24、帰巣する雛たち(9)
イルビリアは母体のキルクロピュルスを与えられている。だから候補生たちを惹きつける。
タキオン兄妹の妹、ヌノランの様子を思い出した。ヨダカが話しかけると、兄の後ろにぴったりとくっ付いていた。しかし今朝はイルビリアの胸に抱かれ、すやすやと眠っていた。
「……それが本当なら、さすがストラ島だな」
そう言ったが、ヨダカにその症状はない。それについて考察する間もなく、ユナックは続ける。
「それでもう一つ、よろしいでしょうか」
そっちの方が本題か、とユナックの額から滲んだ汗を見る。この推測よりも酷い話があるというのか。
「記憶が無くなる件です」
「それはアーザック中尉から聞いただろう? 全力で撃って、意識のないまま冷却されると記憶が無くなる」
「はい。思い出した経緯をお伝えしたいんです」
「養育権利書のことか?」
「それはそうなんですが。そもそも退院した日、療養院の食堂でバーチ大尉とお話しする機会があったんです。今思えば不思議な話し方でした。あんなことがあっただろう? そういえばあの時はどうだったっけ? とほとんど大尉は質問のような喋り方をするんです」
ヨダカはエレノカと食事に行ったときを思い出す。同じことをされた。彼女は装備の話になると料理が冷めるのも気にせず語るのに、昔話をしようと努めていた。
「その時は気にならなかったんですが、その日の夕方にサリエ少佐から後見人という単語を聞いたんです。それで、その……導かれるように……」
「ぼくのトランクは落としたんじゃないのか?」
「……故意に開けました。申し訳ありません」
信頼関係がなければ共同生活などできない軍部で荷物漁りなど、普段のユナックがするはずもない。それだけ切羽詰まったのか。
「で、今の話を聞く限り、サリエ少佐とバーチが他領同士であるにも関わらず連携をとっていて、きみが何を忘却したのか、探り当てたように感じるけど、言いたいことはそれか?」
「はい」
あの守銭奴は本当に節操がないな、と舌打ちする。貴族と結婚したサリエ少佐に擦り寄って、バーチは小遣い稼ぎでも始めたのか。
しかし昔馴染みのサリエ少佐ならユナックは自分に話すとわかっているだろう。加えてエレノカを使い、ヨダカにも同じことをしている。面倒なことをぞんざいにひけらかして、何が目的だ。
「ぼくらは絶対に関わるべきじゃない。この事をディグナー隊長に伝えるしかない」
「それはやめてください!」
「なぜ?」
「僕は本当のことが知りたいんです。イルビリアを完成させるために、きっと僕の記憶は故意に消されたんです」
「故意に?」
そう聞き返したが、ユナックは堰き止めていた涙を溢すだけだ。
「あの日の記憶はあるんです。手を繋いでいたのも覚えているのに、あなたの姿がないんです」
「……つまり、ぼくが君にとっての親だという事実が無くなったのか?」
こくこくとユナックは頷く。
「十歳の僕は漠然とした孤独と不幸を知りました。世間の風当たりを考えるようになったんです。逃げ込む家のない孤児は過酷な仕事に就かされます。故郷のビスガットは少なくともそうでした。夜、眠れなくなるくらい将来が怖くなりました。親が欲しいと、切実に願いました。黒紙検査に通りましたが、僕の根にある不安を拭ったのはあなたです。誰かの子供となる願いを叶えてくれたのはあなたなんです。なのに、それを忘れたんです」
ユナックは咽び、顔を下げた。ボタボタと涙が軍服のズボンに吸い込まれる。
「その気持ちは、今、イルビリアへ向かっている気がするんです」
ユナックの言いたいことはわかる。しかし、今そんなことは聞きたくなかった、とヨダカも項垂れる。
もし、イルビリアが自分たちにとって母体になるならば、記憶はとても邪魔だ。
無償の愛を知って育ったアデルたちは、懐かしい心地良さに抗えず、毎夜集まっているのか。
孤児であり、十歳で養子となったユナックは、養育権利書を書いたヨダカを親としていた。それが不都合であるから、記憶を消されたのか。
キルクロピュルス。
あの極小の虫は何が目的なのだ。飛空兵の時を止め、記憶を消し、何を求めている。
それを利用して研究所は何をしようとしているのだ。探りを入れる輩は何を勘付いているのだ。
