマルクで海辺に住む者などいない。それなら仲違いの多い領への牽制に使うだろう。


 彼の故郷への冷めぬ熱意は共闘軍とある意味で一致しているのだな、と歩を進める。


「あれが蒸気機関車だよ。もうすぐザーハンドまで行けるようになる。そうなればフラングレイはもっと賑わう」


 マリウスはそう言うと、線路と呼ばれる道路に入って行く。石を固めた土台に木板を乗せた駅に登ると、マリウスは眉を顰めた。


「短鞭で汽車を打っている兵士がいたら注意してくれないか。そう言う奴に限って鞭が煤で汚れて服に付いたと、馬鹿な文句を言いに来るらしい。仕組みがわかってない無知を嘆くべきなのにねえ」


 リイロは視線を汽車へ移すと、兵ではない者が混じって、積荷を降ろしていた。進んで行くと、切れたサスペンダーを結んで使っている少年がいる。成人したての十五くらいだろうか。


 自分の留めた目線に気付いた目敏い水兵が彼を叱責する。しかし少年は真面目な働きぶりをしていた。不真面目だと言うなれば、腰を庇って作業する男を心配する素振りをしていたことだけだ。叱責は水兵の見せつけの仕事だろう。少年は何も悪くないと庇ってやりたくなる。


 しかしそれは自分の悪い癖だ、とリイロは通り過ぎる。隣を歩くマリウスはこちらを見た。


「しかしながら馬鹿には気を付けたまえよ」


 自分は短鞭を振るう兵士を見逃したか、と思った。


「それは……どなたのことを?」


「ヨダカという馬鹿者のことだ。あれのせいで確実に五年は遅れるのだろう?」


 規定に触れることを告げる前に彼は続ける。


「学のないああいうのはね、我々に風穴を空けるんだ。感情が突き走るから、止められない」


 リイロはマリウスの断言に根拠を聞きたくなるが、殺伐としたその口調から質問を変える。


「どうしろと?」


「俺なら殺すが、無理なのだろう?」


 もちろん詳しくは知らんがね、と彼は付け加える。


「勇兵の生き死にを見、故郷の破滅を見、運命に蹂躙された男だ。簡単には飼い犬にならんぞ」


 無理矢理に鎖を付けることができるのですよ、とはさすがに言えない。何よりマリウスは自身のことも言っている。


 駅から大通りへ出ると、絢爛な馬車が一台停まっていた。なるほど、彼は共闘軍少佐の見送りを所望していたらしい。さぞ行進を楽しんだのだろう、にこにこと言う。


「さて、わざわざ挨拶に来くれてありがとう。見送りには行けないが許してくれ」


 乗り込んだ馬車の扉が閉まる直前、マリウスは自分を見ろ下した。


「しかし君ほどになれば、馬鹿でも飼えるのかもしれないねえ」


 余計な一言が多いな、とリイロは馬車を見送る。


 踵を返して元来た道を歩くと、切れたサスペンダーの少年の目に青タンが出来ていた。唇が切れそうなほど噛み締め、それでも仕事をしている。


 生きていくのは大変だねえ、とマリウスの口調を真似てみたくなった。


 マリウスはアロイライ飛空兵が過去二人しかいない理由を変革剤研究のためだと知っている。他領の貴族も勘付いている。しかしガタガタ言わない。それが皆の願いだからだ。


 そして自分がその中から本国へ送る兵を間引くだろうとも知れている。


 たしかにアデルとルティという少女ら、セドニーという少年はまもなく候補生としてランプーリに呼ぶ。


 父母を敬い、字が多少書け、シラミが少なく、挨拶以外は黙り、質問を許すと候補生の給与について聞いたのは、ここ数年でこの三人だけだった。


 しかし行儀の良い子供はこちらの不快感を読み取り懐かない。ヨダカが拾ったユナックさえ最近は思慮深くなり、無邪気な顔を引っ込める。


 飛空兵のほとんどが死ぬというのは共闘軍幹部とアロイライしか知らない。それ故の他領向けの欺瞞と、いずれ死ぬのだから行儀の良い子供を選んだのだが、なかなか骨が折れる。これでヨダカのように隠れて他領の女に入れ込んだりしたら、衆人の前だろうとサーベルを抜きそうだ。


——バーチ飛空兵生を間者の容疑で拷問にかけるぞ。


 悪漢のような自分の台詞。アンジトックの丘の上で、ヨダカは言葉を出すために、口に溜まった土混じりの唾を飲み込んだ。


——違うんです。それは、違う。全て従いますから、どうか……。


 はじめからそうしておけばいいものを!

