試練は山積み
あの後キルスティに軽く挨拶をし、二人は王宮の庭園に戻って来た。そう言えば前にこんな簡単に転移してこれるのは問題だとウィクトルが言っていたが、まだ対策は取っていないのかと気になる。するとそれに対してはどうやら聖竜が絡んでいるらしく、聖竜ガイウスが無害だと認識している者については特に妨害はないらしい。
と言う事で今は庭園のベンチに二人並んで座っている。チラリとウィクトルを覗き見ると、どうも疲れ果てた顔をしていた。
「ウィル様、大丈夫ですか?」
「ああ…色々衝撃的だったが…」
「キルスティの事ですか?」
「それもあるが、他にも色々。あの話を要約すると君はれっきとした『聖女』と言う事になるだろう?それがちょっと…」
聖女とか勘弁してほしい。全くそんな柄ではないのだ。そう思って乾いた笑みを浮かべると、ウィクトルは呆れたように半目なった。
「君の事だぞ?そんな他人事みたいに笑ってるが、君が『聖女』なんて言われたら俺が困る」
「言われないと思いますけど、どうして困るんですか?」
「…本当に兄上の婚約者にされかねないだろ」
「え、まさか」
我が国は完全に竜神信仰だ。だからこそ竜の加護を受け、竜を祭る神殿や教会がある。教会には竜の力を反映できるように魔道具が設置され、人々は加護を受けに教会に祈りに来るのだ。そしてその祈りが竜に届けば加護が受けられる。
実際神である竜が王宮の奥にある神殿に存在するのも大きい。信仰の対象に会う事が叶うのだから、他国よりも住民達は信心深い。隣国であるエミール王国も水竜アイアースが加護を与えているお陰で、砂漠の地なのに水が枯れずに人々を潤している。その影響で隣国も竜神信仰なのだ。
だからこそ、『聖女』等と言う存在はあまり必要ではないのだ。
だが他国の『女神信仰』の地では歴代聖女が存在し、人々を救い癒す者として君臨している。聖女は女神の生まれ変わり、もしくは女神の代返者として重要視され、時に王族の妃として娶られる事もあるのだ。
まあ、実際は女神の生まれ変わりではなく、聖属性魔法に優れた未婚の女性がその地位に就くようになっているらしい。何でも身分は問わないが容姿は問うとか聞いた事がある。信仰の対象は醜いよりも美しい方がいいからだろう。ヴェレスが言っていた意味の本当の『聖女』ではないにしろ、女神信仰の国では聖女の価値はとてつもなく重要だ。
「我が国では『聖女』は必要ではありませんよ」
「そういう問題じゃないんだ。さっきのヴェレス様の話で君も聞いただろう?君の使う増幅魔法は『祝福』だと。そんなモノを使える人間は世界中探してもどこにもいない」
「それはそうかもしれませんけど、言わなければ分からないんじゃないですか?」
「え……」
「言ってウィル様と引き離されるのなら、絶対誰にも言わないです。ウィル様以外の人と結婚なんてしたくありませんから」
そんな事になるのなら修道院に入って一生独身を…って、ああダメだ。ラルスにルーメン家の跡を継いでと言われているから、女侯爵として独身を貫くしかない。跡継ぎはラルスとドロテアの子供を一人養子に貰おうかしら、なんて考えていると、ウィクトルが隣でフッと笑う気配がした。
「ウィル様?」
「クククッ…、あはははッ、いや、ごめんっ…。君の気持ちが嬉しくて…」
そう言って笑うウィクトルの顔は本当に嬉しそうで。ウィクトルの笑顔を目の当たりにしたイルナの心臓が高鳴る。ドキドキと心臓が煩い。心なしか頬も熱くなってくる。そしてどうしようもなく好きだと言う気持ちが溢れてきて、小さく叫びたくなった。
(ああ、本当に私、この人が好きだわ)