しかし、ヨダカは候補生とは違う。イルビリアに惹かれない。では自分は何か別のことをされているのか。
そう考えてシナギの顔が頭に浮かぶ。何か別のことをされているにせよ、自分も重要なことを忘れているかもしれない。それを彼女は知っているのだろうか。ユナックが忘れて咽び泣くようなことを、自分も手放しているのだろうか。
……いや、すべて推測だ。今はそんなことを考える余裕はない。辺境伯が二人も揃う調停があるのだ。アルバロたち武官が寝る間も惜しんで固めた質疑応答を無駄にはできない。
「ユナック、ぼくはハモネイとの調停に行かないといけない。それは絶対に行かないと駄目なんだ。君はここで話したことは他言するな。ぼくもそうする。夜にまた話そう」
「もう少しだけ、お願いします」
「いや、後にしてくれ」
制帽を持って扉に行く。今からアロイライ辺境伯やフィオリ大佐、ディグナー隊長と会うのだ。これ以上、前もって狼狽えるなどできない。
「大尉はイルビリアを何とも思っていないんですよね? でもイルビリアは大尉と露店市に行くと言っていますよ!」
足が止まる。嘘だろ、とユナックを振り返る。しかし彼の顔は真剣そのものだった。
数日前のしてもいない約束が、決定事項になっている。
露店市に一緒に行くお約束はどうしましょうか?
もしも、あれが異性を誘った言葉ならば、自分は母体にどう見られているのだろう。それが何か別のことだというのか。
足元から駆け上がる寒気に襲われた。身が持ちそうもない。ヨダカは懐中時計を見る。外は暖かいし、歩いて気持ちを落ち着けよう。大丈夫だ、こんな酷い話があるはずない。自分は充分、酷い目に遭ったのだから。
そこではたと気付く。気遣いの優れたユナックがなぜ、今ここに来たのか。
「きみは……どうしてこんな時にこんな話をしたんだ?」
「……バーチ大尉とお会いするからです」
「何だよ、最初に戻るつもりか?」
彼はすっと息を吸い込むと、今日何度目かの覚悟を決めた。
「僕は知りたいんです。研究所の方々が教えてくれないことを知っておきたいんです。ここで永遠に生活するにしても、これから自分がどうなるのか、知る権利はあると思っています。キルクルスの親子ごっこを自分たちにさせて、次は触手でも生えるのか、皮膚が青黒くなるのか。それなら、そうと教えて欲しい。しかしどう足掻いても、教えてくれるとは思えない」
「だからって、なんでバーチ大尉が話に出てくるんだ? サリエ少佐と何を探っているのか、聞けって言うのか? 今から調停でやり合うんだぞ」
「調停での意見を変更すれば、教えてもらえるはずです」
「なんだと?」
思わずユナックの胸ぐらを掴んだ。言葉よりも先に身体が動いてしまう。挑発に乗らないでください、遠くでアルバロの声がした。
「すいません。教官をしているメユウ准尉からの言伝で、サリエ少佐から話を持ちかけられました。でもイルビリアのことは何も言っていません。ただ、記憶が無くなることについて、教えられることがあると、仰って。それで、ヨダカ大尉に相談するなら、今日の昼に言えと……」
「どうして、それをそのまま実行するんだよ⁉︎」
ぎゅっとユナックは目を瞑り、顎を引いた。ビスガット孤児院から連れ出した日、彼を風呂に入れると、脇腹に大きな痣があった。薪の数が少なくて殴られました、と平然と笑っていた。そんなこと今は関係ない、と思っても掴んだ手は緩んだ。
「調停で意見を変えるなんて、できない」
「今を逃せば、もう聞けないかもしれません」
「できない。イルビリアと母体の関係を引き合いにして、きみが聞けばいい」
「他のことは条件にしてもらえませんでした」
「じゃあ諦めてくれ」
「……大尉は何を忘れたのか、わからないんですよね?」
「何だよ、その口ぶり。まさか知ってるのか?」
「はい。あなたと一緒に方々行きましたから、思い当たっています」
ユナックはポケットから埃を払うブラシを出して、ヨダカの軍服を撫でた。ブラシは彼がはじめて欲しがった物だ。他の物でもいいんだよ、と言っても物をねだったのは後にも先にも、そのブラシだけだ。だから彼の名前と好きな動物を彫刻した。
