とりあえず、冥界への入口を探す
そうと決まれば、さっさと出かけよう。
奴から与えられた装甲を身に着け、剣を背負う。
店じまいする。
窓や煙突の口を、板で打ち付けた。最後にあちこちに描いておいた魔法陣を作動させれば、完成だ。
扉に『ただいま、商いに出掛け中』と書いておけば、仕上げは完璧。
装甲を身に着けているのを見られると、餓鬼どもが寄ってきてうざい。
俺はマントをひっかぶると、すたすたと歩きだした。
「まずは冥界の入口を探すか」
俺が呟くのを聞いて、シルヴィが首をかしげた。きょろきょろと見回しても、天界にあったような他の界への入口はない。
「どうやって?」
そういえば、天界人だった頃はのんきに空ばっかり飛んでた。
大体が、交流ないしな。
俺は彼女に説明することにした。
「天界や冥界、それに妖界。この三つの界は、割と自由に行き来出来る」
……もっとも天界と冥界は敵対しているから。お互いに『異物』を感知すると、凄まじい勢いで抹殺しようとする力が働く。
うん、とシルヴィが頷いた。
「他の界から人界をうろちょろするのも結構、簡単なんだ」
よく人間に混じって、妖界人や鬼たちが闊歩しているのを見かける。ちなみに、我々……いや、天界人は羽があるから目立ち過ぎる。紛れ込もうとする奴はまず翼を隠さなければならない。
またも、シルヴィが頷く。
「じゃあ羽を持たない人間が、他の界へ行くのはというと。これは、かなり難しい」
「なんで?」
「何故なら人間は、他の界人ほど魔力が強くないから」
他の界から招かれでもしない限り、せいぜい夢の間に渡るくらいだろう。
「天界へ行くには、よほど徳の高い人間でないと無理だ。
妖界へは何かの弾みで行ってしまったり、行けないことはない」
そうなんだ……と、シルヴィが眼を丸くして呟いた。
「人界から一番簡単に行けるのは、冥界だ。というのも、死者を迎え入れる為に『道』が出来るんだ。死者の後をくっついて行けばいい。ただし片道通行なんだけど」
「え?」
「だって、そうだろ」
死者が気軽に人界に舞い戻れるようになったら、えらいことになる。
「行きはよいよい、帰りは怖い、だよなあ。シルヴィもそう思うだろ?」
腕に止まらせたシルヴィに話しかけた。見るまでもなく、シルヴィはぶるぶると震えていた。
ドラゴン化したシルヴィは、人間なら二・三人は楽に載せられるくらい大きい。
けれど人界では、生ける伝説と化したドラゴンが目立つとロクなことにならない。
人化を解いたシルヴィは、人間のいるところでは小さくなっている。
梟や烏くらいのサイズの竜なら、人間も飼っていたりするから誤魔化しがきく。
妖界はともかく冥界から脱出するには、天界で生まれたドラゴンでなければ無理だ。
冥界の妄執を突き抜けることの出来る羽と、闇を斬り咲く焔の息吹。
光の使徒たるドラゴンだけが持ち得るもの。
だけど、ドラゴンは臆病だ。
妖界で生まれたドラゴンならともかく、冥界に行きたがる天界生まれのドラゴンなんて居ない。
シルヴィが、冥界に堕ちた俺を助けてくれたのは、特別だったのだ。俺とシルヴィは生まれた時からの親友だから。
俺は探し物に遣う水晶玉を取り出した。
これから冥界への旅路にと向かう死者を探す為だ。
――居た。
北東の方角に、死にかけた魂がある、と出ていた。
「行くぞ、シルヴィ」
「ウン」
水晶玉の指し示す道を辿ると、死者が出る家がわかった。家の周りを嘆き男、泣き女の一群が取り囲んでいるからだ。
人間は単なる風習だと思っているだろう。
周りの人達が、その死を悼むほど。
悲しみが大きければ大きい程、徳の高い人間、と冥界で評価される。そうすると、その人間は冥界での楽な暮らしを約束されるのだ。
もし、誰も嘆き悲しまないか。
死にいく人間をせせら笑い、当然の罰だとしか思っていない者ばかりでだったら。
その人間は屍鬼の使う、死の安息から対極にあるアンデッドとなりさがる。あるいは、肉体を冥狼に食い千切られて幽鬼か、妄鬼になるしかない。
金持ちは嘆き男、泣き女を沢山雇える。だから、冥界でも楽な暮らしが簡単に出来るかと言われればそうでもない。
冥府の役人の裁きが待っているのだ。
役人たちは真実の鏡を持っている。
そいつらが本当に惜しまれた人物かが映し出されるから、本当に惜しまれた人物でなかったら、すぐにバレてしまう。
良い魂で誰にも悲しまれることのない、孤独な魂の場合はどうすればいいのか。
その魂が願ってさえくれれば、天界人が枕元に降りて真実の涙を流すことは出来る。
俺がジーメル石に向かって隠密祝詞を詠唱すると、俺とシルヴィの姿はかき消えた。
そっと、邪魔をしないように室内に入る。
間もなく死者の仲間入りを果たす人間は、子供だった。
子供の枕元には、両親だろう。男女が膝まづいて、嘆き悲しんでいる。
俺は、子供の頭上に揺れる、炎を見つめた。
――もうすぐだ。
命が消えると炎が消える。すると炎の消えた後に、冥界への入口が顕れるのだ。
ふ、と炎が消えた。
辺りに悲しみの気が満ちてくるなか、子供の魂がふわりと肉体から起きあがった。
