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01、志願兵(1)


 ガンドベル帝国、南の果ての領土ストラ島には例外が三つある。


 一つは五人の辺境伯がいること。


 二つ目はすべての辺境伯が帝国に併合された貴族であること。列強の一等に名を馳せるガンドベル帝国と開戦なき統合を締結したか、無謀な戦いの最中に寝返った者の子孫である。


 三つ目は五十年前のストラ島紛争協定が一度も破られていないこと。大陸ではあらゆる約束事を破って始まった領土争奪の大戦を経ても、それが帝国の優位を揺らしても、協定は守られ続けた。


 ストラ島の五人の辺境伯は戦争どころではないのだ。

 鉛玉すら切れる東国の剣でも、魔獣を吹っ飛ばす魔導の銃でも、大岩を砕く大量の火薬でも太刀打ちできない化け物。それが無限と海より出る。

 キルクルス。

 その巨大な青黒い化け物を排除することに、ストラの島の者は感情のすべてを滾らせている。

 それに唯一、立ち向かえるのが飛行隊である。





 支給されていた革の防具を外し、周りを見ながら服も脱いでいく。同じ女性ばかりとは言え、やはり裸になるのは恥ずかしい。それを紛らわそうと、ファミは隣の女の子に声をかける。


「さっき話、キルクルスを含めたら例外は四つですよね?」


「……そうだね。四つだと聞いていられない人がいるから、三つって言うんじゃないかな」


「四つもあるのかよ、って感じですか? そんな人ここにいますか?」


 とファミは無理矢理笑った。肌着を折り畳み、意を決して麻胸当てを取っていく。


「それが時々いるんだよ。観光のつもりなのか、なんなのか」


「へえ。でも軍の説明はツッコまれないように、もっと難しくしてると思いました」


 平民の文字も大して読めない自分でも気付くのだから、誰が指摘してもおかしくない。あとはパンツだけ、とファミは意気込み腹の紐を解いていく。


「あの人はまだ辺境伯軍じゃないよ。候補生だから」


「そうなのね。あの、詳しいですね?」


 ファミはそう言って下着を脱ぎきった。スッポンポンである。

 他人の裸をあまりジロジロ見るものではないが、物知りげな隣の子を見ると薄く微笑んでいた。背は少し高いが、自分と同じくらいの十六、七歳だろう。肩までの黒い髪、色白の肌、少し眠そうな瞳は銀色だ。そしてまだ服を着ている。立襟の上着に着いている金ボタンは一つも外されていない。


「ぬ、脱がないの?」


「きみが最後だよ」


 と女の子は言うと、扉まで行ってしまう。くるりとこちらを向き、部屋を見渡す。


「準備できたようだね。それでは案内する。荷物を置いて着いて来なさい」


 そっち側の人間なの⁉︎ とファミは羞恥と恐慌で頭がいっぱいになった。

 よく見たらわかったことだ。立襟の上着は藍色だ。金ボタンにはガンドベル連邦王国、国鳥の意匠。

 つまり辺境伯軍の軍人であり、監視員だろう。



 ファミが奉公先を脱走したのは、よくある理由だ。仕事の押し付け合い、無意味な嫌がらせ、絶えることのない悪口。お金のためとは言え、辟易していた。

 戻る家には父母と兄夫婦がいるし、畑も小さい。そんな故郷には食いぶちになるような仕事はない。

 だからストラ島に行く船は志願兵なら無賃でいいと聞いて飛び乗ったのだ。

 大陸からまる二十日かかると言うのに、水も食料も服すら支給される!

 そして大陸では珍しく女でも兵士になれる!

