18、帰巣する雛たち(3)
飛空機に乗り込むと、いつもは副官が座る位置をディグナー隊長に指定された。先頭の操縦士が座る腰掛けの後ろだ。戸のない入り口が右手にある。
目の前に座ったユナックと目が合うと、申し訳なさそうに笑った。興奮剤のおかげか、彼は見る限り落ち着いている。
サリエ少佐の茶会に行ったと考えると、忘却の件はアーザック中尉がすでに伝えているのかもしれない。
可愛がられているとはいえ、彼女は他領の貴族軍人だ。事実を知らないまま、行かせるとは考えにくい。ユナックが答えを焦って彼女に聞くなど考えにくいが、送り出すのなら万全を期するはずだ。
記憶を無くした兵士は、共闘軍で、とくに他領と問題が起きた場面でとても立場が弱くなる。発言の信用性に欠ける、と烙印を押されるのだ。だから他領もアロイライ領も馬鹿正直に、記憶を無くしましたとは報告しない。
しかしいつか使えるかもしれない手札として、サリエ少佐は調べようとするだろう。たとえそれが七年来のお気に入りの少年であっても変わりない。
ヨダカにはもうその烙印がある。
故郷アンジトックで五年前に火砲を撃ち過ぎた。大勢の前で死にかけている。そうなるとバーチのような輩が突っかかってくるのだ。ユナックもそのような相手ができなければいいが。そんなことを思っていると、ヨダカの視線を辿ったディグナー隊長が言う。
「ヨダカ、今更親心でも付いたのか?」
「そうかもしれせん。ユナック、アデル。怪我するなよ」
「はい。必ず」
ユナックは笑った。
彼は良くも悪くも理解が早い。
成人した十五歳のとき、骨を替える手術後、手紙のやり取りをしていた女子に返事を書かなくなった。将官学院で知りあったのなら気まずくなるだろう、とヨダカが言っても、「前からやめると、決めていましたから」と笑った。きっと今回もそうやって受け入れたのだろう。
バシュン、と風を裂く音が聞こえる。ゴルグランドの機体が飛んだ。
ヨダカの乗っている機体も先頭が斜めになる。空へと続くレールに押し出される。
背もたれの取っ手を握って、踵を床の窪みにいれ身体を支える。キルクルスの骨と軟骨でできた機体は、少しでも軽くするために搭乗員の椅子はない。今、取っ手を離せば機尾まで一直線線に滑べっていく。飛空の魔導術を使うナリーが心底迷惑するだろう。
「射出!」
外の掛け声ともに飛空機がレールを滑る。ドンと背に錘が乗ったような感覚が、体を前のめりにする。踏ん張りで耐える。進む方向へ背を向けているので、不思議な感覚だ。飛空機は石弓の矢と同じく宙に押し出されたが、まるで要塞の方が動いているような錯覚に陥る。
機体が平行を保つと、右の扉のない入り口から乱雑に吹き込んだ海風が弱くなった。空も青く澄み渡っている。海は煌めいて、水平線まで見通せる。ディグナー隊長側の開口部からはキルクルスがいて、港が見えるだろう。南に向かって回り込むいつものルートだ。
「二人とも酸素を吸ってくれ。やはりキルクルスは小型で動きが鈍い。だが油断するなよ」
隊長が作戦を繰り返した後、魔導副官がユナックの後ろから顔を出した。
「僚機より伝達、作戦に変わりなし。遅れることなかれ、とのことです」
彼が手に持っているのは指針伝信器だ。魔導術師同士の交信は互いの伝信器を交換して行うのがほとんどで、内偵の危惧から、緊急時以外は貴族の魔導副官にしか許されてない。
ヨダカはキルクルス撃墜よりも、彼の持つ器械の方が興味がある。針と目盛りでいっぱいの魔導具は相手が発動すればクルクルと回る。針が文字で止まり、文章を作る。両手ほどの大きさで、首紐で下げている。
しかも交換相手はゴルグランド一番の魔導副官ジョルグのものだ。ヨダカは見てみたいとユナックを避けて、伝信器を凝視する。背面に豊満な胸が描かれていた。ジョルグは生涯のすべてを豊胸の魔導術にかけていることは有名だ。
なるほど……と、ヨダカはまじまじと見る。見事な螺鈿細工だ。ジョルグは中身の魔語しか担当していない。指針の仕掛けは時計技師に作らせて、外の飾りは螺鈿職人だろう。夜光貝の虹色の趣を変えて、見事に描かれている。いや乳首だけは銀だな、と思っていると、ふとアデルと目が合った。アデルからも豊胸の絵柄は確認できるだろう。お互い気まずくなる。
「アデル、酸素を吸え。ヨダカ、言い訳するなら今しかないぞ」
たしかにディグナー隊長が言う通りだ、とヨダカは肩をすくめる。
「細工が好きなんだ。どんな細工であれ、素晴らしいと思うんだよ。気を悪くしたら、申し訳ない」
「いえ、たしかに……その、見事ですね」