 そう思わずにはいられない。どれだけ目をかけてやったと思っているのだ。不遜な態度をしても信頼のために許してやってきた。それを微塵も理解せず、他領の飛空兵にうつつを抜かし、イルビリアとの婚姻を蹴るなど、マリウスが言うように馬鹿としか言いようがない!


 何よりお前の生母が望んだ縁談なのだぞ、と事情を知る誰もが思っただろう。


 特にシナギ准尉の落胆は酷く、彼女に相応しくない強硬な手段を選ばせ、アンジトックは無くなった。ヨダカもごっそりと組み替えられた(、、、、、、、、)。この半月の来訪で五年の猶予を得た御礼に自分がどれだけ頭を垂れたかなど、あの庶民共は知らないのだ。


 ハモネイもバーチが弱味になると考えたのか、引き渡さずに一気に少尉にまで上げた。魔導副官を付けるためだろう。そうなると片付けるのは面倒くさい。昔から血の気の多い領だ。下手に面倒を起こせば飛空兵をアロイライに差し向けかねない。


 フィオリ大佐が無理矢理に箝口令を敷く指示を出したのは馬鹿げていると思ったが、今になれば彼女の先読みを最大限に利用するしかなくなった。その効力は弱いが、無いよりマシだろう。


 しかしゴルグランドのサリエが少佐になるとは思わなかった。ダークスの色惚けがまさか飛空兵まで娶るとは、フィオリ大佐も絶句した。それを共闘軍が認めたのは、さらに驚嘆し、もし叶うならサリエ少佐は生き残らせよという。


 残してたまるか、と日焼け傘の席にまた座る。自分の細巻きを出そうとすると、円卓の箱が変えられていた。中を見ると葉巻が入っている。


「ご準備致します」


 ずっと後ろで控えていた共闘軍の若い少尉が手を差し出すので、葉巻を渡す。彼は箱に付属したカッターと針を取り出すと、慣れた手付きで作業した。


 フィオリ大佐はマリウスがどれだけ力があるのか確かめて来なさいと言ったが、奴は飛空兵が死ぬことは知らないだろう。


 まだ怒りが残っているところを見ても、あれで情に厚い男とみる。郷里で勇兵がおもちゃにされて死ぬと知っていれば、日除け傘の下に席など設けない。分厚い壁と扉の部屋で葉巻をふかせ、歯に衣着せぬ侮蔑を延々と聞かされていたはずだ。


 戻って来た葉巻を受け取ると、少尉は白手袋を外して人差し指と中指の間に炎を灯した。リイロは葉巻を翳す。


 それにしても、と赤くなる葉巻を見て思う。紫目の少尉がいながら責めた文句を言い、四十年切り捨てられることのないマリウスは尊敬に値する。


 自分はマリウスと違い、共闘軍が設えた柔らかい絨毯の上に立っているだけだ。共闘軍は飛空兵が廟海を越えればそれでいい。それに貢献するならば、菓子で驚く田舎男爵もそれなりに扱われる。この場所はゴルグランドの飛空兵指揮官クロッズ・ボーガネン大佐でも構わないだろう。


 ストラ独立など馬鹿げた夢想に手を伸ばさぬのなら、それでいいのだ。今となっては原始の時代から続く狩りに勤しむ間、技術革新は遅れ、どれほどの戦術が研究されたか、考え至らぬ阿呆だと笑われるだけだが。


 火のついた葉巻を一口吸って、吐いた煙を海風に流す。自由に舞う白煙を見ながら、書店のお立ち寄りはご遠慮ください、と言った少尉の言葉を思い出した。


 印刷機も蒸気機関の本も共闘軍の検閲によって島の船へは省かれる。


 自分が本土よりも先取りしていることと言えば、煉獄での行進を先導していることだ。それを勲章として胸に留めるなら、英雄たちに大人しく死んでもらうしかない。


 笑う自分が不気味なのか、冷めた茶を取り替えに来た下女が怯えた顔をしている。


 度胸さえあれば、いかなる場所でも笑えるものだと教えてやりたい。



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