「五年前、大尉は故郷のアンジトックで全力で撃ちました。そのひと月ほど前、ゴルグランド領でキルクルスの母体討伐隊が結成され、歓迎の宴がありました。冬です。僕も連れて行ってもらいました。焚き火の周りにテーブルを置いて、祭りのように料理が並んでいて、それを食べていると、サリエ隊の女性に捕まりました。あなたはそれを遠巻きに見ていました。横には背が高い女性がいて、目を細めて仲良くお話ししていました。大尉の顔を見れば、その方に惚れていることは明確でした。十二の僕でもわかるくらいです。だから僕はさんざん揶揄われましたけど、じっと耐えました。それは覚えていますか?」
わからない。だから何も言えない。
「でもアンジトックの戦闘後、大尉はその女性と衝突するようになりました。会うたびに女性は大尉に突っかかって、大尉はしかめ面で煙草を吸って皮肉を言っていました。だから僕はお二人は男女のもつれで仲違いしたんだと思いました。大尉は詮索されるのがお嫌いなので、自分からは聞きませんでしたし、周りの大人たちもそっとしていたので、そうなんだろうと。それに大人の事情だから聞いてはならない、とツタイ技官にも言われました」
「……冗談をいうのは後にしてくれ」
捻り絞ったとしてもバーチと男女の仲など出てこない。
それにバーチと会ったのは大尉になりたての四年前だ。ランプーリの噴出孔が活性化し、最初に援護に来たのが、編成して間もないバーチ隊だった。
お互いの自己紹介のあと、友好的な自分に対して、彼女から飛び出したのは暴言だった。
「飛空兵の大尉で自身の部隊を持っていないのあなただけですが、我がハモネイでは、女顔の玉無し野郎と陰口を叩かれてること、ご報告します。早急に部隊編成に乗り出したほうがよろしいのでは?」
こんな女と仲良くなれるはずがない。しかしユナックはブラシをポケットにしまうだけで、何も訂正しない。
「あとは、お任せします。どうするのかは、大尉がお決めください」
懐中時計の針は確実に進んでいる。身体がザワザワとする。触れてはならない事実に触れるのを予感しているのか、寒気が止まらない。逃げるように部屋を出て、足早に別邸の廊下を進む。歩かなければと思うのに、丘を駆け上がるように辺境伯邸を目指す。
イルビリアやシナギに対する疑問に、バーチすら加わった。何がどうなっているのか、わからない。しかもあのバーチだ。
母体がランプーリへ迫る最中、港がぐちゃぐちゃになってもいいのか、と聞く彼女は笑っていた。そしてあいつはおそらく全力で撃たなかった。仕留めるという約束を反故にし、ペラペラと喋る余裕を残していた。
もしも自分の中のキルクロピュルスがあの女のことを忘れさせたなら、今よりももっと酷い関係だったのだろう。しかしユナックは男女の仲と言う。
走りながらユナックの話を反芻する。
たしかに五年前、ゴルグランド領の母体討伐隊に参加した。もうそろそろだろう、と予測が的確に当たった幸運な母体討伐だった。
その歓迎も何となく覚えている。夜、祭りのように大きな火を焚いていたのも思い出せる。ユナックはサリエ隊に囲まれて赤面していた。自分はそれを眺めながら、酒を飲んでいる。
誰と?
記憶の自分は一人で酒を飲んでいる。いや、それはおかしい。吹き出して笑った記憶がある。じゃあ、隣に誰かいたのだ。一人で笑いはじめるほど、笑い上戸ではない。
アロイライ領にはエマがいたが、彼女は討伐隊には参加していない。ハモネイから派兵されているコクトも居残りだ。ディグナー隊長はゴルグランド辺境伯のもてなしを受けて広場にはいない。魔導術師はシーダーたちが来ていたが、紫目のジョルグを囲んで大いに盛り上がっていた。研究所の技官は数人来ていたが、宴には来ていない。ハモネイ領からは誰が来てたか。顔と名前が一致するのは数名いる。しかし話した記憶はない。彼らはコクトのことを悪く言うので、普段から辟易していたのだ。そしてバーチはいない。
しかしユナックが言ったとおりバーチが来ていたとして、自分の横で一緒に酒を飲んでいたというのか。それで彼女の言ったことに、自分は吹き出して笑ったのか。
全く記憶にない。
やはり一人でユナックを見ながら、酒を飲んでいる。そして楽しくて、吹き出して笑う。
自分が、バーチと?
