聞いた人:前編
怖い話は苦手だ。怖いのが無理。本当に無理。だって寝る前に怖いことを考えちゃうから。考えなきゃ大丈夫って頭ではわかっているけどつい嫌な想像ばかり頭に浮かぶんだ。
だからいつも絶対に怖い話は聞かないようにしている。なのに、それなのに……
「ごめんってえりこー。本当に悪かったって」
顔の前で両手を合わせて直美が謝ってくるがもう遅い。絶対に許さない。
「信じられない、私怖い話苦手だって言ったよね? てか前から知ってたでしょ?」
「ごめん、どうしてもパトロール男の話を聞いてほしくってさ」
「いやいやいや、なんで私なのよ」
「いやあ、それが今日一番最初に会ったのがえりこだったから」
「なにそれ! 聞きたくないって言ったでしょ!」
私はばんばん机を叩いた。手のひらがじんと痛んだが気にしない。
今朝、スマホのアラーム鳴らしっぱなしで寝続けた結果お母さんにかなり怒られてしまった。朝に弱い私はなんとかベッドから抜け出して、リビングに向かった。お母さんの説教を聞きながら朝ごはんを口に突っ込む。そして半分寝たまま制服を着て身支度を済ませて、ぼんやりした頭のまま登校してきた。
ふらふらと教室に向かい、あくびをしながら自分の席に座る。すると隣の席の直美がすごく嬉しそうに話しかけてきた。何の話かわからないまま聞いているとパトロール男という都市伝説だった。
「いつも言ってるでしょ。私は怖い話は嫌なの!」
「ごめんってほんと。でもそんなに怒らなくても……わかった、コンビニで好きなお菓子買ってあげるから許してよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあプリンとシュークリームで!」
「え、2個も!? まあでもいいよ、無理に聞かせちゃったし」
「やったー!」
お菓子を買ってもらえると聞いて私は一気に機嫌が良くなった。お菓子の前では怖い話だって怖くなくなる。食欲に勝る欲なんて私には存在しないのだ。まあ怖くないのは食べている時だけなんだけど。
私は怖い話が苦手だ。すごく苦手だ。霊感なんて全くないし不思議なことに巻き込まれたこともない。でも、絶対に無理。テレビで心霊特集なんてしていたらすぐにチャンネルを変えるし、ホラー映画のCMが流れたら目をつぶるようにしている。
お父さんもお母さんもそんな私を見てよく呆れているけどこっちは本気で怖いんだもん仕方がない。夜一人でトイレに行くのもすごく怖い。でも、流石に高校生にもなって一人でトイレに行けないのはまずいと思い頑張っている。たまにお母さんを呼ぶことがあるけど、本当にたまにだ。
パトロール男。どうしよう絶対に遭遇したくない。お菓子を買ってもらえるのは嬉しいけれどやっぱり怖いものは怖い。どうしよう今日塾行くのやめようかな……
あ、でも、歩きスマホをしなかったらいいんだ。そうだ、そうすればいい。私は自分にそう言い聞かせて今日もちゃんと塾に行く事を決意をした。
「……えりこ、えりこ」
気がつくと直美に小声で何度も名前を呼ばれていた。
「えっ? なに? ……あ、山下」
突然気配を感じて前を向くと目の前に担任の山下がいた。全く気づかなかった。直美があちゃーって顔をしているのが横目に見える。あ、だから呼んでくれてたんだ。
山下はアラフォー独身の男の先生だ。嫌いじゃないけど好きでもない。背が高くてスタイルもいいけど彫りが深くて顔が少し怖い。そして顔だけじゃなくて普通に怖い。今も威圧感が半端ない。
「山下じゃなくて山下先生な。ちゃんと先生をつけろといつも言ってるだろう」
「すみません」
「富田、おれの話を聞いてたか?」
「ご、ごめんなさい」
「ホームルームがはじまったら起きろ、まったく……富田も起きたし大事なことだからもう一回言うぞ。知っている人もいると思うが、最近周りの学校で不審者による事件が多発している。突然後ろから突き飛ばしてくる奴がいるそうだ。みんなくれぐれも気をつけるように。じゃあ今朝のホームルームはこれまで。さあ授業を始めるぞー」
寝てなかったとは言えなかった。だって反論したら絶対上乗せで怒られるもん。あと、山下の淡々とした連絡事項の内容がなんだか頭に引っかかっていた。
隣の席を見る。直美は何も思わなかったようだ。黙々と教科書とノートを準備している。私の気にしすぎかもしれない。私も気にしないことにして鞄から教科書とノートを取り出した。
