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27、落日のはじまり(3)



 彼は逢瀬の二日目にして、バーチの欲しい言葉を全て言ってくれた。

 高過ぎる背も、目つきの悪い様も、物珍しい瞳も、階級に囚われている野心も、丁寧に褒めてくれた。

 鉱石の硬さや色、その謂れの挿話を織り交ぜて、バーチになぞらえた。彼は鋼石に関して博識で、情熱的だった。彼が熱心に語る様を見るだけで、心が満たされる。


 最後の夜にはペンダントまでくれた。オレンジ色の石が菱形にカットされ、透かし彫りの金の台座に埋め込まれている。


「これを少尉がお造りになったんですか?」

「元々、金物屋の見習いでね。宝飾細工は仕事じゃなかったけど、親方の趣味でさ。抜群に上手くて、憧れて今でもやってるんだ。こういうのは好きじゃなかった?」

「いえ、見事です。これは宝石でしょうか?」

「ああ……、オレンジ色の石がたまたまあってね」

「しかし、こういうものは少尉の瞳の色をくれるのではないでのしょうか」


 言ったそばから、時よ戻れ、とバーチは激しく後悔した。どうしてこのようなことを言ってしまったのか、自分の胸ぐらを掴みたい。瞳の色の宝石を交換するのは貴族がすることだ。今はそんなことよりも、讃歌のように言葉を紡ぐべきだ。贈り物をもらっておきながら、こんな不出来な発言は銃殺に値する、と悶々と自責に駆られる。

 そんなバーチにヨダカ少尉はクスクスと目を細める。


「俺の瞳より、バーチの方が素敵だよ。夕陽を閉じ込めているようだ。鉄も溶かすような、魅力的な色。俺の好きな色なんだ。それじゃ駄目かな?」


 甘言を言われても顔は赤くならない。横たわるベッドに踵を打つ。トントンと、恥じらいは足の流路から流し、キルクロピュルスのように爆発させるイメージでやり過ごす。


「自分にはもったいないくらいです。ありがとうございます」


 これは夢なのだ。明日、少尉が帰還したら終わる夢。

 彼にはエマ大尉やその他にも女がいるだろう。こんな贈り物や睦言が迅速且つ的確に出てくるのは、場数を踏まねばできまい。まさか自分のような穿孔だらけの女一人のわけがない。

 それなのにヨダカ少尉は言う。


「バーチ、きみに逢えて本当に幸せだよ。明日帰るのが我慢ならないくらい、幸せだよ」


 その言葉に礼すら言えない自分を彼は抱き締めてくれる。

 バーチは自分の瞳の色をくれたギールルの丘と、オレンジを好いた母親に感謝した。そして飛空兵にしてくれたキルクロピュルスにも。





「おまえ、それは酒場の女の真似事だぞ」


 援護遠征から帰って来た同室のイェグスは呆れている。お互いの報告がてら、ヨダカ少尉のことを話したのだ。


「少し違うな。おまえだって抱く相手を選ぶだろう? 私もそうしたんだよ」

「それでも、あれはやめとけよ。相当遊んでるらしいぞ」


 やはりそうか、とバーチは思ったが平然と答える。


「都合がいい男じゃないか」

「他所でつくれよ。アロイライの飛空兵だぞ。噂になったら、あの研究所の美人子爵に睨まれないか。夜中にこそこそ会うなんて、間者と間違えられたらどうすんだよ」

「私が今後どハマりして失態に及んだら、ここで知ったお前も道連れだな」

「……それって、遠回しに口止めしてるのか? だとしたら、やり方がえげつないぞ。同室のよしみで言わないでやるけど、もうするなよ」

「そんなこと、わかってる」


 やはり、夢にするべきだ。バーチはそう清算する。

 それにあの五日で胸に籠った熱も痛みも収まった。ヨダカ少尉を見送った後、日常に戻れると安心したほどだ。


 ペンダントを布に包み、トランクの奥底に隠すと、姉宛に手紙を書き始める。長女はハモネイを出て青果商を営む家に嫁いだ。


 暑くなりましたが、サロベナの街でいかがお過ごしでしょうか。

 近々、ゴルグランドへ行きます。その際は短い時間ですが、お会いできるかもしれません。姉様にご足労頂くことになりますが、ご都合の良い日柄があれば、ご検討下さい。来月の二十日から月終わりまでです。

 追ってまた連絡します。


 短い手紙を折り畳む。

 そしてバーチは姉よりも早く、ヨダカ少尉と再会した。


 ゴルグランド領は新造部隊の練度が上がるまで、ヨダカ少尉に短期派兵を依頼していた。性格は紳士的且つ温厚、社交的。そして火力は一部隊を担える。飛空兵を指揮する大佐が指名したという。


 初日、彼の闘う様を見た。

 少尉は海に張り出して作られた射出場から飛び降りると、海面ギリギリで足の流路を開き、飛沫を上げながらキルクルスに向かう。


 キルクルスの軸が伸びきり、青黒い傘と白い軸の間にある桃色の膨れた濾過器官バチンと弾ける。奴が微痙攣を始めた瞬間、ヨダカ少尉は触手を引き付け、火砲を撃った。黄金色の火砲は海面を抉り、蒸気が一直線に上がる。左から吹いていた風は乱れ、彼に吸い込まれるように流れを変えた。目の良いイェグスが浮標を数えると、撃った場所は目標より二百メートル手前だと言う。その距離でもキルクルスの下部はほとんど残っておらず、根本を断たれた体は後ろに倒れ込む。


