14、ユナック候補生の受難(2)
腹いっぱいでヨロヨロと要塞へ戻ると、門に積み上がった真新しい木箱が目に入る。隊舎の食堂に顔を出すと、そこにも木箱が並んでいた。
テーブルを囲んで炊事兵や白婦たちと話していたのは、アーザック中尉だ。ディグナー隊長の次男である。
ユナックを見つけると、隊長の生き写しかと思える溌剌とした笑顔を見せた。
「ユナック戻ったか。無事で何よりだ。ランプーリ防衛感謝する」
ユナックの元へ来ると、肩を叩いて朗らかに言った。やっと兵士としての労いをもらえた気がして、背筋が伸びる。
「俺はディグナー隊長の代打だ。顔が似てるってだけだが、よろしく頼む」
「こちらこそ宜しくお願いします」
彼は騎士団に所属しているのに気さくだ。将官学院で騎士を目指すいけすかない貴族の子供と違い、明朗闊達なところも隊長に似ている。
ユナックは木箱を見て問う。
「荷造りでしょうか?」
「ああ、しばらく共闘軍の支援を受けることになった。援護の要請をしていたハモネイで、噴出孔の活性化が見受けられてな。彼らは自領の防衛に当たる。かなり急だが、本日付けでゴルグランド領サリエ隊がこちらへ着任となった」
「サリエ隊⁉︎」
ユナックの大声にアーザック中尉はくつくつと笑う。
「落ち着け。話は終わってないぞ。この隊舎を明け渡すから、君たちには辺境伯の別邸に移ってもらう。清掃まで終わったら、全員で移動を開始。俺は一足先に別邸に行く。アデルと協力して、なるべく早く頼むぞ。それと、ヨダカ大尉の荷物もまとめてくれるか?」
中尉からヨダカ大尉の私室の鍵を渡される。
一刻も早くここから逃げなければ。
怪我が完治しためでたい日だというのに、なんでこんなにも災難が押し寄せるんだ、とユナックは戦慄する。
壮絶な痒みを知っているのに放置され、腸詰肉のご褒美が苦難に変わり、その上あの人まで来るなんて、試練の日か!
「承知しました!」
アーザック中尉に返事をすると、四人部屋が並ぶ一つ下の階に駆け降りる。木箱を抱えたアデルを見付けると、向こうもこちらに気付いた。意志の強そうな黒い瞳と目が合う。一つにまとめた緑がかった黒髪を揺らしながら、お互い歩み寄る。
「ユナック、退院おめでとう。あなた私より酷かったのね」
「ありがとう、アデル。君も無事でよかった。それで、他の候補生を頼めるかな?」
ユナックの手にある鍵を彼女はチラリと見る。
「良かったら、私が大尉のお部屋をまとめようか?」
それは君がしたいだけだろ、との言葉は飲み込む。
「カルクとルイズ、セドニーを頼むよ。あいつら絶対に遊んでる」
「あなた面倒を押し付けてるでしょ」
「アデルが言った方が、言うこと聞くんだよ」
「まあ、いいわ。退院祝いに聞いてあげる」
「恩に着る!」
まずはヨダカ大尉の部屋からやろうと、廊下を進み一番奥の部屋を開ける。
意外と散らかす人なんだよな、といつも思う。本棚があるのにそこに入れずに机に積み、空のインク瓶を収集しているのか窓際に並べている。もし将官学院の教官が入ってきたら、燃やされるような部屋だ。
あのインク瓶は捨ててもいいものか、とユナックは悩みながら戸棚を開け服を畳み始める。
「あの……」
振り返ると、線の細い身体に赤毛を二つに縛った女の子がいた。つぶらな赤い瞳と目を合わせる。二つ歳下のミオンだ。
「どうしたの?」
「お礼を言いたくて。ユナックさんには感謝しかありません。ランプーリを守っていただき、本当にありがとうございます」
はにかんだ笑顔にジンと胸が温まる。頑張って本当に良かった、と素直に思う。
「家族は大丈夫だった?」
「はい。怪我なく避難できました。ユナックさんこそ、大丈夫でしょうか? あまり無理をなさらず、私に言い付けてください。できることは少ないかもしれませんが……」
彼女は一年ほど前、十五の成人の直後に候補生となった。アデルが世話を焼いているので、彼女とはあまり言葉を交わす機会がなかったが、びっくりするくらいいい子じゃないか、とユナックは感動する。
