21、帰巣する雛たち(6)
翌日の昼過ぎ、ヨダカは別邸の二階の客間にいた。窓辺で玄関前に停まった馬車を見下ろす。
まずメリアンとルティが降りた。イルビリアとどこかで落ち合い、馬車を節約したのだろう。二人は十六歳の女子候補生だ。ランプーリの防衛戦で叩き起こされ、飛ぶことになっていたらしい。それもイルビリアの乱入と撃墜で、幸いにも中止された。予定通り将官学院の実習に参加するため、魔導術師を連れてランプーリを離れていた。実習とは言っても怪我をして血が出れば爆発するので見学だ。
そしてイルビリアが降りて来る。なぜドレスなのだ、とヨダカは眉間に皺を寄せる。
メリアンたちは陽に当たった濃い紅色のドレスに釘付けになる。銀色の刺繍が煌めくのを見てはしゃぎ、裾にそっと触れている。一つ上のイルビリアは少し照れた様子で、何か説明していた。
その顔は気さくな笑顔でできていて、平民への刺々しさはない。二人に気を遣う様子もなく、たまたま着ているものがドレスだったという、垣根を作らない絶妙な気の許し方をしているように見える。
傍目から見れば秀逸な淑女だ。金髪に濃い青い瞳。白肌はどんな手入れをしているのかわからないほど艶やかだ。見目麗しく、頭も良い。人付き合いにも長けている。真面目過ぎるのが唯一の短所だが、それは軍部に身を置いているからだろう。本土の社交界へデビューしたら、数多の結婚を申し込まれるのは想像に難くない。
それが孤児の平民にこれから謝る機会をつくられるなんて、昔の彼女からしたら想像もできないことだ。
「ではお呼びしてきます」
「ハドラック殿、やっぱりぼくが呼んだとは言わないでくれないか」
ハドラックは彼の上司であるディグナー隊長を見た。隊長はソファで足を組み替え、じっとヨダカを見た。こういう機会を自分からつくれないと、隊長は務まらないと言わんばかりだが、ヨダカにはやはり意欲は沸かない。
やがてディグナー隊長は諦めた。
「俺がヨダカと同じ部屋に呼んでいると言ってくれ」
「承知」
ハドラックが出て行くと、隊長はヨダカを向かいのソファに呼ぶ。
「ヨダカ、どうしたんだ?」
「ドレス姿に腰が引けました」
「母親が軍服を隠したらしい。そう先触れがあった。だからアレで来るしかなかったんだよ」
「……隠した、とは?」
ディグナー隊長は三度、自身の膝を指で叩いた。
「イルビリアの母親はハモネイ辺境伯の親類とは知っているだろう? アロイライ辺境伯の弟、グラルティオ・アロイライ伯爵に嫁いで来た。グラルディオ卿は生まれる前からハモネイの女性と結婚することが決まっていたんだ。しかしハモネイ辺境伯は従属爵位を分けてないし、娘もいない。だから平民の親族の娘っ子たちは、貴族になれる枠を争って相当に火花を散らしたらしい」
第一夫人を勝ち取ったのは一番美しい者なのだろう。娘を見ればわかる。
「しかしグラルティオ卿は第二夫人とその娘たちと本土に腰を据えてしまって、五年前から一度も戻って来ない。まあ彼は本土での社交が仕事だからおかしくはないが……」
「その五年前というのは、アンジトックにキルクルスが上陸する前のことですか?」
「ああ、そうだ」
なるほど、とヨダカは頷く。イルビリア母娘がアンジトックから密航船で本土へ向かったのは、帝都での華やかな生活を諦めきれなかった訳もあるのか。変革剤で化け物に変わっていく娘を救うためだけかと、思っていた。
「同情の余地は大いにありますが、それはアンジトックの民以外がすれば宜しいのでは? それにイルビリアに変革剤投与を承諾したのはグラルディオ卿では?」
さらに言えばハモネイ辺境伯もだろう。彼の親族の娘を実験に使うなど、勝手にはできまい。
「……悪いが、そこらへんは何も言えないんだ」
「とにかく彼女は被害者ですが、ぼくも被害者ですよ」
「それは疲れないか?」
カチンときてしまった。
どんな理由があれ、アンジトックの村が復興すらできないほどに破壊された。その原因は人為的なものだ。
イルビリア母娘が乗る密航船が沖に出たとき、ゴルグランドの噴出孔から流れてきたキルクルスが浮上した。それなのに出撃の合図はなかなか出なかった。
「そりゃ疲れますよ。でも無理ですね」
ぶっきらぼうにそう言った。
自分はアンジトックを守るために十発の火砲を放った。当時のストラ島で一番火力のある飛空兵だった。単独撃墜しても、翌日にはまた出撃できる恵まれた巨躯だった。
今は顎は細く、鋭いが大きな銀色の目、線の細い身体。何も知らなければ、ほとんどの者が女と間違う容姿だ。
