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11、平伏の造花(5)



 すぐ命綱を付けて飛んだことを後悔した。バーチ隊がこれを離脱と捉えているのはその性分だろうか。


 アデルとミオンのいる艀が港に進むキルクルスに近い。西の端、先ほどいた場所まで戻れなかったのだ。

 そしておそらくアデルとユナックが全力で撃ちにいった。

 ミオンは荒波で揺れる艀で落ちるもんかと、ぐったりとしたアデルを守っている。

 コクトは意識のないユナックを担いで海上ギリギリを飛んでいる。二人ともミオンたちの艀が一番近い。

 しかしその艀はこのまま撃墜すれば衝撃で転覆してしまうだろう。それに全力で撃ったのなら、冷却措置は必須だ。今の時期の海水では応急処置もままならない。


 バーチを殴っておかなかったことを後悔する。


「バーチ! ぼくは救護に向かう!」


「よく見ろ!」


 後方で飛ぶバーチが叫んだ。

 前方の要塞方向から波飛沫が艀に向かって一直線で来ている。水翼船だ。飛空機と同じく魔導術で動かしているが、いつもより高速だ。おそらく二馬力、三馬力か。なりふり構わず発動しているのだろう。その船頭に立っているのはフィオリ大佐だった。冷却装置の発動は彼女が一番上手い。加えてあの速さならば四人を回収後、沖に出れる。


 ほっとしたが、フィオリ大佐に言っておかなければならないことがある。


「ヨダカ大尉、今から出撃します!」


 フィオリ大佐が集音術を行使していると信じて叫ぶ。ハモネイの援護の火砲で明るくなると、彼女は悪鬼の形相でこちらを見ていた。おおよそのことを察したのだろう。


「あの美人子爵は本当におっかないな!」


 バーチは笑った。絶対に絶対に殴ってやる、と心に誓う。


 キルクルスはすでに第三警鐘域に入っている。鐘は街を捨てて逃げろと絶え間なく鳴っている。それを遠のかせるのは巨大なキルクルスの耳鳴りだ。ランプーリにいれば聞こえるだろう。

 キルクルスは港まで三百メートルほど手前で、ハモネイ領の飛行隊員と触手で遊んでいる。


「あの囮の見積もりが取れるなら、百万ガベルだ! でも喜べ! 今回は私のご配慮で無料だ!」


「でもお前は絶対に殴る‼︎」


「それはシラフで言え! 行け! 撃て!」


 なんて煽るのが上手い奴なんだ。興奮剤の有無を熟知されているのがまた腹立たしい。

 彼女の実家がオレンジ農家であるから、瞳がその色を選んだという挿話にクスリと笑っただけなのに、事あるごとに彼女はヨダカに難癖を付けてくるようになった。しかしそれがもし、今のための布石ならば驚嘆だ。二発は殴っても良いだろう。


 ヨダカの登場でハモネイの兵士たちは脇に飛ぶ。

 キルクルスの正面に回り込み、左の二の腕の付け根の裏にある引き金四つを全て倒す。命を繋ぐ太い血管が破れ、血が吹き出す熱を感じる。

 扇風の魔導が籠手の中で巻き起こる。発動している魔導術師の気合いが満ちているのがわかる。彼らはキルクロピュルスの爆発を押さえ込んだ上で発動する。その対価で身体を切り刻まれる恐怖に打ち勝ち、ヨダカに力を託しているのだ。街を救えと咆哮しているのだ。彼らの名前は決して明かされない。ただ砲を外すことは許されないと刻まれる。死ぬなよ、誰かさん、とヨダカは願う。籠手から溢れた血がバチバチと爆発する。


 バーチはキルクルスの触手を誘導している。背面飛びをし、捻りまで加える始末。おまえはご機嫌だな、とヨダカはさらに煽られる。


「バーチ! 両腕で撃つ! 右の引き金を倒せ!」


 バーチがすぐ後ろまで飛んできて、ヨダカの右腕の引き金を全て倒す。


「ヨダカ大尉、二発なんてよくやるね。素敵だ。君の血の残量じゃ、きっと撃墜には至らないのに」


 バーチの腕が腰に巻き付き、後ろから抱き留められる。


「今更すごくいい男に思えるよ。身体は支える。止血紐もしてやろう。悔い無く撃て」


「目が覚めるような不快感をありがとう」


 ヨダカがそう言うと、左の籠手から扇風の魔導が一気に血液を押し出す。バーチの笑い声を掻き消した。

 水平線を隠すキルクルスの母体は、ギュインギュインと波状音を発した。蒸気で弾着箇所は見えないが、確実に当たったようだ。だらりと左腕が落ちる。

 鳴かせて悪いな、とヨダカは右籠手でまた狙いを定める。こちらも必死だ、そういう反応がないとやる気が削がれる。

 バキン、と右肘の籠手が割れる音がした。血を溜める内側の装甲が割れたのだ。熱い流動を血を抜かれた痩せ細った腕で感じた。

 大丈夫、骨の在庫はある。たとえ吹っ飛んでも五日あれば肉も育つ。キルクロピュルスに感謝だ。その前に今夜、三度目のお別れだ。

 周りの空気を一瞬にして燃やすような火砲が放たれる。


 意識が飛んで、目を覚ました時にはもう宙吊りになっていた。腰や脇、背中に通された命綱から、冷却の魔導を感じる。キルクロピュルスが荒ぶる体に焼石に水だと思ったが、あのコクトに銃を発動させた魔導術師はわりとマトモなのだろう。肩がみるみるうちに凍っていく。ここまで凍らせることのできる者はなかなか少ない。

