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感情マリオネット

作者: 雅樂多祢

遙か昔から人類は、魂というものの存在を信じてきた。

あくまでも直感的に、或いは本能的に。

だがしかしその魂というものは不思議なもので、追求すればするほどにその輪郭がぼやけて、しまいには泡のように消え去ってしまう。――嗚呼、そこに僅かな重さがあったのなら、なんて昔の科学者達は嘆いたに違いない。要はどうあがいても魂の証明はできない、これが真理なのだ。

よって私たち人間が、そんな存在しているかすら怪しい魂とやらを作り出すことなんかできるはずがないのだ。ましてや魂を与えるなんてこと、できるはずがない。そんな所業が許されるとすればそれは人間ではなく、まさしく神様とでも言うべき存在だろう。

そう、だからあの日、私は神様に出会ったんだ。

――人形遣いの神様に。



神様は口数が少ない。部活中は誰とも話すことなく、部屋の端で黙々と練習している。

彼女のポケットからのびるのは有線イヤホン。聴いているのはきっと、次の講演でする演目の語り音源だろう。ただ静かに目を閉じて、その語りに聴入っている。とても様になった彼女の姿。ただのデータファイルでしかないはずの音源の奥底から、彼女は語り手の感情を必死に探しているようにも感じた。

そのまま何秒経っただろうか。彼女の周囲だけが時が止まったように、静かだった。人形を抱えたまま微動だにしない彼女の横顔は、人形よりもずっと人形らしかった。

何かを見つけたのか、小さく頷いたと思ったその時、彼女の人形が動き出した。ゆっくりとした所作から始まる音のない演目。こちらからは語り音源も、何も聞こえていないというのに、なぜか、物語が伝わってきた。一気に広がる彼女の世界。あるはずのない三味線の音まで流れだした私の脳内では、哀しいクライマックスへとストーリーが動いていく。顔を覆い、肩を震わせる人形。覆った腕の隙間から、一瞬、本物の涙が流れているようにすら見えた。

「今、真希先輩、――痛っ!」

驚きのあまり思わず声を上げ、立ち上がりかけた私の頭上にバンッと心地よい音が炸裂した。

「うう……」

不意の痛みに、思わず私は頭を抑える。やり過ぎだと目で訴えてみるが、後ろからぶった本人である部長は、されて当然とでも言いたいのか、全く取り合ってくれなかった。

新聞紙で作ったお手製ハリセン片手に仁王立ちする、まるで不動明王のような部長。時代錯誤のスパルタ教師のような性格をしており、私はよく彼の制裁の餌食になっていた。

しかしそんな彼も、今回ばかりはさすがにやり過ぎたと感じたのだろうか? 倒れる私になんと、手を差し伸べたのだった。いつもはそんなこと絶対にしないのに。

もしかして部長、優しくなった? いやそれはないない。乙女の頭を後ろから不意打ちで殴ったのよ。むしろここはあえて不機嫌なふりして日頃の暴力行為の反省もさせるべき。

なんて私が心の中でほくそ笑んだその時、差し伸べてきたとばかり思っていた彼の手がガッチリと私の腕を掴むと、彼はそのまま私をズルズルと引き摺り始めた。

「ちょっ、何ですか」

「早く語りの練習に戻ってこい、とっくに休憩時間は終わっているんだぞ」

「いやいやそれは分かりましたから、そんなことより引き摺るのをやめて下さいって、ほんとマジ痛いですって、削れますって」

「そうかそれは良かったな、お前は性格が尖っているし、これで少し削れて丸くなるならむしろ御の字だ」

「いや冗談じゃなくて、ほんっと痛いんですって、部長~」

「はいはい分かったから、さっさと帰るぞ~。はいは~い、うちの優衣が練習邪魔しました、失礼します」

「しつれ痛! しますう~」

 私は尻を痛めながら頭を下げ、リードで引かれる犬のように部長に引き摺られたままこの人形遣いの練習室を後にした。

こうして、強引に腕を引かれるという少女漫画ならあるある……、かもしれない展開が過ぎ去った。今思えば、昔から思い描いていたあのバラ色の妄想は一体何だったのか、現実では一切ときめく要素がなく、ただただ自分の尻と乙女の尊厳を傷つけただけという事実に私はショックを受けている。もしこの一幕に僅かでもバラ色要素があるとすれば、それは多分、擦れて赤くなった私の尻くらいなものだろう。あー痛い。

