閑話 ドラウ族
キジェルモがいよいよネストーレ王国に攻め込むと聞いたのはその日の夜だった。
ヴァルデマーに何も言わずにこっそりエミール王国に行っていた事も、イルナを増幅術師だと特定できた事も言わなかったが、ヴァルデマーはキジェルモに何も言わなかった。
「何も聞かないのか?」
「何をだ?」
不思議に思い問い掛けたが、逆にヴァルデマーに問われる。
「俺が今日どこで何をしていたかをだよ」
「ああ、そんな事か」
あっさりと頷き、カラカラと笑い出す。それを訝し気に眺めると、ヴァルデマーは屈託ない笑顔でキジェルモを見た。
「お前が俺の不利になるような事をする奴じゃないのは知ってる。それにお前にだってプライベートは必要だろう?」
「…は?」
「ま、無粋な事は聞かん。それよりもいよいよネストーレ王国に攻め込む。魔物の軍勢も随分規模が大きくなったが、まだまだ知力的には不安要素が多い。だが目的は国を亡ぼす事ではなく、増幅術師の抹殺だ。ネストーレ王国の魔術師団にいると言う増幅術師を引きずり出し、その首をゲアトルースに捧げるぞ」
「わかった」
コクリと頷きながらも、キジェルモは違う事を考えていた。
(あの増幅術師にはまだ用がある。今死なれると困るな)
正直な所、キジェルモは増幅術師を殺す事に内心反対していた。何故なら増幅術師はきまぐれな精霊が使う魔法だ。精霊達に頼んだ所で相手にされない事もしばしばだが、それを人間の、しかも若い女が使えるとなると話は別だ。
精霊が使う祝福の魔法を人間が使える等、その価値は計り知れない。
(どうにかしてあの女を手に入れ、ドラウ族の街に連れて行かないと)
幸いな事にヴァルデマーの様子からしても、まだ増幅術師を完全に特定できていないようだ。それならば先手を打ってあの女を攫えばいい。最悪の場合、洗脳して手に入れればゲアトルースも抹殺する事にこだわらないだろう。何しろ再び封印される事を懸念しているだけのようだから。
「ヴァルデマー、俺は少し街に戻ってくる」
「わかった。出発は明後日だから遅れるなよ」
「ああ、勿論だ」
コクリと頷き魔王城を後にする。ワイバーンに乗りミンストレル国へと向かった。ドラウ族は現在ミンストレル国の北部に街を作っている。
元々王城があった場所なので比較的都会的な外観の建物がいくつか残っているのだが、人間が住んでいる訳ではないのでその様子はすっかり様変わりしていた。
「キジェルモ様、お帰りなさいませ」
王城の庭にワイバーンが降り立つと、そこにドラウ族の青年が待っていたかのようにお辞儀をしていた。それを一瞥し、辺りを見渡す。
「変わりないか?」
「そうですね。ケンタウロス達がインプ達とまた揉めていたくらいですかね」
「またか。で、原因は?」
「いつもと同じです」
いつもと同じと言う事は、やはり土地争いだろう。ケンタウロスとインプは何故か執拗に同じ場所を欲し、事あるごとに喧嘩をしている。
魔族のまとめ役としてドラウ族が仕切ってはいるが、所詮人間のように共存すると言う訳にはいかない。あまり大きく揉めるようなら仲裁に入らないといけないだろう。
「あの土地の植物が一番よく成長するので取り合う気持ちはわかりますが」
「なら半分に分けて持ち合えばいいんじゃないのか?」
「全部自分達が欲しいそうです」
「勝手な」
そんなに揉めるのならミンストレルから出ればいい。だが何故か彼らはこの国から出て行こうとはしない。理由はやはり森を一から開拓するのが面倒だからだろうが。
ミンストレル国は小さな国で、商業よりも農業が盛んだったようだ。残された土地は肥沃な場所が多く、農作物を好んで食べる魔族達に人気だった。
勿論動物を狩って食べる種族が多いが、それでも雑食であるインプやケンタウロス、ゴブリン等は農地を多く欲する。
そのせいで時々種族間でいざこざが起きている。
「お互いに占拠している土地で我慢してくれるといいんですけどね」
「隣の芝生は青く見えると言う。勝手に自分の土地よりも他の種族の土地の方がいいように見えるのだろう」
「それもありますが、最近は農作物の育ちが悪いようですよ。前にも一度お話しましたが、全体的に出来高が落ちてます。我々ドラウ族の持つ土地も例外でなく、随分と土地が荒れてきていますね」
「そうか…」
魔物が一気に沢山住みついたせいか、瘴気が増えた事が原因だろう。魔物はその名の通り魔の物だ。つまり瘴気や魔素がその体に纏わりつく。一体二体くらいなら何も変化はないだろうが、一つの国に色んな種族の魔物が住みつくと話は別だ。
