思う事は人それぞれ
朝食の後イルナはハーブ園で座り込み、ぼんやりと一人佇んでいた。すると目の前に誰かが立つ気配がし、顔を上げる。そこにはニッコリと微笑むキルスティが立っていた。
「キルスティ…」
「隣に座っていい?」
「ええ、勿論」
頷くとキルスティがイルナの隣に座り込む。座っていいかと聞いていたが、イルナが座っているのは地面の上だ。つまり直に地面に座っているので、お尻は汚れる。だがキルスティはそもそも気にしないだろうと思い、了承したのだ。
フワリと優しく風が吹き、二人の髪が靡く。心地よさに目を細めると、キルスティがポツリと呟いた。
「何を悩んでるの?」
「……」
問いかけられ、イルナが少し躊躇う。キルスティはイルナが話すのを待つように、ただ黙って微笑んでいた。
こういう時、彼女は年上なんだなぁとイルナは感じる。普段の子供っぽい物言いも、多分だが見た目が若いエルフだからこそ人前でそう振る舞っているのだろう。
思えば彼女には随分世話になった。最初は巻き込まれた感でいっぱいだったが、結局足を突っ込む決意をしたのは自分だ。そして、得難い経験を沢山させてもらった。
いつの間にかキルスティはイルナの中で大切な人になっていた。
「…さっきの、ツェツィリア様の話が気になって」
「うん」
「闇の感情がゲアトルースの力になるって言ってたわ」
「そうだね」
「それって…魔王軍と連合軍がぶつかり合えば、余計に闇の感情が増えるんじゃないかって…」
「その通りだと思うよ」
あっさりと肯定され、愕然とする。
「魔王になりたかったヴァルデマーのやりたいようにさせる事が、闇の感情を世間に蔓延させる事に繋がる。それなら魔王だと名乗らせ、魔物の軍勢を作り街を攻撃させる事に反対する必要はないよね」
「そう…だと思うよね、やっぱり…」
「ずっと不思議だったんだよね~、闇竜ゲアトルースがどうしてただの人間の魔術師に『魔王』を名乗らせてるのか。魔族だって魔王になろうとしないのに」
「え、そうなの?」
「だってメンドクサイでしょ?魔族って人間のように権力に興味ないから」
そういうものなのか、とイルナが不思議に思う。魔族は滅多に遭遇しないが、人間に対して嫌悪感を持っているイメージが強い。そして人間よりもはるかに身体能力も魔力も上回る存在なので、人間の方もあまり関わろうとはしない。
「大昔に魔族と人間が争った時代があったでしょ。その時に争いを終わらせたのが守護竜様達だった。お互いに不可侵の条約を交わし、その約束を守るようにね。もし条約を破れば6体の守護竜様達によってこの世を滅ぼすと」
「聞いた事はあるわ。授業でも習ったけど…」
「まぁ、何を持って『魔族』と『魔物』を括ってるのかは分からないけど、ドラウ族は『魔族』になるだろうね。魔物、魔獣、色々あるし」
「何だか聞いてると魔族と魔物の境が分からないわ」
「そんなものだよ。まぁ知力の差くらいじゃないかな。ちゃんと喋って考えるのが魔族で、本能のままに行動しているのが魔物だと思えばいいんじゃないかな」
「なるほど」
となると、やはりヴァルデマーが魔物に知識を与えている事が改めてすごい事だと思う。魔物の知力が上がれば今までのように魔物の討伐ができなくなるだろう。より難易度は上がるはずだ。そして徒党を組んで攻めて来られれば、力のない小さな村なんかはすぐに滅ぼされるだろう。
「ちょっと怖くなってきちゃった。魔物が知識を付けて、考えて人間を襲うようになったら、今よりもずっと被害が大きくなるわよね」
「そうだねぇ」
「そうなったら悲しむ人も増えるし、憎しみを持つ人も増える。闇の感情が蔓延していく。ましてや魔王軍と人間が争ったら、歴史にあった通りに守護竜様達がこの世を…」
「それがヴァルデマーの狙いだと思うよ。まあ、今の世で守護竜様達が世界を滅ぼす事はないだろうけど」
戦争を止めないといけないのではないのか。そう思うが二国間の決定に一侯爵令嬢が口出しできるはずもない。この事は後でウィクトルにも相談するつもりだが、彼もまた第二王子という立場だけで魔王軍との戦いを止める事はできないだろう。
それこそ、増幅術師を差し出すしか他に方法はない。
「キルスティ!大変だ~!」
突然キルスティを呼ぶ声がし、二人が振り返る。すると興奮した様子のランナルがゼエゼエと息を吐きながら立ち止まり、キルスティに詰め寄った。
「大変なんだよ!」
「ランナル、どうしたの?落ち着いてよぉ」
「で、出た!」
「出た?」
全く要点をつかめない。二人が首を傾げると、ランナルが再び叫ぶように訴えた。
「アルラウネが生えた!!」
