書いた人:後編
上村さんがトイレに行くため席を立った時、急いでスマホを鞄から取り出した。もしかしたらおれのあの思いつきの投稿がバズってるかもしれない。興奮しながらSNSのアプリを起動する。
「通知数0件」
何もない。おれの投稿に対して誰のリアクションもなかった。なんだよ、誰も「いいね」すらしてくれてねえのかよ。そう思うと一気に萎えた。
念のため自分の投稿を見てみる。もしかしたら通知がバグってて一件ぐらい反応があるかもしれない……
「いいね」3万
おお! すげえ、バズってんじゃねえか! 思わずおれは嬉しくなってガッツポーズをした。これはやばい。おれにこんな才能があったなんて。記念にスクショしとこう。
スクショしようとしたその時だった。フッとスマホの画面が消えた。
あれ? なんだ? 今までこんな不具合なんてなかったのに。故障か? 慌ててボタンを押すが反応がない。
スマホの電源ボタンを長押しすると再起動になった。急に壊れたかと思いおれはかなり焦った。
再起動後再びSNSを開く。せっかくだから記念にスクショを残しておこう。投稿内容を開く。
投稿内容が消えていた。
怖い話の投稿だけがなくなっていた。もちろん通知も0件のまま。
なんでだよ! せっかく記念にスクショしておきたかったのに……
「おい、どうした? 怖い顔でスマホなんか睨みつけて」
気がつけば上村さんがトイレから戻ってきていた。トイレに行くついでに生ビールのおかわりを頼んでいたようだ。店員が綺麗に泡の乗った生ビールのジョッキを二つ持ってきた。
「いや、スマホの調子が悪くて……」
おれはそう言いながら残っていたぬるいビールを飲み干して店員から冷たいジョッキを受け取った。
スクショしておきたかったのに。帰ってからもう一度確認しようと思いながらおれは冷たいビールを喉に注いだ。
この時もう少し考えていたら何か変わったかもしれない。SNSに投稿した内容が勝手に消えるなんて普通あり得ないということを。
上村さんと別れて家に帰る。
帰宅し時計を見ると時間は23時。明日は土曜日。仕事は休みだし久しぶりに一日ゆっくりしようと思う。
そういやSNSの投稿、なんで消えたんだろう。おれは鞄を床に置き、ベッドに座りながらポケットからスマホを取り出した。SNSのアプリを起動し投稿内容を確認する。やはり消えている。
「なんでだよ……せっかくバズったのに。誰かに消されたのか? でも普通そんなことありえないよな……」
苛立ちから大きな独り言が出た。
「ああ、それ私が消しました」
突然ワンルームの狭い家の中で聞いたことのない声が響いた。おれは予想外の出来事に体がビクッとなった。
慌てて顔を上げ声がした方向を見ると廊下に黒いスーツを着た白髪のじいさんが立っていた。
誰だこのじじい。鍵をかけ忘れてたのか? いや、そもそもなんでこいつはおれの家に上がってるんだ?
気がつけばおれは無意識に立ち上がっていた。でも再び座ろうとは思えなかった。
「こんばんは」
「だ、誰ですか、あなた?」
笑顔で挨拶されたがおれにはそんな余裕はなかった。家の鍵はやっぱりかけていたと思う。今日はそこまで酔っ払っていない。玄関のドアが開く音は聞こえなかった。いつ、どうやって入った?
異常なほど白い肌。紳士的な笑みをたたえているが目の奥は笑っていない。こいつ、なんだか人間味を感じない。とりあえず丁寧な言葉遣いをするのが良さそうな気がした。
「こんばんは、すみません勝手ながらお邪魔しております。本日は篠山さまに一つお話がございます」
「話ですか?」
「はい、とっても簡単なお話です。あ、お話というよりはお願いです。そうですね、5分ほどで終わります」
「5分ですか……」
状況が全く読めないがすぐに終わりそうでおれは少しだけ安心した。
「はい5分です。結論から申しますと篠山さまには今から死んでいただきます」
「…………は? 今なんて?」
再び緊張感が増した。それもさっき以上に。おれは思わず両手を強く握りしめていた。じんわりと手汗が滲むのを感じる。
「聞こえませんでしたか? では、もう一度申し上げます。あなたには今から死んでいただきます」
「な、なんでおれが死なないといけないんですか? 意味が分からない。おれが何かしましたか?」
根拠はないが一つだけわかった事がある。確実にこいつは危険だ。このまま家にいればおれは死ぬ。本能がそう告げている。こいつはやばいやつだと。
廊下に男が立っているため玄関からの脱出はできそうにない。近寄るのは危険だ。ベッドの後ろの窓から外に飛び出すか? おれの部屋はマンションの二階。ぎりぎり何とかなる気がする。
考えろ考えろ考えろ。少しでも脱出方法を考える時間を稼がなければ。
「あなたが書いたお話が今新しい都市伝説になろうとしています。心当たりがありますよね?」
男が笑顔で聞いてきた。
「パトロール男のことですか?」
それしかなかった。おれが書いた怖い話なんてそれしかない。
「そうですそうです! 正解です」
焦るおれとは対照的に男はにやにやしながら言った。そして嬉しそうに小声で「だいせーかい」とまで言った。本当になんなんだこいつは。
「あなたは作り話が都市伝説になる条件を何かご存知ですか?」
再び男が質問してきた。にやにやしながら質問してくる男からおれは目が離せないでいる。
「……多くの人が信じる事ですか?」
