プロローグ 「こんなことになるとは誰が思っただろうか」
「…ん……れ………蓮!おーきーろー!」
「……なんだ灯也。うるさい」
ゆるゆると目を開けると、幼馴染の灯也の顔が飛び込んでくる。その隣にはもう一人の幼馴染である水穂の顔。体を上げると、沈みかけの太陽の光が顔に当たり、あまりの眩しさに思わず目を細めた。どうやらもう放課後のようだ。
見渡してみても俺たち以外には生徒はおらず、外からはサッカー部や野球部の掛け声が聞こえていた。夏の試合が終わってからというもの、その掛け声が少し少なくて、なんとなく「ああ、卒業まであと少しなのか」と、剣道部に所属していた俺こと六宮蓮は物思いにふけることが多々あった。
「蓮くん、また寝てたみたいだけど大丈夫?」
「まーた自主勉強で徹夜か?ちょっとは休めよ?」
「ああ…すまん、灯也、水穂」
心配そうに顔を覗き込む水穂の頭を撫でる。勉強で寝不足というのは本当だった。スポーツ推薦で大学受験を免除できたのは良いものの、そこで勉強を疎かにしてはいけない。推薦などで落ちた人は、今度はセンター入試や一般入試に向けて勉強するので、当然推薦で受かった人より学力が高い。だから俺は遅れを取らないように寝る間も惜しんで勉強(主に一年生からの総復習)をしていた。
ちなみに灯也は専門学校に進学予定のため受験は前期で終わっており、結果は合格。残るのは大学志望の水穂だけなので、受験勉強も兼ねて近くの図書館で勉強会を開くことにしたのだ。
「ごめんね二人とも。私の受験勉強に付き合わせちゃって……」
「いーっていーって。テストもあと期末だけだし、それと合わせてやりゃ大丈夫」
「お前が中間テストの英語で赤点ギリギリ取らなけりゃまだ余裕はあったんだけどな」
「うぐう……」
三人で一緒に教室を出て、昇降口に向かう。途中で渡り廊下から吹奏楽部が合奏している音が聞こえた。やはりその音も夏の時と比べて厚みが減っていた。
昇降口から校門へ。いつものように駄弁りながら、三人は並んで歩く。交差点に差し掛かり、少し待つとパッと信号が青に変わる。それに気付いて、俺は横断歩道を渡ろうと二人より少し先に歩き始めた。
今思えば、これが運の尽きだったのかもしれない。
右からクラクションが鳴り響いた。灯也と水穂が俺の名前を叫ぶ声が耳に届く。二人は目を見開いてこっちに手を伸ばしていた。他にも、何かを叫ぶ人、何かを見ないように顔を覆う人…どれもがスローモーションのようにゆっくりと動いて見えていた。
そこで、俺の視界は暗闇に襲われた。
□□□
ふわふわ、ゆらゆら、まるで水の中にいるような感覚が全身を覆う。目を開けると視界は黒に塗りつぶされ、目は開いているのに開いていないような状況に俺は少し混乱した。
「おーい、起きているならこっちを見てくれんかの」
後ろから声が聞こえ、俺は慌てて後ろを振り向く。するとそこには、この世の全ての美を集めたかのような美しい少女が立っていた。美少女は古代ギリシャの女性が着るような純白の服を着ていて、髪の色は金色。目の色は透き通るような翡翠色だった。
美少女は俺の姿を確認すると、どこか満足そうにうなずいて近づく。その足取りはとても軽やかだった。
「初めまして、六宮蓮。我が名は『シルヴィア』。お主らで言うところの創造神じゃ」
「あ、宗教勧誘はもう間に合ってるんで」
「ちょっ最後まで話を聞かんか!というかお主とっくに死んでるじゃろ!?」
シルヴィアと名乗った自称「創造神」は、その身に似合わない声色と口調で説明し始めた。
「今お主がいるこの空間は『平行世界の狭間』。どこの世界にも存在せず、どこの世界にも存在する空間じゃ」
「はあ……」
「……まあ、実際は妾もよく知らんのじゃが」
「ダメじゃねえか創造神」
「うぐっ」
やけになったシルヴィアはそのまま説明を通した。
「『平行世界の狭間』とは、自分がいる世界と他の世界の間にある空間のことで、ごく偶に何らかの理由で異世界へ飛ぶ人がいること」、「そこで偶然トラックのひき逃げにあった俺の魂が狭間に来てしまったこと」、「このまま狭間に居続ければ、どこの世界にも行くことが出来ずに消滅してしまうこと」、「それは勿体ないので、シルヴィアが直接迎えにきたこと」などなど…結構ギリギリであったことが判明した。
消滅、と聞いて、全身(魂だけなのであるか分からないが)からどっと冷や汗が出た。
「…で、そんな異世界の創造神とやらがなんで俺を迎えに来たんですか」
「実はの、他の世界の神は転生者やらを保護という名の異世界転生させているお陰でどこも満員らしくてな。唯一妾の世界だけは転生者がおらんかったので白羽の矢が立ったわけじゃ」
「俺は総菜コーナーに残ってる総菜か何かか?」
「それは言ってはいけない約束じゃ。……人生をまた一から始めることになるが、良いかの?」
シルヴィアが翡翠の瞳で俺を見ながら聞いてくる。
……残してきた幼馴染が心配ではあるが、ここにいれば、シルヴィアがいるとしても消滅する時間が迫ってきている。なら、もう一度、生きてみようじゃないか。
「……分かった。アンタの世界に転生する」
「あい分かった。では、今すぐ転生の準備をしようかの」
そう言うや否や、シルヴィアはしなやかな手を俺の額にかざす。俺を中心に淡い緑色の魔法陣が広がり、少し目が眩んだ。
「妾の世界では自由に生きると良い。生まれた先によっては苦労や困難も絶えんとは思うが、お主の好きにするといい」
「ああ。適度に好き勝手させてもらう」
緑色に光に包まれたとき、シルヴィアの姿が大人になったように見えた。