あ、やばい一時間目から眠たい。放課後お菓子を買ってもらうんだから授業ぐらい頑張らないと。
こうして今日も学校での私と睡魔との戦いが幕を開けた。
今日の授業が全て終わった。なんとか睡魔との戦いに負けることなく乗り切ることができた私。字が汚くてノートが所々読めないのは我慢しよう。
帰りに直美と一緒にコンビニに向かう。もちろん約束通りプリンとシュークリームを買ってもらうため。持って帰るか悩んだけど一緒にイートインで食べることにした。
「本当に二つ選んだよこの子」
「だって直美がいいって言ったじゃん」
「そうだけど少しは遠慮しなさいよ。しかも二つとも高いやつを選ぶなんて」
「へへー自分じゃ買えないなあと思って」
「こいつ。まあいいけど。私にも少し分けなさいよ」
「いいよー、どうぞどうぞ」
お菓子を食べていると近所の私立高校の制服を着た女の子が二人、隣のテーブルに座った。二人ともお菓子を持っているのに何故か深刻そうな顔をしている。どっちか失恋でもしたのかな。別に盗み聞きをするつもりはなかったけれど二人の会話が聞こえてきた。
「ねえ、やっぱあれおかしくない? だってゆりが事故にあった時、事故を見た人はゆりの後ろには誰もいなかったって言ってるんだよ?」
「だから何かに躓いたんじゃないの?」
「信号待ちで躓くとかそんな事ありえる? 赤信号で突然飛び出すなんてまずないし、私にはゆりが何もないとこで躓くなんて考えられないんだけど」
「そうかな?」
「そうだって、きっとこれもパトロ……」
「もうやめよ? この話をするの。なんだかこの話をしてると怖くなっちゃう」
「ごめん」
「考えすぎだって。さっきゆりの意識が戻ったって連絡があったんだし明日お見舞いに行った時に聞いてみようよ」
「そ、そうね」
「なんか食欲なくなっちゃった。お菓子やっぱり持って帰ってもいい?」
「あ、いいよ。もう今日は帰る?」
「……そうね、そうしよう」
二人は結局お菓子を食べることなくコンビニを出て行った。
今の会話、本当だろうか? パトロール男ってただの都市伝説じゃないの? 気になって直美を見てみると顔が固まっている。私のプリンを食べようとしていたみたいだけどプラスチックスプーンですくったプリンが口に入れる手前で止まっている。
「直美?」
「……え? 何? あっ、ごめん」
直美ははっとして慌ててプリンを口に入れた。こんな直美を今まで見たことがない。
「直美、大丈夫? なんか変だよ?」
「え、うん大丈夫。大丈夫。でも、ただの都市伝説だと思ってたからちょっと気になって……」
そう言って直美は俯いてしまった。
「そうだよね、今の会話がもし本当だったらと思うと……」
「そう、今まで怖い話って自分には関係ないと思ってたから怖くなかったの」
「え、直美にも怖いことあるんだ」
私はふと思ったことをそのまま口に出してしまった。
「そりゃあるわよ。えりこは私をなんだと思ってるのよ」
直美は呆れた顔で私を見つめた。でもほんの少し口が笑っている。
「だって直美は怖いの平気だと思ってたから」
私はずっとそう思ってた。だから直美が怖いって言い出すから本気でびっくりしたんだ。
「まあね。でも今回のは本当にダメかも。ごめんね、えりこに話すんじゃなかった」
直美が申し訳なさそうに言った。
「大丈夫! 私はお菓子を買ってもらったから」
私はそう言って胸を張った。
「え、なにそれウケるんですけど」
私は本当のことを言っただけなのに笑われてしまった。笑われたのは不本意だったけれど直美の顔に少し明るさが戻ったのでほっとした。私たちはそのあと今日の学校の話を5分ほどして家に帰ることにした。
直美とコンビニの前で別れて家に帰ったのが午後6時。それから駅前の塾に行ったのが7時。授業が終わったのが9時30分。塾を出たのが9時45分。
自転車に乗って真っ直ぐ家に向かう。家までは15分ほど。人通りは少ないけれど街頭のある明るい道を選んで帰る。なんとか怖いことを考えないように私はペダルを漕ぐことに集中した。
信号を待っている時にいつもの癖でポケットからスマホを取り出した。画面に映る時計を見て例の都市伝説の時間帯にばっちり突入している事に気がついた。その瞬間突然誰かに見られている気がして全身に鳥肌が立った。
私の気にしすぎだとはわかっている。気持ちを落ち着かせるために少し深呼吸をした。大丈夫、だって今ちゃんと止まってるもん。そう、大丈夫。なんとか自分に言い聞かせる。