私は自分の尻をさすりながら、部長を思いっきり睨み付けた。

「ちょっとくらいあっちの練習見学してても良いじゃないですか。さっきの真希先輩なんてもう、それはそれは素晴らしい演技をしていたんですよ。見なきゃ損です」

「そんな調子では後輩に示しがつかないだろ。何回も語り練習から脱走しやがって。俺や真希のような三年生は冬からインターンやら就活やらで参加できなくなるわけだし、ずっと一緒にできるわけじゃないんだよ。お前もそろそろ二年生の自覚というのをだな」

「またその話ですか? はいはい分かっていますから、結構でーす」

「おいその言い方、全っ然分かってないだろ、コラ」

またもや部長の怒りがピークに達しそうになるのを感じる。

短気は損気、なんて言葉が口から出かかったが、流石にまたぶたれるのはごめんだったので、私は渋々、ほんっと仕方なーく、このめんどくさーい部長に従うことにした。

「はいはい、わかりましたよ。真面目にやればいいんでしょやれば。声出し練習でも何でもどんとこいですよ。もそりゃ完璧にやって見せますから」

そうやって私は、先ほどとはうって変わって胸を張って答えた。

そんな姿に毒気が抜かれたのか、それとも単に怒りの限界を振り切ったのか……、部長は無表情だった。

「やっぱり、お前は罰として外周走ってこい」

「へ?」

 ええと……、後者ですか?

「学校の周りのランニングだ。一周六キロコースのあれ。そんだけ走ればその無駄な元気もなくなるだろうよ」

 あ~後者みたいですね、はい。

流石にそれだけはしんどすぎるので避けなければ。

「アノ~、ホントニ真面目ニ練習スルノデ許シテ下サイ」

(部長、ただただ無言)

(部長を上目遣いで見てみる)

(部長、ひたすら無言)

(私は見つめ続ける)

「はああ~」

この地獄のような沈黙は結局、部長の深い溜息で終わりを告げた。

「なんで急に棒読みなんだか」

部長はいかにも仕方ないって感じで語りの練習室へ歩き始めた。私は彼についていきながら、見えないように小さくガッツポーズをした。


ここから先は私の練習風景になるわけだが、まず、はじめに言っておこう。私は大抵のことなら何でもできるタイプだ。スポーツも勉強も、恋愛以外の事であればほぼ全てを起用にこなせる方だと自負している。だからそう、語りの練習だって……。

「優衣、そこをもう一度読んでみろ」

「えーと、またですか?」

「まただ」

「本気ですか?」

「ああ」

「でも、窓の外がもうこんなに」

「ああ」

「……」

「……」

「いつまで?」

「できるまでだ」

 そう、この部屋で行われているのは部長と二人きりの居残り練習であった。

部活動としての練習時間はとっくの昔に終わっていて、私の疲れはピーク。それでも私達の夜はまだ終わりそうにないのだから、ほんとなんだかなって感じ。

もう真希先輩は帰ったよね、一緒に帰りたかったなあ。なんて私は心の中で呟くしかなく。

「気持ちがこもってない!」

「痛っ!」

 そんな心ここに非ず状態の私の頭部に、今日もハリセンの快音が響き渡たるのだった。


あれからさらに二十分後、やっとの思いで私は練習から開放された。外に出た私の頭上には、地方大学特有の綺麗な星空。都会では見ることが叶わない宝石箱のようなそれは、居残り練習を頑張った私への天からのご褒美のようでもあった。

駐輪場に向かう二人。夏休みということもあり人気のない校舎は、寂れた幽霊屋敷のよう。普通なら怖くもなるが、星空のおかげか今日はそうでもなかった。

「送ろうか?」

 気を遣ってくれる部長。口が悪かったり、厳しかったり、すぐ叩いてきたり、引き摺ったり……、ほんっとろくな事をしない先輩ではあるけど、根はきっといい人なのだと思う。多分だけど。

