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20、帰巣する雛たち(5)



 要塞を背に飛空機は降下していく。南の海岸付近に着水する予定だ。


「エドゥアル、どうだ?」

「風で飛べます」


 エドゥアルという操縦士は隊長へ食い気味に言った。四十過ぎの寡黙な男だ。操縦士は口数が少ないか、多過ぎるかどちらかだとヨダカは思っている。


「空泥棒は死ねばいい」


 と機尾から聞こえた。

 〈飛空〉の魔導術師、ナリーだ。見ると、ローブから溢れるうねった白髪を口に喰み、瓶底眼鏡の奥の目がギラギラ光っている。普段、野良猫や愛猫にニコニコと餌をやる様子からはかけ離れている。


「いつものことだ。風が良いと、二人が空を取り合うんだ。ナリーも術の負担が少ないから楽に飛べるし、操縦士も風に乗って飛べるからな」


 ディグナー隊長が小声で教えてくれた。降下した後の飛空機で、いつもこんな殺伐としたやり取りがあったのか。


「ヨダカならどっちを優先する?」

「……操縦士ですね」


 ナリーに聞こえぬように言った。

 彼女が座る浅い箱の中には折り畳まれた白い敷布があり、血が滲んでいる。ローブで足は見えないが、切断した箇所から出ているのだろう。


「そういうことだ」


 ディグナー隊長はナリーに術をやめるように、軍部らしく命令する。ナリーは操縦士に口汚い言葉を丁寧に言って愚弄した後、術を解いた。

 飛空機はグラグラと揺れ、先頭が軽く持ち上がったが、風に乗るとゆっくりと円を描くように降下してゆく。


 扉のない開口部から後部の席に三人で移動する。

 向かいで副官のハドラックがせっせと冷却の術布を用意を始めた。


「ヨダカ大尉、着陸で口内の怪我が危ぶまれます。これを口へ」


 几帳面に折り畳まれた白い術布を見て、シーダーのくしゃくしゃで薄汚い術布でなくて良かったと思った。懐から出すと、いつも二、三本の長い髭が付いているのだ。


 やがて飛空機は沖に向かう。ぐるりと回り、先頭の窓から見える航路は、桟橋の横に合わせている。海面が迫ってきた。ヨダカは冷却布を噛んで、衝撃に備える。


「着水!」


 と操縦士が短く言った。

 飛空機の胴が海面に付き、機体は短い間隔で跳ねる。ヨダカは持ち手をグッと掴むが、ポケットに入れた懐中時計やシナギに送るブローチが飛び出ないか心配で押さえたくなる。しかしそれもあっという間のことで、飛空機は海を受け入れたかのように波間を進み始め、風の余力が無くなると止まり、揺れるだけになった。

 

 水翼船が近付いて、水兵が船首の輪になっている箇所にロープを通す。牽引が始まると、ジャブジャブと開口部には波がかかっていた。飛空機だが、束の間の船旅だ。


 ヨダカが十八で徴兵されたとき、水兵を希望したが通らなかった。周りの同期からはおそらく背が高いからだ、と言われた。もっと小柄か、痩せていなくちゃ船で邪魔だろ、と。当時は百八十をゆうに超えていたし、体格も良かった。実際は水翼船の整備兵を希望していたのだが、全く関係のない砲兵に配属となった。


 しかしそれも、徴兵の際に行われる二度目の黒紙検査で立ち消えになる。

 二回目さえ無ければな、と思わずにはいられない。理由はわからないが、十二歳ではすり抜けたのに。

 あのとき検査を行った天幕へ駆け付けた将校の顔は忘れられない。ヨダカの背丈や身体の厚みを見て、口を隠して笑った。まあ貴族で軍人だと、野心を抱かぬほうが難しいか、とディグナー隊長を横目で見る。


 飛空機が桟橋へ到達すると、主翼を歩き、塩が浮いた木板に飛ぶ。それから口の中の冷却布をハドラックに返し、荷馬車へ向かう。


 隣を歩くディグナー隊長はチラチラとこちらを見ているが、ヨダカは素知らぬ顔で砂浜を見続けた。

 サリエ少佐たちはすでにいなかったが、ユナックとアデルは馬車の後方に座り、魔導術師に鎧の上から冷却の術布を巻かれている。踵の流路を冷やす処置だ。


 桟橋が終わり、柔らかな砂を踏むと、ディグナー隊長が立ち止まり、細巻きを取り出した。ヨダカは勧められるまま、受け取るしかない。


「ヨダカ、そろそろ隊長をやらないか? 尉官なら任せられると、知っているだろう。お前ならシーダー魔導術師が快く副官をやってくれるさ」


 こう言われるだろうとは、飛空機に乗る前からわかっていた。アンジトックで大怪我をしてから五年。来月からは候補生二人が少尉補になる。


 サリエ少佐たちに触発されるのを期待したのなら、隊長の目論見は大外れだ。リイロ・ディグナーという男がヨダカが思っているより野心家で、自分には野心が微塵も無い、と充分にわかった直後なのだから。