 英雄譚が好きなファミにとって、お針子の仕事よりも魅力的だった。

 海に揺られる船が異形な形をしていても気にならないほど、胸を躍らせていた。



 廊下を裸で歩く。ファミの他に十五人いる。少し異様な雰囲気だ。窓はなく、白い壁が続く。成人の挨拶で入った地主のお屋敷は木の柱や大きな窓があったが、どちらもない。ただ延々と白壁があるのみだ。

 ここがアロイライ辺境伯の館であることを再確認したくなる。この先にゲタモノが待っていても逃げ場はない。そもそも裸にされているのだから、外に出ることも叶わない。服も置いて来た。……つまり、逃しやしない、というやつだ。

 通された部屋は白いカーテンに仕切られていた。カーテンの前に療養院に従事する白頭巾の老婆がいる。その姿は大陸でも見覚えがあり、ファミはほっとした。


「扉は開けたままで良い」


 と先頭をいく軍人の女性はこちらに向き直る。


「採血はこちらのカーテンの中で行う。済んだら医術師と面談し、さらに奥のカーテンに進む。進んだ先の敷布の上に床座で待機するように。今の説明を繰り返す————」


 ファミは船上の二十日で得た知識を思い出す。

 藍色の立襟の上着は軍人。その中でも金ボタンは将校。それがガンドベル帝国では通例。貴族が多い……。

 今説明している女性は将校なのだ。若く見えたが、歳上だろう。しかも貴族だったら、粗相した自分はどうなるのだろうか。

 案の定とも言うべきか、ファミは最後だった。今の季節、裸でもちょうどいいくらい温暖なストラ島だが、ファミの背筋は冷たい。


「あ、あのさっき……すみませんでした」


 ファミの謝罪を女の子はふっと笑った。


「別にいいよ。よく間違えられるんだ」


「でも、最後に残されてるし……」


「きみの公用語の頭文字『ファ』は軍の文字列で言えば最後となる。それだけだよ」


「そうですか」


 ファミはとりあえずホッとする。彼女は貴族ではないのだろう。もしも貴族の軍人なら張り手くらいしているはずだ。


「しかし金ボタンには注意した方がいい。ほとんどが貴族だ。加えてこのストラ島は軍人社会だ。初対面の者には慎重に、礼儀を欠いてはいけない」


 こくりと頷くが、彼女は困ったように笑う。


「返事は口で言った方がいい。とても大事だよ」


「は、はい!」


 ファミの名前が呼ばれ、カーテンの中で採血が始まる。

 火鉢の炎で熱された針が左手の中指、薬指、小指に刺さる。指から滲み出た血液を、療養院の白頭巾が黒い紙に付着させる。


「……っい⁉︎」


 これがなかなか痛かった。針で指を刺したことはあるが、患部を力いっぱい押さえ付けられたことはない。白頭巾の中年女性はその間無表情だが、指には一滴も逃すまいとする執念を感じた。

 最後に指を包帯で巻かれると、医術師の老父が目、口、呼吸などを調べる。それは簡単に済んだ。

 一番時間が割かれていたのは、黒い紙に指を押さえ付けられることだった。包帯には血が滲んでいる。

 それは他の子も同じだったのだろう。敷布が並べられた空間で、子供から女らしい身体つきの者まで、ひそひそと話している。


「わたし、すごく強く指を押さえられたんだけど」


「あら、わたしもよ。痛かった」


「あの黒い紙、熱くなかったですか?」


「何なのかしら。少し乱暴よ」


 失礼をした自分だけではなかったのか、と思いながら床の空いている敷布に歩いて行く。敷布は一人分が寝転がれる程度で、ところどころが汚れて黄ばんでいた。いい気分はしないが、立っていたら裸体を鑑賞される。膝を抱えて座ると、カーテンを抜けて先ほどの女性軍人が現れた。


