風の民
「1年、僕はどこに居れば良いの?」
諦めに慣れた少年の疑問が返ってくる。
『ここに居るが良い』
「食事は?」
少年が現実的な事を聞いた。
「寝るのはこの木の上?」
マカウが考える素振りをした。
『食事は必要ない』
「食べなくて良いの?」
少年は不思議そうに聞いた。
『この地は【命の木】に守られておる』
「それが食べないのと関係有るの?」
『空腹か?』
「ううん、空いてなくても時間で食べると思って」
少年の言い方は、暗に食事が苦痛だと聞こえた。
『寝場所は』
マカウが空を見た。
『答える者がおるか分からぬが呼ぶが良い』
「誰を?」
少年は警戒しながら聞いた。
『お前の竜をだ』
「僕の?呼ぶのは5才でしょ?とっくに過ぎてるよ」
少年はふっと笑って首を振った。
『竜人と我ら竜は産まれた時から繋がっている』
少年は笑いを浮かべ聞いている振りをしていた。
少年の呼び掛けに答える者など居ない。
少年の地面を見る目はそう反発していた。
『竜人と竜は互いに誓いを立てる』
「誓い?」
少年の顔が少しだけ上がった。
『竜は祝福を与え、竜人は名の最初の一文字とその髪を死ぬまで我らに与える』
「名前と…髪?」
少年の右手が母が切ったばかりの自分の髪に触った。
『誓いが命に灯をともす』
マカウの胸に蝋燭の弱い灯りが見えた。
灯りの周りを金色の髪がおおっていた。
「髪を燃やすの?」
髪の焦げたイメージが少年の顔を歪ませた。
「母の髪金色じゃなかったよ」
少年はフロルの茶色の髪を見た。
『フロルは風の民と人の間に産まれた子だ』
「風の民?」
少年も数回だけど風の民を見たことがあった。
自由自在に、風に乗って飛び回る姿とフロルが上手く重ならなかった。
『心に執着の枷を掛けたフロルを風は認めぬ』
「枷?」
少年は意味が分からず、悔しそうに唇を噛んで睨み付けてくるフロルを見返した。
『風の民は何にも囚われぬ。フロルは愛欲に囚われ己の飛ぶ立つ力を消した』
「違うっ!違う違う違うっ」
フロルは全身で怒りを爆発させていた。
「親の愛情を欲しがる事が悪い事なのっ、私は愛して欲しいだけだったのに!」
フロルの叫びが少年の気持ちを鷲掴みにした。
小さい時から、少年が口にしたくても出来なかった望みを、フロルは容易く口にしていた。
『執着を捨てねば失うばかりだと分からぬのか』
「分からないわ。やっとマカウと平和に暮らせてたのに、なのに…なのに…何で来るのよっ!」
激情から弓をつがえるフロルをマカウの羽が打った。
『ここも追われたいか』
マカウの言葉にフロルの過去が見える気がした。
『フロルは風の民にも人にもなれぬ。それを哀れに思い手元に置いたが苦しみを増やしただけであったか』
それで少年は気が付いた。
「フロルの竜は?」
『風の民は風に乗り自由に飛ぶ。飛べぬは枷に縛られたフロルのみよ』
フロルが声を上げて泣き出した。
『マカニも竜人と人の子であった。竜人に拒まれ人にもなれず、故にここに隠れ住んだ』
ふと、竜人の住みかは空だと言ったマカニの言葉が脳裏に浮かんだ。
「だからここへ連れて来たの?」
少年はマカウが残酷だと思った。
今のフロルにとって、きっとマカウが全てだ。
自分の存在を消されて生きてきた少年にとって、フロルの思いは誰よりも良く分かっていた。
「フロルはどうすれば飛べる?」
『執着を捨てた時』
「そう…」
本当に残酷だと思う。
母に愛されたい。
この思いを、少年が消せる事は一生無い。
母が消えた今も、これからも。
少年の中に淀んでもう消える事はない。
それはフロルも同じだろう。
『マカニを恨むな』
「恨んでないよ。ただ、知りたくなかった、母の僕への気持ちに気付きたくはなかった…」
少年は弱々しい笑顔を作った。
『マカニに、自分より大切な者が現れただけだ』
「分かってる。だから父王の所へ戻ったんだから」
口にしたくない事実が少年の心をもっと傷付けた。
「母さんの両親は?どっちが竜人だったの?」
『父親だ』
「どっちももう居ないの?」
マカウが頷いた。
「そう、母さんも寂しかったのかもね」
少年は空を見上げた。
「空の竜人の国にも住めなくて人の中でも暮らせないなんて、居て良い居場所を探してる僕みたいだ」
少年の自若的な笑いをフロルが見てた。
「もう母さんは居ない」
少年がマカウを見上げる。
「フロルと暮らしてあげてよ」
『お前はどうする』
「僕は平気。ここなら1人でも暮らせそうだし」
少年はぐるりと周りを見回した。
「良いのね!私からマカウを取り上げないわね」
フロルがマカウに飛び付いた。
「マカウ、マカウ。1人で平気だって、もう行こ」
フロルがマカウの背中によじ登った。
悲しいけど、少年には必死に急かせようとするフロルの不安が痛いほど分かる。
少年が現れて、フロルは少年に大切なマカウを盗られるのではと恐れていたのだ。