「結構です」

「そうか」

笑顔で断った私を見て、彼も笑った。

「気をつけて帰れよ、お疲れ」

「お疲れ様でした」

そう言って部長は、私の帰路とは逆方向に去って行った。

一人になって頭をよぎるのは、昼に部長から言われた言葉。先輩達と一緒に練習できるのはあと少しの期間だけなんだって、そう考えると、とても寂しかった。

私はママチャリを漕ぎ出す。手入れをしてない自転車はギシギシと嫌な音を立てた。


私が所属している部活『文楽』は大学の中ではそこそこ長い歴史を持っている。人形浄瑠璃という、語り手と人形遣いと三味線奏者の三役からなる人形劇のようなことをやっている部活で、年に二回、春と秋に毎年講演している。そして三週間後に控えているのはその秋の講演、大学祭での舞台だ。ここが三年の先輩達にとっては、最後の講演となる。

「真希先輩と一緒にできるのはこれが最後かあ……、はぁ~」

 私は家に帰るなり、ベッドに突っ伏した。現在の時刻は二十一時五分。本来であれば、すぐにでも夕食を作り、食べる始めるべき時間だが、今日はやけに体が重い。ただ時間だけが駆け足で、私の目の前を通り過ぎていくのだった。



 神様には門限がある。大学生にもなって珍しいことではあるが、彼女は十八時までに自宅に帰らなければいけないらしく、特別な事情がない限り、バイトはおろか部活の合宿や居残り練習すら許されていない。そのことをサークルメンバーは誰一として気にしていなかったのだが、本人的にはそうではなかった。

そして講演まで二週間に迫った今日。練習が本格化してきたちょうどそのタイミングで事件は起きた。なんと真希先輩が練習中に倒れたらしいのだ。話を聞くなり私は、一目散に保健室へ向かった。


「優衣、貴方は練習に戻りなさい」

「嫌です」

「私はただの熱中症、もう心配ないわ」

「絶対、嫌です」

「……」

「……」

「もう、勝手にしなさい」 

「やった~」

 真希先輩が根負けした事を良いことにソファにダイブする私。最も冷房の効きが良い部屋のソファはふかふかで、練習中で疲れていた私を柔らかく包み込むようだった。

ソファに座って先輩の様子を見てみる。ベッドで寝ている彼女。先輩が言っていた通り、もう体の具合は良いんだろうけど、調子はあんまり良くないのでは、と思う。例えるなら、一度触ると散ってしまうような、そんな散り際の桜のような儚さ、みたいなものを感じる。普段の頼もしさと対照的で、どこか壊れてしまいそうな彼女を、私はどうしても放っておけなかった。

「馬鹿よね」

「え?」

「こんな大切な時期に体調崩して、私ってほんと馬鹿よね」

「そんなこと……」

「そんなことあるわ。他の人よりも全然練習できてないのに、それなのに倒れて、皆に心配までかけて。本当に、馬鹿だわ」

 初めて聞いた先輩の弱音。今までどこか遠い存在に感じていた彼女が、普通の女の子みたいに、目の前で震えていた。瞳からこぼれる、煌めき。なぜかその時、私の脳裏には先日の先輩の人形がよぎった。

 

実は真希先輩の人形遣いが神がかって上手いことは部活に入る前から知っていた。だって彼女は、この部活に入るきっかけそのものだから。そんな彼女が泣いているんだ。そんなの、私に堪えられる訳がなかった。

体が勝手に動いた。先日の反射的に立ち上がった時のように、今回もまた反射的に。私の心のままに。自分に素直に。気づけば、私は真希先輩の手を包み込んでいた。


先輩がきょとんとした顔でこちらを向いている。

多分私も、きょとんとしている。

本来ならここでなんかそれらしいことをいうべきなのだろうが、考えなしの行動結果ということもあってか、気の利いた言葉は何一つ出てきはしなかった。なんとも言えない微妙な間。どーにも堪えられなくなった私は変顔で誤魔化した。


