隣人愛
お久しぶりの投稿です。今回は倫理の時間に思い付いたもの。全年齢ですがまあまあその気があります、ご容赦を。
“隣人愛”。こんなワード聞いたら作者の脳内には百合しか出てきません。
拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。
「…あ、どうも…」
毎週火·金のゴミ出しの時間。名門校の制服を着た彼女は無言のまま頭を下げた。
今年に入って引っ越してきたお隣さんで、喋ったのは初めに挨拶をしに来てくれた時くらい。高校生なのに一人暮らしってところがいかにも訳ありだし、正直あまり関わりたくない。
「真理子~俺の靴下どこ~?」
リビングの方から主人の声が聞こえた。
「いつもの戸棚のとこにないんだけど」
「あぁ、えっと」
洗濯かごの中から、皺なく畳まれた靴下を取り出す。
「はい」
「ありがと~」
「ゆうくん、今日も遅くなるの?」
「ん~うん。最近仕事立て込んでてさぁ。寂しい思いさせてごめんな。でも、今日も先寝てて」
「うん。分かった」
出かける主人を笑顔で送り出す。ここまでが私の朝の仕事。
結婚して5年、何一つ変わっていないような私たちの関係は、実は少し変わりつつある。
知らない香水の香りがするゆうくんのシャツ、押されたポイントの日付が先週の行ったこともないレストランのカード、日付が変わってからしか帰ってこれない仕事。それから、最近は携帯にもロックがかかっているし、あれだけ見せるのが好きだった写真も見せてくれなくなった。
私は全部知っている。
ゆうくんが少し前から不倫をしていることも、私がもう彼を前程愛していないことも。
午後からは近くのスーパーでパートをする。
金曜日の今日はポイントデーだからそれなりに人は多いけれど、なんだかんだやりがいのある仕事だ。7時には上がれるし。
6時45分。見たことのある制服の子がスーパーに入ってきた。レジ打ちをしながらそっと横目でうかがうと、やっぱり、お隣のあの子だった。
佐藤詩織ちゃん。まっすぐ伸びたままの背筋が育ちの良さを思わせる。
彼女は私がいるレジに来た。本人はパートのレジ打ちが隣人だとは気付いていないみたいだけど。
「袋結構です」
それだけ言って財布を用意する彼女をちらちら見ながら、商品をレジにかけていく。
彼女が買ったのは期限が近付いて安売りになっている惣菜とコロッケ。本当に今日の夜ご飯はこれだけなんだろうか。真っ白で細過ぎるくらい華奢な腕を見ながら考える。
「ねえ」
財布からお金を取り出しかけている彼女に、思いきって声をかけた。彼女は、最初はきょとんと驚いた顔だったけれど、しばらくして私がお隣さんだと気付いたらしく、ぺこりと軽く頭を下げた。
「もしよかったら、家で晩ご飯食べない?私、今日は一人なの」
正確に言うと今日“も”なんだけど。
「心配ならこれは取り消して戻しておくし。あ、でも本当によかったらなんだけど…」
最後の方は尻すぼみになってしまった。気が弱いのは昔からの悪いところだ。
「分かりました。じゃあそれ、取り消してもらえますか?」
まさかOKしてもらえるとは思わず、私はただコクコクと頷くしかなかった。
「え…と、私、外で待ってます」
少しだけはにかんで彼女が言う。澄んだ綺麗な声だと今初めて思った。
その後、私はパートを終えてそのまま軽く買い物をして、彼女と帰路に着いた。
終始無言だったけれど何となく居心地が良かったのは、久々に隣に誰かがいることに私が安心したからかもしれない。
「ちょっと待ってね~」
家に上がってもらってお茶を出す。彼女はやっぱり無言のまま受け取って少しだけ飲むと、部屋の中をキョロキョロと見回した。人の家の中が気になるのは私も同じだからよく分かる。
料理は得意な方だ。一人暮らしをしていた頃は食費を浮かすために結構自炊もしたし、ゆうくんと結婚してからも料理だけは変わらない。
「おまちどおさま」
今日作ったのは簡単にオムライスと野菜炒め、それからコンソメスープ。
「なんか、誘ったのに簡単なやつでごめんね?」
オムライス用のケチャップを出しながら謝ると、彼女は小声で「いえ、大丈夫です」と言った。その目が年相応に輝いたのは、私の簡易な料理のメニューが当たりだからだろうか。
「オムライス好き?」
「はい。子どもっぽい…ですかね?」
また少しはにかんだ笑顔で言う。
「そんなことないよ。私もオムライス好き」
気を遣わせていると思われないよう、オムライスにケチャップで顔を描いた。我ながらいい出来だ。
彼女も嬉しそうにケチャップを手に取ると、同じように顔を描いた。なんだかおかしくなって、2人で笑う。
それから、ご飯を食べながら彼女の学校の話や、私の話をした。誰かと話すのがこんなに楽しいのは、いつぶりだろうか。