「え、ホント!?」
「アルラウネ?」
聞いた事のない名前にイルナが反応する半面、今度はキルスティまでもが興奮するように顔を赤くしていた。
「イルナ!アルラウネだって!行こう!」
「え?だからアルラウネって何?」
「早く早く!」
「え、え、お、教えてよ~!」
グイグイと腕を引っ張られ、二人と共に薬草園へ向かう。連れて来られた場所はマンドラゴラの畑だった。その中の一株の周りにエルフ達が集まっている。それをかき分けるようにキルスティとイルナが歩いて行くと、すでにカジミールもその場にいた。
「パパ!アルラウネが生えたって本当?」
「ああ、これだよ」
そう言って見せたのは、抜いたばかりのマンドラゴラだ。ただし、その根が普通のと違う。
「え…女の子…?」
「これがアルラウネだよ、イルナ」
「えっと、この女の子の姿をした根っこが?」
「そう。秘密の事を教えてくれるの」
「え」
アルラウネはどうやらマンドラゴラの亜種らしい。数千本に一本の確立で生え、その根に触れると未来や秘密の事を教えてくれるそうだ。語り終わるとただの根になり、後は薬草として使う。なので扱いには気を付けないといけない。
「今回は誰が触るの?」
「勿論イルナ様だよ、キルスティ」
「え!わ、私ですか!?でも、そんな貴重な植物でしたら他のエルフの方達に…」
「いいえ、ここはアウキシリア様であるイルナ様が触ってください」
「良かったね、イルナ。知りたい事が分かるかもよ」
そう言われても気が引ける。周りを見ればみんな興味津々だ。それに、知りたい事と言われても何が知りたいのか分からない。しばらく悩んでいたが、いい事を思いつく。
「あの、それならルキウス様に触っていただくのはどうでしょう?」
「ルキウスに?」
「うん。聖竜の後継者だから、きっと気になる事が沢山あると思うの」
「パパ、どう思う?」
「いいんじゃないか?ではランナル、ルキウス様をお連れして来なさい」
「わかりました!」
ビシッと敬礼したランナルは、すぐさまルキウスを呼びに行く。ルキウスが来るまでスヤスヤと眠る女の子のような根っこを不思議な気持ちで眺めていた。
「こっちですよ、ルキウス様!」
「い、一体何だ?急に引っ張って…」
「待ってルキウス!」
「何があるんだ?」
「さあ、面白い事だったらいいけど」
ルキウスを連れて来たランナルの後ろからツェツィリアとウィクトル、それにユリウスの姿があった。どうやらランナルの説明が分かりにくかったらしく、全員不思議そうな顔をしている。ルキウスに至っては困惑した表情でここまで引っ張って来られていた。
「ルキウス様、こちらはアルラウネと言う植物です。この少女のような姿をした根を触ると、貴方が知りたい事を教えてくれるのです。どうぞ、お触りください」
「え…」
カジミールの説明を聞いてルキウスが目を瞠る。そしてゴクリと唾を飲み込むと、恐る恐るアルラウネに触れた。
触れた途端アルラウネが薄っすらと光を帯びる。
「……何も聞こえないわ」
「うん、触った人にしか聞こえないんだよ」
イルナが呟くとキルスティが説明してくれる。そして周囲にいたエルフ達とイルナ達が静かにルキウスを見守っていると、ようやく終わったのかルキウスがそっと手を離した。
アルラウネに視線を向けると、もうそこには少女のような形だったはずの何かに変わっている。何を聞いたのか気になったユリウスが、ルキウスに尋ねた。
「で、何を教えてもらったの?」
「…卵じゃなくても産めると……」
「は?」
言ってる意味が全く分からず、その場にいた全員が首を傾げる。するとルキウスは興奮したように頬を赤くしながらも、突然ツェツィリアの手を握った。
「ツェツィリア!」
「は、はいっ」
「…どっちでも、大丈夫だそうだ」
「え…じゃあ…」
ツェツィリアが期待に満ちた目でルキウスを見つめると、ルキウスもコクリと頷く。
「人の姿のまま、君も子供を産めるそうだよ!」
「本当に!?」
一体何の話をしているのか。
聞いていたユリウスが一歩前に出た。
「あのさ、ルキウス殿はアルラウネに何を質問したの?」
まさにそれが知りたくて皆がこの場に留まっているのだが。だが、空気を読めないのは今も健在らしいルキウスは、とてつもなくいい笑顔でユリウスに答えた。
「勿論私とツェツィリアの子供の事だ!竜の姿で交尾すれば卵が産まれ、人の姿で交われば赤ん坊が産まれるらしいぞ!」
「はあああああ!?そんな事聞いたのか!?」
「そんな事とは何だ!私達にとっては重大だ!何しろツェツィリアも私も守護竜なんだぞ!?夫婦になって子供を生せば、マオーラ公爵家の子供になるんだ!」