「何ですかもう、笑わないで下さいよ~」

「ふふ……、だって貴方が、急に真面目な顔したと思ったら次にはあんな不細工な顔するから」

「不細工ってなんですか不細工って、さすがの私でも怒りますからね~」

 笑う先輩。私もつられて、笑った。

繋いだ先輩の手。神様の手。

私が想像していたよりずっと柔らかくて、ずっと温かくて、ずっと綺麗だった。

 

時間にしたらそれから五分くらいは経っただろうか。

私としては、いつまでも先輩と話していたいのが本音ではあるが、部活のことを考えるとそういうわけにもいかなかった。

「優衣、練習に戻りなさい」

「はい、行ってきます」

 ソファから勢いよく立ち上がって敬礼をする私に、先輩は微笑んだ。

保健室の扉をそっと閉める。直後むさ苦しい熱気に包まれたが、今の私は全く気にならなかった。

ドアの前で深呼吸、上がりまくったテンションの鎮静化を図る。目を閉じると思い出す先輩の手の感触、そして先輩の笑顔。どうにもすぐには、この心臓の高鳴りを止められそうにはなかった。

ついつい廊下でスキップする。

曲がり角で偶然鉢合わせした部長。彼は不審者でもみるような目で私を見た。



「練習はここまで、居残り練習も今日はなしにする。皆、お疲れ様」

「「お疲れ様でした」」

 十六時、いつもよりずっと早い解散、講演前の大切な時期ではあるが文句を言う人はいなかった。

 久々にみる、空を染め上げるような赤。夏の終わりを告げる蝉の音が、どこからともなく聞こえてきた。閑散とした駐輪場。強く吹いた初秋風。ギシギシと木々が揺れる。そして遠くに、黒髪をたなびかせる見知った人影。

「真希先輩~、一緒に帰りましょ~」

 私は大声で呼びかけた。

声に気づいた彼女はゆっくりと振り返る。秋の情景と相まって、その時の彼女は絵画のような美しさだった。ついつい見入ってしまう私。そんな姿を不思議に思ったのか、彼女は首をかしげた。

「どうしたの? 一緒に帰るんでしょ」

「あ、はい、今行きま~す」

一瞬心奪われたことを誤魔化すように、私は駆け出した。


 夕暮れの帰路。道路に伸びる二つの影。私が押している自転車は、油を差したことが効いたのか、物音一つたてなかった。

「優衣、今日はありがとう」

「そんな、私は別に何もしてませんって」

「いいえ、貴方が励ましてくれたから気持ちが軽くなった。ありがとう」

 先輩からそんなこと言われるのは初めてだった。

分かりやすく染まる私の頬。夕暮れの朱が私の想いまで隠してくれることを、ありがたく、そしてどこか憎らしく思った。

「そ、そもそも、先輩が熱中症なんて珍しいですよね?」

「そうでもないわよ。私はこれでも生まれつきの病弱体質で、熱中症で倒れることも少なくなかったわ。特に小学生の頃なんかは今日みたいに保健室によくお世話になってね、懐かしいわ」 

楽しそうに話す彼女。その姿は私が勝手に抱いていた『完璧』とはほど遠く、どこまでも『普通』だった。『普通』に体調崩して、『普通』に不安になって、『普通』に笑って、そんないつもよりずっと近くに感じる彼女がとても、とても魅力的だった。

「親が心配性なのも多分、この体質が原因ね。帰りの門限なんか設けちゃって、もう大学生なのにやり過ぎだわ。まあ部活に入ってからは、体を鍛えるようになったし、もう大丈夫と思っていたのだけど、やっぱり油断しちゃダメね」

