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30、落日のはじまり(6)



 バン、バン、と銃声が鳴った。


 誰かが叫ぶ声がする。それと共に馬の蹄が地面を蹴っている。


「取り止め!」


 声がはっきり聞き取れるようになると、バーチはそっと目を開けた。既にオヴィット隊長が気怠そうに地面に降りて来ていた。


 一頭の馬が土煙をあげてこちらへ向かっている。伝令の兵かと思ったが、小綺麗な格好からして武官だ。荒れた息の馬から降りると、隊長に小さく何事か言った。


「はあ? 手違い?」


 疲れ切った馬と同様、肩で息をする武官はすうっと息を吸って答える。


「小官は詳しくは存じません。間もなく馬車が到着しますのでお乗り下さい。ルーエン少佐の馬車であります」

「……何なんだ」


 バーチは凍える身体と死に直面した緊張、いまだ止まらない涙で、よく頭が回らない。


 やがて来たのは四頭立ての朱色の馬車だ。馬と騎士の紋章が描かれた扉が開く。


 副官であろう魔導術師が降りて来ると、体に巻かれた捕縛布を解かれ、両の手首に銅色の腕輪が嵌められた。頬と掌の傷に冷却布を当てられ、車体に誘導される。


 中には金髪を後ろで束ね、薄い口髭を生やしているルーエン・ハモネイ少佐がいた。辺境伯の正妻の末子だ。


「やらかすならグスル族のほうだと思っていたが、ギールルの娘だとはな」


 向かいのルーエン少佐に繁々と見られる。入隊時も「今なら帰れるぞ」とため息混じりの歓迎を受けたことを思い出す。ぼろぼろと泣くバーチに舌打ちをし、吐き捨てるように言う。


「ヨダカ中尉なら生きてるぞ。泣きやめ、みっともない」


 ガタンと立ちあがろうとするも、身体に痺れが走る。手首の腕輪だ。ルーエン少佐の隣に座る副官の指が紫に点っている。


「次に動いたら、失神させろ。バーチ飛空兵生、お前にも話は聞かせてやる。聞きたければ、動くな」

「しょ、承知しました」


 痺れた唇を何とか動かした。

 生きている、と凍った身体がみるみる熱を取り戻す。安堵の涙を数筋流し、ぐっと顔を上げる。自分も生き延び無ければならない。


 馬が取り替えられ、馬車が進み始めた。ルーエン少佐が口を開く。


「伯父上、話が一転して申し訳ない」

「殺したくて殺すわけじゃない。お前は俺が疎んだ代わりに七面倒な役をやってるんだ。気にするな」


 隣の隊長はオヴィット・ハモネイだった顔を覗かせた。ハモネイ家の跡取りを弟に譲り、象徴として戦う役目が薄れても、討伐の任を請け負い続けなくてはならないのは、勝ってこそ戦士、という見方を変えれば終わりの無い御題目のせいだろう。


「話の前に、アロイライのシナギ准尉という錬金術師はご存知ですか?」

「去年、アンバルヴ栄冠勲章をもらった平民だろ」


 シナギ。ヨダカ中尉から聞いたことがある。アンジトックの孤児院からの仲で、妹も同然だと言っていた。その彼女が、帝国三等位の勲章をもらっているとは知らなかった。確かまだ二十歳ほどだ。


「はい。オルタナシア研究所はアロイライ辺境伯のものですが、研究成果は帝国造廠院(ぞうしょういん)に吸い上げられます。彼女はその造廠院の者で、飛空兵部副部長なのです。本来ならば少佐相当です」

「はじめて聞いたぞ」

「私も先ほど知りました。何故准尉などに留まっているのか、何故あの若さでそんな責務を任されているのか、どちらも解せません。そして、その傑物が箝口令の施行を共闘軍に促しました。即日、つまり先ほど、仮ですが受諾されました。ほぼ決定と捉えて良いでしょう」

「……即日? 辺境伯の意見は?」


 ルーエン少佐は首を振る。


「共闘軍にいる中央政府派遣武官らは、彼女が部屋に入ってものの十分足らずで、辺境伯たちの意見も聞かず、共闘軍の内規を変えることは必要あり、と認めました。父上と同席しましたが、同意のみを求められました。他の辺境伯には後に許可を取るつもりでしょう。全く異状なことです」