「ありがとう。じゃあ遠慮なく頼むよ。僕とヨダカ大尉の部屋の寝具を集めて洗濯部屋に出して、そのついでに木箱をもらって、ここの本を入れて欲しい」
「了解です」
その笑顔に癒されて、さくさくと大尉の部屋を片付ける。書類綴じと畳んだ服をトランクに詰め込む。本を入れた木箱を手の空いた候補生たちに運ばせて、セドニーのベッドの下から出てきた芸術的な女性の絵を一旦没収し、木箱を手伝いに来てくれた兵士に渡したり、誰のものか不明の下着を掲げたり、ルイズの隠しておいた菓子に虫が沸いてたり、慌ただしく時間が過ぎる。
清掃は日課に含まれているが、他領に引き渡すとあって大掛かりとなった。療養院の白婦達が手伝いに来てくれ何とか終わって食堂に集まると、夕刻の鐘が昼と夜の当直交代を知らせ、食堂の海側の窓が薄暗くなっていた。
「ここは朝日が差し込むけど、夕日は見えないのよね。ああ、何だか感慨深いわ。私、三年いたんだもの」
アデルがしみじみと食堂を見つめているが、そんな時間はない。サリエ隊がここに来るとわかっているのに、長居はできない。自分とヨダカ大尉のトランクを縛り付け、片手で持てるようにする。
「見納めってわけじゃないよ。さあ早く出発しよう。夕食の時間が迫ってる」
そのとき、あっと気付く。
晩餐の席を設けているかもしれない。
サリエ隊隊長のサリエ・ダーグス少佐は形式上、ダーグス男爵の第五夫人として娶られた。帝国で佐官になるには貴族になるしかないためだ。駐在兵士として隊舎で寝泊まりするが、貴族である以上、賓客としての歓迎を受けるのでは。それに今日は移動日だ。そう考えてもおかしくない。
ユナックは肩の力を抜く。
「もう少しだけ、目に焼き付けようか。思い出の場所————」
「見つけた、ユナックちゃん」
頭上からかけられた猫撫で声にビクッと震える。
今日は大地を作りしリズウルムス様が与えた試練の日なのだろうか。
まさか、このタイミングで来るとは。移動日に宿直から始めるとは。いささか仕事熱心過ぎやしないか。
背後の階段からコツコツと軍靴が鳴る。
その場の候補生の全員がばっと後ろを振り返って、敬礼をした。彼女の情報はアーザック中尉から聞いていたのだろう。入りたてのタキオン兄妹もすぐさまそれに倣ったのに、ユナックが最後になってしまう。
「お、お久しぶりです」
ストラ島域共闘軍の制帽から伸びる淡い薄桃色の長い髪。切れ長の瞳も同じく淡紅で、いつもの薄笑みを浮かべるサリエ少佐がいた。可憐な容姿でさほど背も高くないのに、キルクルス単独撃墜記録は歴代三位に入る紛れもないストラ島の英雄である。
「本当に久しぶりね。ジョルグ、どのくらいぶりかしら?」
「約一年ぶりですね。僕はちゃんと覚えていますよ。ミルド共闘軍基地の将官学院で彼と排尿の時間がかぶりましたから」
後ろから現れた三白眼の中年男性が言った。副官のジョルグ魔導術師だ。彼女の叔父であり、フィオリ大佐と同じく紫目。その優秀さは皆の知るところで、サリエ少佐の撃墜の記録が伸び続ける理由でもある。
「カ、カルクとタキオン、ミオン、ヌノランをご紹介しても、よ、宜しいですか? 少佐とは、しょ、初対面かと」
つかつかとサリエ少佐は敬礼したままのユナックの前に来る。これでもかと言うくらい距離を詰めて来る。ふわりと甘い香り、白粉の匂いがした。ユナックの軍靴に少佐の軍靴がコツンと当たる。
「わたくしは昔から知っているユナックちゃんの成長を見たいのよ」
彼女の歩を止めたのは制帽のつばだ。それでユナックの額をさりさりと擦る。
ここが本当に将官学院じゃなくて良かった。こんなことをされても女子の白い目と、男子の下劣な揶揄いしか生まないのだ。
この人は何かで隠れてさえいれば、その空間で何をしてもいいと思っている女性なのだ。今も身体で隠して、ズボンのポケットの中に手を入れられている。
優秀な飛空兵、そのうえ佐官で貴族。多少の傍若無人な振る舞いは許されてしまう。しかも容姿は悪くない。よってユナックの方に嫉妬が向くという、タチの悪さ。
