拡散した人:後編
朝起きてもえりこからの返事は来ていなかった。
日付が変わるまでベッドでごろごろしながら待っていた。でも、日付が変わった途端急に眠たくなり気がつけば朝だった。電気はつけっぱなしだった。お母さんにバレたら怒られちゃうな。
宿題どうしよう。まあいいや、授業前に誰かに写させてもらおう。もう一度スマホを見てみる。えりこに最後に送ったメッセージは未読のまま。なんだか胸騒ぎがする。
えりこは未読スルーをするようなタイプじゃない。基本的には即レスしてくれる。
もしかしたらスマホの通知設定が変になってるのかも……きっとそうだ。えりこは気付いてないんだろう。それなら仕方がない。学校に行けば会えるはずだ。
私はお母さんにやらなきゃいけない課題があるからと言って朝ごはんを食べずに家を飛び出した。
いつもの通学路が今日はなんだか長く感じる。早く学校に行きたいのになかなか着かない。早く行ってもえりこがいるとは限らないのに、早く行きたくて行きたくて仕方がなかった。気持ちよく晴れた青空も今日はすごく嫌味に感じる。
さっきより周りの景色が早く流れている。気がつけば私は学校に向かって走り出していた。
教室に着く。えりこはまだ来ていなかった。
えりこが来るのを教室で待つけれどなかなか来ない。時間が過ぎるとともに『なんで早く来ないのよ』とだんだんイライラしてきた。
結局、えりこはホームルームが始まる時間になっても来なかった。今までこんなこと一度もなかったのに。何かがおかしい。ますます嫌な予感がした。
教室のドアが開く。えりこかと思ったけど違った。担任の山下が暗い顔で教室に入ってきた。その顔を見た瞬間私は寒気がした。
やばいやばいやばいやばい、山下が今から話そうとしていることを聞きたくない。聞いちゃだめな気がする。
そんな私の思いに関係なく山下は口を開いた。
「おはようございます。今日はみんなに残念な話がある。富田が昨日亡くなった。交通事故だったそうだ」
後ろから何かで思いっきり頭を殴られた気がした。私は頭の中は真っ白になった。
『聞いて聞いて! 歩きスマホがダメなら立ち止まればいいんじゃん! 気づいた私すごくない?』
昨日えりこから来たメッセージ。あれはなんだったの? 交通事故? なんで? 歩きスマホは絶対にしていないはず。でも、なんとなくわかる。えりこはパトロール男に殺された。
絶対にそうだ。そうに違いない。そうとしか思えない。私の予感は当たるんだ。でも、じゃあどうしてえりこは殺されたの?
パトロール男の話がもし本当でも一週間以内に二人以上の人に話せば大丈夫だってゆりちゃん先輩が言ってた。ということは一週間は無事なはず。なのにえりこは殺された。聞いた話が間違いだったって事?
じゃあこの話は一体どこまでが本当なの? 聞いた時点でもうダメなの? もし聞いた時点でダメならどうして私はまだ生きていてえりこは殺されたの? そもそもなんでえりこは殺されたの?
私がえりこにパトロール男の話をしたから?
私がえりこに話したから。私がパトロール男の話をしたからえりこは殺されたんだ。えりこが殺された原因は私だ。私がえりこを殺したんだ。私が殺した。私が殺した。私が殺した。私が私が私が私が…………
私は知らぬ間に意識を失っていた。
目を開けると白い天井が見えた。どこだっけ? この天井。私はベッドに寝ていてベッドの周りには白いカーテンが見えた。あ、保健室だ。知ってる場所でなんだかほっとした。
「お、気が付いた? 佐々木さん、落ち着いたかしら?」
私が起き上がるとカーテンの隙間から保健室の里中先生が顔をのぞかせた。里中先生は若くてかわいい女の先生だ。とっても話しやすくて男女両方から人気の先生。私もえりこも先生のことが大好きだ。
里中先生の顔を見た瞬間、心の中の何かが弾けた。私の意思に関係なく涙が次から次へと溢れた。先生は黙ってベッドに座り私の頭を撫でてくれた。
体中の水分がなくなるんじゃないかと思うぐらい泣いた後、私はやっと落ち着いてきた。そして里中先生に昨日からの出来事を話した。先生は私が話し終えるまで黙って聞いてくれた。
「大丈夫、佐々木さんは何も悪くないわ。あなたが悩む必要はないのよ」
私が話し終えると先生は優しい顔で、でもきっぱりと言い切った。
「で、でも……」
「でもじゃないの」
先生は有無を言わさぬ雰囲気で私を見つめる。私は何も言えなくなり俯いた。
「佐々木さん」
「は、はい」
名前を呼ばれてびっくりした私は顔を上げた。何を言われるんだろう、少し不安になったけど先生はとってもかわいい笑顔で私を見ていた。
「ちょっとゆっくり私とお話しない?」
「はい、したいです」