 こんなのはもうこりごりだと言うように首をすくめる先輩。どちらかと言えば格好いいタイプの先輩が小動物みたいな可愛い反応したから、なんか面白かった。

「ちょっと、何笑っているのよ?」

「え~秘密です」

「何よ、気になるじゃない」

「秘密ったら秘密なんです~」

 私は誤魔化すように自転車に飛び乗った。

「ちょっと、待ちなさいよ」

「嫌です~」

そのまま先輩を置いて私は漕ぎ出した。流れていく景色、秋を感じさせる乾燥した風が気持ちよかった。

「お願いだから、優衣、待って」

 ヘロヘロになりながら自転車で追走する先輩。そんな姿を見てもなお、ペダルのこぐ速度を緩める気にはならなかった。

後ろで真希先輩が何か言っている。私はそんな彼女に気づきながらも、ペダルをこぎ続けた。少しは置いて行かれる人の気持ちにもなって欲しい、なんてしょうもない事を考えながら。


「ちょっと先輩、真希先輩ったら、どうしてそんなにむくれてるんですか。ねえ、ねえってば」

 いつもの数倍クールなオーラを放っている先輩に指でツンツンしてみるが、彼女のご機嫌は以前として斜めなままだった。

「折角ファミレスに入ったんですし何か頼みましょうよ。ほら、パスタにします? それともドリアが良いですか? それか先輩、もしかしてエスカルゴとか食べちゃいます?」

メニュー表を見せながら笑顔で訊ねてみる。

無言の数秒間。

むすっとした表情をしていた先輩は、負けを認めたというような顔をした後、ドリアを指さした。


「先輩ってどうしてこの部活に入ったんですか?」

 適度にお腹を満たした頃、私は前々から気になっていた事を訊ねていた。

「正直、真希先輩ってあまり人前に出たがるタイプではないですよね」

「そうね」

「はじめから人形浄瑠璃に興味があったわけでもないですよね」

「そうね、貴方は何でだと思う?」

 そう言って、先輩は食後の珈琲に口をつけた。テーブルに香る、大人の香り。年だけじゃない差を、先輩から感じる。カップをを置いた彼女の目は、ここではないどこか遠い所を見ているようだった。

「ほんと、何でだろうね」

そう、先輩は小さく呟いた。


 ファミレスを出たら先輩は、急いで家に帰っていった。別れ際、今日はありがとう、なんてあらためて言ってくれるところが律儀な真希先輩らしかった。一人になった後の帰り道、いつもと変わらない道のりが、今日は色づいて見えた。



本番一週間前。ここがこのサークル活動で一番しんどい時期になる。語りや人形遣いの個別練習から本番通りの通し練習に切り替わり、朝から晩まで、何度も何度も、納得のいくまで演じ続ける。悪いと思った所はすぐにやり直し、納得のいくものを皆で作り上げていく。妥協は一切、許されなかった。

