19、帰巣する雛たち(4)
エレノカ准尉に連れられて、ユナックとアデルは傘の中央付近まで行き、離陸したままその場で止まる。
キルクルスは虐殺の気配を傘の上から感じているだろう。そこにはサリエ少佐がいる。青黒い絨毯を悠然と歩いている。
彼女の鉄靴の裏には釘のような針が埋め込まれており、粘膜で滑る表皮の上をザクザクと刺して闊歩する。
そして時折、魔導銃を撃つ。長い銃身には白亜のキルクルスの骨が使われ、肩で支える銃床にはゴルグランド辺境伯軍の紋章の獅子の金飾り。飛空機にいる魔導術師ジョルグが引き金と共に発動し、発砲させている。
撃つたびに赤い血が噴き出てサリエ少佐の顔や鎧にかかるが、それでも彼女のバイザーはまだ上がったままだ。要塞では白粉と口紅の薄化粧だったが、今はキルクルスの返り血で真っ赤になっている。しかしいつもの薄笑みは健在だ。なぜバイザーを上げているのか、全く見当が付かない。
「銃撃の狙いは眼点と呼ばれるところだな。目というか、光を感じ取る箇所らしい」
ディグナー隊長もサリエ少佐に注視しているようだ。
「そこを突くとどうなるか、覚えているか?」
「痛がるんですよね」
眼点の下には油膜や脂肪があり、近くには連なる神経が集中している。傘は厚さが三メートルから五メートルほどあるが、貫通はしない。柔らかな肉の壁に弾が埋もれて、やがて発火する。魔導術をこめた特殊な弾で、内部の油や脂肪を利用し焼いているのだ。
キルクルスはバンバンと撃たれると、傘の端にある噴出孔から水を噴水のように上げる。陸へ進むのを止め、サリエ少佐を排除しようと、触手を上へ上へ伸ばす。伸ばした触手は牛の胴ほどの太さだが、芯がないのでやがてグニャリと曲がる。そのだらけた瞬間を見逃さず、甲高い笑い声の三人が切り刻む。
触手は鶏肉の色味に近い。ブツリと切れても色は変わらないが、中央に通る腸はピンク色で空洞かどろりとした黄色い液体が垂れる。
「素晴らしい動きだな。サーベルを振るいながら、あんなに簡単に上下に飛べるとは」
ディグナー隊長が感心するように言った。
飛び舞う三人の中でもメユウ准尉は素晴らしい動きを見せる。触手を避けた末に逆さになっても剣戟は止まらない。他の二人の動きを把握し、隙になりそうな箇所に回り込み、待ち構える。他の二人はメユウ准尉に背中を預け、斬りまくる。
平行飛行が常のアロイライではできない芸当だ。
ゴルグランドは十年前にサリエ隊が発足された当時、装具を一心した。
彼女たちは踵にある流路の調節を足で行う。指を長くし、関節を追加しているのだ。キルクロピュルスの恩恵はそれを可能にする。足の指が握る把手で踵の流路に刺さる針や弁を細やかに変え、サーベルを振るいながらの上下移動を行っている。
完全に技術であり、飛空兵という特別な存在に研鑽を積ませた成果だ。
その過程で彼女たちは幾多も海に落ちた。ゴルグランドの他の隊員もだ。
凍てつく水温を利用し、真冬から訓練を始めた。慣れない彼女らはよろめいて海へ石のように落下していく。しかし決して悲鳴を上げなかった。そして誰も助けようとはしなかった。
助けるのは水兵たちで、浮標に括り付けてある綱を急いで引っ張り船へ上げる。基地から見えるのはでガタガタと震えるか、ぐったりとした様子だけで、訓練が終わるまで皆んなバイザーは下げたままだった。
ヨダカはその様子を見ていた。十年前、共闘軍兵士としてゴルグランドへ呼ばれていた頃だ。海が暖かくなるまでにまともに飛べなければ、キルクロピュルスは急冷できない。大丈夫かとヨダカは心配したものだが、春には鳥のように飛び始めた。しかしゴルグランドの飛空兵は三人欠けた。それでも十二人が残り、辺境伯がその中から尉官を命じ、一つはサリエ隊となった。
あらかた短くなった触手を確認すると、サリエ少佐は接地離陸で傘から飛んだ。すでに飛んでいるユナックたちもそれに続く。
向かうのは下部にある心臓だ。海面へ浮上し、軸を伸ばすまで大切に隠してある部分だ。左右で二つあるが対になっており、どちらか一方が失われれば息絶える。
左のそこをエレノカがサーベルで削ぐ。白い軸の皮が無くなると、薄い茶色の肉に白い筋のような線が見え、それをバツバツと断つ。やがて心臓を守る骨と、水球体という硝子のような臓器が見える。キルクルスの血は滲む程度だが、キュイキュイと耳鳴りの悲鳴を短く発し続けている。