ボーっとウィクトルを惚けた顔で見つめていると、ウィクトルがその視線に気づく。そして段々とウィクトルの顔も赤くなり、フイッと顔を背けられた。
「ウィル様?どうかしましたか?」
「…イルナ、その顔は駄目だ」
「へっ?え、あ、何か間抜けな顔してました!?」
「いや、違う。逆だ」
「え、逆?」
きょとんとウィクトルを眺めると、顔を赤くしたウィクトルがチラリと横目でイルナを見る。その視線がやけに色っぽくてイルナの心臓が再び騒ぎ出す。するとウィクトルの両手がイルナに伸びてきて、気付けばすっぽりと包み込まれるように抱きしめられていた。
「わっ…」
驚いて小さく声を上げるが、ウィクトルはイルナの首元に顔を埋めて黙り込む。ドキドキする心臓を何とかなだめながらも、イルナもそっとウィクトルの背に手を回した。
「…君が好きで仕方ない」
ポツリと小さく呟かれ、イルナがピクリと反応する。
「君を誰にも奪われたくない。君はこんなに魅力的で、秘密の増幅術師で、聖女でもあって、精霊にも愛されてる。俺には勿体ないくらいの女性だけど、俺は君を離したくない」
「ウィル様…」
情緒不安定だ。イルナはぎゅっとウィクトルを抱きしめながらそう思う。さっきも言ったが王子様に勿体ないと言われたら、誰だったら相応しいのだろうか。もう誰とも添い遂げられないとしか思えない。
けれど一度不安になってしまったウィクトルはさらにぎゅうぎゅうとイルナを抱きしめる。ちょっと苦しくなってきたが、彼の不安をちょっとでも解消できるのならと、されるがままになっていた。
「…はぁ、もうちょっと一緒に居たいけどそろそろ戻らないと」
「あ、そうですよね。お時間取らせてすみません」
「いや、いい。君がちゃんと俺に話してくれて、一緒に連れて行ってくれたから」
それについては今まで本当にすみませんと、心の中で謝罪する。そして二人はそっと立ち上がり、手を繋いで王宮の方へと歩き出した。
回廊に着き、繋いでいた手を離す。その時ウィクトルが思い出したようにイルナを見た。
「そうだ。父上にさっきの事を話す時、ヴェレス様を呼ぶかもしれない。だからイルナも一緒に謁見してもらいたいんだが」
「私なら構いません。事前に日程を教えてくだされば…」
そこでふと言葉を止める。不思議に思ったウィクトルが首を傾げたが、イルナが困ったような表情を浮かべた。
「…そう言えばヴェレス様って、精霊語しか喋らないんでしたよね」
「あ」
そうだった。
あの時キルスティが翻訳の魔法陣を書いてくれていた。その上に立って喋ったので会話が成立したが、次呼び出す時は多分何を言っているのか分からないだろう。
「キルスティに魔法陣を教えてもらっておきます」
「仕方ないな…」
一人でエルフの村に行かれるのは嫌だが、こればかりは仕方がないだろう。渋々頷くと二人は別々の方向へと歩き出したのだった。
※※※
「…どういう事?」
イオアンナが驚いた表情で一人庭園で佇んでいた。
ここに来たのは偶然で、まさか二人の逢引現場に遭遇するなんて思ってもみなかった。たまたま休憩中で庭の中を散歩していたのだ。
するとイルナとウィクトルが突然現れ、ベンチに座って何やら話し込んでいた。
会話を聞くつもりはなかったが、ウィクトルが呟いた言葉に思わず立ち止まってしまったのだ。
「君を誰にも奪われたくない。君はこんなに魅力的で、秘密の増幅術師で、聖女でもあって、精霊にも愛されてる。俺には勿体ないくらいの女性だけど、俺は君を離したくない」
確かにはっきりとそう言ったのだ。
(増幅術師は確か魔王と名乗る男が探していた人物よね?あれ、でも確か魔術師団の人の中に数人増幅術師がいたって昨日聞いたけど、そのうちの一人がルーメン侯爵令嬢って事?それに『聖女』って…)
