目撃した人:前編
私は生徒たちのことを自分の子どものように大切に思っている。だからうちの学校の生徒に手を出した奴は許さない。絶対に。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます! 先生」
「おう、おはよう峯岸、今日も元気だな」
「おはようございまーす」
「ああ、おはよう」
春の訪れを感じる気持ちのいい朝。大勢の生徒たちが学校の門を通るのを見守る。今日も特に問題なくみんな通学してきているようだ。
毎朝学校にやってくる彼女たちの姿を見ると、今日も新しい一日が始まるなあとしみじみ思う。
この学校に来てもう15年になる。就職活動に苦戦していたところ、親戚の紹介で働くことになった市内のお嬢様高校。やはり「お嬢様高校」と言われるだけあって周りの学校よりも比較的平和な学校だと思う。
いじめ等の問題が全くないかというとそういう訳でもない。残念ながら子どもだから、いや、人間だから仕方がないのかもしれない。
しかし、大きな問題になる前に発見、対処ができているため保護者も安心して子どもを通わせてくれている。今後もいじめを0にすることはきっとできないだろう。でも、限りなく0にすることはできる。
気がつけばアラフォー、彼女はいない。もちろん結婚の予定なんてない。言い訳ではないが仕事が忙しくて恋愛をする余裕がないのだ。でもおれはこの仕事にやりがいを感じている。
生徒はみんないい子たちだ。女子校という事もあり特有の苦労もあるが生徒たちの成長する姿を見るのは楽しい。卒業式は恥ずかしい話だが毎年泣いている。
女子校で働いていたらもしかしておれのことを好きになってくれる生徒が……なんて働き出した時は思っていた。それは否定できない。しかし、その考えはすぐに消えた。それはもう一瞬で。
私からすると生徒は我が子だ。気持ち悪いと思われそうだから絶対に口には出さないが父親になった気持ちで生徒たちと接している。だから、万が一何かあった場合には生徒を守るために全力を尽くすつもりだ。
『…………という訳です。だから皆さん、時間や場所に関係なく歩きながらスマートフォンを見ないように。それから夜に出歩く時は背後に十分に気をつけるように。私からの話は以上です』
『宮田先生、ありがとうございました。それでは次のプログラムです。次は……』
放送部のアナウンスを聞きながら私は体育館のステージから降りた。
体育館での全校集会。私は生徒指導担当として歩きスマホを注意する事にした。ここ最近、歩きスマホをしている人の事故が学校周辺で相次いでいるからだ。
まだうちの生徒は被害にあっていない。しかし被害が出てからでは遅いと思い全校集会で時間をとってもらった。備えるに越したことはない。
パトロール男。
一部の生徒たちの間で流行っている都市伝説だ。夜間に歩きながらスマートフォンを見ていると後ろから突き飛ばされるらしい。まだそれほど広がっていない話らしいが私にこの話を教えてくれた生徒たちはみんな信じているようだった。
きっとこの都市伝説を隠れ蓑にしてよからぬ事をしている奴がいるのだろう。腹立たしいことだ。都市伝説? そんなもの作り話に決まっている。私は犯人を捕まえてでも生徒たちの安全を守らなければいけない。
そんな事を考えていた二週間後だ。我が校の生徒が事故にあったという報告が入ったのは。
三年生の峯岸ゆりがバイトからの帰宅途中で事故にあった。バイト先のカラオケ店と彼女の家の丁度中間地点の横断歩道でトラックに轢かれたのだ。
どうやら峯岸は赤信号の横断歩道に侵入したらしい。一時意識不明だったが入院した翌日意識を取り戻した。しかしまだパニックになっているらしく何があったのか本人からは何一つ聞けていない。
峯岸とぶつかったトラックの運転手は事故の瞬間よそ見をしていたようだ。ドライブレコーダーは付けておらず衝突時に何があったのかはわからない。
しかし、奇妙な事が一つあった。少し離れたところで事故を目撃した人がおかしな証言をしているのだ。
この目撃者曰く、事故が起きた時峯岸の後ろには誰もいなかった。それなのに峯岸は後ろから車道に向かって誰かに突き飛ばされたように見えたそうだ。
峯岸はいい子だ。挨拶も毎朝ちゃんとしてくれるし遅刻もしない。私の体育の授業も真面目に受けている。その峯岸が事故にあった。
普段の彼女からは自らトラックに向かって飛び出すなんてとても考えられない。ご両親もあり得ないと仰っていた。そうなると、彼女を突き飛ばした犯人が絶対にいたはずだと私は考えている。
事故の目撃者は誰もいなかったと言っているがきっと記憶違いだろう。都市伝説が現実になるなんて馬鹿な話はない。私がこの手で必ず犯人を捕まえてやる。
学校は対策として一ヶ月間毎日、先生5人体制で見回りをすることを決めた。日替わりの当番制で男の先生が見回りをして事故を防ぐのだ。もちろん生徒指導の私は毎日に見回りに参加する予定だ。
「宮田先生」
「……は、はいっ」
職員室の自分のデスクで見回りについて考えていると教頭先生から声をかけられた。元体育教師の教頭先生は私よりも10歳以上年上だが今も逞しい体型をしている。彫が深く貫禄のある顔をしているので普通の顔でも目が合うと緊張してしまう。