ふいにサリエ少佐が返り血で赤い顔にパッと華やいだ笑みを見せた。何事かユナックとアデルに言いはじめる。魔導銃を骨へ三発撃ったので、それでは傷が付かないことを見せているのか、何かしら説明しているのだろう。お気に入りの少年の質問に丁寧に答えているのかもしれない。
そこに短い触手が来るが、エレノカが縦に裂き、横に斬る。細かな肉片は水に落ちた時に上がる飛沫を抑える。
何の配慮だ、とディグナー隊長が独り言のように小さく言った。全く同感である。
やがてサリエ少佐を残し、エレノカとユナックたちは浮上した。
メユウ准尉ら三人が護衛のようにサリエ少佐を囲むと、左の籠手をキルクルスの心臓に向ける。バイザーは上げたまま、いつもの薄笑みのまま火砲が放たれた。狙いとは五メートルほどしか離れていない。火砲の威力は中だろう。麦のような黄色い閃光が放たれ、辺りの海面がすり鉢状に下がる。跡形もなく左下部は無くなった。
サリエ少佐はキルクルスに近づくと、木こりが打つ最後の斧のように焦げた軸を蹴った。ミチミチと後ろに倒れ、豪雨と大波をつくる。サリエ少佐は風呂がわりにしているのか、バシャバシャと降る海水を浴びた後、他の隊員の元へ合流した。彼女のバイザーは最後まで上がったままだった。
「同じようにできるか?」
「ええ、いつでも。ただ命令を受けた時は腹痛で飛べないでしょうね」
ヨダカの答えにディグナー隊長は笑わない。
「ユナックやアデルはどうだろう?」
「……わかりません」
人の物を欲しがるような人ではない。しかしその質問は隊長の新たな一面を垣間見せた。
ヨダカは剣術や魔導銃をふまえた戦い方はある準備に思えてならない。
時間にして十分ほどのことだが、アロイライなら半分の時間で終わるだろう。加えて五人編成なら単独撃墜ではなく、部隊撃墜して隊全体を温存するべきだ。
しかしサリエ隊の基本攻撃は隊長の単独撃墜だ。英雄たる者の撃破数の上乗せが目的である。撃墜までに火砲を撃たなければ、サーベルでの攻撃は含まれない。撃ち損じはエレノカが命を賭けて倒す。
白婦アカシアのように血の気の多い者でないなら、彼女たちの戦法はキルクルスの撃墜には必要ないとわかるだろう。
ガンドベル帝国はキルクルスを魔獣と認定し、討伐の命令をストラ島の辺境伯たちに出している。これが解かれるまでは、共闘軍兵士、特に飛空兵は本土への立ち入りを原則禁じられている。キルクルスの心液、キルクロピュルスも同等の扱いだ。
これらが本土に渡れば、隣国が手にできる可能性がぐんと高くなる。今の投擲武器や魔導術師の火炎など、比べ物にならないほどの火砲。それを味方だけが使える誓約はない。
それを極端に恐れているのが現皇帝ロテウス四世だ。ガンドベル帝国が戦って領土が増えなかったのは先の大戦のみである。辛勝した大戦からその間代替わりしたが、飛空兵を本土で使うか否か、四十年以上考えあぐねいているのだ。
しかし国力は回復し、キルクルスの浮上予兆ができる索敵も向上した。廟海を利用した快速帆船も、来島の頻度は増えている。
これらも加味すれば、さらに嫌な予感しかしない。ヨダカに話は聞こえないが、ディグナー隊長がユナックたちを期待の眼差しで見る目は、それを物語っている気がする。
状況終了の緑の染色弾が要塞から上がった。
メユウ准尉たちが海面ギリギリまで降り、海に浮かぶ傘に火砲を撃つ。傘はある程度焼却しなければ、ただの馬鹿でかいゴミだ。使える部分は上皮しかない。腐るのはあっという間だ。軽量かつ高い硬度を持つ骨さえ手に入ればいい。
気が付くと、サリエ少佐の左腕が氷で覆われた。飛空機の魔導副官ジョルグがやったのだろう。
「腕が丸ごと凍ってますけど、あんなことできるものなんですか?」
嫌な考えを振り切るように聞くと、いつも無口なディグナー隊長の魔導副官ハドラックが滑らかに言う。
「あの術は共闘軍の魔導術師には開示されています。フィオリ大佐は冷却で使っていますよ。でも紫目以外できません。あれは〈魔氷〉と呼ばれる古格兵器に組み込まれていた術です。氷の塊を投擲するものですが、ジョルグさんはそれを改変したのでしょう。あの方は改変の才能があります。そして紫目でありながら、努力を努力と思わない稀有な方です」