何てことだ。これが本当ならテオドールの隣に立つのは彼女になるのではないか。第二王子の妃より、王太子の妃が相応しいと言い出す人が出て来るかもしれない。何しろ『増幅術師』で『聖女』なのだから。
(まずい、まずいわ!彼女は第二王子殿下が好きみたいだけど、王家の婚姻なんて政略が基本だもの。それに他の婚約者候補の令嬢も数人いるけど、テオドール殿下は無関心だから安心してたのに、ルーメン侯爵令嬢が『聖女』だなんて知れ渡ったらいくら国王でも黙っていないわ)
ギリッと歯噛みする。自分の身分で王太子妃になれるなんて、本当は微塵も思っていない。けど、少しでいいから彼の視界に入りたかった。その為に聖竜神殿の女官になり、日々頑張って仕事をしている。仕事の合間に聖属性魔法の訓練もして、今度こそ本当に『聖女』だと言われるようになるつもりだった。
「こうなったら意地でもあの二人には結婚してもらわないと…」
その為にはまずあの二人に協力しないといけない。好き嫌いで反発している場合ではないだろう。だが、先日のお茶会で自分はやらかしてしまっている。イルナにはっきりと気に入らないと言ってしまっているのだ。たかが男爵令嬢の自分が侯爵令嬢の彼女に。
でも考えても仕方がない。身分もどうにもならないのだ。イルナがウィクトルと婚約した時は小躍りするくらいうれしかった。ライバルが一人減ったからだ。
だが現実はどうだ。自分は他の婚約者候補の令嬢と同じスタートラインにも立っていないのだ。
(身分はどうしようもないけど、それなら自力で自分の価値を上げるしかない)
そう思って今まで頑張って来たではないか。王宮でお茶会が開かれたと聞いた時、こっそり様子を伺ってみたが、呼ばれていた令嬢達と自分はそれ程差があるとは思えなかった。むしろ教養を付ければ勝てる要素はいくらでもある。だから合間に王宮図書館に足を運んで独学で勉強したり、魔法の訓練をしたりしていた。
後はきっかけだけだ。
「そうよ。イルナ様と仲良くすればいいじゃない。あの時だって応援してくれるって言ってたんだから」
嫌うのではなく味方になってもらおう。その方がこちらに利があっても不利はない。
(四公爵家のうちの二家は令嬢はいないけど、王太子殿下と年齢が合うのはアーガイル公爵のご令嬢であるアシュリー様。五侯爵家もルーメン家はイルナ様が第二王子殿下に嫁ぐから除外。残りはロジス侯爵令嬢のドナティラ様。後はロサルバ辺境伯のタイスマリー様ね…)
頭の中でライバル令嬢を思い浮かべながらイオアンナがブツブツと呟く。そうしている間にいつの間にか神殿に戻って来ていたようだ。無意識でもちゃんと戻れるのは自画自賛したい。
「あらイオアンナ、戻って来たのね」
「ルーメン侯爵夫人っ、只今戻りました!」
「うふふ、そんなに慌てなくても時間ぴったりよ」
クスクスと笑うカロレッタの姿はどことなくイルナに似ている。イルナの父であるロドルフもかなりの美男子だが、カロレッタは可憐な少女のような美しさだ。とても子供を二人産んだようには見えない。ついでに言うと彼女は38歳だとか。ロドルフとは一歳違いと以前言っていたので、ロドルフは39歳らしい。
「そう言えばルキウス様を最近見かけませんが、どうされたんですか?」
ふと気になっていた事を尋ねると、カロレッタが少し困ったように微笑んだ。
「うーん、どう言えばいいのかしら…。今ちょっと家がゴタゴタしてるみたいでしばらくこちらには来れないらしいのよ」
「そうなんですか?あ、でも最近聖竜様の調子がいいんですよね。だったらルキウス様がいなくても問題ないですね」
「フフフ、そうね。イオアンナって女官達の噂ではルキウス君と良い中だって言われてたけど、実際違うのね」