故郷を守るために奮闘して陸に落ちたとき、両目は潰れ、痩せた少女の分だけしか体が残っていなかった。元の身長の体だと、肉体を再生する時間がかかり過ぎて完全に死ぬかもしれなかった。飛空兵時が止まり、若いままでいられるが、苛烈な死は避けられない。だからエマの骨の在庫を借りたのだ。足りない臓物も。
しかし別人となって目覚めても、そんなことはどうでも良かった。エマが死に、アンジトックの住民がキルクルスに喰われ潰されたことに比べれば些細なことだ。
化け物が出た日、出撃させて下さい、と自分は叫んでいた。大勢に押さえ付けられながら、泣いて懇願していた。
イルビリアの捕縛が先だと約束させられて、やっと飛んだ。死に物狂いでイルビリアを船から見付けだし、陸を振り返る。ちょうど芋虫のようになったキルクルスが村へ倒れ込む瞬間だった。でたらめにビチビチと巨体をくねらせ、跳ねて、転がり、家屋を畑を人を下敷きにした。軸に巻きつけた触手は粘着質な体液を辺りに散布し、逃げる者をその場に付着させ、ズルズルと触手の切れ目から手当たり次第に残骸を飲み込んだ。
そんな過去があったら疲れるに決まっている。それでもヨダカは折り合いを付けて、今の生活を受け入れている。ここで生きていくしかないのだ。
伯爵令嬢を特別な飛空兵にするのはストラ島にとって、アロイライ領にとって、とても大切なことなのだろう。ならばもっと上手くやってくれよ、と心底思う。しかし思うだけで、波風を立てるつもりはない。
たとえ瀕死の状態なのに腹の上に乗られても、それを責め立てるつもりはないし、表面上は上官として分け隔てなく接しているつもりだ。ユナックやイルビリアや隊長以外に気取られたことはない。それで充分じゃないか。この当てが定まらない怒りは、誰がどうすることもできないのだ。
あからさまに不機嫌な態度を取っていると、ディグナー隊長は悪かった、と言った。それと同時に扉が叩かれる。
まず研究所の技官ツタイが入って来た。彼が扉を押さえると、蒼白の顔のイルビリアが静々と現れる。到着後すぐにこんな機会を用意されているとは思わなかったのか。
「イルビリア、元気だったか?」
とディグナー隊長はいつもの明るい声で言った。
「はい」
「なぜ呼ばれたのかは、わかるな? 母体討伐時、君が錯乱したことは他の候補生は知らない。謹慎についても言っていない。休暇としている。他の者に余計な詮索を与えたくないんだ」
「はい」
「だから言いたいことがあるなら、今ここで言ってくれ」
イルビリアはソファに座るヨダカを見た。
「著しく軍規を乱し、大尉殿のお身体と気分を害し、お詫びの言葉もございません」
「ぼくは無事だ。気にしなくていい。きみも無事で何よりだよ」
終わり。次は彼女が退室する。以上、とヨダカは酒保で手に入れた煙草を用意する。
その様子を見て、ため息を我慢できないディグナー隊長は、まだ自分に隊を持てと言うのだろうか。その話が無くなる良い見せ物だったかもしれない。どちらにせよ、この件はこれで終わりだ。それしかない。
「イルビリア、下がって良いぞ」
向かいのディグナー隊長も細巻きを取り出す。しかし火を付けて煙を吸い込んでも、イルビリアは動かない。ツタイに促されるが、微かに震えながらヨダカを見つめている。
「ろ、ろ……」
ろ? とディグナー隊長が首を傾げた。
「露店市に一緒に行くお約束はどうしましょうか?」
この女正気か、と煙草の灰をテーブルに落としてしまう。たしかに誘い文句にもならないようなことを、戦闘前の飛空機で言われたが、どうして約束に昇華しているのだ。
もしかして記憶がないのか、とディグナー隊長と顔を見合わせる。彼は小さく首を振る。断れ、と理解する。
「悪いけど、先約がある」
「……承知しました」
あんぐりと口を開けたツタイがはっとした。彼は飛空機でのことは知らないが、アンジトック出身である。彼女とヨダカの確執は承知だ。だから、この会話が奇妙に思えて仕方ないのだろう。あたふたとして、ディグナー隊長に助けを求めるように視線を送る。
隊長は灰皿に細巻きを押し付けた。
「イルビリア、俺と研究所に行こう」
「しかし……これから将官学院の教官と、卒業についてのお話があります」
「一度、フィオリ大佐に会った方がいい。教官殿には日程を、伸ばしてもらうように言う。ツタイ、先に行って大佐に面会を取り付けてくれ」
「承知しました」
イルビリアはディグナー隊長に促されるまま部屋を出て行く。
残されたヨダカは煙草を灰皿に捨て、ソファの背に深く座った。飛空兵というのは本当に面倒な生き物だな、とテーブルの布に空いた穴を見つめる。




