その時エミール王国では
ヴァルデマーを捕らえ、王都に帰還したカーティスは、早速ヴァルデマーを魔力封じの枷をした状態で対面した。
謁見の間でと言う訳にもいかないので、地下牢の尋問部屋だ。
ヴァルデマーは不貞腐れた様子を隠す事なく、不躾にカーティスを睨みつけていた。
「魔王ヴァルデマー」
「…何だ」
「ヴァルデマー!その態度は何だ!!」
「いい、バラキン伯爵」
「しかし…!」
魔術師団長シモンズ・バラキンがヴァルデマーの態度に怒りをあらわにする。が、それを制するようにカーティスが手をあげ、そして静かにヴァルデマーを見据えた。
「ヴァルデマー、質問に答えてもらうぞ」
「…それよりもゲアトルースをどうした?」
「何?」
「闇竜ゲアトルースだ!聖竜と共に姿を消してから気配すら辿れない!!」
ギリッと歯を噛みしめて手を握りしめ、ヴァルデマーが俯く。その姿は心の底からゲアトルースを心配しているようで、それを意外なものを見たような顔でシモンズがヴァルデマーを凝視していた。
「闇竜ゲアトルースと聖竜ガイウスは狭間の世界にいるそうだ。どちらもまだ戻ってはいない」
「狭間の世界…くそっ…」
人間が行けない場所だ。
それは魔術師であるヴァルデマーも知っている事。そしてこちらと流れる時間も違う場所だ。
「お前が素直に質問に答えるのなら、水竜アイアース様に二体の竜がどうしているのか聞いてやろう」
「…本当だな?」
疑うようにヴァルデマーが訪ねると、カーティスも頷く。
すると少しだけ体の力が抜けたようにその場に座り込み、そして半ばやけくそのような態度でカーティスを見た。
「それで、私に何を聞きたいんだ?」
「アウキシリアとは何者だ」
「ん?」
増幅術師と聞き、ヴァルデマーが片眉を上げる。
カーティスも今回の魔王軍の真の狙いがアウキシリアである事を戦場でようやく知ったのだが、肝心のアウキシリアが何なのかまでは掴めなかったのだ。
探ってはみたが人の名前でもなく、ソレが何を指すのかまでは分からなかった。
「お前達が狙っていたのはアウキシリアなる者だと聞いている。闇竜ゲアトルースがしきりにその人物を追っていたそうだな。その理由を知りたい」
「…はっ、それを知ってどうする?理由を話せばアウキシリアをこちらに寄越してくれるのか?」
「ヴァルデマー!言葉が過ぎるぞ!!」
「バラキン伯爵」
「くっ…」
とがめるように名を呼ばれ、シモンズが引き下がる。それを冷めた目で眺めていたヴァルデマーが、カーティスを馬鹿にするように鼻で笑った。
「フン、一国の王ともあろう者がアウキシリアが何なのか知らないのか?これは傑作だ」
「…何?」
分かりやすい挑発に、カーティスがピクリと反応する。それに気をよくしたのか、ヴァルデマーは楽しそうに笑い出した。
「はははは、これは面白い!いいぞ、知らないのなら教えてやろう!アウキシリアとはかつてゲアトルースを封印する力を勇者に与えた、精霊の魔法が使える人間の事だ!」
「なっ…」
最初から何かが可笑しいとカーティスは感じていた。執拗にネストーレ王国が隠している事柄が一体何なのか、それが全くつかめなかったからだ。
勇者に力を与えるなんて、まるで神のような事をした人物が本当にいるのか。目の前の男が言っている事が嘘ではない確証は全くない。
カーティスが考え込んでいると、シモンズがヴァルデマーの胸倉を掴んだ。
「出鱈目を言うな!精霊の魔法を人間が使えるなど聞いたことがない!」
「自分が知らないからと言って、全てを否定するのは愚か者のする事じゃなかったのか?」
「…!」
「かつてお前が私に言った言葉だ。忘れたのか?」
「忘れてなどいない!だが、お前の言っている事が本当だと証明できるのか!?」
