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13、ユナック候補生の受難(1)



 寒い。

 目を薄く開けると氷が浮く水が見えた。歯がガチガチとなり、言葉が出ない。

 白い壁の部屋にはベッドと、椅子、自分の浸かる浴槽。壁に飾られたタペストリーには背に羽のある女性が描かれている。療神様だ。

 ということは、ここは療養院か、とユナックは理解する。

 しかしこんな処置はじめてだ。凍死するのではないかと思うほど、冷やされている。全力で火砲を放ったからだろうか。包帯で怪我はわからないが、血は滲んでいない。

 いつもなら火砲を放った腕や、飛行のために傷を付けた足の処置だけだ。冷却魔導術がかけられた包帯を巻かれ、傷が治るまでベッドで過ごすが、三食の食事も出るし、排泄も自分でする。体の中のキルクロピュルスが安定すれば退院だ。それで一日二日で怪我が完治するのは、飛空隊の数少ない特権だろう。

 こんな拷問のような処置をされているのはなぜ……、とユナックは思い出そうとしたが、瞼は重く閉じようとしていた。


「あら、起きているの?」


 人の声に意識がまた戻る。扉の前に誰かがいる。他に何人か入って来た。挨拶は口が戦慄いて出ない。


「このタイミングで起きちゃうなんて、運が悪いわね」


 ザブンと身体が持ち上がる。数人の手によって運ばれているようだ。かすかに風があたり、身を切るように痛い。まるで吹雪の中を走っているようだ。しかし身体を掴む手の温もりは焚き火のように温かい。あべこべに体感する温度の後、寝かされたベッドは川遊びの後で寝転んだ石を思い出した。背中から冷たさを受け取ってくれる、陽で満遍なく加温された優しい石。きっと魔導術だ。


「服を脱がして、傷が無いことを確認してください」

 

 意識がはっきりしてくると、指示を出しているのがシナギ准尉だとわかった。他は壮年の男性研究員なのに、と裸にされたユナックは羞恥が込み上げる。

 長い黒髪と陶器のような肌。ペンシルを走らせる伏せた睫毛の奥に淡い青色の目。時折、じっとユナックの身体を検分する。


「足部の流路は割れてないかしら?」


 薄い小さな唇を少しだけ開けて喋る。眉間の皺さえ無ければ、彼女は多くに思慕されることだろう。逆にそうしていなかったら二十四で年上の男に指示するなど務まらないのか。

 ゴロゴロと身体を転がされ、あちこちをじっくりと調べられる。足や腕をあげたり下げたり広げられたり。十五歳で止まった身体は隈なく晒された。


「大丈夫みたいね」


「あ、あの……」


 ようやく声が出るくらい身体が暖かくなってきた。しかし別の問題が生じている。


「身体が、とても痒いんですが、掻いても宜しいでしょうか」


「ダメに決まってるじゃない。すぐに拘束着を着せてください」


 たぶん身体のキルクロピュルスが起き始めたからだ。全身がムズムズとする。これを掻いてはならないとは、とユナックは顔を顰めるが、すぐに驚きで目を見開く。

 さっきまで氷水だった浴槽からもうもうと湯気が上がり始めた。傍らにシーダー魔導術師がいる。術でお湯にしたのだ。

 これは想像に固く無い、とユナックは寒さではなく青褪める。このままでも痒みが激しくなっていくのに、風呂なんて入ったらどうなるか。

 ダメだ、薬をもらおう。眠れないときにもらうものだ。あれでやり過ごそう、と准尉に声をかける。


「あの、眠ら——」


 そう言ったが続きが出ない。グッと口に布が入れられたのだ。


「ん、んぅんんっんんぅ!」


 薬を、眠らせてください、と言ったが、シナギ准尉は首を傾げて無視だ。この人は本当にヨダカ大尉以外を埃くらいにしか思っていない。


「運びましょう」


「おお、ユナック。起きとるのか。物好きじゃのう」


 シーダー魔導術師は和かに言った。


「んーんっんーんんんんぅ!」


 違うんです、眠らせてください、と首を振ろうとするが、拘束着で少ししか動かない。


「入れてください。私たちはその間に昼食を食べましょう」


「わしはここで食べるとしようかの。ユナック、寂しくないぞ」


「んんんっーんぅんん!」


 寂しくていいので薬を、とユナックは切実に訴えるが、ザブンとまた浴槽に戻された。拘束着に浸透した湯は身体中のキルクロピュルスを目覚めさせた。血管がギュルギュルと動き、臓器がビクビクと痙攣する。


「んっー‼︎」

 

 痒い痒い痒い、どこもかしこも痒い。皮膚もその中も、生を受けた全ての部位が痒い! しかし身悶えることすらも不可能だ。


「いやはや、壮絶な痒み。わしも体験してみたいのう」


 シナギ准尉と研究員たちは扉から出て行く。

 シーダーは椅子に座り、モシャモシャと名前のわからない野菜を食べ始める。彼は平時、探求心しかない。お助けを、とユナックは涙が出る目で懇願するが、彼と目が合うと微笑まれるだけだった。





「眠らせて欲しいなら、早く言えば良かったじゃないか」


 食後のお茶を入れながら、アカシアさんが言った。

 着替えが終わり、療養院の食堂で白婦アカシアさんから料理を出され、それを食べ終わったところだ。


「そうですけど。あの人たち、おかしいと思わないんですか?」


 湯が冷たくなった後、文句を言える状態ではないほどにユナックはグッタリと力尽きた。無論、誰からの謝罪もなかった。


「地下にいる奴らは無駄だよ。なんたってマリア・フィオリ子爵の子飼いだからね」


「そう言われると納得しちゃいますけど」


 フィオリ大佐は研究所と魔導術隊を束ねる方だ。両方の才覚を貴族の生まれで持っている。そして残酷という概念がまるでない。人体を熟知した彼女が行う拷問や処刑にいっさい酌量がないことは、ストラ島では有名だ。