「は?な、何ですかその噂!全然違いますッ!」
「あら、でも仲がいいのは本当じゃない?」
「それは口利きしてもらった関係で…!私は他に好きな人がいるので!!」
「まあ」
言った後にハッと気付き、思わず自分の口元を両手で覆う。けれどカロレッタはとてもいい笑顔でイオアンナを眺めていた。
「イオアンナの好きな人って誰なのかしら?とても気になるわぁ」
「そ、それは…その、口にするのも恐れ多い高貴な方なので…」
「ふーん。そうねぇ、貴女は男爵家のご令嬢ですから、確かに他の貴族の公子だとおいそれと口にはできないかしら?でも貴女の隣に立っても見劣りしない公子と言えば…」
「ル、ルーメン侯爵夫人…」
んー、と言いながら人差し指を顎に当て、少し斜め上を見ながらカロレッタが考え込む。そして色んな貴族の子息の名前を挙げだした。
「ユリウス君は婚約者がいたから違うでしょ。だったらオールコット公爵のご子息…はまだ小さいわね。アーガイル公爵のご子息は確かまだご結婚も婚約者もいなかったかしら?あ、そう言えばフォンタナ伯爵のご子息はとても素敵だって女官達が騒いでいたわよね…」
「侯爵夫人、侯爵夫人!」
「え、何?今の中にいた?」
「いません!私が好きなのはおう……!」
「おう?」
「お…」
しまった。カロレッタに乗せられてしまった。言いかけて止めるがカロレッタはニイッと目を三日月のようにして笑う。
「ほほほほ、そうだったわね!この国で一番の優良物件を忘れていたわ」
「ちょ、本当にご勘弁ください…!」
「いいえ、許さないわ。貴女、ウィクトル殿下は私の大事な娘婿になる予定なのよ。横恋慕は承知しないわよ」
「ち、違います!王子様は王子様ですけど、私が好きなのは王太子殿下です!!」
「まあ」
「あ…」
語るに落ちるとはこの事だろう。言った直後にイオアンナが硬直する。ダラダラと嫌な汗が流れつつも、そーっとカロレッタを見ると。してやったりと扇で口元を隠しながらも高笑いしていた。
「ホホホホ!まあまあ、そうだったのね!それは良かったわぁ!てっきりイルナの恋敵なのかと思っていたわ!」
「何でそうなるんですか……」
「だって貴女、イルナを目の敵にしていたでしょう?てっきりウィクトル殿下を取られた事を怒っているのかと思ったのよ」
「違います。それよりも誰にも言わないでくださいね…」
「さて、どうしようかしら?」
「ええ!?」
言わないでと言っているのに、カロレッタは本気でどうしようか悩んでいる素振りを見せる。揶揄われている可能性も否定できないが、誰かに言われでもしたらバカにされるだけだ。
「私が不釣り合いなのは百も承知です。ですから殿下とどうこうなろうなんて思っていません」
「それは嘘ね」
「え」
「だって貴女、とても勉強してるでしょう?休日には孤児院に慰問したり、学園に行って魔術の練習をしたりしてるわよね?」
「し、してますけど…それは!…父が謹慎を言い渡されてるので、せめて自分がしっかりしないとと思って…」
しどろもどろ説明するが、どうしてもこの人の前では嘘がばれてしまう。今までもそうだったが、カロレッタは人の言葉の真偽が分かるようだ。それも、この聖竜の神殿内でいる時は特にそうらしい。
必死で言い訳をしているイオアンナをじーっと眺めていたカロレッタだったが、パチンと扇を閉じて口角を上げて笑みを浮かべる。
一体何を言われるのかと身構えると、カロレッタはイオアンナを扇でビシッと指して意外な事を口にした。
「イオアンナ。貴女、イルナの友人になりなさい」
「え」
唐突に言い渡された言葉は、イオアンナにとって願ってもない事だった。