おれは何故か真剣に考えて答えていた。
「ふふふ、そうですね。たしかにそれも条件の一つです。しかし一番大切なのはその話を書いた人物がこの世から消える事なんです」
「どうしてですか?」
「書いた人がいるという事は、その話が作り話である事を知っている人がいるという事です。当たり前ですよね?」
男は優しくおれに微笑みかける。
人の笑顔がこんなに恐ろしいものだと思ったのはこれが初めてだ。男の笑顔からは狂気じみたものを感じ、目の奥には真っ暗な闇を見た。
「おれは誰にも投稿したことを話していませんよ? それにこれからも話しません。そもそもおれは投稿したことすら忘れていたんですよ?」
緊張のせいかおれは早口になっていた。
「そうですね、たしかにあなたは忘れていました。でも、今日思い出しましたよね?」
嬉しそうに話す男。男はにやついた顔でおれを見ながら「ざんねーん」とも小声で言った。普通に考えて腹を立ててもいい状況だと思う。しかし今、おれは男に対して怒りよりも恐怖を感じていた。
「そもそもあなたが誰かに言うとか言わないとか関係ないんです。書いた人が存在している状態自体が都市伝説になることを阻害するので」
男は突然憐れむような寂しげな表情になり、おれに語りかけるように言った。
「別に私は自分が書いた話を都市伝説にしたいと思っていません! それなら問題ないはずです」
おれがそう言うと男はますますおれを憐れむような悲しげな顔をした。
「駄目なんですよ、あなたがどう思っているかなんて関係ないのです」
「えっ……いやいや、私が書いた話ですよ?」
「そうですね。でも、もうお話は世に出ています」
男の顔には「もう諦めろ」と書かれているような気がした。お前に希望はない、そう顔が物語っている。
「お話が世に出たからなんだっていうんです? SNSで少しバズっただけじゃないですか」
「世に出たお話は人に読まれ恐れられる度に力を持ちます。あなたが投稿したお話は既にたくさんの人に読まれ、信じられ、かなり強い力を持っています」
「そ、それがどうしたっていうんですか!」
「わかりませんか? あなたが作ったお話はもうあなたのものでは無いのですよ」
男がそう言った途端、おれは突然胸が苦しくなった。
息苦しい。思わず右手で胸を押さえる。男の方を見るとおれを憐れむような顔をしている。
「力を持ったお話は都市伝説になろうとします。理由は簡単です。忘れられるのを避けるためです。お話は忘れ去られた時に死ぬんですよ。知っていましたか?」
「そんなこと……知ってる訳がないだろう……」
苦しくて思わずおれは跪いた。まるで誰かに心臓を強く握られているようだ。
「そうですか。じゃあ覚えておいてください。お話だって死ぬ事を恐れます。だから少しでも忘れられないようにするために都市伝説になろうとするんですよ」
おれが目の前で苦しんでいても男は気にせず語り続ける。
「そ、そんな理由でおれは殺されるのか? ふざけるな! あんたは……一体何者なんだよ!」
おれはあまりにも理不尽な話に怒りを覚えた。おれが投稿した話のせいでおれは死なないといけない? そんな事があってたまるか。おれは男を睨みつけた。
「私ですか? 私はお話が都市伝説になるのをお手伝いしているただの物好きです」
男の顔から憐れみの色が消えた。そしてまたにやついた顔で言った。
「あなたが書いたお話は私の想像を上回る成長スピードを見せてくれました。実は私が動かなくても近いうちにあなたは『パトロール男』のお話に殺されることになっていました。でも、早く都市伝説にしてあげたいなと思いまして。つい出しゃばっちゃいました」
おれを見つめる男は満面の笑みを浮かべた。
「そ、そんな理由でおれはあんたに殺されるのか……納得できない……」
「ふふふ、別にあなたに納得してもらいたいとは思っていませんよ。ああ、まだ5分経っていませんが私がお話ししたい事は全て話し終わってしまいました。では、さようなら。お元気で」
「えっ……?」
おれの視界は急に真っ暗になった。そして体に力が入らなくなり床に頭をぶつける感覚がした。
おれはそのまま意識を失った。
スーツを着た白髪の男はゆっくりと歩いて床に倒れている篠山の体に近づく。真っ白の手袋を右手つけ、目を見開いたまま倒れる篠山の側にしゃがみ込み脈を確認する。
「死亡を確認しました」
男は満足そうに頷く。そして優しい目で死体を見つめる。
「ここだけの話、新しい怖い話が力をつけ始めているんです。私はそちらの観察がしたいので『パトロール男』には早く都市伝説になって欲しかったんですよ」
そう言うとそっと右手で死体の右目だけを閉じ、「ウインクしてるみたいですね」と呟いてくくくと笑った。
「都市伝説になってしまえばすぐに消える事はありません。これで心置きなく新しいお話の観察ができます。この度は素敵なお話を書いてくださりありがとうございました」
死体に向かって楽しげに語ると男はゆっくりと立ち上がった。
「あ、そうか死んでいるからもう聞こえていませんね、失礼しました」
そう言って男がわざとらしく舌をぺろりと出して笑った瞬間、男は音もなく篠山の部屋から姿を消した。
篠山の死体が発見されたのは週明けの月曜日。仕事に来ず連絡の取れない部下を心配した上司が第一発見者となった。
幸か不幸か、この上司が部下の死と娘から聞いた都市伝説が関係している事を知ることはなかった。