23、帰巣する雛たち(8)
「立派な付け焼き刃ね」
論客の大家であるフィオリ大佐がそう言ったのは、当日の深夜だ。褒められたのか、貶されたのかわからない。しかし午後までに身支度を整えて来るよう言われたので、合格なのだろう。
アルバロたち武官と雑魚寝し、朝日が昇る頃に目が覚めた。
白む外の空気が無性に吸いたくて、別邸に戻ろうと上着を羽織る。早朝とあって護衛の兵士の先導で話しながら歩いていると、露店市には行かないのか聞かれた。
「今日、怪我しなかったら行こうかな」
そう言うと、二人の兵士は心配そうに海を見たので、キルクルスじゃないよと笑う。ちょっと気の強い女の子と会うんでね、と付け加えた。
自分の部屋までたどり着くと、隣室からユナックが出て来る。起床時間にはまだ早い。
「眠れないのか?」
「ご相談があって……。夜になるとルイズとタキオンがいなくなるのです」
「いないって、どこへ行くんだよ?」
「イルビリアの部屋です。就寝後に彼女は本を朗読しているらしくて、二人はそれを聴きに抜け出したまま、そこで眠ってしまうんです。注意して頂けませんか」
孤児院でもそういうことはあったな、と思い出す。朝、面倒見の良い優しい女子と、抜け出した事に気付かなかったヨダカがまとめて怒られた。
「胸当てを解いた女子部屋を覗いても条約違反ではない。きみが注意しろよ」
「僕が言っても、やめませんでした」
「……アデルは?」
「アデルもそこにいます。女子は、みんな……」
今は面倒だと思ったが、聞いてしまった以上は注意するしかない。
風呂の用意を白婦たちに頼んでくれ、とユナックに言い、一番奥の部屋まで行く。
「ヨダカだ」
扉を叩いてそう告げると、ガタっと音がした。少しだけ扉が開き、身体を隠すように髪を下ろしたアデルが顔を覗かせる。
「……大尉、何か?」
「わかっているだろう? なんで皆んな自分の部屋で寝ないんだ?」
「……ランプーリで母体が出たことは、下級生にとって相当に怖かったらしく、それで集まって寝ているんです」
「許可はとったの?」
「いいえ。でも……」
「ルイズとタキオンはまずいだろう。もう子供って歳じゃないんだ」
扉を押して覗いた部屋はベッドや棚が片付けられ、二組の机と椅子しかなかった。床に布を敷き詰めているのを見て、洗濯部屋で見た砂に汚れた敷布はこういうわけか、と呆れる。
しかしすぐにゾッとした。候補生たちの眠る様子を見て、何故かキルクルスの巣を思い出したのだ。
イルビリアが胸にヌノランを抱いて横たわり、彼女たちを中心に他の候補生が寝ている。ルイズはイルビリアの膝に手を置き、タキオンはヌノランを抱きしめる彼女の手を握っていた。他の者も同じようにどこかしらイルビリアに触れている。
写実の魔導術で、海底の噴出孔を描いた絵は、キルクルスの母体に折り重なるように幼体が積み上げられていた。
それを思い出すなんて、どうかしている。これは寝相が悪いだけだ。子供の頃、自分だって隣のベッドの奴に手や足を投げていたではないか。
「……起床の鐘が鳴ったら、必ず部屋に戻してくれ」
「見逃してくれるんですね。ありがとうございます」
見逃す? アデルが言った言葉に違和感しかない。彼女がセドニーの隠し持っていた小瓶の酒を取り上げたとき、見逃してもらえるなんて甘い考えは捨てなさい、と言っていた。自分が手本にならなくては、という責任感の強い彼女が、見逃してくれて、ありがとう?