『会いたい、顔が見たい』

「優衣ちょっとストップ、なんか軽い。もっと心から演じて」

『会いたい! 顔が見たい!』

「ストップストップ、今の、声がでかくなっただけだ、もう一回」

『会イタイ、顔ガ見タ痛っ!』

投げつけられたハリセンが私のこめかみに命中した。

理不尽だと訴えるように部長を睨んだが、部長はやっぱり取り合ってはくれなかった。


「何なのマジで。私ちゃんと真面目にやってるのに、頭ごなしに否定しかしないとかマジでない」

 昼飯休憩、つかの間の休息時間を部長への愚痴に費やすという、無駄極まりない、しかし私の精神衛生上極めて重要な事をしていた。

「だけど斉藤君が言ってること、私、分かるな」

聞き役に徹していた真希先輩は弁当袋をしまいながら言った。

「え~、真希先輩は部長の味方なんですか?」

「まあ、そうなるね」

 あっさりと肯定する真希先輩。彼女は納得がいっていない私に教え諭すように、こう続けた。

「だって優衣はできると思うもの、心からの声が、出せると思うもの」

「そうは言われても……」

「できるわよ、貴方なら」

そう、私の肩に手を当てた先輩は静かに断言した。

誇張でも何でも無い素直な彼女の言葉。それが真っ直ぐ伝わってきて、荒んでいた私の心に染み渡った。

 直後、グッと立ち上がりパッと手洗い場に駆け込んでジャッと顔洗う私。

言葉は貰った。気合いは入れた。準備は十分だった。

真希先輩から元気をチャージした今の私は無敵だ。待っていやがれ、部長! みたいなノリで私の心は久々に燃え上がっていた。

 練習再開の時間。

次のハリセン音が鳴り響くまで、そんなに時間はかからなかった。


 そして練習に練習を重ねること数時間、時刻は二十時を大きく過ぎていた。

もう日課となった居残り練習も、今日のところは流石に終了。ヘトヘトになった私は天井を仰いでいた。

「少しはマシになった、か?」

 なんて、疲れた素振りを一切見せずに話しかけてくる部長。

「私に訊かないで下さいよ。ほんと、疲れた」

 そう言いながら私は、練習ホールに大の字で寝っ転がった。

ひんやりと冷えたフローリングが気持ちいい。疲れも相まって、このまますぐにでも寝れそうだった。

今日の私、めっちゃ頑張った。お疲れ私。もうゆっくりしていいのよ。

 なんて私は、床でゴロゴロしながら考えていたところ、部長が遠くから何か言ってきた。

「優衣、帰るぞ」

 言うなり間髪を容れず、唐突に電気を消し始める部長。

「ちょっと待って~」

「鍵閉めるから、三、二、一」

 冗談じゃなく閉め始めた部長の下へ、私は全力で走り出した。


もう恒例となった二人きりの時間。

このひとときを一緒に過ごす相手が真希先輩だったら良かったのに……、なんでよりにもよってこんな暴力男と、なんて思ってしまうことは許して欲しい。

「今、俺に対して失礼な事考えてなかったか?」

「いえいえ、何も考えてないですよ~」

 おっと危ない顔に出ていた。

この男、目が良いだけでなく勘も鋭いのだった。注意しなくては。

 それにしてもこの斉藤とかいう部長は、実はとてもタフな人だと最近になって気づいた。いつも部活全体を監督して、合間時間には三味線の練習をして、帰ってからは講演までのスケジュール管理をして、こうして私みたいな後輩の居残り練習にも付き合って。正直、とても凄い人だとは思う。あとは彼自身の沸点の低さをどうにかしてくれたらな~。

「また何かしょうもないこと考えてんだろ?」

「いえいえ、別に」

「ホントか?」

じーっと私の顔を見つめてくる部長。

うう、やっぱりこの男苦手だ。ここはボロが出ないように会話の流れを変える方が良い。そう考えた私はこう話を切り出した。

「まあそんなことよりも、実は部長に聞きたいことがあったんでした。部長はなんでこの部活に入ったんですか?」

明らかな話題すり替えに部長は一瞬むっとしたが、話題には乗ってくれるらしく、彼は黙って考え始めた。

「うーん、この部活に入った理由か……、俺の場合はそんな大した理由なんて特に無いんだよな」

「理由がない? どうゆうことです?」

 珍しく、話すかどうか迷っている様子の部長。駐輪場に向かう足を止めた彼は、眩しい月を見上げた。

「たまたま一年の時の新入生歓迎イベントで隣の席に座ったのが真希で、たまたまその時ステージ上で行われていたのが『文楽』の講演だった。彼女となんか同じ部活がやってみたくて、公演後にその場で一緒に部活しないかって誘った。ただ、それだけだよ」

 懐かしむような、けれどそれでいて当時のことを大切そうに語る部長。そんな彼の姿を見て私は、はじめて格好いい先輩だと、そう思った。

「部長は真希先輩の事が好きなんですか?」

私はわかりきった事改めて聞いてみた。

「嫌いな人なんて、部活に誘わないよ」

 彼はわかりきった事を改めて答えた。



 練習期間はあっという間に過ぎていく。光陰矢のごとしとはまさしくこの事だ。三年の先輩達と共に歩む日々はこうして終わりを告げる。楽しい思い出もきつかった思い出も、これで最後だ。

 学祭一日目、遂に『文楽』の公演日となった。


 待ち時間は人間の天敵だ。人の精神をやんわりと蝕んでいくような、そんな力がある。またそれが本番直前の舞台裏にいる時などにもなると更に酷く、私にとってこの時間は地獄に近かった。