「箝口令の内容は?」

「簡潔に申し上げますと、ヨダカ大尉の記憶が無くなっております。その忘却内容についての口止めです。その内容がバーチ飛空兵生というわけです」


 動き出したしそうな体と口を何とか抑える。ここで失神などできるものか。


 記憶が無くなると言っても、古参兵を見れば軽いものだ。居室の場所や好んだ料理、いつかの喧嘩の有無、部分的に忘却するだけだ。


 ふいにバーチはヨダカ中尉の震えていた手を思い出す。でも大丈夫、と浅くなる息を整える。たとえその記憶が無くても、彼は彼であり、生きている。


「そんなことの為に箝口令を?」

「ええ、信じられませんがね。急いで伯父上の隊の飛空兵や帯同する整備兵にそれとなく聴取しましたが、ゴルグランドの歓迎会で一言二言話していた、としか言いません。これはさらに異常です。どう考えてもあり得ない」

「だから確かめに来たってわけか」

「いかにも。最初の反応でわかりましたが、互いに惹かれあっているとは」

「いや、こいつは遠征でヨダカ中尉に会うたびに夜這いしてた馬鹿だ」


 ルーエン少佐は目を丸くした。


「……伯父上は知っていらしたんですか?」

「まあな。甥がつまらん謀をしているかと思ったんだよ」

「さすがに本人である私には確認して頂きたい」

「今考えるとそうだが、俺はこいつがハモネイに仇を成すようなことはしないと思った」

「具体的には?」

「暇さえあれば家族に手紙を送って、基地の煙草臭い部屋で会い、帰りは見えなくなるまで見送って、食事の前には豊穣神への祈りを欠かさない。至極まともな奴だからだ」

「まあ、飛空兵には珍しい良い娘ですね」

「隠れて夜遊びはするがな」


 ルーエン少佐はじっとりとした視線でバーチを見る。


「……本当に男女の仲だけですか?」

「こいつが何を知ってるって言うんだ。飛空兵生だそ。美味い情報なんてこれっぽっちもない。こっちがヨダカ中尉に探りを入れたと疑われる方だろう」

「確かにその件で、現在父上が付き添いで来たフィオリ子爵の猛攻を受けています。全て否定し、一言二言話したことがあるだけだと、話すように進言しましたが」


 ルーエン少佐は膝を数回叩いて、区切りを付けた。


「バーチ飛空兵生、中尉が何を話していたかは後で聴かせてもらう。それより他に人目に付く所で、話したことはあるのか?」

「五年前にミルドへ来た時に案内しました。それ以外は挨拶程度です」

「まさか、五年前からか?」


 何も言えずに視線を下げると、ルーエン少佐は大きなため息を吐いた。

 

「ハモネイが品のない兵士だと言われても致し方ないが、お前のしたことはやや趣きが違う。それはわかるか?」

「はい」

「では、くれぐれも他言無用だ。脱走は揉み消してやる」

「そんなことが可能か?」

「塀を登ったところを見たのは、二名です。どうとでもなりますよ。騎兵たちには許可のある外出なのに、哨所の勘違いで混乱したと言えばよろしいかと。あえて雑に揉み消せばいいのですよ。彼女は金のある家柄です。父方の祖母はハモネイ家の親類でもあります。それを知ったら納得するでしょう。散々な噂をされるでしょうがね」

「貴様の噂も酷くなりそうだな」

「これ以上、私がどうなるというんですか。過去に三度、火砲を撃ちに来られた指揮官ですよ。貴族だってのに、女も皆逃げて行く。異母兄弟たちに毒を盛られるよりマシだから、やっているだけです」


 すぐに自分の発言に舌打ちしたルーエン少佐はギッとバーチを睨む。その目はこれも他言無用だと言っていた。


「バーチ飛空兵生、お前はゴルグランドのサロベナに姉がいるんだな?」

「はい」

「ならば、今回の外出(、、、、、)は姉が倒れた知らせを受け、会いに行くためだ。伯父上は連絡の行き違いで外出を許可しなかった。それに我慢出来ずに飛び出した。伯父上もお手数ですが、隊の者にそれで説明してください」

「面倒だな、全く」


 オヴィット隊長は鎧をガシャンと響かせながら、背もたれに沈んだ。ルーエン少佐の差し出す細巻きを口に加え、副官が火を付けて煙を吸う。少佐も煙草を吸い始めると、一度煙を吐き出してから話を続ける。


「重ねて言うが、箝口令にはアロイライの『飛空兵士』が記憶を無くしたためと記される。そんな者はヨダカ中尉しかいないがな。お前のことは『当該する者』として、個の名前は書かれない。一部しか知り得ない事実になる。しかし他に勘繰る者が出てくるだろう。施行され、こちらに関係ないと明言している以上、白を切りとおせ。とくにゴルグランドのサリエ少佐には気を付けろ。あの女は強かで狡猾だ」