………………。
たしかにヨダカは四年前、彼女にはじめて会ったとき、バーチの容姿が目に焼き付いた。
背は今の自分と同じくらいにすらりと高く、鷹のような鋭い目、その下には隈があり、今よりももっと薄かった。そして見事なオレンジ色の瞳をしていた。原住民がユユウティカと呼ぶ幻の鉱石を思い起こさせた。それくらい美しい瞳だった。
鉄を熱した色、冬に囲む暖炉の色、山に沈む夕陽の色、海から上がる朝日の色。自分の好むものに色を付けると、多くは彼女の瞳の色となる。
しかし中身は腐った果実を高値で売り付けるような守銭奴で、初対面で下品で失礼なことを言う女だった。
それが五年前なら、笑い合える仲だったというのか。男女の仲になるような……。
息が上がり、額から汗は出てくるというのに、寒気は止まない。辺境伯邸の脇で立ち止まり、膝に手を付く。走ったせいで替えたばかりの骨が軋み、関節が痛い。近くを通る巡回の兵に声を掛けられるが、手を挙げて大丈夫だと示した。彼らが遠くなると、息とともに吐き出す。
「なんなんだよ……!」
煙草を吸っていたことを、酒場の女を、幼少の思い出を、無くても困らないものを忘れるんじゃないのか!
ユナックの推測が全て正しかったら、イルビリアという母体がヨダカを望んでいることになる。自分はそれを受け入れるために、バーチとの記憶を消されたことになる。ユナックのように涙を拭っても溢れてしまうくらい、深く深く自分の心に彼女がいたということになる。
全く記憶にない。
ぐつぐつと怒りが湧き出る。寒気がそれを抑えようとするが、内側から溶かした鉄のように遮るものを燃やして湧き出る。
ユナックの気持ちがようやく理解できた。理知的な彼が自領を売ったのは、怒りを我慢できなかったのだ。
どうして誰も教えてくれないのだ。英雄たる飛空兵と称えているくせに、なぜ。
キラリと丘の上が光った。
魔導銃を肩に担いだ軍人と黒い外套を纏った魔導術師が療養院につながる道を下ってくる。光を反射させたのは銃床の金飾りだ。彼女の飛空兵としての意匠である果実の花が模されているだろう。白婦アカシアに酒樽を預けた礼を言った帰りなのか。
やがてお互いを認識すると、ヨダカはオレンジ色の瞳を睨み付け、顎で着いてこいと脇の細道に入る。薄暗い林の中を進み、屑捨て場の焼却炉まで進む。
後ろの足音が止まるまで、気を落ちけようとするが不可能だった。頭は熱いのに、背筋は氷の粒をいくつも垂らしたようにぞわぞわとする。
二人分の足音は小枝を踏み付ける音を最後に、辺りは虫のざわめきと鳥の囀りのみとなった。
額の汗を拭い、振り返りバーチと顔を見交わす。オレンジ色の瞳に明るい茶色の髪。顔は小さく頬は痩けていて、目の下のクマが酷過ぎて骸のようだ。
こいつはどこまで企んでいたんだ。導火線の先を炙るような、人の古傷をナイフでなぞるような、そんな趣味の悪いことをして、楽しんでいる気がしてならない。今こうなる状況すらこの女が仕向けたことに思える。それならばもういい。くれてやる、とヨダカは口を開く。
「ぼくは調停でバーチ大尉に不都合な意見は言いません」
「はあ? なぜ?」
彼女は拍子抜けするような声を出した。構わずに続ける。それが演技だと見抜けるほど彼女を知らない。
「質問に答えてくれるなら、です」
「ふうん。では質問をどうそ。聞いてから決めるよ」
「五年前のぼくと大尉の関係を知りたい。忘却の件もです。あなたはサリエ少佐の手先なんでしょう?」
バーチは口の端を上げた。さぞ面白いのだろう。手の甲で口元を隠してくつくつと笑い、堪えるように軍靴の踵を地面に打ちつけて鳴らす。
「忘却の件は私からは言えない。サリエ少佐から聞いてくれ。君と私の関係か。気になってくれて嬉しいよ」
「さっさと教えてもらえるか」