「ヨダカ、出撃するアデルに気を遣わせないでくれ」
とディグナー隊長や副官が笑う。久々に顔が火照る。さすがに自重するべきだった。
「隊長、降下が始まるようです」
しばらくして操縦士が言った。飛空機がキルクルスへ近付く。
「アデル、ユナック行くぞ」
アデルが酸素の管を戻す。緊張した面持ちだが、十日前、恐怖をひた隠しにしてミオンに寄り添う顔よりは数段マシだ。彼女はヘルムのバイザーを下げ、空へと続くふちに立つ。
ユナックはすこぶる落ち着いていた。アデルの後ろに位置をとり、順番を待っている。
「大いに学んでこい!」
二人はディグナー隊長に激励を受け、順に降下してゆく。
高高度離陸はすぐに腰のレバーで足首に針を刺し、血を流路に流す。キルクロピュルスの爆発を最大にして高度を維持。空中待機する。
あれは次の日体が痛くなるんだよな、とヨダカは思った。横風に煽られながら、バランスをとりつつ待つのだ。錘を足に付けているとは言え、体中の筋肉を使う。
隊長が右の入り口に来いという。自分たちの後ろには副官も来た。三人が片寄ったため、飛空機が傾いたが、すぐに水平を保つ。
ヨダカが壁面の持ち手を握りしめて、開口部から海面を見下ろすと、ほぼ真下にキルクルスがいた。
太陽の光は青い海に白色をつくり、目に刺さる。ぼやけた機影が波紋でゆらめく。板を組み合わせてできている艀が沖に点々と浮き、港との間に青黒い傘のキノコが生えていた。
上の兄弟たちに食べ物を横取りされていたのか、小ぶりで貧相に感じる。青黒い鯨の皮膚と似た傘は平均の直径は百メートルだが、今回は六十かそこらだろう。伸びきった軸も低い。五十メートルあるか、ないか。海からニョロニョロと出す触手も使い方がわからないのか、先を少し出すだけで消極的だ。
ゴルグランドの機体とアロイライ機の中間にユナックたちは待機している。
向こうの飛空機がガクン、と均衡を崩す。右に傾いた。何事だと思ったが、勢いよく白い鎧の塊が飛び出した。一瞬見えた背の意匠は黒い鉄槌。エレノカだ。
彼女は頭を下に向けて、滑空を始めた。魚を狙う鳥のように降下していく。足の裏から血が蒸発し煙のように空に放たれている。キルクロピュルスの爆発で加速している。あんな速度でどうやって二人について来いというのだ。
「降下! 降下!」
ディグナー隊長が空へ叫んだ。二人は降下するために流路を止めて落下する。
「見せつけてくれるなぁ」
とディグナー隊長は剃り残しの髭をさすった。
エレノカはわざとだろう。指示があったに違いない。たしかに彼女を見たら、アロイライの降下方法は愚鈍に見える。足や尻に錘を付け、ほぼ座るような姿勢で落ち、堅実に高度を決めてから飛行する。
装具でも売り付ける魂胆か、とディグナー隊長のため息が聞こえた。
エレノカ准尉はキルクスの傘と高度を揃え、足の爆発を一旦やめた。宙でくるりと向きを整え、立つ姿勢で再点火。それを下方にブレずにやり遂げるのがどれだけ難しいか、どれだけの鍛練が必要か、飛空兵にしかわからないだろう。装備の違いとはいえ、ヨダカは三回生まれ変わっても、あれほど完璧にはできる気がしない。
しかしユナックはやってのけた。
アデルが飛行する軌道から離れ、風速から割り出した錘を捨て、頭からの姿勢に切り替えた。腰の流路を調節し再点火。速度を上げて降下。エレノカの高度にて、くるりと身体を半回転、また流路を調節し高さを維持。最後に横によろめいた以外はエレノカ准尉と変わらない降下だった。
「……あいつは何を考えてるんだ。将官学院の訓練じゃないんだぞ」
「隊長が学べと言ったからでしょう」
ヨダカがそう言うとリイロ・ディグナー男爵は口を隠して笑った。ヨダカは彼のその笑い方が好きでは無い。夏に川へ飛び込むときのような、いつもの爛漫な笑みとは違う。優秀な兵士を見つめる目でわかる。彼は野心を隠すのが下手だ。
「エレノカ准尉が抜刀しましたね」
ヨダカは笑みが抜けきらない隊長に言う。眼鏡式の肩眼望遠鏡が差し出された。空に吸い込まれないようにかけ、エレノカたちに焦点をしぼる。
「あれは東国の刀鍛冶を呼んで造らせたサーベルだ。かなり反りがあるだろう? 効率的に切り裂くためらしい」
「だいぶサーベルより軽いんですよね」
「そうか。ヨダカはエレノカ准尉と付き合いがあったな。俺より詳しいか」
「ええ。茶飲み友達ですが」
「そういう言い方をすると、逆に怪しいと思われるんだぞ」
「気を付けます」
上機嫌でお喋りをするディグナー隊長をよそに、エレノカ准尉は二人を連れてキルクルスに近づいて行く。彼女たちの高度はちょうど傘と同じだ。