風竜ツェツィリア
カジミールに連れられ、風竜ツェツィリアのいる場所へ案内されたイルナは、そこに寄り添うように座っている二匹の竜が視界に入ってきた。
「ルキウス様」
『イルナ!おかえり、無事だったんだね!』
ルキウスの姿はすでにミニドラゴンではなくなっていて、成体になっていた。けれど人間の姿ではなく、何故か竜のままだ。
「ルキウス様、無事に成体になられたんですね。おめでとうございます」
『ああ、運命の出会いのお陰で成長できたんだ。私には彼女しかいない』
「彼女…ツェツィリア様ですね」
『そうなんだ。彼女を見ていると色々と怯えている自分が情けなくてさ。だから彼女が元の姿に戻る前に、しっかりしなくちゃって思ったんだ』
「素敵ですね」
フフフとイルナが微笑むと、ルキウスも嬉しそうに目を細めた。どうやらルキウスは翼を使って飛ぶ事もできるようになったらしい。幼児後退したツェツィリアが、ルキウスが飛ぶ所を見ると嬉しそうにするからだそうだ。愛の力は偉大だ。
『それで、彼女の事だけど…イルナ、君が彼女を元に戻す事ができると聞いたが、本当なのかい?』
「…多分、できると思います。でもその前にルキウス様に一つだけ約束していただきたい事があります」
『ひょっとして、君がアウキシリアだと言う事?』
「…!知ってらしたんですか?」
『うん。竜化した時にね。でも何故か君のご両親もウィクトル殿下もそれを口にしないから、きっと秘密なんだろうとは思ってたよ』
ルキウスが気付いていた事に一瞬驚いたが、よく考えれば地竜アートゥーアも聖竜ガイウスも知っていたのだ。ルキウスが気付かないはずはない。
「それで、秘密にしていただけますか?」
『勿論。君に不利になるような事はしないと約束するよ』
「…ありがとうございます」
ホッと胸を撫でおろす。実際に自分がアウキシリアだと周囲に気付かれてもイルナ自身は何も思わないのだが、ロドルフを始めとする家族達や、ウィクトルやイエルハルドが許さないのだ。彼等はただイルナの身の安全の為に秘密にしてくれている。それが国王に届けるべき案件であっても、知らないふりをしているのだ。
『国王陛下に君がアウキシリアだと告げれば、きっと君は大変な目に遭うんだろうね。実際魔王は君の命を狙ってネストーレ王国の領地を攻撃しているし』
「そうですね…」
『でも私も君を危険に晒す気はないから安心して。さあ、それよりも今はツェツィリアを頼むよ』
「そうですね、わかりました」
コクリと頷く。周囲を見ればカジミールとキルスティ、それに何故か驚いた顔のビクトールもいた。そこへ慌てるようにウィクトルとユリウスもやってくる。
イルナは気を取り直し、ツェツィリアの前に進み出る。子供になっているツェツィリアは首を傾げてイルナをじっと見つめていた。そんな彼女にイルナがフワリと微笑む。
「初めまして、ツェツィリア様。私はイルナ・ルーメンと申します」
『?』
「では、始めます」
挨拶を済ませ、イルナが姿勢を正す。目を閉じて集中し、そっとツェツィリアに手をかざした。
『成長せよ』
フワッとイルナの周囲に風が巻き起こり、イルナの髪が靡く。ツェツィリアの体が淡く光り、徐々に成長していくのが目視できた。
「クッ…!」
イルナが少し辛そうに呻く。それもそのはず、植物を成長させるのとは訳が違う。巨大な生物である竜を成長させるのだから、並みの魔力では無理だ。それでもイルナは魔力を放つ事を止めずにツェツィリアに「成長」の魔法をかけ続ける。体が一瞬ふらつきそうになったその時、フワリと誰かが後ろから支えてくれた。
「イルナ、大丈夫だ。俺が支えるからしっかりやるんだ」
「ウィル様っ…、はい!」
支えてくれているのがウィクトルだと知り、イルナの頬が少し赤くなる。が、きゅっと唇を引き結び、もう一度呪文を唱えた。
『成長せよ!』
再び呪文を唱えると、先程よりも強い光がツェツィリアを覆う。今度は急速に魔力が抜けていく感覚に襲われ、ついには弾けるようにツェツィリアが輝いたかと思うと、イルナの周囲にブワッと風が吹き抜けた。
「う……」
「イルナ!」
ぐったりと、イルナはウィクトルに体を預けるように倒れる。見ると汗をかき、顔色も悪い。ただならぬ様子にウィクトルが焦ると、キルスティが走り寄ってきた。
「イルナ、大丈夫か!キルスティ、イルナが…!」
「魔力切れだね。ほらコレ、エーテルだよ。イルナに飲ませて」
「分かった!」
キルスティに渡されたエーテルを迷うことなくウィクトルは自身の口に含み、イルナに口づける。そのままゆっくりイルナの口内へとエーテルを流し込み、コクリと喉が鳴ったのを確認してから唇を離した。
