書いた人:前編
この世界はクソだ。
どうして毎日働いているのにおれは貧乏なんだ。大学を出て地元の小さな出版会社に入社してから10年。定時で帰った事はなく、ほぼ毎日終電帰り。でも、残業代は出た事がない。
月の給料は生活費で大半が消える。ボーナスなんて雀の涙。だから貯金も全くない。
労基に言えばいいと大学時代の友達は言う。でも、そんな簡単な話じゃない。
労基に言った後、おれはどうなる? 同じ会社で今まで通り働けるのか? 転職するとしてもすぐに次の場所が見つかるのか? それを考える体力も時間の余裕もなく、ただただ今は惰性で働き続けている。
テレビをつければおれよりも若いやつらがたくさん活躍している。なんでこんな頭の悪そうなやつらがおれよりも金をもらってるんだ。無性に腹が立つ。おれだって有名になりたい。名を轟かせたい。そして楽に生活したい。贅沢したい。
でも本当は自分でもわかってるんだ。有名になるには行動に出ないといけない事を。生活を、自分自身を変える一歩が必要な事を。
「篠山、お前怖い話って大丈夫なタイプか?」
上司の上村さんから唐突に聞かれた。今日は珍しく仕事が早く終わったので、二人で会社前のコンビニの駐車場で煙草片手に缶ビールを飲んでいた。早く終わったと言っても22時を過ぎていたが。
「いきなりですね。怖い話って幽霊とか都市伝説とかのことですか?」
「そうそう、最近高校生の娘がよく言うんだよ『学校で怖い話ばっかり話題になって辛い』って」
「あー、たまに流行りますもんね」
今の高校生が過ごす環境はおれが学生だった頃とかなり違うと思う。でもそういう流行は同じようなものみたいだ。
「そうそう。それがな、今はSNSが普及してるからどんどん新しい話が出てきてすぐに広がるんだと。娘のクラスじゃいち早く新しい怖い話を仕入れて学校で話そうと競い合ってる物好きもいるんだとか」
「へー、それは物好きですね」
そう言いながら、もしおれが今高校生なら競い合いの中に入ってるだろうなあと思った。
「怖い話が好きなやつは楽しいだろう。でもうちの娘みたいに怖がりなやつにとっては辛い状況だろうな」
「たしかにそうですね。おれは好きなんで大丈夫ですけど娘さんは居心地悪いでしょうね」
「そうなんだよ。それで学校でたまったストレスをおれにぶつけてくるからさ、もうたまんねえよほんと……」
「それはそれは……」
上村さんの愚痴なんて全く興味がない。でも、怖い話がSNS経由で若い世代に流行ってるっていうのは少し気になった。その後も上村さんの娘や奥さんに対する愚痴は続いたがおれは軽く聞き流していた。
家に帰ってすぐにシャワーを浴びる。もう日付は変わっているが上村さんから聞いた話が気になって仕方がない。高校生の間で怖い話が流行っているというやつだ。今日は早く寝ようと思っていたが無性に調べたくなった。
滅多に使わないSNSのアプリを起動する。
調べてみると確かにたくさんの怖い話や不思議な話が出てきた。最初は少し見るつもりだった。でも、もともとオカルト系が好きなおれ。知らぬ間に時間を忘れて読み漁っていた。
読んでみてわかったことがある。たくさん怖い話は投稿されているが質はかなりまばらだった。怖いなと思うものがある一方、作り話としか思えないつまらないものもあった。
比率はつまらないものの方が圧倒的に多い。こんなレベルのものを投稿していて恥ずかしくないんだろうか? と首を傾げたくなるものも多い。
でも一番驚いたのは、つまらないものでもそこそこ拡散されている投稿があったことだ。
「これ、おれでもいけるんじゃね?」
思わずにやけた顔から言葉が溢れた。
この程度の内容ですら拡散してもらえるならおれにも書ける気がする。なんだかチョロそうだ。おれはとりあえず一度投稿してみる事にした。
あれこれ悩んだ結果、内容はシンプルなものにした。
『夜、スマホを見ながら歩いていたら後ろから「歩きスマホは危ないよ」と注意された。すぐに振り向いたけど誰いなかった。
