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第4話

 ぼっちゃまの部屋を出て、ドアにもたれかかると、急に全身の力が抜けたようになり、わたくしはその場にしゃがみこむ。抑えていたはずの涙が、みるみるうちにあふれ出す。

――どうして、あんなこと。

 わたくしは、使用人の身分でありながら、ぼっちゃまのお気持ちを踏みにじるようなことをしました。好意を持ってくれているぼっちゃまに対して、拒絶するようなことをしました。

――ノエルさまに拒絶されたぼっちゃまを慰めようと行ったのに、これでは、同じことだわ。

 同じどころか、わたくしのしたことは、ぼっちゃまの苦しみを倍にしただけ。わたくしは、ぼっちゃまを傷つけてしまったのです。

 それだけじゃない。

――わたくしは、ぼっちゃまに恋をしている。

 今なら、はっきりと分かりました。わたくしは、二十数年のときをぼっちゃまと一緒に過ごしてきて、いつのまにか、ぼっちゃまに特別な想いを持ち始めていたのです。

 でも、ぼっちゃまが想っていらっしゃるのは、ノエルさま、ただおひとりだけ。わたくしへの気持ちは、使用人以上、姉以下、母未満。それは変わらない。

 そう、だからわたくしは、ああするしかなかったのです。ぼっちゃまのお気持ちには応えられない。彼が望んでいるのは『ノエルさまの愛』と、母親代わりのわたくしから受ける『母親の愛情』なのですから。


 涙を拭いて立ち上がると、ふらついた足は、自然と裏庭のポプラの木の下へ向かっていました。

 ここは、ぼっちゃまとノエルさまとわたくしの思い出の場所。幼い頃3人で遊んだ、懐かしの場所。

「ほら、見えるだろう? そこの木の下に、若い男がいるのが」

 幼いぼっちゃまは、よく、そう言って木の下を指差しては、わたくしたちを困らせていましたっけ。わたくしやノエルさまが、彼の指された方向を見ても、誰も見えなくて。ぼっちゃまは、わたくしたちをからかっておいでなのだと、腹が立ったこともありました。

 当然、今もぼっちゃまの言う『若い男』の姿はどこにも見えません。

「なぜ見えないなんて嘘を言うんだ。ちゃんとそこにいるじゃないか」

 二人して見えないと言うものだから、ぼっちゃまも強気になって、そんなことをおっしゃったこともありました。

 そうすると、決まってノエルさまが「だって、いないものは、いないんだもの」なんておっしゃったりして、二人して大喧嘩になったものです。わたくしは喧嘩を止めることもできなくて、母が慌てて駆け付けるまで、本当気が気でありませんでした。


「アルベロは、ちゃんとここにいる」

 ノエルさまがお帰りになると、ぼっちゃまは急に大人しくなって、そう呟かれました。

「え?」

 わたくしが訊き返すと、ぼっちゃまは、わたくしにだけ特別に教えてくださいました。

 このポプラの木には数百年前から眠る木の精霊がおり、名をアルベロということ。

 アルベロは昔、この辺りを治めていた領国の君主に仕えていた給仕であり、このポプラの木を植えた張本人であること。

 長い年月を経てポプラの木と一体化した彼は、それからずっと、ここの土地を見守り続けていること。

 その領国が六代で廃れたあと、タンジー子爵一族が越してきて、ここに住み始めたこと。

 それから、先代タンジー子爵さまがお生まれになって、先代子爵夫人のキャロルさまと出会い、リースさまが生まれて、わたくしやノエルさまと出会ったということ。

「……おまえは、信じてくれるか?」

 そう言ったときのお顔が、なんだかとても寂しそうで、悲しそうで、見ていられなかったのを覚えています。

「ぼっちゃまが、そうおっしゃるなら」

 わたくしは、その瞬間から、ぼっちゃまの言う『精霊アルベロさま』の存在を信じてみようと思ったのです。

「ぼっちゃまが、そうおっしゃるなら……信じられるような気がいたします」

 それからは何となく、ぼっちゃまが精霊さまのことをお話になるたび、そこに精霊さまの御姿を感じられるようになりました。目には見えないけれど、きっと、そこにいる。そして、わたくしたちを今も見守っていてくださる。

――アルベロさま。

 わたくしは手を伸ばし、その幹にそっと触れてみた。目をつぶる。風がそよぎ、木の葉が揺れる音がした。


「おまえが、ホリーか」

 ふいに頭上から声が聞こえて、驚いて目を開けました。しかし、見上げた先には誰もいません。

――もしかして……?

