25、落日のはじまり(1)
野太いかけ声と共にドォンという地響きがした。柱でも建てたのだろう。場所は本部の真横だ。連日、木槌や資材を下ろす音がする。背の高いバーチでもさすがに見えない。隊舎の裏から聞こえるのみだ。
ミルド共闘軍基地に将官学院の分院が建設される。そこにあった飛空兵の共同墳墓の石碑は移設された。地中で眠る英雄の上で未来の将校たちが勉学に励むのだ。
隊舎の前で待機を命じられているバーチは、皮肉だな、と隣を見る。
「かったるい」
と同隊のイェグスは言った。
彼は短い黒髪によく日に焼けた肌、赤色の瞳。ストラ島の原住民の特徴をそのまま移し持っている。太めの眉が雄々しく、二重の大きな目でバーチを見る。背はそこそこ高いが、身体付きは細い。しゃがんで煙草を咥えた様は、路地裏の悪ガキにしか見えない。
検問からの連絡で、客人の到着はすぐだとわかっているのに、それを許しているのは木陰の椅子で居眠りしている隊長だ。
「なあ、聞いたか。ゴルグランドのサリエって女、少尉になって隊をもらったらしい。あいつら、すごい装備に変えたってさ」
「ハモネイも仕入れればいいのに」
「仕入れても訓練に出るかよ、あいつら」
イェグスの差し出す火の付いた煙草を一口吸う。
あいつらとは古参兵のことだ。イェグスの視線は後ろのハモネイ飛空兵の拠点である隊舎に向けられている。
藍色の石を積んだ土台に、キルクルスの骨の柱、骨粉を混ぜた白い塗壁。一階部分は所々黒くなり欠けている。喧嘩は外でやれ、と言われて本当に外でやった名残だ。酸素の追加は無いとは言え、キルクロピュルスの爆発は起こる。鼻から出た血で唇が無くなっても、頭をぶつけて髪や頭皮が無くなっても、鉱夫や猟師あがりの粗野な連中のクセは抜けない。
空に煙を吐きながらイェグスは続ける。
「しかもその装備、真冬の海で訓練しないと飛べないんだとよ」
「それは誰も参加しないな」
そう言ってバーチは笑った。
平時の体温が低い飛空兵にとって冬は厄介だ。三日連続で眠りこける者もいる。起こしに来た魔導術師を殴るような奴らが、冬の海に訓練で行くはずがない。
そのくせ将官学院設立の知らせが出回ると、多くの飛空兵が机を蹴り、至る所で騒ぎを起こし、上官の部屋の扉を叩き、説明を求めた。
飛空兵は基本、准尉か飛空兵生という階級しかない。下士官に当たるが、将校と比べれば給金も待遇も差が激しい。将官生はキルクルスを倒したこともないのに、卒業するだけで少尉補から始まるのだ。
バーチは特に不服とは思わない。飛空兵のほとんどは鉱夫や猟師、農民だった者たちだ。しかし叩き上げでも尉官になっている。気質だ。根が軍人かそうでないか。ハモネイではそこに居眠りは含まれないが、文字の読み書きすら放り捨てた者に務まらないのはわかる。
しかし口は付いているから文句はいっぱしで、出撃態勢に入れば塵芥も残さない火砲を出せる。そしてその向きは個人が決められる。
騒ぎが大きくなると、飛空兵をまとめるルーエン・ハモネイ少佐は窮し、本土への徴兵を視野に入れたことだと吐露した。
「そのときは将官学院出の飛空兵が帝国軍に編成され、本土で隊を作る」
それでだいたいの者が大人しくなった。島を出るのに興味がないか、向こうで訛りのある田舎者と馬鹿にされたくないか。一部は嬉々として、どうしたら本土に行けるか、さらに上官に詰め寄った。
バーチはどちらでもない。行けと言われたら行くだろう。どちらにせよ、ゆくゆくは自分の隊は持ちたいと思っている。
「かったるいな」
とイェグスは繰り返した。
「なんで俺たちが客人の出迎えしないといけねえんだよ」
「他の四隊が留守だからだ」
「それでも飛空兵がやることかね」
同隊の他の三人は近くの酒場だ。他隊がいない今、手厚くもてなされているだろう。序列の低いイェグスとバーチが隊長の有無を言わさない命令でここにいる。
「こんなことするなら、家の薬屋を継げば良かった。鼠取りの毒薬作ってた方がマシだ。おまえもオレンジ獲ってた方が良かったろ?」
「それはない」
と短く答える。故郷に残っても、よく知りもしない男の元へ嫁に出されるだけだ。それよりはマシだ。
「お、伝令じゃないか、この音。蹄だぞ。一頭だけだ」