「……ウ、ウィル…さま……」
「イルナ、大丈夫か!?」
「は…い……」
「まだ足りない?イルナ、エーテルだよ。飲める?」
「貸してくれ!」
再びウィクトルはキルスティからエーテルを奪い、口移しでイルナに飲ませる。今度は意識があった為、イルナが驚いて目を見開いた。
「ウ、ウィル様っ!?こ、こんな場所で何を…!」
「良かった、イルナ!」
「噛み合ってないねぇ~」
イルナの意識がしっかりしたのを見てウィクトルがイルナを抱きしめる。それを見てキルスティが楽しそうに笑っていると、カジミールが声を掛けて来た。
「イルナ様、おめでとうございます。ツェツィリア様が復活なされましたよ」
「え、本当!?」
『ツェツィリア!!』
慌ててウィクトルから体を離してツェツィリアを見ると、ルキウスが嬉しそうにツェツィリアに寄り添っていた。
『わ、私は…』
『ツェツィリア、私が分かる?君は子供だったから覚えていないかもしれないけど』
『………ル、ルキウス…?』
『…!そうだよ、ルキウスだ!君は私の運命の人だ!!』
『え、えっと……ママは?』
まだ混乱しているツェツィリアは「ママ」を探してキョロキョロしている。そしてウィクトルを見つけると、嬉しそうな顔をした瞬間ピタリと固まってしまった。
『ママ…じゃなかったのね……』
「何度もそう言いましたが、俺は普通の人間です」
『そうか…、防衛本能が働いて疑似卵の中に入ったせいね。ごめんなさい、迷惑をかけたわ』
「いえ、こうして風竜ツェツィリア様にお会いできた事、光栄に思います」
ウィクトルが膝をついて頭を下げたので、イルナやユリウス達も同じように頭を下げる。するとツェツィリアが目を細め、そして「頭を上げなさい」と告げたので、ようやく全員が顔を上げた。
『ここは、エルフの村のようね。…思い出した、私はあの魔王とか言う人間に力を奪われて…』
「ええ、そうです。お助けするのが遅くなって申し訳ございません。何分エルフの薬師や錬金術師達もかの魔王の手下に眠りの呪いをかけられてしまい、こちらにいらっしゃるアウキシリア様を見つけ、ようやくお助けする事ができました」
カジミールが恭しく告げると、ツェツィリアがイルナをじっと見る。
『そうだわ。貴女が私を元に戻してくれたわよね。ありがとう、感謝します』
「勿体ないお言葉です」
そう言ってほほ笑むと、ツェツィリアも嬉しそうな表情を浮かべる。そして、おずおずとルキウスに視線を向け、少し戸惑ったように視線を泳がせた。
『…それで、ルキウス…は、本当に私を番だと言うのね?』
『勿論だ。君を一目見た瞬間からそうだと確信した。君は…違うのかい?』
『わ、私は…』
『私を見て何も感じない?』
『そ、それは…』
二体の竜のやり取りを見てとても微妙な気持ちになる。守護竜様だとは分かっているが、空気を読まないルキウスらしく、必死にツェツィリアを口説いているからだ。というか、竜が竜を口説くところなんて滅多に見られないだろう。いや、見る事は普通ない。
チラリと二匹を見ると、ツェツィリアもモジモジしている。どうやら彼女にも感じる所があったのだろう。だが、何故か素直になれないようで、あーでもない、こーでもないと誤魔化している。
見るに見かねたカジミールは、ゴホンとわざとらしく咳ばらいをしてニッコリと笑った。
「ルキウス様、とりあえずその話はお二人だけの時にお願いします。それでツェツィリア様。風の神殿の守護が弱まっておりますので、そちらをお願いしてもよろしいでしょうか?」
『も、勿論よ!すぐにでも守護をし直すわ!』
「では神殿に戻られますか?」
神殿に戻ると言われ、ツェツィリアが一瞬動きを止める。そして何故かチラリとルキウスを見た後、ユルユルと首を横に振った。
『舐めないでちょうだい。今この場所からでも余裕でできるわ。…ルキウス、一緒にお願いしても…いい?』
『勿論だよ!』
何だろう、このフワフワした空気は。どう見ても両想いだろう。
頷きあった二体の竜は同時に飛び上がり、エルフの村の上空で旋回しながら大きく咆哮したのだ。
その瞬間、凄まじい魔力の波が襲ってくる。が、それは恐れるような物ではなく、安心するような温かい魔力の波が一瞬で周囲に駆け抜けた。
そこへルキウスの咆哮だ。実はこれが初めての咆哮だったらしいが、全くそんな事を感じさせない程の魔力の波が飛ばされる。
二匹は咆哮を終えるとゆっくりと地上に降りて来て、そして見つめ合うように向かい合って立っていた。