「そう言わないでくれないか」


 彼女は笑みのまま開口した。軍服のせいか体格が良く見える。顔の輪郭も丸みがなく、骨張っていた。声は少し低めである。


「先ほどの試験は、飛空隊員になり得るかの検査の一つだ。この島の白頭巾はほとんどが家族を亡くしている。キルクルスに恨みを抱き、倒す者を求めている」


「恨みって……。療養院は療神を奉るところですよね?」


 一番年嵩の女性がおずおずと質問した。

 つまり神院だと言いたいのだろう。それに属する者は聖職者であり、汝の傷を恨む事なかれ、と諭すべき立場だと。


「まあね。でも療神に願っても無くなった腕は生えてこないし、死者は帰らない」


「療養院は、そういう無常を乗り越える場所だと思うのですが」


「……無常を乗り越える?」


 女性軍人はキョトンとした。その顔はあどけない。本当にいくつなのだろう、とファミは思った。


「少なくともこのアロイライ辺境伯領にそんな崇高な人間は残っちゃいないよ」


 アロイライ辺境伯領。ストラ島の北東に位置する領地だ。これも船の中の知識だが、月の満ち欠けのようにキルクルスという化け物が出る海域は変わり、ちょうどアロイライ領は激戦区になっていると。故に慢性的な兵士不足で、本土の人間に有志を募っているのだ。


「検査結果が出るまで私語でもどうぞ、と言いたいんだけど、もうすでに出たみたいだね」


 採血をした中年の白頭巾がカーテンから顔を出し、首を横に振った。その表情は針子のとき、女親方が声を荒げる直前に似ていた。


「そんなもんだよ」


 女性軍人は白頭巾に声をかけた。表情は変わらなかったし、怒ることは一つもないのだろう。しかし白頭巾は盛大な鼻息を出して、カーテンの中に戻って行く。


「では次について説明する。船上で噂は聞いたと思う。薬が身体に合うかどうかの確認だ。この結果によって飛空隊の候補生となるべきか決める。どんな薬かは差し控える。質問しても答えられない。辞退は今を持ってできなくなるが、希望者はいるか?」


 女性軍人は一番年下の少女を見た。たしかヌノランだ。十歳で、兄妹で船に乗ったと言う。


「怖かったら、やめても……」


 バッとカーテンが開いて、中年の白頭巾が現れた。女性軍人に何事か言う。


「わかった……。説明を続けよう」


 女性軍人はそれきりヌノランを見なくなった。辞退の希望を聞くのもおざなりで終わる。


「ほとんどの者が体調を崩す。体の痺れ、頭痛、眩暈、腹痛、吐き気。あとは発熱、下痢なんかも出るね。君たちが裸でいるのはそのためでもあるんだ。手荒いけど、服を洗濯するより裸でいてくれた方が楽でね。落ち着いたら衣服は着せるし、症状は全治するから安心してくれ」


 げっ、とファミは思わず顔をしかめた。敷布の汚れはまさか前人の……、と考えたが、説明は止まらない。


「薬は水に溶かしてある。二口で飲み切れるだろう。苦くもないが、甘くもない。少し塩気を感じる程度だ。もし無味だった者は白頭巾に言ってくれ。君たちには白頭巾が一人ずつ付くから」


 ズラズラと白頭巾の女性たちが部屋に入って来る。ファミはあの中年の白頭巾に当たったら嫌だな、と思ったが彼女は女性軍人の横に立っていた。療養院の白婦と呼ばれるまとめ役かもしれない。


「では一気に飲んで」


 ファミは若い白頭巾から銀杯を渡された。

 また船の中の話が思い出される。

 出される妙薬を飲んでも、平然としていたら女でも平民でも将校になれる。うまくいけば一代限りの準男爵にだって選ばれる。

 船室の女子部屋は少なからず野心家たちの集まりだった。生活が立ち行かず捨られたように船に乗せられた子供もいたが、半分はそれに賭けていた。何も知らずに乗ったファミでさえ、それを聞いて欲が芽生えた。