イェグスは耳に手を当てて言った。バーチの聴力ではまだわからない。数秒後に、左から駆けて来る馬が現れた。イェグスは口笛を吹いて立ち上がり、歓迎する。
木陰にいるオヴィット大尉も眠たげな顔を上げ、騎兵から言伝を聞く。それから億劫そうに椅子から立ち上がった。
細身なのに不自然なくらい高い背は、四度の骨の交換で実現したという。ちょこんと乗っている顔は、落ち窪んだ灰色の目と痩せこけた頬が顔色の悪さを増している。齢六十、身体は二十三歳。初期兵の生き残りであり、ストラ島の飛空兵最古参だ。亡霊のように、ゆらりゆらりとこちらに歩み寄り、遠征だ、と言った。彼ほど低い声の人間をバーチは他に知らない。
「悪いが、バーチ一人で頼めるか? アロイライ領が追加で要員を寄越して欲しいとのことだ。兆候がアンジトック出ている。客を部屋に案内したら武官と合流するし、それまではお前一人でやれるな?」
バーチは舌打ちを頭の中で響かせる。
「承知しました」
「くれぐれも目を離すな。エマ大尉は魔導術師でもある。今日より当直は夜間の御用聞きと見張りだ。不審な行動があれば、ルーエン少佐に報告しろ」
「承知しました」
「そんなことを飛空兵にさせるんですか?」
イェグスがそう聞くと、オヴィット大尉は欠伸をした。
「昼間は武官に任せているが、相手は男爵の大尉で女だ。しかも副官を付けてない。用があれば本人が出て来る。夜でもちょっとは良い家の奴を付けないと、失礼があったら困るだろ」
「なるほど。ギールルの豪農のお嬢様は適任ですね」
何が適任だ、とバーチはイェグスを睨むが、彼は素知らぬ顔だ。
「では頼むぞ」
オヴィット大尉は口を斜めにして、肩をすくめる。それが彼なりの謝罪だ。護衛を二人残して遠ざかって行く。その道の向こうに、客を乗せた馬車が見え始めた。イェグスの捨てた煙草の火種を足で踏み消し、握り拳を解いて馬車へ敬礼する。
バーチは十五で徴兵されたが、骨は三年後に替え、本隊に入るまでさらに四年かかった。潤沢な飛空兵を誇るハモネイ辺境伯軍では、新参者が入る隙は狭い。怪我人の補填で任務に呼ばれるしかなく、それを繰り返した。そして女に誑かされて装備を盗もうとした奴の欠員で、正規の本隊員になったのだ。罪人を火砲で処刑したオヴィット大尉は、面倒事を一度も起こしていない奴、という条件を出し、それはバーチしかいなかった。
他の領なら一年経てば准尉に上がるが、そんな話は微塵も出てこない。上の荒くれ者たちに飛空兵生がいる以上、バーチやイェグスの階級は上がらない。
将校たちは命を脅かす火砲によって真っ当な評価をせず、誰もが納得する武勲しか、上にあがる手立てはない。功績が必要なのは当たり前だが、これは戦争でも紛争でも無く、四十年続く魔獣討伐なのだ。決まった作戦を繰り返し行うその中で、誰もが納得する武勲などそうそう無い。浮上予測を掻い潜って現れた母体を単独撃墜するような鮮烈さが必要だろう。
しかし今から迎える二人はアロイライ辺境伯の保証によって、共闘軍で尉官を任命された。書面だけのやり取りで帝国軍でも通用するというのに、将官学院設立を受けて短期の将校教育を受けたいと願い出たという。
大方、数日前に着任した帝国軍人たちへ顔を売りに来たのだろう。将官学院長に就任する少将も、精鋭兵士を見たいと快く了承した。
本部の裏にはハモネイ飛空兵がいるのに、土産に酒も無いなんて、と馬鹿な古参兵が言ったのをたまたま聞いたらしい。ルーエン少佐が平謝りしたという噂に笑っているハモネイ兵の評判はすでに地の底だ。
それは今後、さらに昇級を難しくさせるだろう。便宜上分けられているだけで、共闘軍は帝国のものだ。本流にいる少将閣下が、共闘軍本部の真隣に腰を据える。人格は知らないが、運が悪ければ人事に好きなだけ茶々を入れるだろう。
ああ、たしかにかったるいな、とバーチは馬車の扉が開く前に舌打ちをしておく。
艶のある黒い馬車は壁面にアロイライ辺境伯軍の鷲の紋章が金色で記されている。護衛の兵士が扉を開けると、二人の金ボタンの将校が降りて来る。
「宿舎までご案内致します。ハモネイ辺境伯軍オヴィット隊バーチ飛空兵生です。オヴィット大尉は援護遠征の為、僭越ながら私が務めさせて頂きます」