次々と入退場を繰り返す係の人達に、ステージ側から聞こえる歓声、私の緊張は際限なく上がっていた。講演経験は二度目とはいえ、もう既にガチガチになっている私。そんな私の緊張をほぐすように後ろから肩をもみながら、真希先輩は話しかけてきた。

「優衣なら大丈夫よ。貴方なら最高の語りができる」

「でも私、もし緊張して言葉が上手く出なかったら……」

「その時は周りを頼りなさい。斉藤君の三味線は貴方をいつも支えているし、私だって貴方の演技を引っ張ってみせるわ。だから貴方は自分の想うままに、貴方の舞台をすればいいのよ」

そう言って、頭をなでてくれる真希先輩。柔らかな、それでいて私を気遣うような優しさに、私は落ち着きを取り戻した。

もう大丈夫。

真希先輩から元気をチャージした今の私は今度こそ無敵だった。待っていやがれ観客、お前らの涙腺ぶっ壊してやる! そんなノリで私の心は久々に燃え上がった。

「次は『文楽』の人形浄瑠璃となります。よろしくお願いします」

 走ってきた運営委員が出番を知らせる。それを聞いた部長は、成功を確信したように強く頷いた。

ステージへ歩きだす部活メンバー、気合いに満ちた先輩達が所定の位置についていく。

 大きな紹介アナウンスと共に一気に開かれる幕、眩しいくらいの光と無数の視線が私を捉えたが、もう、そんなものは一切気にはならなかった。

 こうして、私たちの舞台は始まった。



 本番は練習期間以上にあっという間だ。ステージに上がったと思った次の時にはもう、舞台は終わっている、そんなものだ。

私はただただ夢中で演じていた。それこそ幕が閉じるまでの六十分の間、私は私ができる最高の語りを、存分にできたと思う。

幕が閉じるとき、客席で涙ぐむ人達を見たときは、嬉しさのあまり私まで感動した。これが誰かの心を動かすことなんだって、そう実感した。


 こうして講演が無事終わり、文化祭一日目が終わり、私は帰路についていた。現在の時刻は二十時、私の頭上には居残り練習帰りの時と同じような、綺麗な星空が広がっている。駐輪場には、普段この時間帯では見かけない人影があった。

「真希先輩~、一緒に帰りましょ~」

 そう言って私はあくまでもいつも通りに、だけどいつも通りじゃない感情を胸に抱えながら駆け出した。


「今日の優衣の語り、とても良かった」

「そんなことないですよ」

 二人で自転車を押しながら今日の講演を語り合う。先輩が絶賛してくれることは飛び上がりたいほどに嬉しかったが、それを素直に受け入れることができない私がいた。


今日の講演は二人のものだった。

部長が三味線で世界を作り、真希先輩の操る人形がその世界の中で可憐に舞う。共に求め合い、助け合い、愛し合い、そんな二人の紡ぐストーリーが観客を惹き付けた。

想いを込めるとはこういうことだったのかと、改めて知らされた。私にはできないし、敵わないと、そう感じた。こんな二人の間で語りをする私の気持ちにもなって欲しいものだった。ちょっと、いやとても、嫉妬した。


 これにて部活動は一段落、真希先輩達三年生は就職活動が始まるから、実質は今日で引退のようなものだ。もう先輩の演目を見ることも、こうやって帰り道に話すこともないかもしれない。そう考えると、とても胸が苦しくなった。