「そう言えば」
私はビールを、彼女にはたまたま置いてあったオレンジジュースを渡して話を続けている時、唐突に彼女が話を切り替えた。
「今日って旦那さんはいつ頃帰ってこられるんですか?」
「…ええと」
時刻は21:40。結婚したての頃は、毎日19時過ぎには帰ってきてくれた。パートで私が遅くなる日は、迎えに来てくれたり、代わりに料理を作ってくれたりしたっけ。
「分かんない。最近、仕事立て込んでるらしくて…」
昔から嘘をつくのが下手な私だから、勘のいい彼女なら気付くかもしれない。
「そうなんですね…」
彼女はそれ以上何も言わなかった。気を遣ってくれたのか、それともただ単純に聞くのを躊躇っただけか分からないけど。
「私ね」
お酒を飲みながらポツリポツリと話をする。
「ゆうくん_主人のことは、もう何があっても愛し抜く自信があったの。だけど…だけどダメね。1回疑っちゃえば、愛なんてすぐに去っちゃう」
高校生なんかにこんな話をして何になるんだろう。だけど何となく、彼女なら話を聞いてくれそうな気がした。
「変だよね…不倫してるの分かってるのに、私ってば何も言わないんだもん。これじゃ、ゆうくんを許してるみたいじゃない…」
「許したらいいんじゃないですか?」
「…え?」
突如口を開いた彼女の言葉に一瞬意味が分からずたじろいだ。
「だって、真理子さんがそんなに罪悪感に苛まれる必要ないじゃないですか。悪いのは不倫してる旦那さんなんだし。だから…」
席を立ち、すぐ隣に来られる。目線を合わせたまっすぐな瞳は、反らすことを許さない圧さえ感じた。
「不倫しません?私と」
言うなりキスをされる。角度を変えて口の中に彼女の舌が入ってきたとき、お酒のせいなのか頭がぼうっとしてきた。ゆうくんにもされたことがない、胸がドキドキするようなキス。
名残惜しそうに唇を離して、彼女は少しだけ申し訳なさそうに髪を耳にかけ直した。
彼女のキスは別に強引な訳じゃなかった。
抵抗しようと思えばできたのにそれをしなかったのは、私が彼女を許してしまったから。
「ごめんなさい、急にこんなことして…」
「しよっか、不倫」
口をついて出た言葉に、彼女が驚いた顔をする。
「こんな私でよければだけど」
彼女は今日一番嬉しそうに笑った。
不倫はいけないことだけど、私は彼女の笑顔が見られるならそれでもいいのかななんて思った。
「私、引っ越してきた時から真理子さんに恋してたんです」
「真理子~俺の靴下どこ~?」
「あぁ、えっと…」
物干しから靴下を一足取って、さっとアイロンをかける。
「はい、ごめんね」
「ん、いやいいよ」
「ゆうくん、今日は…」
「あーごめん。今日も遅くなる」
「そっか。お仕事頑張ってね」
「うん…あ、真理子、今日のゴミ出し俺がいくよ」
「え?…えぇ、ありがとう」
「たまには旦那さんっぽいことしないとなぁ~じゃあ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
会社のバッグとゴミ袋を2つ持ったゆうくんが嬉々として出ていくのを見送る。
少し時間を置いて、私はわざと渡さなかったゴミ袋を1つ持って外に出た。
扉を開けるとすぐそこに、詩織ちゃんが立っている。
「おはよう」
「おはようございます」
軽く挨拶を交わす。これはいつものこと。
彼女とエレベーターに乗る。
「今日もゆうくん、遅くなるって」
「じゃあスーパーの仕事終わるまで待ってます」
「うん。今日の夕飯何がいい?」
「…オムライス」
「了解。本当好きだね~」
「真理子さんのオムライス、美味しいから」
「ふふ。ありがと」
エレベーターが1階に着く。名残惜しいけどここからはただのお隣さんだ。
「じゃあ行ってきます」
小さく呟いて彼女は先にエレベーターを出た。
私はゴミを出して、階段で自分の部屋に戻る。
「…あ、どうも…」
部屋につくと、左隣のお隣さんと出会した。
詩織ちゃんとは逆方向のお隣さん。いつも綺麗に化粧をして、花柄のスカートがよく似合う私より少し若い人だ。いつもズボンとかしか履かない私とは、真逆の人だけど。
「おはようございます」
出勤前のその人は私ににこやかに挨拶をして、隣をするりと抜けていった。
通った時にほんのり香った香水の匂いは、どこかで嗅いだことがあるような気がした。まあ、今の私にとっては、そんなことはどうでもいいんだけど。
「さてと」
置きっぱなしのゆうくんのシャツ。まだ鼻に残っているのと同じ香水の匂い。
気付かない振りをして、私は洗濯機にそれを放り投げた。
詰まるところ、お互い様ってことだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。