「嘘だと思うのなら水竜アイアースにでも聞けばいいさ。守護竜達はアウキシリアを知っているのだからな」
淀みなく言い切るヴァルデマーにシモンズも閉口する。
そして黙って二人のやり取りを聞いていたカーティスは無言で立ち上がった。
それを見てヴァルデマーがニヤリと笑う。
「守護竜が黙っていたとしても、それは仕方のない事だそうだ。だがお前は国王として知っておくべきだろうよ」
「…バラキン伯爵、魔王を牢へ」
「はっ…」
それだけ言い放つとカーティスは神殿へと足早に向かう。
水竜アイアースがアウキシリアを知っていたのなら、何故言わなかったのか。
彼女は自分の味方ではなかったのか。
色んな思いが頭を巡ったが、それを振り払うように頭を振った。
そうして水の神殿に辿り着いたカーティスは、まるで自分を待っていたかのように泉から姿を現していたアイアースを見て驚いた。
「アイアース様、何故…」
『そろそろ来る頃じゃと思っておったからな』
アイアースの言葉にカーティスは目を瞠る。
自分の行動を読まれていると言う事は、カーティスが聞きたい事を理解していると言う事だろう。
カーティスはゴクリと唾を飲み込み、真剣な面持ちでアイアースを見据えた。
「ではお聞きしたい。アウキシリアとは何なのか、何故ゲアトルースがアウキシリアを追っているのか」
『その前に、アウキシリアが何なのか知っても、決してアウキシリアに干渉しないと約束してほしい。でないと何も話す事はできない』
「な…、それは聞いてみない事には…」
『ではこの話は終わりじゃ。王宮に帰るがいい』
「ま、待ってくれ!何故だ、アイアース様!アウキシリアとは何だ!?一体誰がアウキシリアなんだ!ヴァルデマーは精霊の魔法が使える人間だと言っていたが、それが意味する事は何だ!?」
泉の中に帰ろうとしたアイアースを必死で呼び止めるようにカーティスが叫んだ。そんなカーティスを凪いだ瞳で眺めていたアイアースは、仕方がないといった様子で溜息をつく。
アイアースが何かを言おうとしたその時、突然上空から炎の塊が降りて来た。
『アイアース、喋るな』
『…イグナツィか』
「火竜イグナツィ様…」
突然のイグナツィの出現にカーティスが驚く。逆にアイアースは驚いた様子もなく、少し面倒くさそうにそっぽを向いていた。
そしてイグナツィはカーティスの目の前に降り立ち、探るような視線でカーティスを見下ろしていた。
『俺達竜族はアウキシリアを裏切らねぇ。いや、精霊達もだ。アウキシリアは秘密の職業であり、守られるべき存在だ。お前がアウキシリアに一切の干渉をしないと約束しない限り、俺達はアウキシリアについて語る事はしねぇよ』
「……」
守護竜達にこれほどの事を言わせる存在だと言う事か。
アウキシリアとはおいそれと触れてはいけない存在なのかもしれない。
だが、国を預かる者として知らないままでいる事はできない。
カーティスはぐっと拳を握りしめ、そして観念したように息を吐いた。
「…約束しよう。アウキシリアを知っても、その存在に害を与えるような事をしないと」
『違う。干渉するなと言っている』
「それはどこまでの事だ?もしも知り合いであれば?喋ることもしてはいけないのか?」
『アウキシリアの力を利用しようとするなって事だ』
「分かった。エミール王国の国王として、アウキシリアの力を利用しないと誓いおう」
カーティスがアイアースとイグナツィに告げると、イグナツィがアイアースに向かって頷く。アイアースは仕方がないと溜息をつき、カーティスに告げた。
『アウキシリアとは増幅術師、つまり増幅術を使うのじゃ』
「増幅術…それは…」
『植物を成長させたり、人の能力を強化させる事ができる。闇竜ゲアトルースと戦った勇者の力を増幅し、封印に成功させたのは増幅術師の力があったからに他ならない』
