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29、落日のはじまり(5)



 討伐隊結成から十日目の朝方。バーチは警鐘で目が覚めた。


 装具を纏うと、ボーガネン大佐の采配で領の区別なく所定の飛空機に乗り込んだ。バーチは次発を任されている。触手はメユウ准尉たち三人がサーベルで請け負う。


 僚機から先発が降下すると、バーチも空へ飛び込む。指定の高度は八十メートル。母体の背丈は通常の倍、二百はある。触手もその分、長いし太い。そんな低い高度では触手に叩き落とされるのではと思ったが、サリエ隊ニーナ准尉とロロマリー准尉は太い触手を両側から縦に割いて、横に回転して切断していく。メユウ准尉はそれを一人でやっていた。


 それが五本終わると、空中で待機していた先発のゴルグランド兵ガスト准尉が突っ込んで行く。バーチもそれに追尾する。キルクルスに近付くと、上へ伸ばされた触手はバーチたちを捕らえた檻のように囲っていた。メユウ准尉たちが切り拓いた箇所だけぽっかりと空いている。その場所を目指す。


 頭の中まで揺らす耳鳴りは、青黒い上部円盤にいるサリエ大尉に向けられているのだろう。触手もそこへ伸ばされている。降下の際に見たが、彼女は樽のような物を背負い、管を上皮に突き刺していた。引き抜くと炎が上がったので、おそらく火炎系の魔導術と組み合わせた兵器だ。


 はじめて見る母体には、進行方向の軸の根本に雌器官(しきかん)と言う、赤黒い大きなカボチャがいくつも付いていた。キルクルスの卵だ。しかし産卵期はとっくに終わっている。空の卵だ。


 ガスト准尉は怯むことなく進み、指定箇所の左下部目測五十メートルの位置に高度を下げ、上にいるバーチに叫ぶ。


「次発、十秒後に発射せよ!」


 バーチは二の腕のレバーを中火砲の位置に設定し、火砲に備える。他はみな強火砲だが、バーチたちはこの後は救護の役目がある。


 ガスト准尉はレモンのような鮮やかな黄色い火砲を放った。左の心部が焦げ付くと、グググ、と軸が引き締まる。


 バーチは引き金を引く。撃鉄の針が二の腕の血管を裂く。ガスト准尉が浮上するのを見ながら、ドクドクと籠手に血が溜まっていくのを感じる。これから人間の温もりとなっている液体をこの化け物にぶつけるのだ。お前の子供の心臓を抉って得たキルクロピュルスもだ。なんて残酷なんだろうな、とバーチは母体に同情する。きっと上手く生きられた時代があった。しかし今はもう金になるしかない。


 籠手の中の魔語が扇風の魔導術を引き起こす。ハモネイの扇風の魔導術師は鳥を主食にするほどよく食べる。扇風で鳥を落とす、鳥風狩(ハンウィル)というストラ島原住民の口伝を歌う。今も海岸に敷布を引いて寝転びそれを口ずさんでいるだろう。風を感じる鳥狩は風に斬られて死ぬのだから、やがて空に溶ける風になる。そんな歌だ。良い風でこの血を叩きつけてくれ、と火砲を放つ。螺旋を描く風が血の蒸発ではっきりと見えた。濃い黄色が眼前を照らし、心部に直進する。

 心部の骨が溶けるのを見て、隣に来たガスト准尉は言う。


「元々の背が高いのは羨ましい限りです。俺の強火砲くらいありますよ」


 それからは海に浮かぶ艀で火砲が順に放たれるのを見た。

 ヨダカ中尉は海岸で、エレノカ准尉は上空で待機し、臨機に備えている。

 しかし二人に頼らずに、オヴィット隊長が十三発目、キルクルスを甲高く鳴かせると、サリエ大尉が得意の至近距離火砲で見事トドメを刺し、十一人目の母体撃墜者として、名を残した。


 噴出孔の活性化は最大年数であったが、華麗な終幕であった。上陸無し、というのが燦然と輝く。母体が出れば上陸する。この因果を打ち消したことは、ゴルグランド辺境伯が直々に厚く感謝の意を表し、褒め称えた。


 共連れの一体が浮上せずに東のアロイライに流されたこともあり、討伐隊は達成感に入り浸ることなく即時解散となった。手当を受けると冷却の術布を巻いたまま、皆次なる任地に向かって行く。