『ルキウス、私の運命の番…』
『ツェツィリア…』
完全に二人の世界だ。と、思った瞬間、二人の体が輝きだす。それを見てキルスティが「あ」と小さく声を上げ、その辺にあったシーツのような布を持って二匹の元へ駆け出した。
「もうっ、世話が焼けるなぁ!」
そう言って二匹にシーツを投げつける。あっと思う間もなく、二人は人間の姿になったのだ。
ただし裸。
「ルキウス…、人間の姿も素敵ね…」
「ツェツィリアも、信じられないくらい美しい…」
「はいはい、コレ巻いてね。ツェツィリア様はいいけど、ルキウス全裸だからね」
周りが全く見えていない二人にキルスティが甲斐甲斐しく世話を焼いている。さっきキルスティが投げたシーツはツェツィリアの体にかかっていたので、彼女の裸体が晒される事は無かったが、反対にルキウスは真っ裸だ。そこへキルスティがグルグルと布を巻きつけている。
「ルキウス!元に戻ったじゃないか!」
「良かったね、ルキウス殿!」
「殿下にユリウス殿、ご心配おかけしました」
駆け寄る二人にルキウスも苦笑する。対してツェツィリアはキルスティが引っ張って行った。どうやら服を着せる為のようだ。ルキウスも布でグルグル巻きのままではまずいので、結局カジミールに引っ張って行かれ、着替えをさせられる羽目になっていたが。
そうしてようやく落ち着いた頃、ビクトールがカジミールにボソリと呟いた。
「俺、いらねぇんじゃねぇか?」
「ハハハハ」
何が可笑しいのか笑い飛ばされてしまった。ムッとなって唇を尖らせると、カジミールはニヤリと笑みを浮かべる。そして懐から何かの小瓶を取り出し、ビクトールの目の前に差し出した。
「次の依頼を受けてくださったら、このイルナ様が作ったエリクサーを差し上げますよ」
「!!!!!!」
竜を起こす程のね、と付け加える。
「クッ…!おめぇそんな物を引き合いに出すとは…!」
「欲しいでしょう?欲しいですよねぇ?ハハハハ、では言う事を聞いていただきますよ」
「パパ、悪役みたい~」
二人のやり取りを聞いていたキルスティが面白そうに横やりを入れる。そして何かと葛藤していたビクトールは、ついにガックリと膝を着いた。
「…な、何をやらせる気だ…?」
「勿論引き続き守護竜様を起こすのを手伝ってもらいます」
「……やっぱりか………」
「イグナツィ様が残ってるもんねぇ。私もビクトールが一緒なら安心するよ」
「おや、キルスティはビクトールが気に入ったのですか?」
「うん。旦那様に欲しい」
「はあ!?」
まさかのキルスティの告白にビクトールが目を瞠る。するとキョトンとしたキルスティは、座り込んでいるビクトールの前にしゃがみ込み、可愛らしく首を傾げた。
「ビクトール、私の事きらい?」
「はあ!?い、いや、嫌いとかどうとかってぇんじゃなくてだな、突然何言ってんだお前は!だ、大体俺とお前じゃ歳も違うだろーが!」
年齢を持ち出され、キルスティが表情を歪める。どうやら意外だったらしい。
「歳?年齢気にするの?私、見た目は随分若いから大丈夫かと思ったんだけど」
「…待て、キルスティお前、今何歳だ?」
「うーんと…145歳かな。パパ、合ってる?」
「合ってますよ。ちなみに私は367歳です」
「はあああ!?あーくそ、そうだコイツ等エルフだった!年齢関係ねぇのかよ!」
「大丈夫だよ~。ビクトールが死ぬまで若くて可愛いままでいられるよ」
確かに世の男共が羨む状況だ。エルフの妻(しかも美女)なんて貰ったら自慢しかない。
「ビクトール独身だよね?じゃあ私、ビクトールに好きになってもらえるように頑張る!大人の女性がいいって言うんなら、振る舞いを勉強するよ!」
「…もう、勝手に言ってろ」
座り込んでいたビクトールがそのまま地べたにうつ伏せで倒れ込む。色々と限界のようだ。カジミールは自分の娘がとんでもない事を言っているが、全く気にしていないようだ。まあ、エルフの感覚と人間の感覚は違う。結婚しなくても子供を普通に産むし、基本自由なのだ。
「異類婚は子供ができにくいって言うけど、ビクトールの子供頑張って産むね」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て!!!!こ、子供とか……イ、イルナお嬢ちゃん助けてくれ!!」
「えー?イルナは今ツェツィリア様のお着替え手伝ってるよ。じゃあビクトール、今夜は一緒に寝ようね」
「あ、あほかァァァァァ!!!!誰か何とかしてくれぇぇぇぇ!!!!」
その日、ビクトールの意味不明な叫び声がエルフの村に響き渡ったような渡らなかったような。




