第七話:閑話
このクラスの担任、そう答えた男の表情に偽りの欠片は一切ない。至って真面目に真剣に答えている、そう物語っているのだ。
確かに担任の証である、金の五芒星が描かれた黒い手袋を右手にしているのは確認できる。
男の容姿はカルディウスに攻撃されたからか、ボロボロだ。赤い髪には埃が乗り色褪せ、服はところどころが破けている。
「……とりあえず、分かった。じゃあ目的は」
「新しく入ってきた特科の強さを確認するためだ」
これまた悪びれる訳でもなく、はっきりと答える。
本当に担任で強さを確認するためだけに学院生を襲ってきたのだろうか。普通の頭をしている人なら到底考えられないことだ。だが、ここは魔法学院。上に上がれば上がるほど教師も学院生も変人ばかりになると言われている奇人変人の巣窟。もしかしたらあり得るかもしれない。そうカルディウスは思い始めていた。
「証拠は」
「このクラスの学院生なら俺の名前くらいは知ってるだろ。ほら」
男が懐から取り出したのは小さな紙切れ。いわゆる名刺という奴だ。
そこ書かれていた名はキールス・グリフ・ディ・ファーレンベルグ。伯爵の爵位を持つ男の名前だった。
生憎、カルディウスは担任の名前を覚えていなかったので、戦闘が終わったことで丁度教室に入ってきたリースに聞いた。
「確かに、ぼくたちの担任の名前だね。間違いないよ」
「そこの奴も言ってるだろ。だからほら……ちょっと怖いからそのナイフを下ろしてくれ」
男――キールスに言われナイフを向けたままであることに気が付いたカルディウスはナイフを下ろし、即興で作った鞘に納めた。
「とりあえず目的は分かりました。……もしかして他のクラスメイトは」
「ああ、初撃やられて保健室にいる」
自分の功績を高らかに語るかのように赤い瞳を大きく見せて威張っている。
「授業はどうするんですか。このままだと今日はなにも出来ませんよ」
元々多くないクラスメイト。どれほどの人数がすでに着いていたのか定かではないが、すでに月の水の刻を回っているこの時間帯では半分ほどは着ていたはずである。
カルディウスとリースを抜いてあと三人程度しかいないというのは明らかに学級崩壊並みの大事だ。
「大丈夫さ。怪我も軽傷程度で済ませるようにしてるし、もし起きてこなかったらその時は起こしに行くからな」
「そう、ですか……。ところで俺たちの席はどこですか?」
「席? そんなのは決まってないな。最初は自由に座ってくれ」
十人のクラスにしては大きい教室。広さに合わせて机の数も三十個程度。前に座るか後ろに座るか。廊下側か窓側か。選び放題だ。
「ねえ、カルディウス君、これどうするの?」
リースが指さす先にあるのはカルディウスが教室の真ん中に空けた大きな穴。机は被害を免れているが、教室前方の中央部分。明らかに邪魔となっている。
「あー、先生これどうしましょ」
「修理業者に頼むしかないだろ。それまではそこ、立ち入り禁止な。あとで立ち入り出来ないように結界を張っておくから安心しろ」
この教室が一階であったことが幸いだろう。二階以上だとしたら下の階まで崩れていたかもしれない。
とりあえず事態は落ち着き、カルディウスは窓際の一番前の席に座った。リースはその隣である。
それから十分ほどが経ち、ドアが開いて一人の学院生が入ってきた、
「おはよーございます! ……ってなにこれ」
教室の惨状を見たこの国では珍しい夜のように黒い瞳が大きく開かれる。
髪は瞳同様に黒く、ショートである。身長は同年代と比べて低く、肌は髪、瞳に対して透き通るような白さだ。
「お、君はこのクラスの学院生かな? なら――」
「――先生」
「……いや、何でもない。好きな席に座ってくれ」
キールスが次に言葉を発する前にカルディウスが冷たい声で止める。言わんとしていたことはどうせ――勝負だ。でしかないだろう。
少女が教員に負けるという確証はないが、どんなに可能性が低くとも被害は未然に防いでおくべきだ。
「分かったんですけど……その前にどうして教室に穴が空いてるのか説明してもらって良いですか? これが仕様っていうわけじゃないですよね」
「そこの奴がやった」
キー留守が責任をなすりつけるように指さしたのは言うまでもない、カルディウスの方である。
「いやいや、先生が攻撃を仕掛けてきたのが悪いんでしょ!」
「さすがの俺も教室をぶっ壊すようなことはしないさ。……まあ、初撃でやられるだろうと思ってたからな」
小言で本音をこぼすキールス。が、それをカルディウスが聞き逃すことはない。
「ほら! やっぱり保証はないじゃないですか!」
「……ともかく、現状はこれが仕様だと思っててくれ」
「……了解しました」
少女が座ったのはカルディウスたちとは反対側の、廊下側の先頭だ。カルディウスを見る目に恐怖の色が混ざっているのは勘違いではないだろう。第一印象は良くて悪、おそらく最悪といったところか。
「では、全員が揃ったところで、ホームルームをはじめる」
「……え? まさかこれで全員だと? 何人倒したんですか……」
