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02、志願兵(2)


 絶叫の後、女性軍人と白頭巾のアカシアは目を合わす。二人とも表情は変わらない。


「間違いなく母求鳴(ぼめいきゅう)だね」


「ふん、索敵隊かい。化け物をぶん殴れる奴が欲しいんだけどねえ」


 アカシアがそう言うと女性軍人はクスクスと笑う。


「ぼくもそう思う。じゃあ、避難しよう」


「起きてる奴は逃げるよ!」


 ぼく、とファミは聞いた気がするが、若い白頭巾に立たされる。


「ファミ、あなたは歩けるわね?」


「は、はい。あの、どうしたんですか?」


「化け物が出たのよ。館の奥に療養院があるから、私たちはそこに行くわ」


「でも、他の人たちは……?」


「荷車が来るわ。二度目の鐘までには移動できるから、私たちは先に行きましょう」


 立ち上がった時、胸に痛みが走る。いや、まさかと思ったが身体に敷布を巻かれて歩き出すと、ジクジクと痛む。しかし我慢できる。のたうち回るほどではない。気のせいだ、とファミは思い込む。自分は他の者と違い、選ばれたのだ。大丈夫。

 着替えを行った部屋の前を通り、外へ出た。鐘の音が遠くで聞こえる。海風の匂いと強風に巻いた布がはためく。アロイライ伯爵邸は港の高台にある。


「あそこまで行くわ」


 と若い白頭巾は言った。さらに丘の上の建物を目指している。

 あれは療養院だったの? とファミは驚いた。その建物は丘の上に連れて来られたときにも見ていた。大きな骨の柱と、青黒い壁でできている。ストラ島の遺跡だと思っていた。間違っても祈りを捧げるような場所には見えない。


「オルタナシア療養院。みんな研究所とも呼ぶわ。ねえ、汗をかいているけど大丈夫?」


 ファミは白頭巾に悟られまい、と頷く。胸の痛みと早くなっていく鼓動を我慢して登る。


「もしも、もしもあなたが何もなかったら、アレと戦うのよ」


 白頭巾は立ち止まり、海の方を指差した。

 ファミの目に飛び込んできたのは海に浮かぶ青い皿だった。


「さっきまで無かったのに……」


「深い海から来るのよ。海だから距離がわかり辛いけれど、あれでずいぶん離れてるわ」


 それがどれだけ遠いのかファミにはわからない。鼓動が早い、胸が痛い。左胸だ。

 海では皿が浮上し、波紋が大洋に広がっていく。


「あれはね、起きると辺りの魚を食べながら島に向かって来るの。耳鳴りがするでしょう? あれはアイツのはじめての呼吸なんだって。はじめて海から空へ出た産声だって。あんなもの、生まれて来なければ良かったのに」


 その顔も言葉もやはり聖職者とはファミには思えない。

 彼女が言うように耳鳴りがする。しかしそれよりも込み上げてくる、吐き気にファミは膝をついた。


「大丈夫? 背に乗って」


 若い白頭巾はそう言って除き込んできた。そして吐き出した物を見て息をのむ。ファミも何が起こったかわからない。吐き出したのは血と肉の塊だった。


「肉なんて……食べてない……」


 この検査があるから、昨日の夜から食事は最低限の水しか与えられていない。船を降りたのは今朝で、昼飯も与えられず高台の屋敷に登ったのだ。


「あ、あの、わたし……」


 左胸以外、まったく痛みはない。大丈夫だと伝えたかったが、怯えた様子で若い白頭巾が駆けて行ってしまう。やがて来たのは、先を登っていた女性軍人とアカシアだった。


「ああ、大丈夫だよ。ほら、口を拭きな」


 アカシアがハンカチで口を拭ってくれる。その表情は柔らかく、ファミはほっとする。これはもしかしたら、相当特別な事なのかも、と思いかすかに笑う。


「ぼくが担ぐよ」


 そう言って女性軍人はファミを背負い、アカシアたちの後を追う。


「あの、わたし……将校に、なれる……かしら?」


 ファミは胸の痛みに耐えながら、女性軍人に聞いた。


「ああ、なれるよ。頑張って」


 その言葉を聞いたからか、あんなに早かった鼓動も、左胸の痛みが消えていく。体の力が抜けていくようだ。ボチャボチャと水が溢れるような音がする。しばらく登って行くと、女性軍人は立ち止まり、海を振り返った。

 