 オヴィット隊は警戒域の端を担ったが、別のハモネイ部隊がそれを請け負うことになり、ミルド共闘軍基地へ帰還する運びとなった。


 馬車に乗ろうとするオヴィット隊長の元へヨダカ中尉が挨拶に来た。隊の面々と握手を交わす。いつも無愛想な古参兵すら晴々しい笑顔でそれに応じた。最後にバーチも彼の手を握る。その手は温もりの他に紙があった。

 馬車の中で手で隠して紙を開くと、短い文だった。


 足を変える。男爵だよ。


 思わず立ち上がり、天井に頭を殴打してしまう。微睡んでいたオヴィット隊長が帽子をずらしてギョロリと眼光を光らせる。


「も、申し訳ありません」

「虫がいたんですよ」


 イェグスはそう言ってニヤっと笑い、テントウムシだろ、と小さな声で付け加える。それはヨダカ中尉の意匠だ。こくりと頷く。踵がムズムズする。五年で染み付いたクセを必死で我慢するが、トントンと座りながら鳴らしてしまう。


 足の装具はゴルグランドの発明だ。共闘軍は器械面で把手(グリップ)が戻らなくなり、海に落ちる事故が頻繁する、として開示を見送っていた。実際戦闘時に何人か転落し、そのうち二人の兵が亡くなっている。


 遅々として進まない改良を放っていたのは、帝国の思惑が大きく関わっているとみて間違いない。猛勢の半世紀前から一転、休戦状態で他国同士の小競り合いに見向きもせずに中立を貫いている中、飛空兵に関する情報は他国を刺激する。しかし小規模な実験的新造部隊で済ませておくつもりはないようだ。戦火が上がるのかもしれない、と上着の上から、ポケットに入れたペンダントと指輪を握り締める。


 戦争など愚かだ。キルクルスを倒すようにはいかない。相手は感情があり、それを表現し、悲鳴は言葉を成す。それを焼き払って得られるのは憎しみだけだろう。


 それでも彼が行くのなら、是が非でもついて行く。そう思って紙を櫛入れにしまった。宝物が増えたポケットを撫でる。たとえ彼がいる場所が地獄でも構わない。


 十日後、アンジトックがキルクルスの上陸によって壊滅したことを聞くまで、バーチはこの島も地獄だということを忘れていた。


「七日前、ゴルグランドから流れたキルクルスがアンジトックに上陸した。海から二キロの位置で何とか止めたが、辺りは瓦礫の山だ」


 オヴィット隊長の執務室に集まった隊員は静まり返った。


「援護に出たゼオ隊、警戒していたダナン隊も駆け付けたが、十二名のうち半分死んだ。ゼオ隊長もだ。残りも両腕が溶けてない」


 イェグスに肘で突かれ、はっと顔を上げる。ドクドクと鳴る心臓、浅くなる息、部屋を飛び出したい衝動で頭がいっぱいだ。しかし頭に渦巻く最悪の予測を振り切る。あのヨダカ中尉だ。恵まれた巨躯で乗り切ったに違いない。


「母体じゃなくて、普通のキルクルスなんですよね? 何で上陸したんすか?」


 同隊の古参がそう聞くと、隊長は葉巻の煙を天井に吐き出す。


「俺にはわからん。ヨダカ中尉もいるというのにな。ただ海で殺すより、陸で殺す方が遥かに難しい。軸に巻き付けた触手は水抜きされ、時間が経つと硬化していく。まるで骨みたいにな。それが重なって、割っても割っても心部に届かない。関節を狙うにしても海と違って的は大きく動く。横に転がり、跳ねる。あの巨体が跳ねるんだ。地響きで馬も人も逃げ惑う。やがて青黒い傘の上皮が乾いて捲れる。あの下見たことあるか? デカい口になってるんだ。その中から新たな口腕が伸びて来る」


 隊長には珍しく饒舌に語った。しかしその表情は彼を見た中で一番鬱々たるものだった。


「他に死んだ奴っているんですか?」


 そうイェグスが聞くと、オヴィット隊長は手元の書簡を眺める。


「ゴルグランドでは三人。アロイライは二人……全滅か」

 