「それが本当なら…凄い事だ…。そんな職業を持っている者が存在するのなら、色んな国が黙っていないだろう…」
『だからお前に聞いたんだよ。干渉しないと約束できるかってな。あの力を利用しようとすれば、精霊の怒りを買うぜ』
「…それで、その増幅術師は一体誰なんだ?アイアース様は知ってるんだろう?」
カーティスの問いに守護竜達が頷く。
『勿論知ってるぜ。何しろ増幅術師のお陰で俺は目覚めたんだからな』
「は?いや、しかし目覚めたのはエリクサーを使ったからで…」
『あれは普通のエリクサーじゃねぇよ。増幅術師が増幅術を施したハイエリクサーだ』
「なっ…」
『そこまでだ、イグナツィ』
ゴオッと周囲に突風が吹く。
何事かと離れていた部下達が騒ぎ出すが、それもすぐに静かになる。
その理由は、目の前に現れた存在が。
「せ、聖竜ガイウス様…それに…」
『無様じゃのぉ、ゲアトルースよ』
ガイウスにボロボロにされたゲアトルースが、ドサリと音を立てて床に落とされた。
それを無表情で見下ろすガイウスは、ゆっくりと地上に降り立つ。亜空間から突如現れた守護竜二体に神殿の警備兵達は驚きを隠せない様子だ。
『エミール王国の王よ、少しばかり邪魔をする』
「い、いえ…しかしこれは…」
『こ奴も難儀な性格よのぉ。魔王に預けた魔力を取り戻してさえいれば、ガイウスと互角に戦えただろうに』
『う、うるさい…!少し調子が出なかっただけだ…!』
『おい、わざわざ煽るなって、アイアース』
『ふん、大した事は言っておらん』
随分と派手にやられたらしいゲアトルースは、その体を聖属性の魔力で拘束されているようだった。体は縮み、随分と弱弱しいその姿に驚きを隠せない。
「聖竜ガイウス様はこれほどまでに…」
『別に驚く事じゃねぇよ。ガイウスは俺達の中で一番強いんだ。ゲアトルースが敵わなくても当然だぜ』
「ではなぜ、その昔勇者達が闇竜ゲアトルースと戦った時に手を貸してくれなかったのですか?」
『我らが人間の味方ではないからだ』
カーティスの質問にガイウスが答える。人間の味方ではないと告げられ、カーティスが僅かに動揺した。
「し、しかし今貴方はネストーレ王国を守護している。それは何故ですか…!」
『愛する者がいた土地だからだ』
「愛する…ではアイアース様やイグナツィ様もそうなのか…?」
『わらわは対象が人間ではないがな』
『俺もだな。ツェツィリアやアートゥーアに関しては、その場所が自分と相性が良かったからだし』
守護竜はそもそも、人間を守るつもりでその場を守護している訳ではない。ただその場所に思い入れがあったり、自分の魔力とフィーリングが合う場所に身を置いているだけだ。そしてそのお陰でその土地が加護を受けている。
ガイウスは伴侶が人間だった為にネストーレで骨を埋めるつもりでいるが、ツェツィリアは幾度となく住処を変えている。
アートゥーアは地竜としての力が最も蓄積しやすい場所にいるだけで、それはイグナツィも同じだ。
『ゲアトルースの悲劇は元々人間が起こした罪だ。だからと言って罪もない生物を虐殺していい理由にはならんが、ミンストレル国が滅びたのは仕方のない事だろう』
「国が滅びるのが仕方がないと言うのか!」
ミンストレル国の悲劇を知らない者はいない。だがその真相を知る人間も殆どいないのが現実だ。
そしてこのエミール王国の王であるカーティスでさえも、間違った情報でしかその事実を知らないのだ。
だからこそガイウスの言う事に納得がいかない。けれど守護竜達がゲアトルースとミンストレル国の間に起こった事を、カーティスに話すつもりは毛頭ない。認識の違いがあれ、竜達の主張は皆同じだった。