「見回りを毎日担当してくれると聞きました。本当に大丈夫ですか?」
教頭先生は心配そうな顔をしていた。
「ええ、生徒たちのためなら私は何でもやるつもりなので」
「それはとてもいい心がけだと思います。ですがくれぐれも無理はしないでください。生徒たちが大切なのと同じく、先生方も学校にとってとっても大切な存在なんですから」
教頭先生は渋い笑顔でそう言った。ポーズではなく心からそう思って言ってくれているのだろう。目を見ればそれがよくわかった。
「ありがとうございます。もちろん気をつけます」
教頭先生は私の返事を聞くと満足そうに頷き、「それではよろしくお願いします」と言って職員室を出て行った。いつか私もあんな先生になりたいと思った。
その後、特に何事もなく今日の授業が終わった。そして部活動の時間も穏やかに終わっていった。
絶対下校の時刻の5分前になり、私は門を閉めるために正門に向かった。
「さようならー」
「おう、さよなら。また明日な」
「先生疲れたー」
「早く帰ってちゃんと休めよ。あとくれぐれも歩きスマホはするなよ」
「はーい、さようならー」
下校していく生徒たちに声をかけながら見送る。無事にみんな家に帰って欲しい、そしてまた明日元気な顔を見せて欲しい。夕暮れの中帰っていく生徒たちの背中を見て心からそう思った。
下校時刻が過ぎたので門を閉めることにした。重たい門をゆっくりと引っ張って閉めようとしたその時だった。
「宮田先生は生徒思いのいい先生ですね」
突然背後から話しかけられた。
慌てて振り向くと黒いスーツを着た男性が立っていた。ちゃんと周りを確認して、もう門を通る人は誰もいないと思ったはずなのに。
私が驚いていると、白髪で背が高く60代後半ぐらいに見えるその男性は私に優しく微笑みかけた。
「これはすみません。気づかずに門を閉めてしまうところでした」
私が頭をかきながら言うと男性は優しい笑顔で首を振った。
「お気になさらないでください。たった今出てきたところですので。それにしても宮田先生は生徒思いなんですね。生徒たちを送り出すあなたを校舎から見て私は感動したんです。あなたは先生の鏡だ」
突然褒められた私は驚いて少し戸惑ってしまった。
「いやいやそんな、お恥ずかしい。私なんてまだまだですよ」
「そうでしょうか? 私はそうは思いませんが」
男性はそう言うと少し眉間に皺を寄せて首を傾げた。しかしそれも束の間、すぐにまた優しい笑顔で話し始めた。
「それにしても子どもたちの成長を見るのはいいものですね。人間はいくつになっても成長ができるとはいえ子どもたちの成長スピードには敵いません。見ていて驚かされることばかりです」
この男性も教育関係者なのだろうか。どこかの学校の先生かもしれない。楽しそうに話す姿を見てそう思った。
「おっしゃる通りです。私は毎日彼女たちが成長する姿を見るのが楽しみなんですよ」
「ふふふ、きっとそうなんだろうなと思いました。やはりあなたはいい先生だ。ああ、すみませんお仕事の最中だというのに」
「いえ、とんでもない」
「お仕事頑張ってくださいね。それでは私はこれで」
男性はそう言って軽く会釈をすると颯爽と去っていった。
とても感じのいい男性だった。話していて気持ちがいい紳士的な男性。でも何故か少し引っかかった。
常に優しい笑顔で話してくれた。でも、目だけは一度も笑っていなかったように見えたのだ。気のせいかもしれない。でも、本心で話しているのかどうかがわからなかった。
それに初対面にも関わらずあの男性は私の名前を知っていた。後ろからは胸に下げた名札は見えないはずだ。生徒たちの話し声を聞いていたのかもしれないがなんだかそれも引っかかった。
「宮田先生、そろそろ行きませんか?」
スーツの男性が歩いて行った方向を眺めていると後ろから声をかけられた。同じ体育教師の鈴木先生だった。鈴木先生は私の8つ年下の男の先生だ。イケメンで生徒たちの間で人気なのが少し羨ましい。いや、本当はすごく羨ましい。
「すまん、今帰っていった人が誰か気になって」
「今帰ったって、誰かいましたか?」
「ついさっき黒いスーツの男性が帰ったんだ」
「そんな人いましたか? 校舎で門を閉めようとしている宮田先生を見て声をかけにきたんですがそんな人見えませんでしたよ?」
宮田先生は不思議そうな顔で私を見た。
「え? いやいや確かにいたんだ。ほらあそこに……あれ?」
私はスーツの男性が歩いて行った方向を指さしたが、もうそこには誰もいなかった。
「しっかりしてくださいよー。これから毎日見回りするって自分から手を挙げた人がそんなんでどうするんですか。もしかして疲れてます?」
「いや、そんなことはないんだが……確かにいたんだ、スーツを着た白髪の男性が」
「え、本当ですか? じゃあ私の見間違いかな……すみません」
「いや、気にしないでくれ。暗くて見えなかったんだろう。さあ行こう」
私は少し強引に話を終わらせた。
暗いと言うほどまだ暗くなっておらず、校舎や門の周りにも電灯がある。暗くて見間違えることなんてまずあり得ない。
しかしここであれこれ考えても仕方がない。私はスーツの男性の事を気にしないことにした。
私たちは見回りの準備をするために職員室に向かった。