 承知しました、と返事をしながら彼女に知られていることを言うべきか迷った。しかしすぐに彼女の昇級に気付いたオヴィット隊長が口を開く。


「サリエが少佐? 貴族になったのか?」

「ええ、無理矢理ですよ。ダーグス男爵の第五夫人になったんです。奥方が軍人で佐官など前例がありませんが、認められましたね。おそらく帝国軍は本国の徴兵の際、舵取りできる飛空兵が欲しいんでしょう。確固たる実績があり、副官も紫目だ。申し分ない」

「それを聞くと、その対抗馬がアロイライのヨダカ中尉というわけか」

「対抗馬というより本命でしょう。女佐官はストラ島に数名おりますが、本国にはいません。彼が潰れて、サリエ少佐に役が回って来たと考えます」

「中尉はそんなに酷い怪我なのか?」

「ええ。完治は半年かかり、救命の際に背丈をずいぶんと低くしたそうで」


 バーチは針で突かれているような内容にソワソワとするが、黙っている他ない。


「だから、アロイライは必死になっている、と」

「いえ、それは少し違うような。必死なのはそうでしょうが……」


 ルーエン少佐は視線を下げた。煙草の灰を手に持った灰皿に落とす。いくらかの沈黙後、話し始める。


「私はどうにもアロイライが謀ったような気がしてならない」

「謀るとしたら、今の話を聞いた印象ではゴルグランドになる」

「ええ、警鐘が鳴らなかったという話も出てきましたので、そう考えるのが妥当と思いますが。それにしてもアンジトックの件はお粗末過ぎます。アロイライは派兵含めて三名、援護はゼオ隊六名です。警鐘が鳴らなかったとしても、海上で仕留めることは可能かと」

「たしかに。索敵隊が機能していないのも気になる」

「ええ。そして今回の箝口令です。シナギ准尉は造廠院の意見として、帝国海衛軍(かいえいぐん)元帥バレンシア公爵の計画である飛空兵の艦配備において、ヨダカ中尉が要になっていると述べました。彼を元の体格に戻すまで最短で五年かかるとし、これを崩す問題があれば取り除くのは当然。それには内面も考慮しなければならず、その為の箝口令だと主張しました」

「尚更わからんな。それで何故アロイライが謀ったと考える?」

「私が気になるのはアロイライというより、あの小娘ですね。シナギ准尉はヨダカ中尉と旧知だそうですが、彼女は理路整然と彼を有能な兵器として見ている。にも関わらず……いや、まさか、とは思うのですが……」


 ルーエン少佐はまた押し黙る。忙しなく煙草を叩き、灰を散らす。はっきり言え、とオヴィット隊長が迫った。少佐は眉間に皺を刻み、窓の外の夕陽を見る。


「箝口令が仮受託されたとき、シナギ准尉の目は不の情念に濁り、微かに笑っておりました。私は幼い頃より、似た顔を幾度となく見てきました。会食で吐血する兄上を見る、異母兄弟やその母親の顔です。とくにあの女たち。父上の寵愛に飢え、歪んだ感情の発露を達成したあの顔は、忘れられるものではありません」

「箝口令は、私を彼に近付けなくさせる為なのですか?」


 バーチの口が勝手に動き出した。聞かずにはいられなかった。こもり始めた熱を散らすようにドクドクと心臓が鳴る。


「キルクルスの上陸は、私のことを忘れさせる為に、シナギ准尉が仕組んだと言うのですか?」

「……私は女の情念とやらに詳しくはないが、先のとおり見覚えはある。滑稽且つ恐ろしい考えだが、お前の言ったとおりだと感じる」


 聞かなければ、と震える手を押さえ込む。


「ヨ、ヨダカ中尉の記憶がないとは、具体的にどの記憶ですか?」


 ルーエン少佐は煙草を揉み消した。副官に、動いたら失神させろ、ともう一度命令する。


「中尉はアンジトックで十発もの火砲を撃って、陸に落ちたらしい」

「十発だと? いくら体格が良くても、頭がおかしい数だぞ」

「故郷がひしゃげていく様を見たら、頭もおかしくなるのでしょう」


 ルーエン少佐はじっとバーチの瞳を見た。


「すべて無い、とシナギ准尉は言い切っている。お前たちの時間でいうなら、五年間のすべてを忘却したということだ。先程の推測が事実なら、あの小娘の嫉妬たるや凄まじいものだよ。脱走したお前なんて霞んで消える。まったく……それほど惚れられるとは災難な男だ」

「でも、そんなことどうやって——」


 バーチはまた立ちあがろうとして、身体が痺れた。ふっと、目の前が暗くなる。



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