『何を勘違いしているのかは知らぬが、我らは最も神に近い存在なのだ。その存在を裏切り虐げればそれ相応の罰が下るのは当然であろう。だが、そうであってもゲアトルースはやり過ぎた。勇者達の手助けはしなかったが、ゲアトルースの手助けもしない事が我々守護竜達の人間への譲歩なのだ』
「…それ程の事をミンストレルの人間がしでかしたと言う事か…」
『少なくともゲアトルースの心を地獄に突き落とす程の事をしでかした。神に近い存在を虐げればそうなるのは必至だ』
『人間は傲慢な生き物じゃからのぉ。平和な時が続けば続く程、心から感謝の気持ちや信仰心が薄れる。そうなればおのずと神や精霊の加護が遠のき、混沌の時代が巡るのじゃ』
『そして愚かな人間はまた神に祈る。助けてくれと』
口々に告げる守護竜達の心理にカーティスは言葉を失くす。
過去の悲劇は自業自得だと、目の前の3体の竜は告げるのだ。それは、今ゲアトルースと戦ってきたガイウスでさえ、ゲアトルースがしてきた事に批判はしないと言う事で。
「…では何故、聖竜ガイウス様はゲアトルースと戦われた…」
『簡単な事だ。ゲアトルースが増幅術師を殺そうとしたからだ』
「…!!」
守護竜を動かす程の存在だと改めて認識させられ、カーティスが驚きに目を見開く。
そしてそんなカーティスの様子を気にすることなく、ガイウスが言葉を続けた。
『さっきも言ったが、アウキシリアに関与するな。彼の者が何者であっても、誰も縛る事は許されぬ。それはネストーレの国王であっても同じだ。まあ尤もあ奴等は先に豊穣の精霊から釘を刺されているがな』
「豊穣の精霊…一体何を言われたんだ…?」
『アウキシリアを害すれば、この大陸全ての大地から精霊達の加護が消えると』
「なっ…!」
大変な事だ。アウキシリアを害すれば大地から豊穣の精霊の加護が消える等、あってはならない事だ。
『お前はこの国の王だ。だからこそここまで話した。もしもこの先アウキシリアが誰であるか知る事があれば、あの子を見守ってやってほしい』
「…分かりました」
ガイウスの言葉にカーティスは深々と頭を下げて返事をする。その言葉を聞いて満足したのか、ガイウスは再びゲアトルースを掴んで羽ばたいた。
『ゲアトルースは我が連れて行く。魔王に伝えよ。真にゲアトルースを救いたければ、戦いではなく違う道を探してみせよと』
「し、しかしっ!ヴァルデマーは重罪人だ!通常であれば死罪は免れない!」
『死罪ではダメだ。そんな事をすれば今度こそゲアトルースが暴走するぞ。よく考えて決断するがいい』
「ま、待ってくれ…!」
バサッと羽音を立ててガイウスが飛び立つ。
カーティスの制止も聞かず、そのままゲアトルースを掴んだまま姿を消してしまった。
「…アイアース様…、俺は一体どうすればいいんだ…」
『何もせんでよい』
「だが…」
『魔王に関してはガイウスの言う通りにした方がいいじゃろう。あの男を殺すと、ミンストレルの悲劇の二の舞になるぞ』
「そこまで…ヴァルデマーはゲアトルースに大切にされているのか…」
『そうだろうなぁ。でなけりゃあの人間があそこまでできねぇだろ』
イグナツィの言う事も尤もだろう。
いくらヴァルデマーが優秀な魔術師だったとしても、あの戦いで引き連れていた魔物達全てを掌握しているとは考えにくい。
そうなるとやはりゲアトルースの力が大きいのだろう。
「…対策を考える」
『そうした方が賢明じゃ』
『まあ、俺達も少しは協力してやるよ』
「そうなのか?だがさっきは人間の事に干渉しないと言ってただろう?」
『今更じゃ。わらわに関してはずっとお主に干渉しておったしな』
『なら俺もだ。アイアースがする事なら協力してやるさ』
「…有り難い」
この時ほど水竜アイアースが自国の守護竜であった事に感謝した事はなかっただろう。
そう思う程にカーティスは、多すぎる情報量を整理しきれなかったのだった。