 ヨダカ少尉は射出場に上がってくると、冷却の措置を受け、悠々と歩いて医務室まで向かって行った。


「俺たち来る意味あるか?」


 鎧を脱ぐイェグスが呟くと、オヴィット隊長は微かに笑う。


「たしかに申し分ないな」


 全く褒めることのない隊長の言葉にイェグスと顔を見合わせる。


 その二時間ほど後の夕食時。食堂でヨダカ少尉を見かけてまた驚く。もう出歩けるのか、とオヴィット隊長も怪訝そうに見つめた。


 冷却の術布を腕と脚に巻いたまま、少尉はひたすらに食べていた。食べ終わった食器がどんどん積み上げられるのは、回復中の飛空兵には珍しくない。体質にもよるが、イェグスも同じだ。とにかくよく食べる。キルクルスの餌を作らねばいけないからだ。しかしイェグスも畏怖するくらい、少尉は食べ続けている。


「化け物かよ」

「お前もだろ」


 そう言うと、イェグスは魚のスープに持参した香辛料をドバドバとかける。


「もう会わねえよな?」


 その囁きに軽く頷く。何か言えば、夕陽が沈むのを心待ちにしていたのを気取られそうだ。


 夜が更けると、さんざん止めるイェグスを無視して毎日部屋を抜け出した。彼は二階の将校用の一人部屋で、いつもバーチを迎え入れてくれた。空室を挟んでオヴイット隊長がいるというのに、全く恐怖は無かった。


 食堂で会っても会話などしないのに、ふとしたときには目が合った。その度に踵をトントンと打つ。


 姉と会える時間があり、髪に艶があるわ、と褒められた。送ってもらった櫛のおかげだと礼を言う。土産に何本か良い葡萄酒をもらったので、一番上等な物以外は、全てイェグスにやった。彼は受け取ったが、遠征三日目から口を利かない。


 隊長に告げ口するかもしれない。それならそれでいい。今自分を止める手立ては、それくらいしかない。少尉の派兵はバーチたちの帰還とともに終わる。今度こそ逢うのは稀になるだろう。それまでに少しでも彼を覚えておきたい。


 しかし最後の夜、ヨダカ少尉はほとんど喋らず、バーチに触れようともしなかった。部屋に入れば真っ先に抱きしめてもらえる身体は寒気がした。


 冷静に考えると、これだけ連日押しかければ頭がおかしい女だと思われても仕方ない。幸いキルクルスは初日の一匹だけだが、夜半に警報が鳴らないとは限らない。ここはミルドのように内陸ではなく、キルクルスの出る海なのだ。さあっとバーチは頭が白くなる。至らない点が多過ぎて、逃げ出したくなる。


 椅子を勧められて座ると、ヨダカ少尉は目の前にゆっくりと膝を付いて屈んだ。いつも笑ってくれるのに、眉間に皺が寄っている。口も強張って、言葉を選んでいるようだ。荷造り中の開いたトランクが目に入る。もう逢えないのは仕方ない。でも最後に崖から突き落とされるような別れ方は嫌だ、と俯く。


「嫌なら、すぐに外してくれ」


 少尉はそう言うと、バーチの左手を取り薬指に銀色の指輪を嵌めた。


「あと五年したら、男爵をもらえる話があるんだ。詳しくは言えないけど、フィオリ大佐が俺を推してくれてる。今、彼女の出す課題をこなしているんだ。ゴルグランドと折り合いが付けば足の装具を同じにするし、たぶん背ももう少し伸ばす。そういうのが全部終わって男爵になれたら、佐官にも昇進出来るかもしれない」

「派兵権限ですか? 私にアロイライに来いと?」


 頭が勝手に言葉を弾き出し、口から飛び出してしまった。なんておこがましいことを。自分を火砲で滅却したい。そう思っていると、ヨダカ少尉の顔がみるみる赤くなってゆく。彼も赤くなるのか、とバーチは注視する。


「うん、君さえ良ければ。俺のそばで……」


 バーチの手が震えている。左手だ。添えられた少尉の手の震えが、バーチに伝わっていた。


「君は……君は、俺のことを都合のいい男としか思っていないのは聞いた。だけど、これが最後になるかもしれないと思ったら、言いたかったんだ。悪い、こんなことに付き合わせて」


 少尉は急いで拭ったが、大人の男が泣くところをはじめて見た。イェグス、火砲の向きはお前だ、と頭に刻む。


 怒りは鮮やかなのに、喜びは上手く上がって来ない。夢と現実の境の壁が上手く壊せない。

 何も言えず、指輪も外さずにいると、ヨダカ少尉は親指で顎を撫で、バーチを覗き込む。


「こ、答えはその、当分先でも、かまわないよ。もちろん、答えなくてもいい。それはバーチの自由だ。こんなこと言ったのは、俺の勝手なんだから。でも俺は、逢えるのがこれで最後にしたくない。その気持ちを、あんな夢見がちな愚策で説明したんだ」

「最良の策かと」

「え?」


 ヨダカ少尉はきょとんとした。口が半開きだ。バーチは今が冬なら、顔から蒸気が出ているだろう。


「バーチ、もう一度言ってくれないか」


 また何も言えなくなる。不服など何もない。それを伝えようとするも、言葉が紡げない。

 すると、彼は薬指から指輪を抜き取ろうとした。


「や、なぜっ⁉︎」


 と思わず彼の腕を思い切り掴む。それでようやく、少尉は抱き締めてくれた。



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