「これは決まりなのよ」

 ユナックもそう言われたことがある。

 あれはキルクルスの骨を埋める日だった。オルタナシア療養院の地下、普段入ることの許されない不可侵の領域で、あまりの恐怖で逃げようとしたのだ。覚悟していたことだったが、抑えきれなかった。しかし彼女は慰めも労りもなく、頬を打ち、ああ言うだけだった。

 あの人に感化されているのなら、あの痒みの地獄は可愛いものだった、と自分の考えを改める方が早い気がする。


「ユナック、ヨダカはまだ治らないのかい?」


 一緒に茶を飲むアカシアさんは頬杖を付いて言った。


「僕は何も聞いてません。他のみんなは回復したのですか?」


「あとはヨダカだけだよ。もう七日も経つのにね」


 もう七日も経っているとは、不思議だった。

 痒みとの死闘の後、身体に空いた穿孔の中まで丁寧に水を拭き取られながら、あの夜からの経緯を聞いた。

 三体目は海上で撃墜し、見事ランプーリへの上陸は阻止した。

 キルクルスの母体の波状音で港の硝子という硝子が割れ、街の人に多少の怪我人が出たが、死者はいないとのことだった。未だ巨大なキルクルスの回収が終わらず、腐臭が酷いので、海に近い住民は療養院に避難しているらしい。

 その間キルクルスは出ていないが、共闘軍に要請した飛空隊が待機してくれている。


「一緒に戦ったハモネイの人たちは二日前から起きはじめて、最後の一人がさっき起きたって聞いたよ。今から揃って食事さ」


 その言葉どおり、ぞろぞろと入って来たのはハモネイの飛空隊員たちだ。一際背の高い、明るい茶色の髪の女性と目が合う。


「やあ、ユナック候補生じゃないか」


 ガタッと席を立ち、敬礼をする。


「バーチ大尉、お久しぶりです」


 援護隊はバーチ隊だったのか、と敬礼を返す彼女を見つめる。

 これはきっとヨダカ大尉と飛空機で一悶着あったに違いない。彼女と大尉は旧知で仲がよろしくない。

 バーチ大尉がユナックの向かいの席に腰を下ろし、オレンジ色の瞳を細め着席を促される。


「大した成長ぶりだな。三体目の次発は君だろう? 命綱も着けずに全力で撃つなんて馬鹿だな。どうせヘタレ大尉に興奮剤を打たれたんだろう? あんまり薬に頼らないほうがいいぞ」


「ご配慮、感謝します」


 彼女の言い草に、出撃の際は毎回打ってるとはさすがに言えない。

 アカシアさんが大尉の前に皿を置く。白婦の役割に従事することにしたらしい。静々とスープやパン、魚の香草焼きを出す。そんな彼女を大尉は呼び止めた。


「悪いが一件頼まれてくれないか。私たちはこの後すぐに帰還する。禁酒の決まりがある療養院の白婦殿に頼むのは気が引けるが、酒を樽でここに送る。それをヨダカ大尉に渡して欲しい」


「酒樽をくれるんですか⁉︎」


 アカシアさんの大声に、バーチ大尉には珍しくビクッと体を震わせた。療養院の白婦がこんな嬉々とした反応を見せるとは思わなかったのだろう。


「……ああ、ヨダカ大尉とそういう約束をしたからね。明後日には着くだろう。白婦殿が受け取り、彼に渡しておいてくれると助かる」


「もちろん承ります。ああよく見たら、あんたいい女だね。腸詰の肉は好きかい?」


「振る舞って貰えるのなら、ありがたく頂くよ」


 腸詰肉。ユナックは食事が済んだばかりだというのに、食欲が沸く。

 バーチ大尉と昔話を交わしていると、アカシアさんは茹でた腸詰肉の大皿を大尉の前に置く。

 予想はしていたが、ユナックの分はなかった。自分もランプーリを守るために尽力したのだが、アカシアさんには酒樽の方が感無量なのだろう。

 バーチ大尉は机を二回指で叩いて、別席にいた副官の魔導術師に皿を取りに越させた。


「君もあっちで食べて来い」


「でも……」


「我が隊の男供は君に触発されて、二発目を撃ったんだ。命綱無しで全力で撃って海に落下する候補生なんて、はじめて見たからな」


「あれは救助する者がいたからこそで……」


「そうだとしても、私の命令を無視させた君の内なる気概を、今だけは称賛するよ」


 内なる気概、とは興奮剤を考慮しても凄いと褒めてもらっているのだろう。

 離れたテーブルにいる兵士五人を見た。見た目は二十歳前後だ。飛空兵は骨をだんだんと大きくし、体液保有量を増やしていく。ヨダカ大尉やバーチ大尉と同じく、自分よりだいぶ年上だろう。寡黙そう男たちだが、微かに笑いフォークに刺した腸詰を指差した。お誘いと受け取って良さそうだ。ユナックは席を立つ。


「だが我が部下たち、帰ったら覚えておけよ。命令無視したにも関わらず仕留めきれなかったことは、存分に糾弾させてもらうからな」


 バーチ大尉の低い声に、五人のハモネイ兵は日照りに枯れる苗のように消沈してしまい、腸詰肉はユナックがほとんど食べることになった。せめて食べ終わってから言って欲しかった、と無理矢理に腹へ詰め込む。



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