 いつもとは違う、真希先輩との二人きりの時間。こうなることをあんなに望んでいたのに、今日の私は普通に話すことすら、上手くできなかった。


「じゃあね、優衣」

 分かれ道まで来た先輩は静かに言った。

背中を向け、自転車に乗ろうとする真希先輩。

このままじゃいけない。このままうやむやにしてはいけないと思った。

 私は、私は、どうしても真希先輩に聞かなきゃいけないことがあった。

聞いて先輩の想いを、そして私自身の想いを、ハッキリさせるべきだと思った。

「真希先輩、先輩は、部長のことが好きなんですか」

驚いたような表情をして振り返る先輩。彼女はちょっと考えた後、何か言いたげだが言おうか迷っているみたいな、そんな中途半端な態度をし始めた。

「それは……、その、けど貴方もそれは……」

なんて珍しく赤くなって口をパクパクさせる先輩。

なんとなくその様子を見て、言いたいことを察した私は、少し笑ってしまった。

むっと睨み付けてくる先輩。顔が真っ赤なのも相まって、なんだかとても可愛らしかった。

「いや、私はあんな暴力男、嫌いですよ」

「あ、あ~そうなの」

はあ~、って息を吐く真希先輩。初心なその反応が、愛らしかった。

そうか、先輩は私と部長の仲を疑っていたのか。確かに毎晩のように二人で居残り練習して、それは気になるよね。もしかしたらあの日、真希先輩が体調崩したのもそれが原因かもしれない。悪いことしちゃったな。なんて、今更ながら思うのだった。

 日頃のクールさはどこへやら、恋する乙女オーラ全開な真希先輩はゆっくりと深呼吸をした。大きく吸ってー、吐いてー。落ち着きを取り戻した彼女は正面から私を見つめると、私に正直に、想いを伝えた。

「優衣、私は斉藤君のことが好き。大好き。初めて会ったあの日からずっと、最後の講演が終わった今でも、私は彼のことが好き」

「はい……」

「だから私の恋を手伝って」

 そう言って微笑んだ彼女の顔は、私が見たどんな時よりも幸せそうだった。


自分で聞いておいてなんだが、聞かなければ良かったと思った。

例え真希先輩の想いに気づいていたとしても、直接言われなければこんなに苦しむ事はなかった。こんなに、痛くなかった。

私は今、ちゃんと笑顔を作れているだろうか? それだけが気がかりで、仕方がなかった。

 

私だって真希先輩の事が好きだった。

新入生歓迎イベントで初めて見た彼女の演技に惚れて、部活にはいって彼女自身に憧れて、ここ数週間で彼女を身近に感じて、そして今、私はこんなにも彼女が好きだった事に気づいた。


真希先輩は部長が好き。

部長も、真希先輩が好き。

両思いの二人。

私の入る場所なんて、最初からなかったんだ。


「春の講演は必ず見に行くから。それじゃあ、またね」

「またね」

こうして私たちは別れを交わした。

正直、真希先輩の告白を聞いてからの会話はちゃんとできていた自信がない。何を話したかもよく覚えていない。そのくらい私は限界だった。

結局、私は自分の想いを伝える事ができぬまま、彼女との関係性を壊すのも怖くて、何もできなかった。この行き場のない想いはやっかいで、私の中燃え盛って、しばらく消えてくれそうになかった。

強く踏み込む自転車のペダル、風を切るように進む私の頬に、一筋の涙が流れた。




そして、月日は流れに流れ、季節は冬を迎えた。

先輩達がめったに練習に顔出さなくなった今日この頃、昔と何も変わらないこの部室において、唯一、大きく変わった事がある。

それは私の語りだ。

春の講演で私の気持ちを伝えるために、想いが真希先輩に届くように、私の語りはより真に迫ったものへと変化していった。そのあまりの変貌ぶりに、たまたま練習を見に来ていた部長が感動して、語りを全て聞いた後には号泣したほどである。あの優衣がこんなに成長して、とか皆の前で言い始めたときには嬉しい反面、恥ずかしくてどうにかなりそうだった。

そう言えば、あの後の部長と真希先輩の関係性だが、特に進展はないらしい。互いに想い合ってはいるものの、なぜかそれに気づいていない状態である。ほんと周囲からしたら早く付き合えって感じだが、私としてはまだチャンスがあるかもしれないって感じである。

それにしても、真希先輩の幸せを今でもちゃんと応援できないとか、私の性根の悪さが極まっているが、こんな私を最近は受け入れられるようになってきた。これもまた一つの成長だと、そう思って欲しい。


そして今日もまた、春の講演に向けた練習が始まる。

あの人形遣いの神様のように静かに、私は台本の文字データから感情を探す。

目を閉じた私は願う。

私の言葉よ、響け。

私の想いよ、届け。と。






そして、また次の演目が始まるのだ。


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