だからマカウが止めるのも聞かず射掛けてきた。
少年は目を閉じた。
そうしなければ【行かないで】とマカウを止めてしまいそうだったから。
『させぬ』
『許さぬ』
『謝罪なき者空は認めぬ』
上空から複数の声が落ちてきて、フロルが顔色を変えてマカウにしがみついた。
「私は謝ったわ。許したからマカウを私に戻してくれたんじゃない!」
『また嘘を重ねるか』
『マカウの気持ちを思い目を瞑っていたが』
『無駄であったか』
「その子に聞いてみなさいよっ!私は悪くない!」
フロルの叫びに空が暗くなった。
『フロル。一方的に射掛けたのはお前だ』
マカウの声にフロルが嫌々と首を振った。
「悪いのは私じゃないわ、その子よ。その子の親よ」
フロルはキッ、っと少年を睨み付け指指した。
「責められるのは私じゃなくて、マカウを捨てて男に走ったその子の親だわ。ちゃんと戻ってきてたらマカウだって竜の仲間に馬鹿にされる事も無かったし、私だって竜の社会に受け入れられてたのよ!」
自分勝手なフロルの言い分に言い返し掛けて、あっ、と気が付いた。
少年はマカウを見る。
「…ごめんなさい」
母が父王を選んだ事で傷付いたのは少年だけでは無かったのだと、今さらに気付く。
『お前の罪ではない』
空気がぐわんと揺れた。
突風にあおられ、思わず両腕で目を庇った。
腕の隙間から頭上に大きな翼が見えた。
『マカニの子よ』
降り立った竜はマカウより一回り大きかった。
声と一緒に何かが降ってきた。
『マカニの願い我が解放しようぞ』
母の、願い?
少年には言葉の意味が分からなかった。
『マカニの願い、マカウよ、受けとるが良い』
気付くと左手に何かを掴んでる感触があった。
顔まで上げていた手を下ろして見てみると、長い金髪の束が手にあった。
「え?…金だ…」
呆然と手の中の髪を見ている少年に竜の長が言った。
『マカニの髪よ』
「母さんの?でも母さんは金じゃなかった」
少年が疑問を返した。
『人に怪しまれぬために変えておった』
「じゃあ…マカウの中で燃えてた金髪は母さんの?」
少年は恐る恐る聞いた。
『そうだ。手に持つ髪はマカニがお前に託した物よ』
「マカウに届けるようにだね」
どう渡せば良いのか分からないから、少年は手にある髪をマカウに向けた。
風が舞い上がり、少年の手から髪が飛ばされる。
それは不思議な光景だった。
くるくると小さい輪になった髪が、吸い込まれるようにマカウの胸に消えた。
風が背中から吹いた。
「…嘘。何で…」
少年は信じられない顔で、自分の指に絡んだ金髪とマカウを見た。
少年の視線が指に絡む金髪から顔の左側に向いた。
それから、震える手で自分の髪だと確かめていた。
「…これって…僕の髪?」
『純血ではないが、金は竜人の血よ』
腰より長い自分の髪を、少年は呆然と見ていた。
「変だよ…街から逃げた前の日、母さんは僕の髪を切ったのに何で…」
『切ったのではない。見えぬよう呪文を掛けた』
「あ…あの歌?」
少年は母が歌っていた歌を思い出していた。
母が亡くなるまで意味も分からなかった歌が、今ははっきり思い出せた。
「…何故?」
『竜人の力は親から子へ継承される』
「4分の1の血でも?」
竜の長は答える代わりに空を指した。
『お前の竜を呼べ』
「どうやって」
『心に思えば良い』
少年はふっと笑って首を振った。
「…僕は1年後には死ぬんでしょ?そんな僕に呼ばれた竜は迷惑だよ」
『なれば、マカウと過ごせば良い』
マカウの背中でフロルが緊張したのが分かった。
刺すようなフロルの目線に肌が痛かった。
少年がもう1度首を振る。
『マカニもそれを願ってお前に託した』
「…え?」
少年が竜の長を見上げた。
少年が違うと言う前にフロルが爆発した。
「マカウは私の竜なのっ!もう私だけの竜なの!」
『風の民は竜と誓いは交わせぬ』
「分かったわっ!私の髪をマカウにあげるわっ」
フロルは腰の辺りからナイフを出すと、そのナイフで髪を根本からザクッと切った。
「これでマカウは私の竜だからっ!」
フロルは必死に腕を伸ばして、切った髪をマカウの胸の近くに押し付けた。
『無駄よ。風の民のお前を我らは受け入れぬ』
竜の長の言葉に、フロルは発狂したように悲鳴を上げながらなおも髪を押し付ける。
「嘘よっ!マカウは私を受け入れてくれたわ」
泣きながら怒ってるフロルが哀れだった。
『受け入れたのではない。幼かったお前を見殺しにするのが忍びなかったから、マカウが拾ったのだ』
フロルがマカウの首にしがみついて言った。
「違うよね。私にマカウが必要なように、マカウにも私が必要だからだよね」
マカウは答えない。
『守るマカニが戻らず、マカウがお前で心の穴を埋めたのは寂しさからよ。お前である必要はない』
竜の長の断言するような言い方に、フロルの表情が変わっていった。
『己の感情を押し付けるばかりで、マカウを労ろうともせぬお前を誰も認めぬ』