気のせいだと思ってスマホを見ながら歩き続けたら後ろから突き飛ばされて転びそうになった。びっくりして後ろを確認したけど誰もいなくて気持ち悪かった。』
それほど怖くはないが実際にありそうな内容。これなら信じてくれる人がいてもいいはずだ。
#都市伝説
#実体験
#怖い話
#歩きスマホ
ハッシュタグをつけてみた。SNSに疎いのでありきたりなものしか思いつかなかった。でもまあ初めてだしこんなもんだろう。
投稿後、なんだか急に眠たくなりおれはスマホをベッドに放り投げて眠りについた。
翌朝、スマホのアラームで目が覚めた。時計を見るといつもより15分も寝坊している。おれは舌打ちをして慌ててベッドから起き上がった。
クローゼットの中を見るとアイロンをかけたシャツのストックが無くなっていた。くそ、こんな日についてない。なるべくシワが少ないシャツを選ぶ。早く出ないと遅刻しそうだ。
腹が減った。でも食べる時間はない。台所でコップに水を入れて一気に飲み干す。急いで着替えて顔だけ洗って家を出た。
駅まで全力で走って行くとギリギリ電車に飛び乗れた。呼吸がなかなか戻らない。汗で湿ったシャツが体にまとわりつく。気持ち悪い。
しんどいしんどいしんどい……ああ、朝から本当に嫌になる。
朝から最悪な日。今日もきっと残業だろう。終電帰りになる気がする。そんな事を考えているうちに昨日自分がSNSに投稿した事なんて忘れていた。
自分でもわかっているがおれの悪いところは忘れやすく飽きっぽいところだ。ハマる時はすぐにハマるが飽きるのも早い。もちろんSNSも例外ではなかった。
寝坊により慌ただしい朝を過ごした結果、おれは自分がSNSに怖い話を投稿したことをすっかり忘れていた。そしてそのまま2ヶ月が経過していた。
再びSNSを開くきっかけになったのは、またまた上司の上村さんとの会話だった。
「なあ、都市伝説ってどう思う?」
これまた唐突に聞かれた。今日はかなり珍しく19時に仕事を切り上げる事ができたので駅前の居酒屋に来ている。
仕事終わりの生ビールはやはり旨い。コンビニの前で飲むのもいいが居酒屋で飲む方がより一層美味しく感じる。
「また娘さんの話ですか?」
面白くない話が始まったと思い、つい棘のある言い方をしてしまった。
「そうなんだよ、娘の学校の生徒が交通事故にあったらしいんだがその話が都市伝説の内容と似てるんだよ」
上村さんはジョッキ片手にため息をついた。おれの発言には何も思わなかったようだ。
「たまたまじゃないんですか? そういうこともあると思いますよ」
「そりゃおれも最初はそう思ってたけどよ、どうもおかしいんだ。事故にあったのは一人二人じゃないし、亡くなった子もいるんだ」
おれは思わず酔いが覚めた。まさか都市伝説関係の話で亡くなった人がいるとは思っていなかったから。
「それは割と深刻な話ですね」
「だろう? しかも、中には子どもが亡くなった日に親もほぼ同じ時間帯に交通事故で亡くなった家族もあるらしい」
辛そうに話す上村さんを見ておれは何も言えなかった。飲みの席で聞くにはちょっと内容が重たすぎる。上村さんはおれの返事を待つことなく話し続ける。
「そうそう、あと、事故の話を聞いて気が触れて階段から落ちた生徒もいるらしい。ここまでくると単なる噂話では片付けられない気がするんだ」
「そうですね。思ってたよりでかい話でびっくりしました。でもそれ都市伝説と関係あるんですか?」
おれには都市伝説というより何か事件のようなものの気がしてならなかった。
「学校では都市伝説のせいだって話でもちきりらしい。たしか『パトロール男』、そんな名前だった気がする」
「なんですかそのふざけた名前」
「いや、おれもそう思ってたけどさ、娘の話を聞いてるとどうも笑ってられないんだよな」
そう言うと上村さんははパトロール男の都市伝説を教えてくれた。
いつもおざなりに上村さんの話を聞いているが、今日は思わず真剣に聞いてしまった。何故なら上村さんの話す都市伝説の内容が、おれが考えた作り話にあまりにもそっくりだったから。