 細巻きを吸って煙をゆっくりと出しながら、言葉を選ぶ。


「そうなると、ナリーとシーダーの元夫婦の痴話喧嘩が起きませんか?」

「一度言えばわかる奴らだ。二度目がないことは、フィオリ大佐の魔導術隊なら承知はしている。ガツンと最初に言えばわかるさ」

「せめてイルビリアが経験を積むまでですか?」

「他の候補生が本隊へ入ったら、さらに隊を増やせば良い」

「考えさせてください」


 断るつもりだが、そう言った。

 イルビリアを部下にして、自分が隊を機能させるなど、できるはずがない。故郷を壊した彼女に何事か言うとき、それがおかしくないか確認しているような自分には無理だ。

 しかしそれを見透かして、ディグナー隊長は言う。


「予定通りなら、明日イルビリアが帰ってくる。もっと話す努力をしてくれないか? 彼女はいつもヨダカと話す努力をしている。謝罪の機会をおまえが作ってやってくれよ」

「伯爵令嬢に平民のぼくが? さすがにおこがましいのでは?」

「お前が爵位を必要とするなら、すぐに言ってくれ。用意はできてるぞ。研究所の成果で皇帝陛下がアロイライ辺境伯に男爵位をくださるからな。それをヨダカが賜っても、誰も文句は言わないさ」


 要りませんよ、とは言えない。普通なら飛びつく話だ。昔なら二つ返事で受けていただろう。

 しかし今のヨダカは本当にいらないと思ってしまう。そんなもの必要ない、と。確信に近い思いだ。

 佐官になりたいわけでも、撃墜数を増やしたいわけでもない。そんな自分に与える餌ではない。


「考えさせてください」


 とやはり言う。


 帰りの荷馬車でアデルやユナックたちは熱心にサリエ隊について語り、ディグナー隊長も二人に細かな質問をしていた。それをハドラックが書き留める。ヨダカは馬車の運転手に煙草をもらい、一番後ろで何本か吸った。


 別邸でヨダカだけ降りると、玄関で候補生が出迎えてくれる。


 シナギの言うとおり、ミオンに話しかけ、十日前の戦闘について讃える。彼女ははにかみながら、ランプーリ防衛のお礼とヨダカの身体の心配をした。

 驚くほどいい子だ、と思う。柔らかな言葉に温かみがある。しかし彼女もいずれ世間に揉まれて、物騒なことを言うアカシアやフィオリ大佐のようになってしまうのだろうか。想像ができない。しかし三年目のアデルでさえ、下の男子候補生に怒声を浴びせることはあるので、致し方ないことなのか。


 それから十日前に入って来たタキオン兄妹に改めて挨拶をし、困っていることが無いか聞く。タキオンは快活に話し、徐々に慣れていると言った。ヌノランは兄の後ろにぴったりと隠れたままだ。


「食事はどうたい? 味付けは本土とは少し違うかもしれないけど」


 タキオンはその問いに返事をしなかった。急に何か気付いたようにヨダカを凝視している。

 やはり彼は聡いようだ。自分の背が伸びていることに気が付いたらしい。目を上下させて、足から頭まで確認している。


「大尉、背が伸びたんですね。怪我をしたから、骨を変えたんですよね」


 様子を見ていたセドニーが気を遣って言った。彼は悪ガキを体現したようなことを時々するが、優しさは欠けていない。努めて明るく振る舞い、俺ももうすぐ替えるんだ、と言った。


「大尉くらい高くなりたいな。そしたらアデルを見下ろせる」

「見下ろせても、アデルの口数には敵わないだろ。それよりも彼女を困らせるなよ」


 目の合ったタキオンは顔色が悪くなっていたが、ハッとして背筋を伸ばした。彼が失礼しましたと言う前に、頭の上に手を置く。十二歳の可哀想なくらい賢い子供なのだ。


「徐々に慣れていけばいい」


 それしかない。抜け出すことはできないのだから。

 飛空兵になったとき。あのとき自分も幼かったら、という幻想を考えた。十八ではなく、十二なら、と。セドニーのように、下に目をかける余裕をもって受け入れられたかもしれない。

 ヨダカは金物屋の下働きをとても好いていた。それを取り上げられたことをチャラにできるほどの魅力は、整備兵にあれど飛空兵にはない。そんなことも浮かばなかったかもしれない。



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