明らかに王国の魔法学院とは思えない人数の教室。あと数人集まるだろうというカルディウスの予想は外れ、無事に集まることが出来たのは三人のみだった。
「ああ、全員だな。このクラスは全員で七人だから四人倒したって分けだな。はっはっは」
「笑い事じゃないですよ。どんな田舎の廃校寸前の学校なんですか」
「だーから、大丈夫だって授業までには連れてくるから。ホームルームなんてあってないようなものだし」
「私、もう帰りたいかも……」
少女の小さな呟きが耳に入ったリースは内心で同情していた。もっとも自身も同じようなことをおもっている。
「ま、授業つっても今日はほとんど授業らしい授業はしないけどな。クラスの役割決めとか班決めとかするから。んじゃあホームルームはこれで終わりな。連絡したし。出席確認したし」
これでいいのかと思ってしまうレベルの適当なホームルームが終わり、一限目の授業がはじめるまでの五分間休憩に入る。休憩と言っても準備をするためだけにとられた時間であるから休憩できるような時間ではないが。
「あ、そうだ、カルディウス・マクルト・ディ・ヴェインヘルン。お前、保健室まで行って寝てる奴らを連れてこい」
「え!? 俺がですか? 自分で行くんじゃないんですか? 何で……」
「何でって俺は次の準備しないとだし、女子を動かすつもりか?」
リースは女子じゃないのに……と思いつつも、仕方ないか、とキールスの言うとおり、カルディウスは保健室に向かった。そのあとすぐにキールスは言ったとおりに準備をするためか、教室を出て行く。
あとに残ったのはリースと少女の二人。気まずい空気が教室を満たしていく。双方人見知りというわけではない。ただ、状況がこの空気を生み出していた。二人の間の後方にある教室の中央を抉り取った大きな穴。通常の教室では有り得ないその光景が原因であることは自明だ。
その空気を破ったのは少女の方である。
「……あの、これ本当にどうしたんですか?」
状況をうまく使い、話題を作り出す。なかなかうまい話題提供だろう。
「これはですね……戦闘で……」
「戦闘?」
「教室に入ろうとしたときに先生がいきなり魔法を発現してきたんです。それをカルディウス君が防ぐとそのまま戦闘になって……」
ある程度事細かに現状に至った経緯を話す。
今思い出しても異常であるとしかいいようがなく、どうすればいきなり自分の教え子になろうとしている人を攻撃しようという考えに至るのか全く理解できない。はっきり言って頭がおかしいとしかいいようがなかった。
「先生の攻撃を防いだって言うのも凄いですけど……あの先生が担任で私たち大丈夫でしょうか」
「ま、まあミストリア魔法学院の教員になるくらいですから一応実力があるんでしょう……多分」
「おうおう、多分とはどういうことだよ」
リースと少女の会話に準備を終えて帰ってきたキールスが割り込んでくる。
手にはファイルらしきものを複数持っている。
「あれを見てたお前なら分かるだろうが、俺は下級魔法しか使ってなかったんだぞ。ちなみに一応俺は宝級まで使えるからな」
宝級は上級の上に位置する魔法だ。
使える人は上級の千分の一といわれるくらいには少ない。上級を使えるのが王国民の十六分の一であるということを考えればかなり少ないと分かる。
「つまり、俺は手加減してたわけだ。もっとも、手加減しなければ殺しちまう可能性があったからだがな」
中級と上級の間には殺傷能力の大きな差がある。中級でも人一人を殺すには申し分ない。だが、上級ともなると無抵抗な十数人程度を一気に葬り去ることも可能だ。その上の宝級ともなれば百人単位で殺すことが可能となる。
手加減しようにも下限というものが存在するのだ。殺さないレベルまで下げるには中級魔法が限度となる。それでも重傷を負わすほどにはなるのだが。
「と、言うわけだから俺は手加減してたわけだ。分かったか? これでも気は使ってたんだぞ。……まあ、あいつも下級魔法しか使ってるなかったけどな」
なんの実力も無い人が言うとただの戯れ言にしかならないその言葉も実力を持つ人が言うとその重みは大きく変わってくる。
今の状態でキールスが全力で攻撃してきたら全員が死んでいたのは確かであろう。それは覆すことの出来ない事実だ。
「先生、ちゃんと連れてきましたよ」
再び沈黙が支配した教室にカルディウスの声が響いた。
「おう、ご苦労だったな。ほい、それじゃお前たちもどこか好きなところに座れ」
カルディウスに連れられやってきた四人はそれぞれ間を開けて前の方に座る。
初めて会って一時間も経っていないのだから近くに座れなどと無理も言えまい。
「では、今年一回目の授業をはじめる。最初は……自己紹介だな。お互いに名前も分からないままだったら決められるものも決められないだろ」
キールスの声によって始まった第一回目の授業。
だが、はじめに発表する勇気が出ないのか誰も手を挙げる様子はない。仕方なく、キールスが名前順に発表しろと言い、自己紹介が始まった。