スマホを見たけど緊張のせいか何を見ているのかよくわからなかった。こんなことなら見るんじゃなかった。無駄に緊張しただけだ。
信号が変わった。青信号の軽快な音を聞いてスマホをしまい自転車を走らせた。
「あ、そうだ。歩かなかったらいいんだ。止まってたら歩きスマホじゃないもん」
私はふと頭に浮かんだことをそのまま口に出していた。なんだか恥ずかしい。でも、このアイデアは最高な気がする。歩かなかったらいいんだ、これならパトロール男なんて関係ない。
明日直美にも教えてあげよう。私は思わず顔がにやけた。都市伝説敗れたり。私はなんだか嬉しくなってきた。
鼻歌を歌いながら自転車を飛ばす。なんだ、こんなに簡単なことで回避できるんだ。ふふふ、なにこれ私天才かも。回避方法を広めたら有名になれるんじゃない? やば、テンション上がる。
すべり台しか遊具がない小さな公園の横を通り過ぎる時、誰かに短く笑われた。すぐに周りを見渡したけれど誰もいなかった。たぶん男の人の声だった気がする。
鼻歌を歌っているのを笑われたのかもしれない。でも誰もいないし、気のせいかもしれない。なんとなく恥ずかしくなって私はさらに自転車のスピードを上げた。
自転車を駐輪スペースに止めて、私が機嫌よく家のドアを開けると、ちょうどお母さんが玄関にいた。お母さんは私の顔を見た瞬間、少し申し訳なさそうな顔をした。
「おかえりなさい。ごめんね、ちょっとコンビニ行ってくるから留守番してて」
「え、コンビニ? 今から?」
「そうなのよ、ご飯の準備をしようと思ったらお醤油が切れちゃっててさ。お父さんもまだ帰れないって言ってて、急いで行ってくるわ」
「そうなんだ。いいよ、私が行く」
「え、いいの? でも、こんな遅くに悪いわよ」
「いいのいいの、大丈夫!」
パトロール男対策を思いついてテンションが上がっていた私は、気が大きくなって、つい自分から買い出しに行くと母に言い出してしまった。
「いいの? じゃあ、お願いするわね。そうだ、好きなお菓子も買っていいわよ」
「いいの? ありがとう!」
そう言いながら私は、お母さんが財布から取り出した千円札を笑顔で受け取った。
「あれ? えりこ自転車の鍵置いてくの?」
玄関のキーフックに自転車の鍵を引っ掛けて家を出ようとしたら、お母さんに呼び止められた。
「え、ちょっと歩いて行ってこようかなって……」
「そうなの? じゃあ気をつけてね」
「うん、行ってきます」
コンビニでお菓子を二つも食べたから、ちょっとでも動いた方がいいかなと思った……とは言えなかった。家でダイエット宣言をしている立場上、罪悪感というか背徳感というかお母さんに言いづらくて咄嗟に誤魔化してしまった。
私の家はお父さんとお母さんと私の三人家族だ。共働きだけどお母さんが帰るのが一番早いのでいつも帰宅後にご飯を作ってくれる。
お母さんは忘れっぽい。買い物に行ってもなにか買い忘れることがあるらしい。だからこんな時間でも、お母さんは大慌てで買い出しに行くことがある。
近所のコンビニまでは歩いて10分ほど。信号も少なく一本道。私はなんのお菓子を買うか考えながら歩いた。
ポケットのスマホが震えた。確認すると直美からメッセージが届いていた。明日の数学の宿題の範囲がわからないらしい。私はスマホをポケットにしまいコンビニまで歩き続けた。
コンビニに着くと誰もいない雑誌コーナーに向かった。そして直美に『今近所のコンビニ、ちょっと待って』と返信した。
醤油とエクレア、ヨーグルトとバームクーヘンを買ってコンビニを出た。もちろん私一人で全部食べるわけじゃない。ヨーグルトはお母さんの分、バームクーヘンはお父さんの分だ。
コンビニを出ると雲ひとつない夜空が広がっていた。こんな夜のお散歩は楽しい。ついテンションが上がる。急に直美にメッセージを送りたくなった。
『聞いて聞いて! 歩きスマホがダメなら立ち止まればいいんだよ! 気づいた私すごくない?』
私は横断歩道で赤信号に引っ掛かり、青に変わるまでの時間でメッセージを送った。私はもう大満足。これで直美も怖がらなくていい。私はきっとこの解決策でみんなに感謝されるはず。バズれこの回避法!
信号が青になり私はポケットにスマホをしまおうとした。そんな時だった。
「歩きスマホは危ないよ」
回避できたはずの恐れていた言葉が突然背後から聞こえてきた。