 身体が勝手に部屋から飛び出た。イェグスが何事か言っているが、遠ざかり聞こえない。馬車に乗ると邪魔だと言われる足が、あっという間に隊舎から外へ出してくれた。


 五分もあれば、基地を抜けられる。隊舎の北、厩の屋根を伝って飛べば、塀を乗り越えられる。あの厩を見るたびに自分が間者ならばあそこから出入りするだろう、と思っていた。歩哨をやり過ごすと、馬車犬の小屋によじ登る。犬たちが異変を察知して吠え始めたが、構わずに厩の屋根を這い上がり、塀に飛ぶ。


「だ、脱走兵!」


 塀の上から見下ろすと、外を巡回する兵士が叫んだ。飛び降りると、慣れない仕事に頭が回らない二人の兵士の横をすり抜ける。


 ミルドは二つの領の境にある。一旦近いゴルグランドを経由して、アロイライに入るつもりだ。飛空兵が脱走したなど大失態だ。それを保身しか考えない少佐たちが他領に簡単に告げるとは思えない。


 馬車道から逸れた道を進むと、野菜を積んだ荷馬車の農夫に声をかけられた。ゴルグランドに行った婚約者が急死したと言うと、必死さの滲んだ顔と相まって荷馬車に乗せてくれた。休みがてらそれで距離を稼ぎ、集落からまた走り出す。


 領境の検問で待ち構えていたのは、装甲したオヴィット大尉と騎兵隊だった。

 離れた木立からそれを確認すると、魔導術師が声を上げた。足元を見ると、踏んでいる葉が光っている。擬装された術布だ。


 森を強行する。小枝が頬に当たり、血が出てしまう。じわじわと傷が広がっていく。目はだめ、と傷を抑えるが、掌ごとゆっくりと溶けていく。お願い、目は残して、と願っていると、後ろから追って来た兵士が、冷却の術箱をバーチに投げつけた。背に当たると、冷気が背中を支配する。


 膝を付いた地面には、黄色い花の蕾があった。木立からは夕暮れを知らせる山吹色の光が降り注ぐ。いつかバーチと夕陽が見たい、と言った声が頭に響く。アンジトックには春の終わりに咲く、黄色い花畑があるんだ。そこでいつか夕陽を見よう。


 徐々に動かなくなっていく身体に、涙が流れる。何故、涙は爆発しないのだろう。キルクロピュルスは涙を流せば、悲しみを乗り越えられると示唆しているのか。


 まだ何も伝えていない。彼を前にすると、上手く言葉にできない。踵をトントンとするだけだ。手紙に書こうとするが、彼の名前すら書けない。少々狂うほど慕っている。そんな自分が、この悲しみを乗り越えられると言うのか。そうならばキルクロピュルス。お前は虫ケラだ。


 ああ、でも、とバーチは動かなくなる肢体を見つめて再度願う。彼と出逢わせてくれた。お願い、とバーチは胸元に潜ませたペンダントと指輪を触ろうとするが、冷却布によって捕縛される。


 馬車道に引き摺り出されたバーチを、鎧で固めたオヴィット隊長は見下ろす。


「イェグスがごちゃごちゃ言ってたが、上物の葡萄酒で口止めしてるのか? あんな高級品を酒場で売るなど、おかしいとは思ったんだ」

「イ、イェグスは関係ありません」

「おい、俺が気付いてないとでも思ったか? 夜に眠れない奴は昼間に居眠りするんだ。それでもお前が故郷を裏切るとは思えない。俺が知らないだけで、ルーエン少佐が指示したことやもしれんと思ったくらいだ。しかし、今やギールルの丘に泥を撒く脱走兵になるとはな」


 ギールルと聞いて、今更ぞっとした。頭に微塵も浮かばなかった。自分がどれだけ狭窄な思考に囚われていたか、思い知る。


「ただの死体に会いに行くために、処刑されるなんて本当に面倒くさい奴だ。何か言い遺すことは?」

「も……申し訳ありません」


 オヴィット隊長は舌打ちをして、騎兵や魔導術師たちを遠ざける。バーチを引きずり、道の端に置く。接地離陸で飛び上がると、スルスルと真上に上がって行く。

 バーチは彼のくれたペンダントを一度くらい付ければ良かった、と目を閉じる。


 

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