「いやいやいやいや、今の流れだったらもっと他に重大な事聞けたでしょ!何そんな私的な事聞いてんの!?」
呆れたユリウスが突っ込むが、ルキウスは何が悪いのか分かっていないようだ。勿論他の人達ももっと違う質問でもするのかと思っていたが、まさかの子作りについてだとは。
後でカジミールに教えてもらったが、人の姿に変身できるのは守護竜様だけだそうだ。他の竜族は人の姿に成る事はできないので、人と交わる事も無理らしい。守護竜様は神に次ぐ神聖な生き物なので、人やエルフ等と交わり子を生せる。勿論竜族とでも大丈夫だとか。
「まさかルキウスがそんな事を聞くとは…」
ウィクトルが呆れたように呟いていたが、エルフ達はちょっと違う感想だった。どうやらルキウスとツェツィリアは二人とも竜なので、勿論卵を産むのだと思っていたらしい。けれど人の姿で交われば卵ではなく赤ちゃんが生まれると言う事を初めて知ったので、エルフ達は新しい事実に興奮しているようだった。
「ゲアトルースの事を聞くのかと思ったんだけど、やっぱルキウス殿はルキウス殿だね」
「そうだな」
「ホントですね」
ユリウスが呆れたように呟き、ウィクトルとイルナもそれに同意する。
何となく周囲が解散の空気になり、エルフ達がゾロゾロと立ち去っていく中、イルナは力を使い果たしたアルラウネを眺めていた。
「コレはどうするんですか?」
カジミールに尋ねると、カジミールはニコリと微笑む。
「コレはもう普通のマンドラゴラと同じ扱いになりますので、薬師達に渡します。イルナ様がお使いになっても構いませんよ」
「そうなんですか。では、いただいてもよろしいですか?」
「勿論です」
「ありがとうございます」
カジミールからアルラウネを受け取る。また後で工房へ持って行こうと考えていたら、ウィクトルがイルナをじっと見ていた。
「どうかしましたか?」
「いや、またエリクサーを作るのかと」
「そうですね。ここにいる間にできるだけポーション関係は作っておきたいです」
「そうか」
エルフの村は材料が豊富にある。それに土壌がいいお陰で状態もいい。材料の状態がよければ仕上がったポーションの品質も上がる。まさにイルナにとって理想の条件が揃っているのだ。
するとウィクトルがイルナの手をそっと握り、その手を自身の口元へ運ぶ。そのまま手の甲にキスをし、優しく目を細めた。
さすがに突然の事にイルナが目を見開くと、ウィクトルがクスリと笑みを零す。
「イルナ、君に礼を言ってなかった」
そう言ってイルナの手を離し、頬をスルリと撫でた。
イルナは何のお礼なのか分からず首を傾げる。二人のやり取りを見ていたユリウスが、ウィクトルに呆れたような視線を向けながら説明をしてくれた。
「全くウィルはすぐイルナ様に触ろうとするんだから」
「いいだろ、婚約者なんだから」
「はいはい。イルナ様、ウィルは風の神殿で精霊達に結構な傷を負わされたんだ。アーロンを介してちょっとだけ伝えたと思うけど」
「あ、はい。ですが…」
ウィクトルを見ても傷なんて見当たらない。するとウィクトルが嬉しそうに微笑んで頷いた。
「ああ、傷は全て治った。君がくれたスプリームポーションのお陰で」
「えっ」
「あの時、実はエルフ達も暴れる精霊に手を焼いていて、ウィルが大怪我をしたんだけど回復が間に合わなかったんだ。けどその時、ウィルが大切に持っていたイルナ様からのプレゼントが懐から偶然零れ落ちて、慌ててそれを使って回復させたんだ」
「そ…そうだったんですか…」
何とも恐ろしい事だ。偶然懐から出てこなければ、ウィクトルがスプリームポーションを持っていた事に気付かなかったかもしれない。そして回復が間に合わなくて、大変な事になっていたのかもしれなかったなんて。
「あの時の傷だとハイポーションでギリギリだったと思う。イルナのスプリームポーションのお陰で完全回復できてとても助かった。ありがとう」
「そんな、お礼なんていいです!ウィル様に万が一の事があったらと思ってお渡ししたので。あの、でしたらまたプレゼントしますね。よろしければユリウス様にも」
「ホント?やった、ありがとうイルナ様」
「ユリウス、イルナがスプリームポーションを作れる事は誰にも言うなよ」
「わかってるよ」
ちょっと面白くなさそうにウィクトルが呟くと、ユリウスが少し意地悪そうな顔をしながらウィクトルに返事をしている。そんな二人のやりとりが何だか嬉しくて、イルナはさっきキルスティに相談していたゲアトルースについて思った事を、二人に話す事をすっかり忘れてしまっていたのだった。