銀髪銀眼の小柄な女性兵士が目の前に立った。
初見ではあるが、有名な兵士だ。魔導術の才もあり、扇風の術を自らできる、完結の兵士。その功績で男爵となった。
「アロイライ辺境伯軍飛空兵エマ・フィオリ大尉です。出迎え感謝します」
彼女は白い手袋をした手をバーチに差し向ける。
尖った顎と吊り上がり気味の大きな目が、白狐を彷彿とさせた。貴族というのに、身支度はまったく手間をかけていない。肩につく銀髪は適当に切ったのであろう。不揃いな前髪に、襟足は左右で違う長さ。寝癖もそのままだ。上着のボタンの掛け違いを何故誰も指摘しないのか。
「バーチ殿、あなた変わった目の色ですね。魔導術を使えるのですか?」
やはり聞かれるか、と彼女の手を握る。魔導術師なら十割が聞く質問だ。何度も言った答えを言う。
「いいえ。試しましたがうんともすんとも言わず、自分自身の興味も湧きませんでした。家がオレンジ農家ですから、私の目はオレンジ色になったと言われています」
「なるほど。納得しました」
母の好む果実は子の瞳に宿る、という古くからある魔導術師の言い伝えだ。しかし葡萄を欲してはいけない、と続く。それは神から与えられるものだ、と。
「オレンジなんですね。俺は夕焼けかと思いましたよ。陽が沈むときの綺麗な時間を思い出しました。とても美しい瞳です」
夕焼け。はじめて言われた。いや祖父が言ってたか、とバーチは思い返す。朝日よりも、明日を約束するような夕陽色だな、と馬に乗せてもらいながら聞いた記憶がよぎる。
「ああ、自己紹介もせずに失礼しました。同じく飛空兵ヨダカ少尉です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
これが最近噂の飛空兵か、とバーチは傾倒し握手を交わす。
百七十八ある自分よりも背が高い。百八十はゆうに超えているだろう。体は一般兵のように厚みがある。ハモネイでもこんな素晴らしい体躯の兵はいない。単独撃墜しても翌日には復帰し、火砲の威力は歴代でも類がないほど強力だという。この体格の良さを見れば、それも納得だ。
熊のような男だと、隊の男たちは言っていたが、ただのやっかみだろう。精悍な顔立ちだが、目を細めると柔和な雰囲気になる。実際の歳は二十五、六と聞いているが、口調は穏やかで、若い将校特有のギラついた雰囲気はない。
黒髪に濃い茶色の瞳。東国からの移民者の血を引く者だ。名前の響きもそれに近い。だとしたらアンジトックの出身か。簡素な味付けの物を好むかもしれない。彼らの食事を担当するのはハモネイの炊事兵だ。故郷の料理は少々香辛料が効いている。伝えておかねば。
瞬間的に駆け巡る考えに、バーチははっとした。ニヤリと笑うエマ大尉と目が合う。
「バーチ殿、気を付けなさい。こいつは完全なる女たらしだよ」
「エマ大尉、初対面の女性にそれはないのでは? 人聞きが悪いですよ」
慌てて言ったヨダカ少尉を彼女は鼻で笑った。
「君は上品ぶってるだけじゃないか。女に飢えたそこらの軍人と変わらない」
「……半分は認めますよ。でも綺麗なものを褒めることを勧めたのは大尉です」
「他人に責任を負わせるなんて、いただけないなあ。そもそも瞳を誉めそやすなんて、口説きの常套句だ。初対面の軍人の挨拶としては突飛すぎると思わないのかい?」
「……申し訳ありません」
ヨダカ少尉は気まずそうに綺麗な形の顎を親指で撫でた。無精髭だらけの兵士ばかり見てきたが、つるりと手入れされている。飛空兵の髭剃りは許可がいる。刃を顔に当てるのは、怪我の危険があるからだ。毎日しているのだろうか、と物珍しそうに見てしまう。ふと視線を上げると少尉と目が合った。申し訳なさそうに眉を垂らす。
「バーチ殿、気を悪くさせました。申し訳ありません」
「いえ、そんなことはありません。お部屋へご案内いたします。隣の建屋です」
平然と歩を踏み出すバーチだが、叶うことなら心を落ち着けたかった。よくわからない。なぜかヨダカ少尉に注視してしまう。なぜか握手した手が熱くなってくる。その熱が胸に届き籠る。この理由を、しかと考える時間が欲しかった。