肉体は、人間達がしかるべき処置をしてから魂を目指して冥界に降りてくる。
魂は、肉体を離れると情を忘れる。
その為か、さしたる感慨もなさげに、魂は肉体を置いて冥界への入口を潜った。
俺とシルヴィもその後に続く。
子供の魂は、肉体がなくて重しがなくなったらしい。薄暗い方へ、どんどん進んでいく。
俺は、ちらと後ろを振り返る。
明るい、小さな穴の中。両親が子供の肉体に追いすがって号泣しているのが見えた。
――いけないっ。
子供と距離が空いてしまった。慌てて追いつく。
死者に遅れてはいけないし、死者を追い越してもいけない。生ある者が訪れたと知られては、大変なことになる。死者の匂いの届く距離で、俺達は冥界へと進んだ。
――怖い。
天界人であってもいい気分のする処ではない。今の俺は人界人なのだ。気の狂いそうな暗闇の中で、腕にしがみついて震えている、生命。シルヴィだけが、今の俺の心のよすがだった。
冥界に着くと、子供の魂は何処かへ引っ張られるように飛んでいった。
――魂よ、安かれ。
俺は魂に祝詞を贈った。
あれだけ両親に愛されていれば、あの子供の魂は屍鬼たちに使役されたりしない。安息を得られることだろう。親の嘆きを考えれば、俺はそう祈るしかなかった。
――さぁて、ここからどうするかな。
ゴールディズから与えられたイメージでは、木の洞にうずくまっている人影が見えたけど……。
心の中に入れた水晶球に、そのイメージを映す。
油断すると、心を中心に躰が輝いてしまうから、極力、生命力を抑えて。
――居た。
俺はそちらのほうへ近づいた。
見つけた。
探していた、人物を。
俺はその【男】を、じっとと見た。
半ば木と同化してしまって、元の色彩はわからない。そいつが人間なのか妖界人かもわからない。
何よりも。
――コイツ。生あるモノとしての意識あるのか?
肌はひび割れ、苔むしている。
鼠や虫どもがその躰を好き勝手に這いまわっている。
躰の半分以上を木に取り込まれて、生命力をあらかた吸い取られているように見えた。
と。
瞼がゆっくりとこじ開けられた。眼球がキロ、と動いたと見るや。俺とまともに視線が出逢った。
途端、カッと躰や頬が燃えあがる。
ドクン。
心ではなく、人間になってから生えてきた心臓とか言う器官が大きく波打った。
――なんだ、この妙な動きは!
俺は苦しくて、胸を抑える。
その【男】がゆっくりと口を開きかけ、そして。
「いやあっ」
そいつが声を発する前に、あまりの恐怖にシルヴィが叫んでしまった。
ぶわ、と。
一斉に視線や気配が俺達を認めた。
「!」
『生アル者ガ居ルゾ』
『温カイ肉ヲ喰ライタイ』
『躰ガ凍エソウダ、熱イ血潮ヲ浴ビタイ』
そんな声達が気配達が視線たちが、じわりと、俺達を取り囲んだ。
「ひいっ」
シルヴィが泣き叫んだ。
「我慢しろっシルヴィっ」
俺は叫ぶと、剣を木に突き立てた。
ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲォゥ……っ
木が飛び散らせた咆哮は、呪詛となって辺りへ付着した。それらは腐臭を放って、どんどん腐っていく。
「リィンっ」
シルヴィが悲鳴を上げた。
「もう少しだっ」
ガツガツ、と木に剣を突き立て、少しずつ【男】を木から彫り出していく。
鬼たちが近づいてくる。シルヴィが、懸命に焔を吐いて近づかないようにしてくれている。ようやく【男】に絡まっていた、幾千本もの髭根を叩き斬ることに成功した。
「シルヴィっ」
俺が叫ぶ前にシルヴィは元の大きさに育っていた。
そして、ケエエエエンッと叫び声を上げた。両手に俺とその【男】を掴んで、冥界の出口を目指して羽ばたいた。
「来るぞっ」
屍鬼や悪鬼たちが、冥界の翼あるモノに乗って俺達を追いかけてきた。
俺は滅魔の聖句を詠唱し、ジーメル石を紅鋼剣の柄に嵌めた。瞬間、紅い剣が白い輝きを纏った。
剣を一閃すると、光の玉が悪鬼どもを撃ち払っていく。
俺が奴らの攻撃を防いでいる間、シルヴィは懸命に羽ばたいていた。
すると、一匹の悪鬼の投げたヤリがシルヴィの羽を貫いた。
錐もみ状態でシルヴィは落下していく。
「シルヴィっ!!」
その時、【男】が口を開いた。
「俺……ニモ、武器ヲ寄コ・セ……」
軋んだ音だったが、俺の耳はなんとか言葉として拾った。
俺はジーメル石を【男】に投げた。
【男】はなんとか石を受け止めると、たどたどしく破邪魔法の聖句を詠唱し始めた。
俺は治癒祝詞を詠唱しながら次のジーメル石をかざして、必死にシルヴィの羽の傷を癒そう試みる。
もう一つのジーメル石に防御魔法の聖句を詠唱し、光盾をシルヴィと俺達の周辺に張った。だが、シルヴィが頑張り切れるのか、光盾が突破されるのか。時間の問題だった。
ブウン!という音がした。
ようやく【男】の魔力が発動したのだ。
彼に与えたジーメル石が雷を纏った弓矢に形を変えた。
ぎり、ぎり、と。
【男】がその矢をつがえた。力が足りてないらしく、ふらふらと弓矢が揺れていた。
シルヴィはくるくると回転しながら堕ちていく。
「放てっ」
俺が叫ぶのと、【男】の手から雷光を纏った矢が放たれたのが、同時だった。