「タダで話す女だと思うかい?」
「金がいいんですか? じゃあ手持ちはこれしかない」
ポケットに入れていたシナギに贈るはずだったブローチを投げる。バーチは片手で受け取ると、返ってきた軍品を確かめるかのようにコツコツと指先で叩いた。そして事もあろうか、地面に放り、軍靴の踵で思い切り踏みつける。鉄細工が無惨に折れたブローチを拾い上げ、空色の宝石だけが無傷の様を見ていた。どんな鑑定の仕方だ、とヨダカは言いたいのを我慢する。
「ブローチねえ。これは君が造ったのか?」
「それで価値が下がるほど、安い石は使って——」
いや、なぜ、と言葉が止まる。
なぜバーチはヨダカがブローチを造ったと思ったのだ。たしかに道具があれば簡単な細工はできる。しかしその趣味を教えた覚えはない。それが世間話にあがるほどの間柄じゃない。
ヨダカの様子を見て、バーチは盛大なため息を吐いた。しかしそれは芝居が掛かったもので、状況を楽しむ様子は変わらない。
「私はどうやら口が滑ったようだ。らしくないね。殴り合いだと思って、気が張っていたのかもしれない」
バーチは後ろにいた副官の魔導術師に向けて手を払った。副官の手元の光が消える。魔導銃を肩に担いで殴り合いとは、彼女の考えに自分は及びもつかない。
「私は二度、君に自己紹介をしている。しかし、これ以上は言えない。これは共闘軍に布かれた箝口令なんだよ。アロイライ領が金を払ってわざわざ内規に載せたんだ。君のそれは、どうせそこだけ抜き取られているだろうがね」
頭が回らない。箝口令?
寒気がまた一段とひどくなる。まるでキルクロピュルスを鎮めるための冷却の魔導術のようだ。手が悴んで、口が戦慄く。
「バーチ大尉……頼む。もう一つ質問させてくれ」
「調停での意見は私に従うか?」
「従う! だから教えてくれ。アンジトックが潰された日から……ぼくはおかしくなっているのか?」
「質問はそれでいいのか?」
「……ああ」
「まったく本当に愚かだな。おかげで私まで物笑いの種さ」
「ちゃ、ちゃんと、答えろ!」
歯がガチガチとなるほど、身体が震える。そんなヨダカを見て、バーチは高笑いをする。
「お前はちゃんと考えてみろよ。そもそもなぜ私に聞くんだ? このブローチを贈る相手に聞けばいいじゃないか。一番詳しいだろうに」
なんでここでシナギが出てくるのだ、と思うが言葉にできない。
年老いた副官がバーチに駆け寄る。
「隊長、時間がありませんって。もう行きましょうよ」
「状況続行だ。今日の会合のための準備だとわからんのか? 引っ込んでな」
バーチは低い声を出して副官を黙らせた。ヨダカを見る目は睨んでいるのに、口調は愉快そのものだ。
「私はお前が持っている内規に箝口令のページがないと推測したが、もし本当に無かったら、抜き取ったのはシナギ准尉だ。あの女は誰よりもイカれてる。断言する。この島で一番狂ってるのはあの女だね」
「隊長、さすがにこれ以上はまずいですって!」
バーチの副官が無理矢理に話を止め、二人は背を向けて元来た道に消えた。
すると、ヨダカの身体が一気に弛緩した。血液を駆け巡るキルクロピュルスが胃をグルグルと鳴らす。よろよろと手近な木まで進み、幹へ昼食を吐いた。寒気で衣服が違和感しかない。高熱の前兆のようだ。そして止まらない吐き気。やがて吐くものが無くなると、眩暈が起こる。グラグラと身体が揺れて地面に膝を付く。腹を抱えるように蹲り、シナギに会いたいと願った。縋りついて泣いて、すべて教えて欲しかった。
「ヨダカ大尉!」
どれくらい時間が経ったかわからない。武官アルバロの声がした。身体を起こされると、彼は荷台の手配を叫ぶ。
「療養院へ行きましょう」
アルバロは悔しさを滲ませて言った。
彼には謝罪したかった。こんな自分を英雄と保証した彼には。