ヴァルデマーは魔物の国を造りたいと言っていた事もあり、ゲアトルースが滅ぼした無人の国を占拠し、魔物達に明け渡した。その代り自分を魔王と認めさせ、彼等の要望をなるべく聞くようにしている。
ここまで魔族に寄り添おうとした人間はおらず、その上人間とは思えない程の魔力を保持している。実際は守護竜達から奪い取った魔力のおかげでもあるのだが、知力の低い魔物に言葉を教えたり知恵を授けたりしている事もあり、まあまあの人気があるのだ。
(やはり増幅術師が必要だ。)
増幅術師の持つ『祝福』の力で枯れかけたこの土地を生き返らせなければならない。魔素にも打ち勝つ強い土地にする為には、増幅術師の力がどうしても必要だ。
(エルフの都アルフヘイムに入れないのなら、このミンストレル国をアルフヘイム以上の国にしてやる)
それこそがキジェルモが目指す所だ。
実際に迫害された記憶はないが、元は同じ種族であったはずのエルフ族とドラウ族。亜種だと言われ、神界から追いやられた事は納得がいかないが、それならばそれ以上の存在になればいい。
「必ず増幅術師を見つけ出し、このミンストレル国をアルフヘイムよりも豊かな国にしてやる」
「勿論です」
キジェルモの呟きに侍従のドラウ族の青年もしっかりと頷く。
彼もキジェルモと同じくこの国をアルフヘイム以上の国にしたいと思う同志だ。ドラウ族は世界各地に散らばっているが、彼等が最後に集まる場所はここだという故郷を造る事が目的だ。
ヴァルデマーもキジェルモの目的を理解し、それに協力しようとしてくれている。だからこそキジェルモもヴァルデマーに協力する事にしたのだ。
だが、増幅術師の抹殺だけはだめだ。それだけは見過ごす事はできない。腐ってもドラウ族は妖精族の一種だ。いくら亜種だと言われていても、増幅術師の価値は知っている。
今現在精霊で増幅術師の術を使う者がいない中、貴重な使い手を葬る事は悪手でしかない。
「ゲアトルース様を説得できればいいのだが、どうもあのお方は考え方が人間寄りだからな」
「そうなのですか?」
キジェルモの呟きを拾ったドラウ族の青年が不思議そうな顔をする。
「ああ。元々この国を滅ぼしたのも好いた男を他の女に取られたからと言う、至極人間臭い感情からだ。竜が番いを求める欲求は他の種族よりも強く、そして嫉妬深いとは聞いていたが…」
「ですが番は生涯で必ず一人ではないですよね?ああ、一途って事ですか?」
「美しく言えばそうだが、汚く言えば執着がすごい」
「はあ…まあ国を滅ぼすくらいですもんね…」
ゲアトルースは眠っている間に例の吟遊詩人への気持ちを昇華させる事ができたようにも見える。失恋した女のような悲し気な顔を一度も見た事がないからだ。
ただ、ヴァルデマーはその辺の事情をあまり詳しく知らないらしい。キジェルモはドラウ族なので長命だ。つまりゲアトルースが暴れた頃の事をしっかり覚えている。
「下手をしたらヴァルデマーはゲアトルース様が女性だという事を知らないかもしれんな」
「え、そうなんですか?魔王様に教えてないんですか?」
「聞かれてないからな。言ってない」
「それは…ちょっとかわいそうかと…」
かわいそうかどうかと言われたら首を傾げてしまうが、そこはどうでもいいだろう。とにかく明後日にはネストーレ王国へ攻め込む事が決まっているのだ。
「レイ。明後日、ヴァルデマーは魔王軍を率いてネストーレ王国へ攻め込む。俺はそれに付き添うが、留守の間は任せたぞ」
「わかりました。ドラウ族からの援軍はいりますか?」
「いや、今回は構わんだろう。ヴァルデマーとゲアトルース様はアウキシリアを殺しに行くつもりだが、俺は密かにミンストレル国へ攫ってくるつもりだ。この国の土地を強化してもらう為にもアウキシリアの力が必要だからな」
「しかし簡単に言う事を聞くでしょうか?」
「ふん、相手は人間の女だ。いくらでもやりようがある」
「女?アウキシリアは女なんですか?」
「そうだ」
アルセニオはなかなか食えない男だったが、イルナはどう見ても純粋培養の貴族令嬢だ。騙す事も唆す事も簡単だろう。何なら誘惑してもいい。
「とにかく、アウキシリアの女をもてなす部屋を用意しておけ。側付き用の女も何人か見繕っておくんだ」
「歓迎するって事ですか?」
「丁重に扱うと言う事だ」
「わかりました」
レイと呼ばれた青年はペコリとお辞儀をする。それを一瞥したキジェルモは、颯爽と自室へと向かったのだった。




