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03、我人である(1)



 ヨダカが行くなら丁寧な接客をしてくれ。そう上官に言われていた。

 よって自分に話しかけてきたファミと言う少女に懇切丁寧にしたのだが、無駄となった。背負う彼女の体温は海風に攫われていく。あの最初に見せた無作法な感じは飛行隊としての資質だと思ったのに。

 オルタナシア療養院に登り着くと、ファミの遺体を地面に下ろした。上着のポケットから懐中時計と煙草ケースを出すと、脱いで血塗れのファミにかける。血便や血尿が後ろみごろに着いているが、藍色の軍服は目立たない。

 ときどき、こんな風に死ぬ。昔はちゃんと告知していたのに、今はされていない。


「あんた、バレなくて済んだじゃないか」


 先に療養院に着いていたアカシアが、ヨダカの元に来た。


「ああ、そうだね」


 ファミはヨダカが男だと気付いていたかもしれない。それを療養院内で賭け事にしていたことも知っている。アカシアがバレないに賭けていたことも。

 しかし臓腑を吐き出して死んだ少女に言える冗談がないように、神院の一部とされている療養院の白婦たるアカシアが言う言葉ではない。


「そもそも女子志願兵の監視員なんて、ぼくがやるべきじゃないんだよ」


「じゃあ、あの伯爵令嬢に言いなよ。あの子はいいね。あの子は好きだよ。好戦的で血の気が多くてさ」


「ぼくに監視員をさせて、待機命令を優先するくらいだからね」


 融通が効かないと言った方がいい、という意見は飲み込む。療養院の白婦アカシアを敵に回せば、看護が拷問になるという揶揄があるくらいだ。彼女が気に入っている伯爵令嬢の陰口を叩けば、怪我をした自分は殴打に近い看護を受けるだろう。

 アカシアは療養院の横手にある井戸から水を汲んだ。白いエプロンを外して水に付け、ファミの顔を拭く。拭いた後で、顔に黒いハンカチを被せた。

 ヨダカは手袋を捨て、残りの水で手を洗いながらその様子を見ていた。彼女の手は震えていた。言いたくもない軽口を無理矢理にでも言わないと、化け物に囲まれた島では生きていけない。


「あんたは行かなくていいのかい?」


「呼ばれていないのに行くもんか」


 ヨダカは煙草に火を付けて、煙を吐く。すぐに海からの風がかき消す。風が強い日は鎧に錘を追加する。余計に疲れる現場に好んでいくほど仕事熱心ではない。


「ぼくはアカシアこそ飛行兵になれば良かったのに、と思うよ」


「あたしもそう思うよ。神様は徹底的に不平等なんだよ。でもさ、あんたみたいな同期がいて自慢だよ」


 ヨダカは煙草の煙を吸い込み、空に散らした。


「……ぼくを同期なんて言う奴はアカシアくらいだよ」


「バッカだねえ。中身おっさんのくせに。感傷に浸るなら、一匹でも多く化け物の骨肉散らしてからにしな。派手な血祭り期待してるからね!」


 アカシア哀れな未亡人、とヨダカは思った。

 天が示した幸福に則り結婚し、子を成して全て化け物との戦いで失った。その絶望はすべてキルクルスへの憎しみに変えられた。きみは誇らしい友人だ、とヨダカは心の中で称賛する。


「ヨダカ大尉!」


 と丘の道から声がする。振り返ると、薄い茶髪の少年がこちらに歩いて来た。ユナックだ。


「あんた避難が遅いねえ!」


 アカシアはいつもの調子を戻して言った。


「錯乱者がいて、みんなで縛ってたら遅くなりました」


「身体の痺れが無い奴がいたのかい。……おや、その子はピンピンしてるじゃないか」


 ユナックの隣には栗毛の少年が立っている。少年はファミの遺体を怯えるように見ていた。

 ヨダカは少し考えて、言ってみる。


「ヌノランじゃないよ」


 少年ははっとこちらを見て、あからさまにホッとしたが、すぐにバツが悪そうな顔をした。人違いを喜んでも、人が死んでいることには変わりはない。

 少年は姿勢を正し、ヨダカを真っ直ぐに見る。


「ザーハンドのタキオンと申します。妹は無事でしょうか?」


「……君と同じく、歩いてここまで来たよ。中に行けば会える」


 少年の公用語のアクセントが訛りがなく、貴族のようだ。言葉遣いもしっかりしている。アカシアもそれに気付いただろう。目配せをする。

 ザーハンドはたしか本国の都市だ。もしかしたら良い家の出かもしれない。そうなると後腐れが残るかもしれない。親戚が跡取りとして返せ、と言われたら揉める。そういう子は弾いているはずだが、紛れたか。ヌノランという少女も父母と兄を様付けで呼んでいた。