「ありがとう。じゃあ、お話をする前に何か飲み物でもどうかな?」
「……え?」
突然の提案に私は再びびっくりした。先生はいたずらっぽく笑っている。
「そんな声でおしゃべりしたら喉が痛くなっちゃうわよ」
「……へっ?」
たくさん泣いた後にたくさん話した結果、知らないうちに私の声はかなりガラガラになっていた。
「一階の自動販売機で何か買ってこようと思うんだけど、どう? 私はミルクティーにしようと思うけど佐々木さんは何がいい?」
「え、いや、そんな自分で買いますよ。あ、でも財布は教室だ……」
「いいのよ、気にしないで。でも他のみんなには内緒よ」
先生はふふふと笑いながら人差し指を唇の前に立てた。私はその顔を見てなんだか緊張がほぐれた。
「じゃあ、レモンティーで」
「わかった。じゃあちょっと待っててね。すぐに戻るから」
「はい」
保健室を出る先生を見てから私はベッドに横になった。いろんな感情が頭の中を駆け巡っている。でも、ここで先生と話せば少しは整理できる気がする。
今ところ嫌な予感はしない。ここは安全だと思う。私はそっと瞼を閉じた。
「友だちは大切にしなきゃいけないよ」
いきなりすぐそばで里中先生の声が聞こえた。
驚いて目を開けると目の前に真顔の先生の顔があった。今外に出たはずじゃ、そう言おうとした途端、先生に両手で強く首を絞められた。
私は先生の手をのけようと必死にもがいた。先生の顔を見ると目を見開いていて明らかに様子がおかしい。そもそも先生が出て行った後、保健室のドアが開く音はしなかった。
一瞬躊躇ったけれど私は思いっきり先生のお腹を蹴飛ばして先生の手から逃れた。
「友だちは大切にしなきゃいけないよ」
私に蹴られて二、三歩後退りした先生。特に痛そうなそぶりを見せることもなく私にそう言った。
いや、違う。これは先生じゃない。直感的に理解した私は保健室を飛び出した。
これは絶対に危ない奴だ、逃げなきゃ殺される。根拠なんてないけれど間違いない。私はとりあえず廊下を走り保健室に一番近い職員室に行くことにした。
保健室から職員室までは廊下をまっすぐ行くだけだ。間にいくつか会議室や面談室を挟んでいるけどそんなに距離はない。
職員室に辿り着きドアを勢いよく開ける。誰でもいいから助けてもらおうと思って中に入りかけて気がついた。職員室の中には誰もいなかった。
どうしてこのタイミングで……
私は唇を噛み締め、ドアを開けっぱなしにしたまま階段に向かった。本物の里中先生が自販機の側にいるはずだからそこまで行けばきっと助かる。
廊下を走り切り階段が見えてきた時ポケットのスマホが震えた。電話みたいで無視してもずっと震えている。
こんな時に一体誰? 空気が読めなさすぎる。しつこく震え続けるスマホが鬱陶しい。
私は階段の踊り場に差し掛かった時にスマホの入ったポケットに手を突っ込んだ。そんな時だった。
「歩きスマホは危ないよ」
耳元で声が聞こえた。聞いたことのない低い男の声が。慌てて声のする方を見ようとした時、体に強い力がぶつかってきた。
何が起きたのかわからない。でも、気づけば私の体は宙に浮いていた。いや、正確に言うと浮いているのではなく踊り場から階段に向かって体が投げ出されていた。そしてそうなるのが当然のように頭から転げ落ちた。
第一発見者は保険室の里中先生だった。一階の自動販売機で飲み物を買って戻ろうとした時、高いところから何かが落ちたような大きな音がした。
何事かと慌てて先生が見に行くと保健室にいるはずの直美が頭から血を流して倒れていた。
女性教員の悲鳴が校舎中に響き渡った。
病院に運び込まれた直美は一命を取り止めたものの酷い状態だった。運び込まれてから一週間経った今も意識が戻らない。
この件についてはいくつか不可解なことがあった。
一つ目は里中先生の悲鳴が響き渡る少し前、職員室には何人も先生がいた。各々次の授業の準備や事務処理をしている最中、突然職員室のドアが乱暴に開けられた。何事かと先生たちが開いたドアを見ると、血相を変えた直美が立っていた。
ドアのすぐ側にいた先生が心配して直美に声をかけようとした。しかし、職員室の中を見た彼女は残念そうな顔をして走り去った。
二つ目は直美のスマートフォンだ。階段から転落した直美が力強く握りしめていたスマートフォンは着信中だった。里中先生の悲鳴を聞いて集まってきた先生の一人が気づいてディスプレイを見ると、表示されていたのは何故か『佐々木直美』という本人の名前だった。
そして三つ目。事故現場に駆けつけた先生により直美が息をしていることが確認された際、階段の踊り場から声が聞こえたそうだ。低くて不気味な男の声が。そしてその声はこう聞こえたという。
「楽にしてあげたかったのに」