依頼なんて、うぜぇ
「ちょっと、リィンっ! 仕事しなさいよっ」
シルヴィが俺の掛布をはぎにきた。
「面倒くせぇ~……」
シルヴィが開け放った窓から、光の精たちが踊っているのが見える。
天界に居た頃は、朝日の中フライングするのは無上の歓びだった。今は重力をまとう身。暴力的なまでの日の光は、うっとうしいだけだ。
シルヴィに邪魔されないように掛布の中に深く潜った。が、めげない彼女に揺さぶられた。あー、うっさいな。俺は眠いの!
「今日もお客さん、並んでるわよっ」
繁盛してるのはいいことだ。
だけど食っていけて、寝ても雨漏りしない屋根があるのなら、それ以上は求めてないんだが。
「……お前。朝っぱらから、どうしてそんなに元気なんだよ……」
俺は呻いた。
大体、竜って夜行性じゃないのか?
えっへん、とえばった声で言われる。
「天界にいた頃のアンタに付き合ううちに、アタシも朝型になっちゃったの!」
へーへー。
ご苦労なこって。
今の俺は冥界から還ってこっち、闇のほうが居心地がいいんだよ。
「シルヴィ、もっかい鞍替えしろ」
「リィンったら!」
あー、うるせぇ。
徹夜明けの耳には、お前の声はキンキンして響くんだよ。
ゆさゆさと揺さぶられ続けて目が回ってきた。仕方なし、片目だけ布団から出した。シルヴィに言いつける。
「お前、花びらでも撒いて、祝福でもしておけよ」
「無理! ほら、ジーメル石を5つも貰っちゃったのよ!」
ば、と目の前に不思議な色に光る石をひろげられた。
ジーメル石だとっ?
耳がぴくん、となる。目がハッキリと覚醒する。
魔力の補助アイテムの中でも、最上のものだ。それを五個もくれるとは、どんな金持ちなのだろう。
「……仕方ねえなあ……」
俺はようやくもそもそと起きだした。
「きゃっ」
可愛い声を出して、シルヴィが真っ赤になって後ろを向いた。
茶色の肌をした女の子が真っ赤になると、なんか美味しそうな色になるのだ。
……なーんて事を言ったら、シルヴィにぎゃんぎゃん言われるので黙っておく。
「ちょっと、リィンったら! 女の子でしょ、服くらい着てよッ」
「うるせーなー。別にいいだろ。見られたって減るもんじゃなし」
「減るってば!」
別に今は女じゃないし。無性だし。
あの日から。
◇
天界の住人は不老不死の力を羽から貰っている、とされている。
だからだろうか。
屍を使役する屍鬼は俺達の羽を奪って、不老不死の薬の材料にしようと付け狙っている。
ついでに冥界の産物で、天界・人界・妖界にまんべんなく悪さをする悪鬼達。アイツらは、どうしても勝つことの出来ない俺達天界人を眼の敵にしている。
ある日。
俺は、千を超える屍鬼や悪鬼たちに囲まれた。
善戦したと思うんだけど、所詮多勢に無勢。
羽をもがれた挙句、性を司る首と成長を司る髪を斬りつけられた。一時的に力を喪った俺はなすすべもなく、冥界に突き落とされた。
永劫にも思える時間、冥界を彷徨い歩いた。
世界中を探し回ってたシルヴィが、決死の覚悟で冥界に降りてきてくれなかったら。幽鬼になっても俺はまだ、冥界をほっつき歩いていただろう。
もしかしたら、幽鬼どころか心も無くして妄鬼になってしまったかもしれない。いずれにしても、俺を襲った奴らの仲間入りしていたんだろうな。
治癒の為にひとまず人界に連れてこられた。
でも成長を司る髪が伸びない以上、治りも遅い。
そのあいだに俺の羽は、奴らにいいように分解されてしまったらしい。
羽のない俺は天界人ではなくなった。だから、天界には戻れない。
そんなこんなで人界の隅っこで、シルヴィを巻きこんで細々と探し物屋稼業をしている。とくに目的もなく生を過を消費していた。
――目的がない訳じゃないけど。
それを探す為に、探し物屋稼業をしている訳だけど。
どこを探せば見つかるのか、皆目見当がつかない。
◇
のそのそと、出来るだけゆっくりと身支度をした。
我慢しきれなくなって、帰ってくんねーかなー、なんて思いながら湯を使う。
シルヴィがイライラしている。
陽の光が中空に上がるころ、ようやく俺は客を待たせている室へと入った。
俺の姿を見て、客はおもむろにマントを脱いだ。奴の姿を見てしまった俺は、眼を剥いた。
「げ!」
「て、天界長さまっ?」