「ほら、見てごらん」


 女性軍人の肩越しに海を見た。青い皿は動き、こちらに向かって来る。青黒い円盤だ。波飛沫を立てながら、迫って来る。


「あれがキルクルス。君が倒す敵だよ」


「き、来ちゃう……」


「うん。ある程度、近くに呼んでるんだ。後片付けが楽なようにね」


 キルクルスが動いてできた波が港に停泊する小舟を嵐のように揺らしている。海上で距離感が掴めないとはいえ、ファミでもわかる。あれはとてつもなく大きい。


「デカいだろう? 青黒い円盤の直径はね、平均が百メートルもあるんだ。それが立ち上がると高さ八十メートルにもなる。あれを飛空隊の精鋭ともなると、一人で倒すんだ」


「ひ、ひとり、で?」


 ファミは口が戦慄く。寒くて仕方ない。ときどき霞む目で、円盤が少しずつ空へ伸びていく様を捉えられる。立ち上がるとはこのことだろうか。


「ほんと遠目から見ると、不味そうなキノコみたいだな」


 女性軍人は平坦な声で言った。おそらく独り言なのだろう。

 彼女が言うように海では軸の細いキノコが生え始めた。青黒い円盤を押し上げるためか、白い軸は下から上へと波打ち、徐々に太く、ぶくぶくと膨れ上がっていく。


「不細工な……キノコ……」


 そうファミが言うと、女性軍人は笑った。それがとても嬉しかった。

 沖に浮いていた艀が、大波に耐えきれず逆さまになる。あそこは帆船から小舟へと降りた場所だ。海で距離が曖昧になるように、キルクルスの大きさで距離が曖昧になってゆく。とても近くに見えるが、大丈夫なのだろうか。


「もうそろそろ来るよ。ほら、飛空機が来た。あそこから降りるんだよ」


 彼女が指差す方に白い大きな鳥のような物体が三羽飛んでいた。そこからパラパラと光が落ちて行く。あれが人だと言うのだろうか、とファミは思った。


「お、お、落ち……」


「大丈夫、飛べるから」


 そう言ったとおり、空中でキラキラと光が浮いている。太っていく青黒いキノコの周りを鳥のように旋回している。


「ま、魔導術……?」


「いや、自分の血を燃やしてるんだ。血と酸素が力になるんだよ」


「さんそ……?」


「この空の下にはね、目には見えないけど酸素というものがたくさんあるんだ。ぼくも難しくて、よくわからないんだけど」


 麦の粒よりもずっと小さな飛空隊から、ファミの目にもわかるほどの閃光が放たれた。黄色。春に咲く花のような、太陽の光を浴びるのを待ち侘びた黄色。それがキルクルスに当たると、キノコの傘をえぐった。抉れたところは炭火のように赤くなっている。キィンキィンと耳鳴りがした。ファミでもわかる。これは化け物の悲鳴だ。


「あの火砲は隊員自身が出しているんだよ」


 いったいあれをどうやって人間が出すのか。冗談だと思ったが、説明の付け足しはない。魔導術師が人生をかけて練った術で暴君の住む王城を壊す御伽話は本当だったのだろうか。


「あ、あ、んなの、人が、どうやって、出せるの……?」


「……最後は気合かな」


 海では黄色の閃光がまた放たれた。キルクルスの肉片が飛び散る。しかしまだキルクルスは港に向かってくる。水面からニョロニョロと皮を剥がした蛇ようなものが出て、かろうじて見える飛空隊員に向かい伸ばされる。


「ウ、ツボ……?」


「あれは魚を取り込む触手とか口腕と呼ばれる部位だよ。クラゲってわかるかな?」


 ファミにはわからない。返事をしなくてはと思うのだが、意識が一瞬遠のく。その間に女性軍人は話を進める。


「海で見えないけれど、あの触手はたくさんあるんだ。一つは海底まで繋がってる。母体に栄養を送るために」


 触手を避けながら、また放たれた閃光でキルクルスの傘のほとんどがなくなった。最後と言わんばかりに、目も眩むような光が海を覆う。それは薄い青だった。空に溶け込んでいくような閃光が消えると、キルクルス軸に大穴が空いていた。下部に開けられたその空洞は軸をぐらぐらと揺らし、やがて伸ばされていた触手とともに海面に倒れる。衝撃で上がった大量の海水がどれだけ巨大であったかを示していた。


「ファミ、きみにあれができるかい?」


 女性軍人の言葉がとても遠くに聞こえる。


「ええ、な、るる、わ……」


「……ファミ、少し寝てもいいよ」


 優しい声だ、とファミは思った。

 故郷の山を思い出した。疲れて駄々をこねると、兄が背負ってくれたことを。


「ね……、ああた、ににさん、に、て……」


 いつか休みをもらったら故郷へ帰れるのだろうか、と思いながら目を瞑る。



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