 平民の女が爵位を賜るなんて、王様を蘇らせたって貰えるものではない。よくて聖職者の上位階級だろう。爵位ある男に見染められても妾でしかない。


「躊躇わないで」


 そう言った若い白頭巾は優しく微笑んでいる。それにいささか安心し、銀杯の淵に口を付け、一気に呷る。説明のとおり無味だった。


「塩気は感じますか?」


 白頭巾は手袋をはめた手で銀杯を受け取った。


「いいえ」


 若い白頭巾は残念そうに目を伏せる。中年の白頭巾の怒りと言い、なんだって言うのか。志願兵としてやってきたと言うのに。


「あ、あああ……‼︎」


 そう言ったのは神院とは何か、と女性軍人に質問していた女性だった。豊満な身体をくねらせて倒れ、びくびくと痙攣が始まり、失禁した。

 大丈夫、わたしは大丈夫、とファミは自分に言い聞かせる。

 しかし次から次へと床に倒れ込み、阿鼻叫喚が聞こえ始める。吐瀉物と糞尿があたりを汚し、身体の痺れがひどいのか皆硬直し始めた。しかし不思議なことに顔色だけは良い。頬に赤みがさし、唇は桃色だ。涙と鼻水、涎が垂れているが艶めかしさすら感じる。


「……ねえ、あなた大丈夫なの?」


 と若い白頭巾が興奮気味で聞いてくる。さっきの悲しげな顔とは打って違い、目は力強く鼻息が荒い。

 ファミは妙薬を飲む前と何の変わりもない。問いに頷く。

 ばっと若い白頭巾は女性軍人、もしくは中年の白頭巾の方を見た。


「アカシア様、不調がありません」


「黙りな! まだ五分も経ってないだろ!」


 と中年の白頭巾は大声で言った。呻き声の合唱の中とはいえ、聖職者がする怒声と言葉遣いではない。

 周りを見ると、床に座っている者はファミと一番年下の少女だけだった。十五人いたうち、二人。これが多いのか、少ないのかはわからない。

 不意に女性軍人と目が合う。ふわりと笑った。華やかではないが、顔が整っていることに今更ながら気付く。


「ファミ、君はいくつだっけ?」


「じゅ、十七です」


「こいつはダメだよ。黒紙検査でうんともすんともいわんかった」


 アカシアは侮蔑に似た眼差しをファミに向けた。もしも将校になったら覚えておきなさい、とファミは睨み返す。


「ヌノラン、きみは十歳だね?」


「……はい」


 床に膝を抱えて座っているヌノランはガタガタと震えて泣いていた。しかし失禁もしていないし、倒れた者のように火照り顔ではない。むしろ顔色は青ざめている。

 女性軍人はヌノランに問いかける。


「どうしてここに来たの?」


「……父様が死んで、か、母様も死んで、兄様と一緒に来たの」


「……どこかの孤児院に入ってた?」


「いいえ。港で、母様が……し、死んで」


 ファミはその話を船の中でも聞いた。店を営んでいた父親が死んで立ち行かなくなり、母親はヌノランと兄をストラ島行きの船に乗せるために尽力し、港で死んだと。


「わ、わたし、兄様と頑張るから、お願い!」


「ヌノラン、しばらくは様子を見なきゃいけないんだ。たいていは投薬後、十分以内に拒否症状が出るから、まずはそこまでだね」


「み、みんなどうなるの?」


「苦しいだけで、死にはしないから安心をして」


「……治る?」


「もちろん。五日くらいで回復するよ」


 ……良かった、とファミは思った。事前の説明でも聞いていたが、改めて確認できて安心する。汚物の匂いが鼻を掠め、泡を吹き白目を剥いている者と同じ薬を飲んだのだ。自分だけは違う、と思っても恐怖に駆られる。

 女性軍人の方を見ると懐中時計で時間を見ている。アカシアと呼ばれた白頭巾もそれを覗き込んでいた。

 介抱している白頭巾たちはチラチラとファミやヌノランを見ている。何かを期待している眼差しだった。

 ファミはドクドクと鼓動が早くなるのを感じた。もしかしたら、もしかするのだ。家でも、奉公先でも顎で使われるしかなかった自分が、将校で爵位まで!


「ちょっと、どうしたの⁉︎」


 と隣の女性を介抱する白頭巾が叫んだ。見ればさきほど痙攣していた女性が立ち上がっている。息を吸い込んでいるのか、口を大きく開け赤子がいるのかと思うほど腹が膨らんでいく。それがピタリと止まった瞬間。


「ィ————————ン‼︎」


 高音の絶叫。耳が遠くなる。そして彼女は口を開けたまま昏倒した。




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