後ろでシルヴィが息を呑んだ音が聞こえた。
もう一度寝よう。目の前の悪夢が消えてなくなるまで、寝るに限る。今日は夢見が悪かったんだな。夢見が悪いと碌な事がない。寝直そう。寝直すに限る。くるりと回れ右をしたくなったので、してみた。
が。
「やあリィンギル。久しぶり」
真名を呼ばれてしまえば、躰は縛り付けられたように動かない。
「あいかわらずの腑抜けっぷりだな」
『逃がさない』と言ってる声が頭の中に響いた。途端、俺の脚は寝室に向かうのを拒否しやがった。
ぎ、ぎ、と。無理矢理に躰の向きを返させられた。
「ち、くしょっ」
俺は諦めて、椅子をひいてどかっと座ると、そっぽを向いた。せめてもの意思表示だ。
「くそめ!」
美味しい話には裏がある。
いやってほど聞かされた、人界のセオリーではないか。
いまさらなことを俺は心の中で呟いた。
大体、ジーメル石を五つもぽんと出すなんて客が、このしみったれた人界に居る筈がない。……と、初めに疑うべきだったのだ。
ジーメル石なんて、天界か妖界にしかないんだ。採取できる種族だって限られてるのに。
欲に眼が眩むと、ろくなことはない。
「……ゴールディズ。お前がわざわざ人の世に降りてくるなんざ、どういう了見だ」
俺が渋々口を利くと、ゴールディズはうっすらと微笑みを浮かべていたのをあらためた。真剣な面持ちで話を切り出した。
「お前に冥界で人探しをして欲しい」
言われた瞬間、おぞけが全身を奔り抜ける。シルヴィがひぃっ……と細い悲鳴をあげた。
「なんだと?俺にまた、あそこへ行けというのか?!ふざけるなっ」
俺は思わずダン!とテーブルを叩いてしまった。思わず空気を求めて喘ぐような声が出てしまう。
「冥界……っ」
じめじめしていて、薄暗い。厭な匂いがしている。
冥界には死はない。
狂気と、悪意しか存在していない。
終わらない悪夢。
いっそ、気が触れればよかったんだ。
そんな処に、もう一度行くなどと。
躰の底から震えが湧き上がってきて、止まらない……!
両腕で躰を抱きしめている俺を見つめながら、ゴールディズは静かに言った。
「一度堕ちたお前にしか出来ない仕事だ」
「言うな!」
俺は怒鳴った。
コイツの話を訊くと、ロクな事にない。
三巡前、ゴールディズの依頼を受けて、悪鬼と戦った。そのとき出来た傷が癒えたのも、つい最近だ。
「いくら不死身とはいえなあ! 羽をもがれた身としちゃ、死んだほうがましだってくらいに痛ぇんだよ!」
治りも遅ぇし!
本当にこいつらは「ヒト」の痛みに鈍感だ。
……俺もそうだった。
「これを見ればお前の気は変わる」
ゴールディズが俺の頭に手をかざした。
「よせっ」
俺は喚いて、奴の行動を阻止すべく手を振りまわした。手遅れだった。イメージの奔流が俺の脳内を暴れまわった。
がっくりと膝をついた俺の眼の端に、奴の背中から大きな金色の四枚羽が広がるのが見えた。
「くそ……っ!」
頭痛と眩暈から立ちあがった俺の前から、既にゴールディズの野郎は消えていた。
「リィン、大丈夫っ?」
シルヴィが俺を支えてくれていた。
「あの野郎……っ! 言うだけ言って、逃げやがって」
ふと気づくと、テーブルのうえに妖石から削り出した装甲。それに鋼玉石から作り出された剣が置いてある。
「これだけで冥界に行けってか! ゴールディズの奴!」
こんな面倒くさい仕事を、ジーメル石たった五つ? ふざけるなっ。
「リィン。ねえ、冥界にもう一度行くの?」
シルヴィが不安そうに囁いた。
彼女は、冥界へ行くことに怯えていた。
「……仕方がない」
俺ははあ、とため息をついた。
ゴールディズから伝えられたイメージでは、俺が探していたものが冥界にあるということだった。
「あんなもの見せられたら、行かない訳には行かないっ!」
俺はシルヴィの肩を掴んだ。
「頼むシルヴィ! 冥界に俺の探していた物があるって、ゴールディズが教えてくれたんだっ」
シルヴィは涙の溜った目で俺を見た。
「リィンが探していたもの? ……本当に?」
「ああ」
天界人は嘘をつけない。元天界人であってもだ。
ひく、とシルヴィは息を呑み込んだ。自分でも聞くのが怖いみたいに小さな声で言った。
「……なら、行く」
「ありがとう、シルヴィ」