 もう一度、目をつぶる。そして、耳を澄ます。

「驚かせてすまない。俺は、この木に宿る精霊だ。名を、アルベロという」

 ぼんやりと、目の前に若い男の姿が浮かぶ。若い男は枝の根元に腰かけ、こちらを見下ろしている。

――アルベロさま!

 ついに会えたのだ。やはり、ぼっちゃまのおっしゃる通りだったのだ。

 今度は途中で目を開けてしまわないように、きつく目を閉じながら、わたくしは次の言葉を待ちました。

「おまえたちのことを、ずっと見ていた。おまえが、リースとノエルのことを案じていることも」

 ああ、この方は、すべてご存じなのだ。

 そう思っていたら、アルベロさまは、少し照れたようにこう付け加えました。

「……まあ、分かっていると言っても、おまえたちがこの木の下に来てくれたときだけだがな」

 そして、寂しそうに笑っておっしゃる。

「おまえたちを見ていると、昔の俺を思い出す。俺と、ロドルフォと、セーラのことをな」


 ロドルフォさまは、昔、この地域を治めていた王国の君主だった方らしい。そしてセーラさまは、その幼馴染であり、婚約者であり、妻となった、近隣の王国の王女さまだったそうです。

「ロドルフォは、ずっとセーラのことが好きだったんだ。そしてセーラもまた、ロドルフォのことが好きだった」

 アルベロさまはそのとき、既に木の精霊になっていたようですが、ポプラの木の下で談笑する彼らの姿を見て、そう確信したのだといいます。

 しかもアルベロさまの御姿は、ロドルフォさまにはきっちり見えていたそうです。話しかけられたこともあったそうですし、実際会話を交わしたことも、何度もあったとか。

「でもセーラには見えていないから、俺達の会話は、傍から見ればロドルフォの独り言のように見えていただろうな」

 思い出したように、フッと笑う。変な意味ではなく、ロドルフォさまのことを愛していらしたのでしょう。わたくしが、ぼっちゃまのことを愛しているように。

「幼かったセーラが成長して、ロドルフォの婚約者として彼の前に現れたとき、彼女の態度は大きく様変わりしていた」

 セーラさまは、笑った時に可愛らしいえくぼが出るのが特徴で、ロドルフォさまといるときは常に笑っていらっしゃる方だったそうです。それが、再び会ったときには、えくぼどころか笑顔すら見せず、ひどくよそよそしくなっていらっしゃった。

「何があったんだろうって思ったさ。ロドルフォもそれを気にして、ひどく他人行儀だったし。俺は正直、そんな二人の事が見ていられなかった」

 ああ、同じだ、とわたくしは思いました。アルベロさまがロドルフォさまとセーラさまに感じていらっしゃる想いは、わたくしの、リースぼっちゃまとノエルさまへの想いに、驚くほどよく似ている。

「どうにかして、二人の仲を取り持ってやれたらと思った。俺には分かってたんだ。互いに避け合っているロドルフォとセーラが、心の内では、互いに求め合っているということを……」

 だから、と彼は続けました。

「俺には、おまえの気持ちが痛いほど分かるんだよ。俺も、同じだから。おまえのリースやノエルを想う気持ちは、俺のロドルフォやセーラを想う気持ちと同じだから」

「アルベロ、さま……」

 きつく閉じた目に、涙があふれる。自分のこの想いを、分かってくれる人が、ここにいる。

「アルベロさま、わたくし……」

「おまえは、頑張った。よくやったよ」

 彼はそう言って、木の上からそうっと下りてくると、わたくしの頭を優しく撫でました。そして、風を巻き込むように、わたくしを包み込む。

「頑張ったな、ホリー」

「アルベロさま……」

 幹に触れた手に、力がこもる。わたくしたちはそのまま、抱きしめ合うように、互いに触れたままでいました。

 その姿を、追いかけてきたリースさまが、衝撃を受けたご様子で見ていたことなど、わたくしには知る由もありませんでした。

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