 ググッと綱が引っ張られ、機内への引き上げが始まったが、突如の豪雨で中止された。


 キルクルスが逆流を起こしたのだ。傘の端にいくつかある噴気孔から、おびただしい数の消化しきれていない魚、二匹分の共食いの残骸、そしてそれとともに吸い込んだ数多の海水が吹き出した。すべてが降り注ぐ。

 飛空機がバランスを崩して、下降する。すなわち自分は海に沈み引き回される。こんな冷却方法はごめんだ、と思ったが引き上げられた。今ので墜落しないのは、操縦士や飛空の魔導を発動させている術師がどれだけすごいのかわかる。これでがめつい隊長がいなければ素晴らしいのに、とヨダカは思った。


 逆流は逃亡の兆候だ。命を脅かされた証だ。あとはトドメだ。

 湯気を消した腐食の雨の中、バーチは全く動じることなく力を溜めていた。彼女が興奮剤を嫌っていることを思い出して尊敬の念が浮かぶがその念は殴って海面下だ。尊敬はこの状況でキルクルスを打ち抜いてからにする。

 彼女は何事か叫んだ。おそらく守銭奴たる者の心得だろう。同志を恫喝してでも得ようとする栄光は彼女に興奮と冷静を与える。ランプーリはもうそれに縋るしかない。

 バーチの砲はキルクルスの心部を得ている。炭火のように赤く焦げた下部目掛けて放たれる。眩しくて目を開けていられない。

 それが何秒後かわからない。


「ちくしょう‼︎」


 バーチが叫んだ。

 彼女の鎧の隙間から垂れる血が爆発して、脇腹の装甲を飛ばす。ヨダカと同じく宙吊りになっている。


 やはり自分のような浅学な者に飛空隊員は向いていない、とヨダカは思った。

 瞬いた目が捉えたのは触手を引っ込めたキルクルスだ。

 バーチの砲を受けて、なぜキルクルスが立っているのかわからない。自分の援護も誉だろう。ならばキルクルスは倒れるに値する。


 キルクルスの白い軸の下部は肉が削がれ、芯となる軟骨や水球体が露わとなっている。しかし心臓部を守る心骨(しんこつ)という部位にはひびと焦げがある程度だ。


——キルクルスは陸がわかっているわ。


 誰かの声が聞こえた。

 キルクルスは海面に下ろしていた触手で根本の抉られた傷を隠すように巻け付け始める。


——陸に上がるとウジャウジャある口腕は邪魔になるから、軸にすべて巻き付けるの。


 この声はフィオリ大佐だ。だとしたらエマの記憶だ。フィオリ大佐は彼女を心底愛していた。

 そこにヨダカはいないのに、身体の中の彼女の記憶の音が広がる。


——長さはちょうどキルクルスのキノコの傘と同じ幅だけあるわ。軸にクルクル巻きつけると、大きな柱みたいになるの。それから陸上では倒れ込んだあと、芋虫のように動き始めるのよ。

 その前の段階が厄介なのよね。軸が硬くなるの。つまり興奮状態の男と同じよ。巻き付けのために、口腕は軟化するのだけど軸へ一旦体液を送るの。おかげで軸の管は充液し、膨張する。この時、砲は威力を削がれるわ。粘度のある体液は濃度を増す。一番倒したいときに、一番厄介になる……ほんとに同じね。


 エマ、君がいてくれたのに。ヨダカは口の中の血が破裂するのを感じた。

 ハモネイの飛空隊は飛ばない。飛空機に酸素が残っていないのを思い出す。

 バーチ、お前は殺す、と思いながら吐血する。バチバチと蒸気を上げながら血が蒸発する。こめかみから噴き出た血で、バイザーが吹っ飛んだのは幸運だ。中に血が溜まれば顔が吹っ飛ぶ。もうそれくらいしか幸運は残されていない。

 しかし一人、二人とハモネイの兵士が腰に綱を巻いて飛んで行く。


「バカ、行くな……!」


 それは出し抜かれる悔しさなのか、仲間を思ってのことかはわからない。褒章のために愚策した女を理解できない。

 バーチ隊の五人は命綱をつけて飛空機から飛び、火砲を撃った。


「無駄なことを……」


 とバーチがまだ笑っている。本当に全力を出したのか、と殴り殺して問いただしたい。

 やがて公開処刑のように血塗れの七人が吊られてもなお、キルクルスは聳え立つ。飛空機は西へ飛び、どんどんと高度を落としていく。この飛空機も限界に近い。

 まあ、疑うことのない絶望だ、とヨダカは霞む目で小さくなっていく港を眺める。ランプーリは潰れるだろう。共闘協定と言っても、他領の要塞がある街が潰れるのをほくそ笑むのは当然のことだ。顔に張り付いた笑みを消してから来るに違いない。


「ご機嫌よう、ヨダカ大尉」


 目の前にイルビリアが現れた。

 最悪な幻覚が始まったらしい。兜をしていない彼女は海風に薄い金色の髪を靡かせて微笑んでいる。体内の破裂でビクビクと動くヨダカの肢体に、彼女がそっと手を伸ばす。


「助けてと言ってくだされば、わたくしはどこへでも参りますのに」


 そう言って腰から伸びるロープを外そうとする。なるほど、海に落としてトドメを刺しに来たのか、とヨダカは笑う。ずいぶん趣味の良い幻だ。


「なんで、お前が、いる……⁉︎」


 そうバーチが言ったのを聞いて、目の前のイルビリアが幻覚ではないことを知った。



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