海に目掛けて飛空機から五組の縄梯子が伸びる。バラバラと落ちていくが、途中で意思を持った蛇のようにサリエ隊の者たちに伸びる。
「なんという……見事な多重発動……」
ハドラックは感嘆の声を漏らした。もうすぐ七十歳だというのに、ローブの中の瞳が子供のようにきらめいている。
ディグナー隊長が聞く。
「あれはどれくらい術を発動しているんだ?」
「まず〈吸着〉です。梯子を各隊員の手に吸い付かせます。足もロープへ速やかにかかるように指定しています。鎧とロープに魔語を綴り、磁石のように引き合わせているのです」
岸壁の要塞では、魔導術隊の面々が外廊下で見ていることだろう。ハドラックは飛空機という特等席を噛み締めるが如く、ぶるっと震えた。早口に続ける。
「そして強力な〈上昇〉です。荷重のあるロープの引き上げです。エヴダマ大導師系の〈飛空〉とほぼ変わらない強力な術で行っています。あれはジョルグさんの創作でしょう。あとはロープに微弱な〈膠着〉を付与していますね。〈吸着〉以外の箇所にです。互いがぶつからぬよう、棒のように真っ直ぐに飛空機へ登っていくでしょう? あれはウーマクルド族の古格魔導術ですよ。獲物に刺してからそのまま捕縛するための術式を、途中で改変したと思われます。以上を五人分。普通の魔導術師ならば〈吸着〉と〈膠着〉を一人分でしょう。全くもって異次元です」
「発動人形は使ってるいるのか?」
「はい。二人乗り込むのは確認しています。共に隻腕が進んでいましたので、〈上昇〉と火砲の〈扇風〉は確実に人形負担ですね。もしかしたら、サリエ少佐が撃っていた魔導銃の〈炸裂〉や〈延焼〉も人形で賄っているかもしれません」
ハドラックはあっけらんと言ったが、発動人形は生きた人間だ。
魔導術の対価を人になすり付ける術がある、としかヨダカにはわからない。古くからあるらしい。人形は罪人が使われ、更生の機会は剥奪、懺悔しても解放されず、痛みしかない生涯をおくる。
ハドラックの言った「隻腕が進んでいる」というのは、傷が癒える間もなく対価を受け続けているからだろう。
しかし普通の魔導術師は、その術には行き着けない。紫目の魔導術師だからこそだ。フィオリ大佐やジョルグは先天的に魔導術の発動を約束されている。
魔道術は個人で練り上げるしかない。同じ冷却の術でも、発動に至るまでの過程、発動に必要な魔語や術布、すべて人によって違う。その過程は似たり寄ったりだが、どれも一緒ということはない。
シーダーは冷却の魔導術を十年かけて発動したが、紫目のジョルグならば一夜で終わる。〈模倣発動〉と呼ばれる、他人が血反吐を吐いて編み出した魔導術を踏襲できるのだ。発動人形にかける術すら、発動に必要な魔語の入れ墨を彫るだけで終わる。その明らかな優秀さから、軍属の紫目以外は発動人形を使うのとは許されていない。
「それなら〈魔氷〉、〈吸着〉や〈膠着〉はジョルグ殿が自身で対価を受けるわけか?」
「向こうの飛空機も十人乗りですし、〈飛空〉専用の魔導術師がいましたから、そう予測します。たぶんご自身の対価は臓器系ですね。ジョルグさんは酒を一滴も飲みません。このあと、便所まで尾行して何を出すか確認しますか?」
「そうしてくれ」
「承知」
なんとも生々しい指示だな、とヨダカは居心地が悪くなる。
空にまた目を戻すと、ユナックたちが多い分、ゴルグランド機はどんどん降下している。そして何故か二人だけ飛空機のすぐ下に取り残されている。
「まだ二人、機体に戻りませんよ」
ヨダカは隊長たちに言った。
誰かが誰かを後ろから抱き止めている。一人は見学していたアデルかユナックと見て間違いない。同程度の身長なので判別が難しい。
目にかけた望遠鏡を下に向けて絞ると、後ろの兵士の背には獅子の意匠が確認できた。ゴルグランド領の紋章だ。ということは騎士と同等、貴族であるサリエ少佐だろう。
抱き留められている方は、ロープを掴む籠手に兎の意匠がある。
なるほど本当にすごいな、とヨダカは思わず笑ってしまう。結婚したサリエ少佐がこれほど大胆にユナックを抱き締めても、英雄譚にしかならない。機会をものにする執念は見事だ。ユナックはどうすることもできず、大人しくしている。
彼の意匠を決めたのはヨダカだが、獅子に連れ去られる兎とは出来過ぎだな、とディグナー隊長と笑いあった。