 どのみちここまで平然としているのなら、飛空隊候補生には合格だろう。そうなったら二度とこの島からは出られない。本国になんて返すわけがない。返すくらいなら消す。それは過去に何度も起きた悲劇で、例外ではない。


「あ、あの……自分、何かしましたか?」


 無表情で見つめていたのだろう。タキオンの言葉で、ヨダカは憶測をやめた。どのみち自分にはどうしようもないことだ。それに彼を見る限り、ある程度の覚悟は感じられる。ヨダカを外見だけで判断せず将校ととらえ、ここで余計な質問をしないところもいい。


「タキオン、期待してるよ」


「……はい!」


 何も知らない少年は笑った。

 この子はいつまで笑っていられるのだろう、とヨダカはまた考えてしまう。短くなった煙草を捨てた。

 彼はきっとユナックに遺体の死因を尋ねるだろう。同じ試験者だと知ったら、ああいう聡明そうな子は自分が踏み込んだ道がどれだけ危険か気付くだろう。

 しかしもう後戻りはできない。

 先ほど飲んだ薬は不味そうなキノコ、キルクルスの心臓に溜まっている心液と呼ばれるものだ。わずかに希釈しているが、静かによく見れば陽炎のように、液体が揺らいでいるのがわかる。キルクロピュルスという極小の生物たちが動いているのだ。そんなものを体内に入れれば、身体が拒絶反応を起こすのは当然のことだ。

 しかしタキオンという少年はキルクロピュルスに気に入られた。ゆっくりと大切に彼の血液や筋肉、臓腑を喰み、数を増やしてゆくだろう。痛みはない。キルクロピュルスは彼を愛でるように自分の好みへ変えてゆく。

 すなわち寄生だ。

 全身の寄生が終わる頃、無事であれば骨を抜き去り、キルクルスの骨で作った人口骨を移植する。

 そして身体の時は止まり、魔導術さえなし得ない火砲を出す人間が出来上がるのだ。

 本当にいつまで笑ってられるんだろう、とヨダカは思った。


「ヨダカ様、ディグナー男爵がお呼びとのことです」


 その声に振り返ると、ヌノランを連れていた白頭巾だった。


「行きな。また元気な顔を見せてくれ」


「ああ。差し入れでも持ってくよ」


「デッカい酒樽を頼むよ」


 それに笑うと、最後にファミに軽く祈りを捧げた。

 




 療養院の堅牢かつ無骨な様は、本国の聖職者たちの度肝を抜くだろう。アロイライ辺境伯がどのようにして彼らを納得させたのかはわからない。

 鉄より丈夫なキルクルスの骨で枠組みをし、骨粉を混ぜた塗壁で隙間を埋めている。仕上げに円盤の青黒い表皮をなめして貼っている。強度はさることながら耐水性も優れているが、初見の感想は不気味しか出てこない。

 扉を開けるとすぐに長椅子が並ぶ講堂になっている。避難所として使われており、右手に伸びる廊下を進めば、看護部屋が連なる療養所建屋がある。飛空隊専用の部屋があるので、タキオン兄妹はそちらに行っただろう。

 講堂には辺境伯邸の使用人や、近くに住む島民が固まって喋っている。しかしヨダカを見ると若干声量を落とした。近くを通ると椅子に散らばった絵札を隠す。


「ポケットから絵札が出てるよ」


 横切るときにそうからかうと、三人もの男が尻のポケットを見たので笑ってしまう。


「冗談だよ」


 その言葉で、クスクスと笑いが起こった。シャツにファミの血が付いているから、出撃帰りと思われたかもしれない。帰って来た兵士のもてなしが札遊びとは、さすがに気が引けたのだろう。

 しかしこの人たちは避難に従うだけ偉い。この港街ランプーリにはいくつかの避難所が設けられているが、逃げて来ない者は少なくない。脅威に慣れてしまい、普段の生活を優先させるのだ。三度目の鐘では街を捨てろと周知しているが、いざ鳴ったときはどうなることか。

 祭壇の横の扉を開け、小部屋に入る。鉄製の籠でできた昇降機が置かれる以外は、見張りの騎士が二人いるだけだ。敬礼を敬礼で返して乗り込む。

 籠は十人ほどは乗れるだろう。小さめの荷車もうまく配置すれば載せられる。


「降下、開始」


 これは魔導術で動かされている。籠に魔導語が刻印されており、それを術者が昇降の術を発動するのだ。魔導語ならば見様見真似で誰でも彫れるが、その発動がとても難しい。よって研鑽された魔導術師は、たいがいが年老いている。