扉を閉めて、戻って来たユナックに事情を聞こうとするが、起床の鐘が鳴ってしまう。
「昼にお伺いします」
とユナック言って、自分の部屋に戻って行った。
もやもやと心に引っかかるが、午後はハモネイとの会合だ。
領民で軍部に身を置いている以上、辺境伯であり総指揮官に呼ばれたのなら行くしかない。それにもう一人辺境伯が来る。
アルバロがまとめた要点に目を通しながら、徽章と靴を磨く。風呂に入り、朝食と昼食を兼ねた食事をして、少しだけ机に伏せて眠った。
微睡む頭に渦巻くのはバーチとの言い争いで、それは何故か舟の上だった。手漕ぎボートなのにオールは無く、あたりに陸地は見えない。膝を突き合わせて座り、彼女が足を組みかえると、舟が小刻みに揺れる。諦めな、と彼女が憎たらしく笑う。ヨダカはため息を吐いて、それは今関係ないのでは、と言う。
海は底が見えるほど透き通っていて、はるか海底の様子もはっきりとわかった。そこで多くの子供たちが積み重なり、小高い丘のようになっている。
「助けてあげなよ」
そう言ったのは、エマだった。バーチが座っていた場所に、銀髪銀眼の懐かしい彼女がいた。
「もう、きみにしかできない」
ノックで目が覚める。顔を乗せていた腕が痺れていた。
あの夢はなんだろうか、吉兆なのか、はたまた凶兆なのか。不思議な夢だった。
「ユナックです。よろしいでしょうか?」
もう昼休みの時間か、少しのつもりが眠り過ぎた。調停まであと二時間だ。その前にアルバロと詰め、フィオリ大佐と詰め、アロイライ辺境伯に挨拶しなくては。
「ヨダカ大尉、いませんか?」
今朝のことか、と部屋に入る許可を出す。なんだってこんな折に厄介なことを、と思わずにはいられない。
「悪いけど、時間はそんなにないよ」
「バーチ大尉と会うんですよね?」
「彼女と二人きりなら、ぼくが魔導銃で撃たれて終わりだろうね」
ユナックは萎縮した。ということは自分は目に見えて苛ついているのだ。息を吐き出す。向かう準備はできている。懐中時計を見ると、少しは話を聞く時間もある。
彼に椅子を勧めて、自分はベッドに腰掛ける。
「で、今朝のあれはどういうことなんだ? 候補生の取りまとめは、きみがやるんじゃなかったっけ?」
「実は……三日前、自分もそこで眠ってしまいました」
「はあ? きみは自分の年齢がわかってないのか?」
申し訳ありません、とユナックは呟く。
「大尉の前で、このようなことを申し上げるのは憚れますが、イルビリアの傍にいたいと思うときがあります。ここ数日、とても強く……」
「傍にいたい?」
「大尉はそのようなことはありませんか?」
「ないね。避けているくらいだ」
加減なく言ってしまったことを後悔するが、ユナックは気に留めない。
「候補生たちの寝ている姿を見て、何か思い出しませんでしたか?」
「海底噴出孔の、キルクルスの巣が頭に浮かんだ」
「やっぱり、そうですよね。アデルに言っても、雑魚寝なんてこんなものだと呆れるだけなんです」
「でも彼女の言い分の方が、現実味がある」
「それでも聞いてください。自分たちの中にいるキルクロピュルスとイルビリアのキルクロピュルスは違うのでは、と僕は思うんです」
「違うって種類はないだろう」
「キルクルスには雌雄があります。その中にいたキルクロピュルスは違いがあるかもしれません」
雌雄。つまり、母体と子供。
「……イルビリアは母体のキルクロピュルスを与えられている、って言うのか?」
「与えられ始めた、と思います。前まではこのようなことはありませんでした。彼女が帰って来てからです。あくまで仮定ですが、そう結論すると、この不可解な衝動に納得できます。キルクルスの幼体は母体の傍で成長しますので」
「幼体? まさか自分たちが? 冗談だろ。今以上の最悪があるのか」
ユナックは何も言わない。
彼は推測を咀嚼済みのようだ。たとえそれがこの上なく最悪だとしても、しっかりと嚥下して、考えを巡らせている。十七歳。過去に纏わりつかれることをまだ知らない。