七年近く飽きずにずっと揶揄いの対象にされていたら、来るとわかれば逃亡するだろう。
早く敬礼を返してください、とユナックは願うが、サリエ少佐は耳元で温い吐息とともに呟く。
「下の子を身代わりにするなんて、本当に後見人に似てるのね」
後見人、とユナックは頭の中で繰り返す。自分はビスガット孤児院の出だ。そんな人はいない。遠回しの意味で受け取るなら、ディグナー隊長のことだろうか。
「サリエ少佐殿、こちら見てください。窓から見えるは、恐ろしいくらいの水平線です。あなたの胸のように真っ平らだ。これはアロイライの宣戦布告では?」
ジョルグ魔導術師が事もなげに言った。彼の探求で最も重きを置いているのが、豊胸の魔導術だ。それについてサリエ少佐とは全く折り合いがつかないのも有名である。
目の前のこめかみにビシと青筋が浮いた。サリエ少佐が乗馬用の短鞭を腰元から抜く。
「それってあなたの宣戦布告になるのがわからない? 四つん這いになりなさい」
ようやく敬礼が返ってきたので、ジョルグ魔導術師に感謝し、ユナックは叫ぶ。
「我々は失礼します! 防衛任務、感謝いたします!」
階段前にいたサリエ隊の女性兵士にクスクスと笑われるが、会釈で済ませて階段を駆け上がる。門まで来ると、胸を撫で下ろした。
「逃げ切ったぁ……」
「ニヤニヤして、満更でも無さそうだったけど。それに下の子を身代わりにするとか聞こえたけど、本当なら信じられないわ」
とアデルが冷たく言う。
あれほど暖かな言葉をかけてくれたミオンも同情するつもりがないのか、無言の無表情だ。
自分は被害者だ、とユナックは頭を掻く。
「アデル、飛空兵同士の初対面での紹介は共闘軍内規に定められているの忘れたのか」
平たく言えば、お互い喧嘩を売らないためだ。殴って鼻血でも出たら、顔面が吹っ飛ぶ。
しかし先行く彼女は肩を竦めるだけだ。
「ユナックさんてやっぱり燕ってやつなの?」
「そんな言葉どこで覚えたんだよ」
カルクとルイズの思春期突入組がアレコレ言い始めるのをあしらう。検問所で出入りの代表署名を書きながら、二人に兄貴風を吹かせるセドニーがあまりに下品な発言をするので注意する。おおよその知識はコクト少尉から得たのであろう。
はたと気付く。そうだ、自分のことばかりだったが、恩人であるコクトさんが見当たらない。
門扉から出て、歩を進めながら聞く。
「コクト少尉は先に別邸にいるの?」
ガヤガヤと話していた三人はキュッと口を結んだ。
まさか。自分を救護してくれたのは彼だ。そんなはずは……。
ユナックの様子に慌ててセドニーが口を開く。
「コクト少尉は生きてるよ。戦闘から三日で退院した。でも……」
彼の言葉に安堵するが、まだ続きがあるようだ。
「療養院に街の人が避難してるだろ? あの人、連日女の人を口説き回っててさ」
さすがに乙女の神を祀る場所でやることではないが、コクトさんらしい。
「それがアカシア白婦の耳に入って、ハモネイ領の大尉殿にそれとなく伝わったんだって」
ユナックは事の顛末が見えた。コクトさんはハモネイ領から長年駐在している派遣兵だ。自領でできないことを、アロイライ領で行える喜びの為に生きている。しかし今回は調子に乗り過ぎたのだ。
「今日の朝、急にアーザム中尉がハモネイの大尉殿と副官を連れていらして、コクト少尉の金玉蹴って縛って連れて行ったんだよ。アーザム中尉はハモネイ領に一時帰還するって仰ってた」
コクトさんが逃げる前に馬車に押し込んだのだろうか。しかしハモネイの方たちの昼飯は遅かった。それまで放置するとは……バーチ大尉ならあり得るか、とユナックは結論付けた。
「俺、女の人が金玉蹴るところはじめて見た……」
そう言う十三のルイズはそこがヒュンとしているのか、モゾモゾとする。だから三人は一瞬黙ったのか。
「まあ、うん。帰ってらしたら、僕たちだけでも慰めて差し上げよう」
そう言うと、三人は神妙に頷いた。