 籠から降りると、ストラ島唯一の聖女が出迎えてくれた。


「お帰りなさい、坊ちゃん」


「ただいま、聖女オルタナシア」


 ヨダカはここに住んでいるわけではないし、彼女は家族でも召使いでもないが、そう答えた。

 彼女には敬意を払わねばならない。ストラ島の原住民の末裔とされる彼女が魔導に目覚めなかったら、この地下遺跡には辿り付かなかっただろう。昇降機の魔導術は彼女が半生をかけて解読し、発動に至った。

 その名を取って付けられたオルタナシア療養院研究所は、彼女無くして存在しない。


「わたくしの孫娘とやっと結婚してくれると聞きましたよ」


「ぼくにはもったいないって」


 ヨダカは彼女の孫娘がもうすでに結婚していることを知っているが、オルタナシアはすぐに忘れてしまう。

 その発動を伝授できていないまま、五十年近く昇降機の横の小部屋で過ごしている彼女もまた、この島に囚われている。


「喉が渇いているなら、何か持って来るよ」


「酒ですかい?」


 どうして療養院にいる女衆は逞しいのだろう、とヨダカは苦笑する。オルタナシアも魔導術の功績を買われ、聖女に列席された身だ。本国では清貧の心を持って神に奉仕するというが、ストラ島には化け物は出ても神などいないということか。


「デカい酒樽があったら持って来るよ」


 ヨダカはオルタナシアが座るそばの火鉢に炭を足したあと、そのまま奥に進む。温暖な季節だが、地下は肌寒い。上着が無くなったのに後悔はないが、クシャミばかりしては格好が付かない。

 キルクルスの骨の柱で補強した道は坑道に似ている。剥き出しの黒い岩がしばらく続き、分厚い鉄扉にはまた兵士が見張っている。また敬礼され、敬礼。扉の中に踏み入る。

 地下空間には見合わない吹き抜けが広がる。ここも上と同じく講堂として使われていたのだろう。石壁は黄色い。山で採れた砂岩をレンガにしている。

 いくつもの柩が壁に埋め込まれている。魔導術は術師が死ぬと、不解術という強固な呪いがかかる。オルタナシアのように古の術を解読できることもあるが、それを逆手に取れば固めたレンガは地下に巨大な空洞を作っても崩れることはない、ということだ。何百年と建設当時の姿を誇っている。


「ヨダカ」


 ふわりと白い布がが肩に掛かった。振り向くと、長い黒髪を一つで束ねた軍人がいた。ヨダカとは違い、襟のない白い上着を着ている。空色の瞳がヨダカを捉えていた。地下で過ごす彼女は月のように白く、首筋の静脈は透けて見える。


「シナギ、どうしたの? まさかぼくのお出迎え?」


「違うわ。汚れた衣服を回収するのよ」


「着替えを手伝ってくれるの? きみが?」


「そう」


 ありがたい申し出だが、彼女はそれどころではないはずだ。後ろで紙束を持った研究員たちが彼女を呼んでいる。


「こちらの試験結果です! 次の手筈の指示を!」


「こっちのが先だ! 海底噴出孔の新しい標本を見てください!」


「あ、あのハモネイ領からの伝信がありました! 至急返事が欲しいとのことです!」


 シナギは次から次へと手元に届く書類を見て、何か書き込み渡し返しながら歩いて行く。器用なもので、通路にある木箱をひょいと避けたりもしている。返した紙は新しい紙に変わり、次から次へと人が寄って来る。


「まさかと思うけど、ぼくはみんなの前で着替えなきゃいけないのかな?」


「いつもそうしてるじゃない」


「あれは有事だからだよ。シナギは知らないかもしれないけど、ぼくは平時だったら一人で着替えてるんだ」


 ふふ、と笑った。眉間にいつもある皺がスルッと無くなる。黒鉛のペンを走らせたまま、シナギはこちらを見た。


「じゃあ、ここまでにするわ」


 シナギがそう言うと、横でヤキモキしていた彼女の秘書官が間に入ってくる。


「そこの部屋で着替えてください。汚れた衣服は麻袋に入れてもらえると助かります。あとディグナー隊長がお呼びです」


「了解」


「さあ、シナギ准尉、会議が始まりますよ!」


 シナギの左胸には勲章が三つある。すべて彼女が研究で出した成果で得たものだ。ここで働く研究員たちは便宜上、軍部に属している。二十五にも満たない、下士官の最たる准尉は彼女しかいない。

 十も歳が違うのに、いつの間にか見た目は逆転した。


「シナギと来年結婚するだよ」


 舌足らずの腰より低い背の頃から孤児院でシナギはテントウ虫の付いた花をそっと手折り、ヨダカにそう言ってきた。

 そんな過去はもう存在しないのかもしれない。

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